第3話 ~生まれ変わり~
「ひゃああああああああああああああああ――ふぐぅ!! もふぅっ、むぅう――っ!!」
悲鳴がゴマアザラシの体当たりによってかき消される。
『大声出さないの! ここどこだと思ってるのっ?』
おかんむりなゴマアザラシ。ゴマアザラシの体は伊達にぬいぐるみではないな実にもふもふしてええい邪魔だ。
「ぷはぁっ。いやそんなの知らないよ!」
顔からゴマアザラシをひっぺがす。
『びょーいんだよ、びょーいん!』
「ああ、なるほど……」
『なんでそんなことも分からないかな……病院くらい来たことあるでしょ?』
「ご、ごめんなさい……ってそうじゃない!!」
なぜぬいぐるみと普通に会話が成立している!
「どうしてゴマアザラシのぬいぐるみが喋ってるんだよ! おかしいじゃないか!」
『そんなこと言ったらキミの方がおかしいじゃないか! 男なのに女になってるなんて!』
「ああ、たしかに――」
確かにそのことに比べたらゴマアザラシが喋ることなんて全然普通だ。普通……ふつう? ――フツウッテナンデスカ?
「ってどっちもおかしいよ!!」
もうどこから突っ込んでいいやら収拾がつかなくなってきたぞ。
『そうだね、キミもボクもおかしいね』
狼狽えるのをよそにこのぬいぐるみときたら悠長に毛並みを気にしていた。
「なんだろう……変態に変態って言われたようなこの虚しさは」
『その例えはどうかと思うけど、それはお互い変態ってことは変わらない事実だから嘆いたって文句言ったってしょうがないんだから、うん。つまり、ボクたちはお互い現実離れした境遇にいる仲間なのさ、だから手を取り合おう。というワケでよろしく!』
「……分かりやすいまとめをどうも」
というワケでってどういうワケだよ。
『どういたしまして』
なぜか親しげに手を差し出してきたので、とりあえず友好のシルシを交わす。なんかもうすでにゴマアザラシが喋っているという事実を受け入れつつある自分がコワイ。
『あと、ボクはゴマアザラシのゴマたんっ! ゴマたんって呼んでねっ』
「はいはい……」
今にも「きゃぴっ」という効果音が聞こえてきそうなくらい、器用に顔のパーツを動かして見せるゴマアザラシ。
この常軌を逸したぬいぐるみが常識を持ち合わせているのが唯一の救いだ。
頭をむしりたい衝動を堪え、悔しいが一切調子を合わせようとしないゴマアザラシを見習い冷静に考えてみる。と、すぐに一つの疑問が浮かんだ。
「あれ、ちょっとまって。なんでお――私が男だって想うの?」
一言もそれらしき発言はしていないし、ドジを踏んではいないはずだ。なのにこのぬいぐるみは俺の身に起こっている事態をいつの間にやら見抜いていた。
『それは~ボクが~天使だからサっ(キラッ)。そなたのことならなんでも知っておるゾ』
なんてことだ……このぬいぐるみ、まさか噂で聞いたことのある――
「ちゅーに病?」
『違う』
「ああ分かったドキュンだ」
『断じて違う!』
ヒレをビシッと出して鋭いツッコミをするぬいぐるみ。やればできるじゃないか。
「なーんだ。ていうか、普通に喋れるなら普通に喋ってよ。キャラ安定しなさすぎ」
なんだかどっと疲れたので、ため息交じりにベッドに腰を下ろす。ゴマアザラシはふよふよと目線より高い位置を泳いでいる。目を凝らしても天井から伸びた糸は見えなかった。
『当たり前デース。ボクは天使デース。人ごときに理解できるほど安っぽい存在ではないのデース』
胡散臭い。
「本当は?」
『ぬいぐるみに使用されている生体回路と同期するために試行錯誤していました』
なるほどわからん。
「ふぅむ……天使には天使の事情があるということかな?」
『まあ、そういうこと。気が澄んだ?』
なんか腹が立つなこのぬいぐるみ……。
「一度殴っていい?」
『殴ってもボクは全然痛くないよ? むしろこんな可愛いぬいぐるみを痛めつけたと、キミの良心がいたむだけだヨー』
やっぱり腹が立つ。
『茶番はここまでにして――』
自分で茶番いうたぞこのぬいぐるみ。
その言葉を皮切りに、おちゃらけた態度だったぬいぐるみががらりと雰囲気を変えた。
『ボクはゴマたん。ゴマアザラシのぬいぐるみ』
「それは知ってる」
『の姿を借りて君に話しかけている天使です』
めんどくさいなこのぬいぐるみ。
「天使っていう設定は信じてあげるとして」
『設定じゃないよ本物だよ』
「もしかして俺がこんな姿になったのはあなたのせいなの?」
『その説明も含めてこれから話すから、よく聞いて。途中もし質問したいことができても、その選択は慎重にするんだ。キミの要望に答えられる回数は限度があるから』
「うそっ!?」
『ほんと。ちなみに三回までネ』
うわー……狙ったかのような都合のいい数字だな。
「わかった。なるべく黙ってきいとくっ」
『まあ単に時間がないだけなんだけどね』
「今までのふざけた時間は必要だったのかな?」
『じゃあ、まずは……』
「調子狂うなあ」
しばし考えるそぶりをみせるぬいぐるみ。どうでもいいことだが、ぬいぐるみだというのに表情に喜怒哀楽をつけられてかつ会話ができているこの生き物を果たしてぬいぐるみと呼称して良いものだろうか。というかどんな仕組みで動いてるんだ?
やがてみるみると表情が渋っていき、重々しく口を開いた。
『キミ、死ぬ。キミ、生まれ変わる。アンダースターン?』
…………………………………………ん?
『オーケー。以上。じゃあ、そういうことでー』
「ちょっとまてーい!!」
がしっとぬいぐるみ天使の身体を鷲掴む。
「雑すぎんだろ説明が!」
『もー、私はそんな乱暴な娘に育てた覚えはありませんよ? こうなったらお仕置きが必要ですね、えいっ』
ぬいぐるみ天使が指を振った刹那――
――ピコッ。
後頭部を叩かれた。
「いたぁっ……くない! 何今の?」
背後を確認するが、そこには誰の何の姿もない。
『女の子の身体を傷つけるわけにはいかないから、ゆるーく躾を施しました。今後もし、その容姿性格に似合わない発言をしたり、振る舞いをしようものなら、遠慮なくピコッっと行きますからね?』
随分と優しいお仕置きだな。
「そんなに俺は」
――ピコッ。
「くっ……そんなにわたしは乱暴するようなヤツに」
――ピコッ。
「そんなにわたくしはおいたをする殿方ではござらなくてよ!」
――ピコッ。
「何がいけないんだよ!!」
『いやいや、その見た目でそのキャラはありえんてぃ』
いつの時代のギャルだお前は。
「そのセリフそっくりそのままさっきのあんたに返してや――らないよぉーしよしよし、いい子いい子」
あぶない、また背後にヤツの気配を感じた……。
『そうそう、暴力反対なのです。ユウキちゃんはへいはふひへはふひゃ(平和主義でなくちゃ)』
「あーかわいいなーゴマたんっ。なんてかわいいんだろぉー」
『ほんはいふひょふはひひむえはいへほ(そんなに強くだきしめないでよ)』
――ピコッ。
「うわーん。ぼうりょくはんたいだよー!!」
『やっと自由になった!』
権力を振りかざして一般人を抑圧するなんて、どこぞの独裁者だこいつは!
『そんなに泣かなくても』
「べ、べつに泣いてなんか……」
『よしよし、遊びすぎちゃった。ごめんね』
ぬいぐるみ天使のやわらかい掌が、頭をポンポンと撫でてきた。するとさっきまでむしゃくしゃしていた気持ちはどこかへ消え失せ、心が温められていくのを感じた。
「なにこれ、あったかい……これも天使の力なの?」
『ヒ・ミ・ツ』
ぬいぐるみ天使は器用にウインクしてみせた。
可愛い顔してるだけあって、別に悪い奴ではないんだよな、こいつ。どこか憎めないし、不思議と話してて楽しいと感じている自分がいる。
そういえば、いつ以来だろう……こんなに気兼ねなく人と話せたのは。……人ではないけど。
優希になる前のことはほとんど覚えていない。
でもなんとなく、懐かしい気持ちになった。
『人にはね、誰にだって優しい気持ちがあるの。ボクは天使だけど、昔は人だったからね、分かるんだ』
「え……」
天使は元は人だった。それはつまり、死んだあとで天使になったということか……?
とっさに浮かんだ疑問は、心の中にとどめておいた。制限のこともあるが、どこか、俺には入り込めない壁を感じたから。
『みんな本当は、弱い人間だから。だから、こうして慰めてあげることが大事なのサ』
そういって、また頭をぽんぽんと撫でてくれた。
またどうしてか身体の芯が暖かくなって、目の前のぬいぐるみが愛おしくなり、気付いた時には抱きしめていた。
なぜだろう。自分よりも小さいはずのぬいぐるみが、とてつもなく大きい存在に感じた。
なんだろう。この感覚。知ってはいるけど、思い出せない。
遠い遠い昔に感じたことのあるような、暖かい気持ち。こんなに至福に満たされた感情を忘れてしまっていることが、どうしようもなく切なくなった。
短いようで、長いひとときが訪れる。一瞬だったかもしれないが、愛しさと優しさに包容された時間を味わっていた。
やがてぬいぐるみ天使は俺から離れると、静かに説明を始めた。頭の中に直接響いてくる声は、やさしかった。
『祐樹くん。キミは確かに死んでしまった。だけど、キミの短くも虚しい人生を不憫に思った神様がもう一度だけチャンスを与えてくれたんだ。キミが今こうして生きているのは、そのためさ』
「でも……どうして神様はお――わたしにそんなチャンスをくれたんですか?」
口を開いてから制限のことを考えたが、俺は迷わず質問した。
『それは、キミが自らの命を犠牲にして一人の少女を救った善良な魂だからだ』
自らの命を犠牲に一人の少女を救った。むろんそんな記憶はない。
「……本当に、大塚祐樹は死んでしまったんですか?」
もしかしたら本当はどこかで生きながらえているかもしれない。危篤状態ではあるが、体はどこかにあって魂だけ移動しているだけなのかもしれない。
俺はそれがずっと気になっていた。
俺はどうなったのか。俺には戻る場所があるのか――。
『残念だけど、それは本当。大塚祐樹くんはもう、この世にいないんだ』
だが、断言されてしまった。
「そうですか」
不思議とショックではなかった。神の使いを名乗る者の言葉は事実であることに変わりはないだろうが、何より悲しむだけの記憶が、今の俺にはない。特に思い出したいと思わないのは、取り立てていい人生ではなかったのかもしれない。
そりゃあどんな人生を歩んでいたのかとか、自分が死ぬまでの経緯とか色々気にはなるが、どれだけ足掻いてももう元に戻れないという事実が確認できたことで、後ろ向きだった気持ちと決別出来たことはプラスだった。
それに天使が先ほど言ったように、俺は少女の命を救って死んだ。無様な死に方をしたわけではない、十分誇れる末路ではないのか。それが結果的に生まれ変わる機会をくれたのだ、グッジョブ、前世の俺。
『キミは女の子、優希として自由に生きていい。さっきも言ったように、ちょっとばかり制限と不自由さはあるかもしれないけど、そこはガマンしてほしい』
ぬいぐるみ天使がヒレを振ると、空中にピコピコハンマーが現れて、消えた。
『期限は七日後の5月24日日曜日――ボクが再びキミの前に現れるその時まで。その後は正真正銘死んでしまうことになるから、この一週間で思い残すことがないようにね』
「一週間経って死んだあとは、どうなるの?」
俺は素朴な質問をした。
『それは、神様だけが知ることだ』
それもそうだ。未だにその答えを知る者は誰一人としていないのだから。
別に一週間後のことが不安なわけではない。むしろ生への執着や死への恐怖がない今、一週間経って「はい終了」と言われたとしても、「ああそうですか」と受け入れてしまいそうだ。だがまあ、生きていられるというのは素直に嬉しい。何かしたいことが特別あるわけでもないが、それはまあこの一週間で見つけていくとしよう。
『二ノ宮優希として必要な知識や情報はある程度持っているはずだから、心配はいらないよ』
先ほどトイレの位置がわかったのも無事に用が足せたのもそのためか。
なんて、そんなことを思い出しただけで心臓がまた騒がしく鳴りだした。男と女のどっちつかずな心に理由はあるのか。
「でも……なんで女の子なワケ?」
『3回以降の質問には答えません』
「ケチ」
『まあまあ。でもキミだって立派な男の子だし、本当はうれしいんじゃないの? 普段は見れない女の子のあーんなところやそーんなところを見れるし、あーんなことやそーんなことだってできちゃうよ?』
「…………」
『真っ赤になっちゃって、かわいいなー、ユウキちゃんは』
「ば、バカ天使!! そ、そそんなここ、こと……するわけないだろ」
『え? そんなことってどんなこと?』
「ああもううるさい!!」
顔の周りを飛んでいる五月蠅い蚊から逃れるため、入口側へ移動した。
「ふぅ……なんだか、天使のイメージ変わっちゃったなー。もっとお堅いものかと思ってたよ。まさかこんな煽ってくる鬱陶しいヒトだなんて思わなかった。あ、ヒトじゃなくてぬいぐるみか」
『いやぁ、それほどでも』
「褒めてないよ」
皮肉を言ったつもりが意に介さずに本気で照れている。
「まったく――」
天使にはかなわないな。それもそうだ。こんな奇跡の業を成せる人外の存在なのだから。
「……ありがとう、天使さん」
だが俺が今こうして生きているのも、その天使のおかげでもある。素直にお礼を言うのはちょっと悔しいが。
『どういたしまして』
えへんっと、柔らかいお腹をポンっと叩いた。
この天使、本当にコロコロと表情の変わるヤツだ。
『なにがおかしいの?』
「ちょっとね。見ていて飽きない人だなって思って」
『人じゃないけどね』
「そうでした。でもいいんだよ、ひょっとしたら――わたし以上に人間らしいもの」
『キミとは生きてる年数が違うからね!』
「おみそれしました」
自然と笑いがこみあげて、一人と一匹で笑い合った。
「天使さんと、もっと早くに出会えてたらな……」
そしたら、心の奥底に長いこと滞在しているいつかの寂しさも、もしかしたら消せたかもしれない。
『何か言った?』
「なにもいってないよ」
俺はそらとぼける。
でも本当は、どこかで期待していたのかもしれない。
だが、それは反則だ。
願いもしないことを、願ってはいけない。想いを伝えることではじめて、願いになるのだから。
卑怯者にならなかった自分に、俺は内心ほっとした。
『……そろそろ時間だ』
窓の外を見て、ぬいぐるみ天使が呟いた。
「もういくの?」
天使に倣い、外の景色を眺めてみる。窓の外では新緑が風に揺られて音を奏でていただけで、俺には何の変化も感じられない。
『キミももういかなくちゃ。もう少ししたら回診の先生が来る。見つかったらまたこの病室にとじこめられるかもよ?』
それは勘弁。せっかく与えられた時間が無駄になってしまう。
「じゃあ……いくね」
『はい、鞄持って』
「はい――って、わざわざいいのに」
『おせっかいだったか』
てへっと舌を出して笑うぬいぐるみ天使。つくづく天使っぽくない天使だな。天使というより……なんだろう。
「また会えるよね?」
『七日後に』
「なんか夢がない」
「会えなくても、見てるよ。ずっと」
「そっか」
正直言うと、まだ分からないことも気になることも多い。予備知識が圧倒的に足りていない。
しかし、なるべくは自分で道を開きたい。せっかくもらったチャンスは、悔いのないようにしたいから。
新世界の扉を開くべく、ぬいぐるみ天使に背を向け、扉の取っ手に指をかける。
「それじゃあ、いってきます」
『お別れの言葉は?』
「必要ないよ」
なんて言ってみたはいいが、いざ口にしたら泣きそうだからなんて言えるわけない。なぜ涙が出そうなのかは分からない。
それに、まだこの現実を受け止めきれたわけじゃない。
だけどせめて、笑って終われる最期にしたいから。
俺は、部屋の扉を勢いよく開き、外へ飛び出した。