メンバー2
はい~、カツ丼セット二つ、おまたせ~」
僕以外誰もいない冨士そばにおばちゃんの声が響く。
深夜二時。雀荘でメンバーをしていた僕の主な夕食(夜食)は、店に置いてあるカップラーメンか、
冨士そばのカツ丼セットだった。
深夜にコンビニ以外で開いている店なんてほとんどないので、
全国の雀荘店員は皆、同じような食事をしているのではないかと思う。
(それにしても深夜の二時にカツ丼とミニそばのセットを食べるなど、今では考えられない)
終電がなくなり、澁谷の街に残された(残った)人間たちが、
さて今日はどこで朝まで遊ぼうかという選択があらかた終わる午前二時、
大体の場合、夜番のバイトはこのあたりまでが一区切りだった。
フリーの卓はこのあと朝まで面子が変わることは滅多にないし、
セット(四人で遊びに来ている)の客はほどよく落ち着いて来ている時間帯だ。
夜食を買って僕が店に戻ると、出かける前まではメンバーが座っていた席にオダが座っていた。
「オダさんまたサボリかよ~、いらっしゃい」
「よぉカズマ。お前と打てると思って来てるんだから入れよ」
「飯食いたいしカモにされるのはゴメンだよ。卓の外と話してないでちゃんと打ってくださいね~」
オダは僕がいる雀荘の隣にある漫画喫茶でバイトをしていて、
ある程度地位が上がるとバイトを後輩に任せて夜な夜な麻雀を打ちに来ていた。
僕はカツ丼をかきこみながらオダのいる卓の面子を眺めた。
(キタさん、コージくん、新規の客、それとオダさんかぁ…)
サラリーマン風の新規の客がどれほど打てるのかはわからなかったが、
他の三人は深夜の常連としても濃い三人であった。
オダの下家にいるキタさん。ファッションは一昔前のチンピラのような格好であるが、
(茶色い柄シャツに同系統のスラックス、セカンドバックを小脇に抱えて髪はオールバックだ)
顔と中身はとても優しいおじいちゃん。
いつも二十三時くらいに現れては朝まで麻雀を打ち、
「あ~疲れた疲れた~」とニコニコしながら帰っていく、夜番のマスコットみたいな人だった。
ほとんど毎日ように打ちに来ていて、三日も顔を見せないと
「キタさんとうとう死んじまったんじゃないか」と店員の間で噂になる。
まぁ一週間も経たないうちに大体帰ってくるのだけどね。
キタさんの麻雀には得意技があった。それは、国士無双。
有名麻雀シリーズ『雀鬼』にも同じようなキャラクターがいたと思うが、
キタさんはああいうひたすら国士無双ばかり狙うといった性格ではなく、
他人よりもちょっと狙う基準が違うというだけだ。(七種七牌くらいから狙っている時もあった)
やはり狙う回数が人よりも多いからなのか、キタさんは二ヶ月に一回は国士無双を和了る。
一向聴からはフルスィングになるから放銃も多いし、あまり周りのことも見ないから、
思わぬ人がキタさんから貰った点棒で逆転トップになったりする。
上級者から見たら好ましくない打ち方なはずなのだが、
キタさんの持つ雰囲気のおかげなのか、キタさんを嫌う人はほとんどいなかった。
それと対照的に、夜の常連の中でも嫌われがちなのがコージ君。
自分では結構大きな組織(893屋さん)のいい位置にいるとか嘯いていたが、
実際は歌舞伎町のキャッチだったらしい。
他人を威嚇したりするような性格ではないのだが、麻雀がかなり自分勝手で、
初心者ならそれもまぁしょうがないとなるのだけど自分では上級者のように振舞うのだから質が悪い。
当時の僕は他人の麻雀を咎められるほどの実力が無かったし、
そういうのが一人混ざっちゃうのも麻雀だよなぁ、とか思いながら見ていたが、
他の常連からすれば面倒な相手だったのだろうな、と今では思う。
僕がバイトをしていたのは点5の雀荘だったのだが、点5の雀荘というのは
点ピンの雀荘に比べるとお金よりも麻雀の質を求める人が多い。(そもそも場代からして勝ちにくいのだ)
お金重視ならどれだけ自分勝手なことをされようがご勝手に、であろうが、
ゲームとしての麻雀を求めて来ている人にとっては麻雀がとてもつまらないものになってしまう。
自分勝手な麻雀で言えばオダも負けてはいなかったが、
彼は上級者としての自覚を持った身勝手さを表現している気がした。
(初心者の身勝手さと上級者の身勝手さ、この違いは中々大きい)
オダは夜の常連の中でもやはり勝ち組の側で、
相当な強者と卓を囲まない限りは大体バイト代を上乗せして帰っていった。
(それでもその強者から言わせればまだまだだったらしいが)
彼もそこまで常連たちに好かれていた感じではなかったが、
それは人間としてよりも「こいつの麻雀やりにくいなー」というような感じだったと思う。
そういえば、オダには彼独特の「トイトイ理論」という戦術があった。
とんでもないところからポンやカンを仕掛けて、あれよあれよという間にトイトイに仕上げてしまうのだ。
彼にしか分からない感覚なのかもしれないが今度一度教えてもらいたいものだ。
僕がセットの客の灰皿を換えていると、フリーの卓からキタさんの
「ツモ!」
という元気な声が聞こえてきた。(お歳だからか、声に対して動きは遅い)
しばらく出てなかったからそろそろじゃないかなーと思いながら卓の様子を見に行くと、
やはり和了っていたのは国士無双。
「いやーキタさんまたですか。前回から少し時間がかかっちゃいましたね~」
とは言っても前回から三ヶ月も経っていないのだが、お世辞気味に僕は言った。
「そうだね~中々狙わせてくれる機会がなかったからね~」
キタさんはニコニコしながら点棒とチップを受け取る。
「キタさんは何でそんなに国士無双好きなんですか?」
次の局が始まって、邪魔にならない程度で僕はキタさんに尋ねた。
「結構凄いところからも狙っていくし、可能性があれば降りないですよね」
「うんそうだね~、他の役満と比べても綺麗だからかな~」
「綺麗?」
「うん、牌姿が」
あぁなるほど、そういう麻雀もあるのか。そういえば初めて麻雀をした時は順子が並んでるだけでも
綺麗だと思ったなぁ…
そんなことを考えながら卓を見ると、明らかに不機嫌そうにしている人がいた。
今の国士無双を親かぶりさせられたコージ君。
新規のお客さんが少し居心地悪そうにしているのがわかる。
「ねぇあほーす君、残り打ってくれないかなぁ?俺もう時間がヤバイんだよ」
さっきまでそんな素振りは一切見せていなかったのに、コージ君が突然そう言い出した.。
「ダメですよ。もう南場に入ってるじゃないですか。最後まで打ってくださいね」
「飛んだ時のお金にチップ分も渡しておくからさ、ほら打ってよ」
「ダメです」
まるで子供だ。自分が負けるという現実をみたくないのだろうな…
そう思いながら応援の意も込めてコージ君の後ろに立った。
役満親かぶりはさせられたが、まだ満貫跳満をあがれば十分二着が見える点差だ。
コージ君の手牌を見てみると、まさにその条件を満たせと言わんばかりの
タンピン三色ドラドラの一向聴だった。
こんな恵まれた手で何を不機嫌そうにしているのだろう、と場を見てみると、
なるほど、コージ君の和了に必要不可欠な二五索がもう七枚も枯れてしまっている。
これが不調ってことなのかなぁ…とオカルトチックなことを考えていたら、
コージ君に聴牌が入った。待ちはやはり二五索。
さてどうするのか、残り一枚にかけて聴牌にとるのか、手を作り直すのか…
そう思っていたら、コージ君はその自摸ってきた牌を
「ツモ!」
という大声とともに卓に叩き付け、手を開いた。
「あ、まだ聴牌してなかったわ。これチョンボで俺の飛びだよね。それじゃあ」
コージ君は飛び分のお金を置くとさっさと店を出て行ってしまった。
呆気にとられる客とメンバー。
コージ君のやった行為は、ルール上違反してはいない。わざとチョンボしてはいけないとルールなどない。
なぜそういうルールを作らないかというと、そういう人間がいる、という前提がないからだ。
麻雀荘というのは、賭博場であると同時に社交場としての性質が強いため、
客を信用してルールが作られている部分が多くある。
それが分かっているから、一見の客ならともかく、常連がそのような行為をすることは滅多にない。
そんなことをしても自分にとって居心地の悪い店が一つできあがるだけだ。
「寂しいトップになっちゃったねぇ…」
キタさんがぽつりと呟く。
オダは表面上はコージ君に対して怒っていたが、彼は上手いこと二着になれたので
そっちのほうが大事なのだろう、すぐに次の半荘に意識を切り替えていた。
「それじゃあ僕が入りますので繋ぎましょうねー」
アサイさんは卓の雰囲気を見るなりすぐに空いた席に入り、
(お前らはほかのところを見てろ)と他のメンバーに目で指示してきた。
僕たちは一旦その卓を離れて他の様子を見ながらも、
キタさんたちのいる卓に注意して茶々を入れて盛り上げようとした。
麻雀荘には色々な人間が寄り付く。大会社の役員、チンピラ、学生、主婦エトセトラエトセトラ。
賭博と社交の境界線上にある遊戯を楽しんでもらうために、
雀荘のメンバーは今日もホールに立っている。
当たり前の事ではあるが、麻雀荘のメンバーという職種は博打打ちではなく、サービス業である。
何よりも大切なのは麻雀そのものではなくお客様へのサービスだ。
客によっては博打感覚で、こちらを殺す勢いで来る人間もいるというのに、
そういう客を笑顔でもてなしながら、自分の給料を守らなくてはならない。
メンバーは接客面でもそうであるが、麻雀の内容でも客を不快にしてはならない。
そのために雀荘によってメンバーが禁止されている行為がある。
例として挙げられるのは
・モロ引っ掛けリーチ禁止(リーチ宣言牌のスジでの和了)
・オーラスで客同士の順位が変わってしまうツモ和了禁止
・聴牌時以外の槓禁止
店によっては制限を一切設けていない雀荘もあるし、
客によっては僕もその制限を外すことがあったが、
相手がどのような打ち方を嫌うか分からない以上
客が減る可能性のある行為をしてはならない、というのが鉄則である。
いつものバイトの出勤時間二十二時、いつものようにいきなり本走。
僕は一回目の半荘から国士無双を出和了り、
こりゃ今日は沢山給料を残せそうだ、と興奮冷めやらぬまま二回目の本走に入っていた。
隣の卓では珍しくアサイさんが日付の変わらないうちから本走に入っていて、
この時間だとアサイさんはどんな打ち方をするのかな、
と丁度手牌の見える席に座っている彼の手を見て、僕は度肝を抜かれた。
彼の手牌は国士無双十三面待ちだったのだ。
(十三面待ちとは手牌が
一九①⑨19東南西北白発中
となっていて、ヤオ九牌なら何でも和了れる聴牌形のこと)
流石アサイさん、普通の国士無双しか和了れない俺とは役者が違うネ、
と僕は彼の和了の声を待っていたが、いつまで経っても声が聞こえてこない。
暫くして、彼の発声を聞いた時、僕は自分の耳を疑った。
「ノーテン」
ノーテン!?国士無双十三面待ちのテンパイを崩すことなど、
どんな危険牌を掴んだとしても普通はありえない。
聴牌の強さというのは待ちの多さであり、そういう意味で十三面待ちは最強なのだ。
僕は頭の上に疑問符を大量に浮かべながら、全く集中できずにその半荘しっかりとラスを引いた。
朝十時半。スーツを着てせわしく歩き回る人たちを眺めながら、
僕とアサイさんはビールを飲んでいた。
仕事が終わったら下にあるファミレスで朝食(夕食?)を食べるのが大体の日課だ。
僕は早速アサイさんに国士無双の事を質問した。
「あぁアレね。お前余所見なんかしてないでもっと自分の卓に集中しろよ、ったく…
アレはな、最初にロン牌が出ちゃったのが新規の客だったんだよ。見逃してツモったとしても
テンパイで晒したとしても他の客はいい気分じゃないだろ?だから伏せた(ノーテンにした)」
アサイさんは事も無げにそういうと、グイとビールを煽った。
確かに、新しく入ってみた雀荘で、いきなり国士無双十三面待ちなんぞにぶち当たってしまったら、
その客はもう来なくなる可能性は高いように思う(僕も行かなくなると思う)。
もしかしたらもう一生お目にかかれないかもしれない国士無双十三面待ちを、
そこまで考えてノーテンにする意志力。
しかも彼はこの日も自分の給料を守りきっていたのだ(偶然この日は僕もだったが)。
禁止事項やこのような気遣いをしながらもしっかりと客を楽しませながら、勝つ。
雀荘のメンバーというのは、つくづく魑魅魍魎の集まりだなぁと思った出来事であった。