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デビュー

「御新規のカズマ様御来店です、いらっしゃいませぇ!」

「いらっしゃいませぇ!!」


声を揃えた緑エプロン達の明るく威勢のいい挨拶に、僕はとりあえず引きつらせた笑顔を作る。


看板の前で二往復三往復暫くウロウロし、向かいにある本屋で心を落ち着け、

大きく深呼吸をしてからエレベーターの前に立ち、上矢印のボタンを押した。


『入ってはいけない場所』両親共にギャンブルをやらない僕から見たら、

虜にされているとは言え雀荘という場所はそういう所だった。


当時読んでいた麻雀漫画は何だっただろうか。

アーケードゲームをやっていたから『兎』は確実に読んでいた。

それ以外の麻雀漫画はあまり当時の思い出には残っていないが、

フリー雀荘が舞台の漫画は好んで読んでいなかったように思う。


何故フリーに行こうと思ったのかは未だにわからない。

僕に麻雀を教えてくれたマサヤやナオキでさえ、フリーは未経験だったのだ。

(だが僕がフリーに行ったことを聞いたマサヤは、その一週間後にはピン雀に飛び込んで行っていたが。)


多分、新しい世界が見たかったのだと思う。

それも危ない雰囲気の溢れる世界が。


エレベーターを降りた目の前にある『はとむぎ荘』と書かれたドアを開けると、

明るい照明の室内に10卓くらいの自動雀卓があり、ほぼ全てに客が座っていた。


「いらっしゃいませ!初めてのお客様ですか?」

僕が呆けた顔で室内を見回していると、短い茶髪をワックスで立てた若い店員が飛んできた。


「は、はい」

「ではまずお名前をお聞きして宜しいでしょうか?」

「えっ、あっ、はいっ、カズマといいます」

「御新規のカズマ様御来店です、いらっしゃいませぇ!」


ここで冒頭の声を揃えた挨拶である。

今でもこれをやるフリー雀荘は多いので、

これからフリーデビューしようと思っている方は気圧されないように注意していただきたい。


待ち席に案内され、飲み物は何がいいかと聞かれた。

「コーヒーナシナシで」

条件反射のように僕は答えた。

近代麻雀で勉強していた知識だ。(コーヒーナシナシとは、ホットコーヒーの砂糖なしミルクなし、つまりブラックのこと)


ルール説明とマナーの説明。(正直全く頭に入っていなかった)

ひと通り終わったところで、僕は怖ず怖ずと聞いた。

「あの、点数計算とか全然わからないんですけど、大丈夫ですか…?」

「全然大丈夫ですよー!最初に言ってくれれば他の人が教えてくれますし、僕も気にしておきますので!」

若い店員は出番が来たら呼ぶからここで待っていてくれと僕に告げ、ホール業務に戻っていった。


面白いくらいに手が震える。コーヒーのカップを持ったら、アニメみたいに水面が揺れた。

横の本棚を見たら、麻雀の専門誌らしい小冊子。荒正義、小島武夫…近代麻雀で名前は見たことがある。


「4卓ラストでーす!」「ありがとうございまーす!」「優勝は〇〇様、おめでとうございます!」

「おめでとうございまーす!」


店の中は賑やかだ。これは僕の想像していなかったところであった。

僕の想像していた雀荘というのは、煙草の煙で視界が霞み、

客の半分以上はアウトロー、若い人がいてもホストかヤクザか…みたいな印象。

実際の客層としては、サラリーマン風のおじさんが半分くらい、残りがお爺ちゃんと僕より少し上の若者、といった感じだった。

小さく震えながら、僕は彼らを観察し、自分の出番を待った。

20分ほどだろうか、麻雀専門誌に手を伸ばしたりして待っていると、僕の名前が呼ばれた。


先に席についていたのは、白髪の老人、画学生を連想させる風貌の若者、サラリーマン風の男性だった。


「よろしくお願いします」

僕はそう言うと、案内された先程まで自分の座っていた待ち席を正面に見る位置の席に座った。


ここで告白しておこう、

ルール説明の折、僕は店員に「点数計算がわからないんですけど…」と言ったが、

点数計算がわからない所ではない、

その時点で僕が明確に役と認識できる手役は、『平和』と『七対子』だけであった。

僕はこの二つの手役しか覚えていない状態で、フリー麻雀デビューに乗り込んだのだ。

無謀もここに極まれり、である。




「まずは怒られないようにしないと」

ガチガチに緊張していた僕が考えたことはまずそれだった。

初めての見知らぬ他者との対局にかなり高揚してはいたが、

だからこそ、この高揚を一秒でも長く味わっていたい、そう思った。


さて、そうすると一つ問題が出てくる。当時自信をもって和了れる手役が『平和』と『七対子』しか無かった僕。

怒られないように麻雀を打つにはどうすればいいのか。


平和か七対子で和了るしかないのだ。


点数申告が出来なくても大丈夫とは言われていたが、和了る度に人に点数を尋ねていたのでは、

きっといつか怒られてしまう。そう思った僕は、和了るのならまずどちらかで、そう考えた。


だが話はそう上手くはいかないものだ。僕は全く和了れなかった。

相変わらず緊張で手はガクガク震えて頭もまともに働いていないし、

面前役である平和と七対子でしか和了ろうとしていなかったのだから、当然と言えば当然である。

一度も和了れないまま、あっと言う間に二半荘が終わってしまった。

当然僕はどちらもラス。

財布の中には、祖母からもらった卒業祝いと、知人の手伝いをしてもらったバイト代、合わせて二万円。

近代麻雀を読んで、これくらい持っていけば大丈夫だろうと思っていた額だが、

二回のラスであっという間に四分の一以上が財布から消えて、心から余裕が消えた。


「カズマさん、大丈夫ですか?」

ルール説明をしてくれた若い店員が、僕の様子を見に来た。


「え、えぇ、大丈夫です」

きっとその店員は、さっきから牌を山からボロボロこぼして、手牌もまともに並べられていない僕の様子を心配して話しかけてくれたのだろうが、僕にはもう諦めて帰っちゃえば?と言っているように聞こえた。


まだ帰りたくない、もっと深くここの世界に入りたい。実力が無い事を棚に上げ、その思いだけが突っ走っていた僕は、いつの間にか泣きそうになっていた。


「あの、すいません、トイレに…」

小学生のいじめられっ子よろしく、心が折れそうになった僕はトイレに立った。

「分かりました~、それじゃあ代走しておきますね!」

代走の意味も知らないままに、僕はトイレの個室に座り込む。


暫く目を閉じて、心を落ち着けようとした。勝てるとは思っていない、まずは慣れよう、落ち着こう、麻雀を打とう…

そう自分に言い聞かせていたら、何故か再び気分が高揚してくるのを感じた。

勝てなくて当然なんだ、まずは一回和了ろう。財布の中身が尽きるまで戦ってやろう

開き直りにも似た感覚で、僕はトイレから出た。


「あ、カズマさん!1000.2000自摸和了ったところで親番です!」

「へ…?」


僕の初アガリはルール説明をしていた若い店員が終わらせてしまっていた。


「あ…あぁ、代走って…」

「あ、説明していませんでしたね!お客さんがトイレに行ったりしている時はメンバーが代わりに打つんですよ!」

「そうなんですか…ありがとうございます」


拍子抜けした僕は、綺麗に並んだ手牌の前に座った。

手牌は、ヤオチュウ牌の暗刻が一つと、順子が一つ。

「あ、これ立直しても点数わからないや」

そう思った僕は、ヤオチュウ牌の暗刻から一枚をすぐに外した。

すると順子の牌がスルスルと対子になり、聴牌したのは赤五索単騎の七対子。


僕はオロオロしながらリーチをかけ、一発で五索を自摸り和了った。

裏も二枚乗り、親倍である。


「なんでさっき暗刻から一枚外したんですか?」

呆然としている僕に店員が聞いてくる。どうやら暗刻から一枚外したのを見て、ずっと後ろに立っていたらしい。


「あ、僕役が七対子と平和しか分からなくて…」

「え…?」


店員の顔が軽く引き攣った。が、すぐに笑顔に戻ると、

「じゃあ俺なるべく後ろに付いてるから!」そう言って僕の肩を叩いた。


夕飯の時間になるまでに僕の財布の中身は半分以上消えてしまった(浮いたのは親倍を和了った半荘だけだった)。

でも僕は全く気にしていなかった。新しい世界を手に入れた興奮が、心の中で暴れまわっていた。


その新しい世界は一年後、東京へと舞台を変える。

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