狂走のはじまり
僕が通う男子校には、校舎と道路を挟んだ所にポツンと一棟、古ぼけた部室棟があって、
そこは教師が滅多にやってこない、落ちぶれた学生達の楽園だった。
その高校唯一の演劇部員であった僕は、その日も授業をサボって部室棟の2階にある
演劇部室で煙草をプカプカ、電気の通っていないエレキギターをぺなぺな鳴らしながら、
実に無駄な時間を過ごしていた。
突然階下からドカドカと大きな足音が聞こえ、部室のドアが勢いよく開いた。
すわ体育教師だ、僕の高校生活終わったか、一瞬そんな絶望に包まれたが、
そこにいたのは体育教師ではなく、肩までかかる長髪を髷のように頭頂で結わえた
バンカラ応援団のマサヤだった。
「びっくりさせるなよ」僕は少し怒りながらそう言うも、マサヤはそれを狙っていたのだろう、
ニヤニヤしながら僕の向いに座り、消す間もなかった僕の煙草を咥えた。
「カズマ、暇なら麻雀でも打たねぇ?」
「麻雀?何一つわからねえよ」
「何となくやってみりゃあいいよ、ナオキもいるぜ」
「ほう」
ナオキと聞いて、僕は抱えていたギターをスタンドに立てた。
ナオキは授業中の9割を寝て過ごし、起きている時間も殆ど漫画を読んでいるのに、
県内随一の受験校だった僕の高校で常に上位の成績を取り続ける天才肌の男だった。
(結局彼は一度も僕に勉強する姿を見せないまま一橋の法学部に合格してしまう)
友達らしい友達も特に作っていないと思っていた彼が、人と何かゲームをするというのに
僕は興味を持ったのだ。
マサヤに連れられて、僕は部室棟の一階逆側にある文芸部室の前に来ていた。
「ナオキって文芸部だったの」
「いや、ここ部室棟の一番端だろ?バレにくいと思ったから使わせてもらってる」
文芸部の人間が誰もいないのにどうやって部室の鍵開けられたんだよ…そんなツッコミを抑えながら、
僕はマサヤに続いて部室に入った。
どの部室にもある木で出来た正方形のテーブル、その上に載った緑色のマットと、
紋様の入った136個の直方体、微かに香るハイライトの匂い。
部室に入った向かいには、癖のある茶髪を洋種の犬みたいに伸ばしたナオキが、
部室に置いてある司馬遼太郎を読んでいた。
「よぉナオキ、あと一人いれば打てるぜ」
マサヤがそう言うと、ナオキは値踏みするかのように僕の方をチラリと見て、
「カズマ麻雀打てるの?」と聞いてきた。
「やったことないけど、ルールブック見ながら打たせてもらえばすぐ覚えてやるよ」
ナオキに馬鹿にされているような気がして、僕は精一杯の虚勢を張った。
「んじゃ、あと一人連れてくるわ」
マサヤはそう言うとフラリと部室から出て行き、すぐに応援団の後輩を一人連れてきた。
そうしてルールブック片手に、僕の初めての麻雀が始まったのであるが、
当然のこと、僕の麻雀はろくなものじゃなかった。
「一枚ツモってきたら一枚切って、三枚一組のやつを沢山作ればいいんだよ。
同じやつでも連続してる奴でもいい。」
マサヤにそう言われるまま、僕はぎこちない手つきで一枚ずつ、一枚ずつ手牌を作っていった。
正直どんな手を作っていたのかはほとんど覚えていない(覚えていても怖い)。
あと一枚でアガれると思ったらリーチって言えばいいよ、と今度はナオキに言われ、
言われるがままに聴牌したらリーチをかける、よくある素人麻雀だったと思う。
覚えていることは、三枚一組の牌の組み合わせを作っていくことに対する興奮、
出来上がった三枚の並びが綺麗だなぁ、と思ったこと、
それと、一つのアガリ。
どれくらい打っていたのだろうか。絵合わせに夢中になっている間に時間は過ぎ、
気がついたら全ての授業は終わり、他の部室にも人が入ってくる気配を感じるようになっていた。
(文芸部に来た本当の部員達は全員マサヤの一睨みで回れ右させられていた)
実際に打ちながら話してみるとナオキは意外と饒舌な奴で(自分の趣味の領域内に限ってだが)、
ちょくちょく僕にアガる上でのアドバイスなどもくれた。
ルールブックとナオキのアドバイスのおかげなのか、
夕日が本棚の間から差し込んでくる頃には、僕は一応、形だけではあるが麻雀を打っていた
(相変わらずの素人麻雀だったけれど)。
何度も打ち込み、時々リーチをかけたりしているしていると、
ある時僕は自分の聴牌した手牌を見て、おやと思った。
周りになるべく気づかれないようにチラチラとルールブックを確認しながら、
僕はこの時初めて、ダマという選択をしてみる。
局も終盤、確か二つほどポンチーしていたマサヤが、さらにもう一つポンをし、
気合を入れて七索をバシッと打った。
「ロ、ロン」
僕は手を震わせながら手牌を倒す。
「これ、平和ってやつだよな…?」
僕はそう言ってナオキの顔を見ると、ナオキは頷きながら手牌を伏せた。
マサヤは僕の手牌を二秒ほど見つめると、
「ヌアーー!」
とわけの分からない雄叫びをあげながら手牌を開けた。
マサヤの手は役満緑一色の聴牌(ルールブックを見て確認したから間違いない)
自分が何をやったのかNから説明を受け、僕の脳はようやくアドレナリンを吹き出し、
僕は暫く震えていた。僕が役満をアガったわけでもないのに。
これが僕の初めての記憶に残っているアガリ、緑一色を蹴った平和の小さな千点。
それからというもの、学校でつるむ相手は大体がこのマサヤとナオキになった。
受験勉強が始まってしまったのでいつも麻雀を打っていたというわけではないが
(勉強してたのは僕だけだったけれど)、時間があれば少し麻雀を教えてもらったり、
自分でもゲームセンターの麻雀ゲームで練習したりした(エロくないやつね)。
それから一年と少し経った、高校の卒業式の日。
卒業証書を鞄の中に放り込み、僕は仙台駅前のアーケードの中にあるフリー雀荘、
「はとむぎ荘」の前に立っていた。