第1話
ほんの先刻まで、汗だくで歩道を走っていた。
ほんの先刻まで、会社に遅刻しそうだ、と時計を何度も確認していた。
ほんの先刻まで、車の行き交う通りの音を聞いていた。
俺は今、なんで見知らぬ住宅街なんかに突っ立っているんだ?
*****
「寝坊して会社まで急いでたっていうのは記憶にあるんだけどなぁ…一体それからどうしちまったんだろう」
寝ぼけた頭と真夏の太陽が白昼夢でも引き起こしたのだろうか。
起きて会社に向かったのが現実の出来事だとすると、今この状況がまさに夢なのかもしれない。
それなら、とベタに頬を引っ張ってみたが、残念ながら効果はなかった。
「それにしても寂しい場所だな」
まわりを取り囲む輸入住宅たちは静まり返っている。
昼間だから無理もない。ほとんどの住人は外出中なのだろう。
とにかく、ここにいてもしょうがない。
夢なら夢で、会社に向かえばいい。
「とにかく大通りに………!」
振り返って、驚いた。
住宅の一つを囲む塀に、いつの間にか女の子がひとり、ひっそりと寄りかかっていた。
誰もいないと思って独り言なんかを…!
思わず顔が赤くなる。
彼女は今までの様子を一部始終見ていたのだろうか。
「ぅほん!」
何とか気を取り直して、咳ばらいをしつつ体裁を整える。
「あの…こんにちは。君、近所の人?」
背格好を考えると、おそらく、いや、間違いなく中学生だ。
黒いショートの癖っ毛に、着なれた感のあるセーラー服。
ソックスはなく、素足を少しくたびれたローファーに突っ込んでいる。
そして、何故か手には何も持っていない。
少し奇妙だがとにかく今は道だ。道を聞かなきゃ始まらない。
「あの…道…」
作り笑いで近づくと、彼女はその真っ黒な目でこっちをじっと見つめてきた。
何だ、中学生とは言え、そんなに凝視されたら照れるじゃないか。
こっちも負けずにまじまじと見てしまう。
彼女の眉は何か言いたげに困ったような八の字に傾いている。
「あの…あなた」
「な…何?」
急に話しかけられて思わずどもる。
いや、こっちが先に声をかけたんだけれども。心の準備が。
「あなた、死んでいますよ」
*****
恐ろしいことに、自分は朝会社に急いでいる最中、大型トラックに引っ掛けられて即死したらしい。
「にわかに信じられないなぁ」
公園のベンチに腰掛けてぼんやりとつぶやく。
普段なら、初対面の中学生に「あなたは死にました」と言われても与太話だ、と言って取り合わないに決まってる。
でも、不思議と、今はすんなり府に落ちてしまった。
さっきから妙に、身体が軽い気がしてた。
さっきから妙に、疲れない気がしてた。
さっきから妙に、
「外からの感覚がずっと感じられなかったでしょう。匂いも、音も、空気の感触も、何もなかったはずです。死者ってそうですから」
「やたら静かだとは思ったんだよなあ…匂いもしないし」
頬をつねった時は痛みも感触も感じたから気付かなかったが、周りの環境から与えられる感覚がぽっかり無くなっている。
俺、死んだんだ。
ひとり身のしがないサラリーマンだから悲しむ人なんて母ちゃんくらいしかいないけど、何だかあっけない。
ため息交じりで隣をみると黒い目に気の抜けた自分の顔が映った。
「君はさ、その、見える人なの?」
彼女はほんの少し首を傾ける。
「だって、俺、他の人間からは見えないんだろ?普段から俺みたいな幽霊…っての、見えてるんじゃない?」
「…そうですね。私は死んだ人はみんな見えますし、声も聞こえます。あと…」
腕に少し温かい、柔らかいものが触れる。彼女の指だ。
「触ることもできます」
「すごいな」
霊感ってのは本当にあるもんだ。
普通のどこにでもいそうな中学生にも、こんな力が宿ることがあるのか。
思わず感心してしまう。死んでからしかわからないこともあるんだなぁ。
そこまで考えて、ふと、彼女のことが心配になる。こんな真っ昼間に幽霊と話し込んでいて平気なのだろうか。
「そういえば、今日平日だけど学校は大丈夫?中学生でしょ?」
「………そうですね、ええ、そろそろ行かないと。あ、一つあなたに忠告しておきたいんですが」
忠告?
何か気をつけなくてはならないことがあるんだろうか。死ぬのは初めてだからよくわからない。
「っていうと?」
「…お迎えには気をつけてくださいね」
小声でそう言ってすぐ、彼女は振り返りもせずに立ち去ってしまった。
一人残されぽかんと座る間抜けな自分。
お迎え?
意味がわからない。むしろ、お迎えが来た後の状況じゃないか?今は。
どうしたらいいんだ?
俺を悩ませているのは彼女の言葉だけではなかった。
これからどうしたら良いのか、どこへ行くのか、今の俺には見当もつかなかった。
*****
夕日が沈む。
赤かった空が、急速に深い紺色へと変化していく。
こんなにじっくり日が落ちるのを見るのはひょっとしたら初めてかもしれない。
「きれいだなー…」
気の抜けた声が耳に響く。
昼に彼女と別れてから、さんざん彷徨ったものの結局何か起こるわけでもなかった。
何とか大通りに出ると人はたくさんいたが、誰も自分に気づかない。
自分が周りから影響を受けないのと同じように、周りも自分に影響を受けずに淡々と時が流れるだけだった。
自分は死んで、この世に存在しない。
じゃあ、今ここにいる俺は何なんだ?
「俺は、どこに行けばいいんだよ…」
「こんなところにいらっしゃったんですか」
突然かけられた声に驚く。
反射的に後ろを振り返ると、立っていたのは白い衣装、白い髪の、やけに白ずくめの人間だった。
「捜していましたよ。さあ、あるべき場所へ参りましょう」
笑顔で手が差し伸べられるが、簡単に「はいそうですね」と反応するわけもなく。
「あんた、誰だ」
警戒心たっぷりに聞き返すと相手は穏やかな笑みを崩さずに一歩こっちに近づいてきた。
こっちも反応して一歩後ずさる。
そのやり取りが3回ほど繰り返され、ようやく白ずくめが足を止める。
「あまり警戒なさらないでください。私は天からあなたを迎えに来たものです。あなたがた死者を本来いるべき場所にお連れするのが役割なのですよ」
「天から…?」
これはいわゆる『天使』って奴なのか?
よく死んだ人は天国か地獄に行くなんておとぎ話があったが、まさか本当に天使が来るとは。
「いやー、正直どうしたらよいか迷ってて…」
どぎまぎしていると白づくめはますます慈愛を深めたような微笑を返してきた。
「迷うことなどありません。あなたと同じ、すでに旅立った方々の元に参るだけです。皆さん、お待ちしていますよ」
そうなのか?
今まで死んだ人間はみんな、こうやって導かれてきたのだろうか。
だとしたら、自分だけ妙に警戒して駄々をこねるのも恥ずかしい気がする。
だってもういい年だ。
死ぬにはやたら早かったが、もっと小さい子だってたくさんいただろう。
…言う通りにするか?どうしよう。
『…お迎えには気をつけてくださいね』
悩む自分の頭の中に、先ほどの少女の言葉が浮かび上がる。
ひょっとして、こいつがお迎えなのか。
飽きもせずにニコニコ顔の白づくめを横目で確認する。虫も殺さないような顔だ。
気をつけるってどういうことなんだ?
頭がますます混乱する。
ついて行くべきか、行かざるべきか。
「……っちょっと時間を頂けますか」
ようやく出た答えがそれだった。
白ずくめは一瞬きょとんとしたが、すぐに顔を元に戻して頷いた。
「まだいろんなことに未練がおありでしょう。夜が明けたら、またここで。よろしいですね?」
約束を交わし、俺は急いである場所に向かった。
最後にあの少女と別れた、あの公園だ。
会えるかどうか確証はなかったが、何となく、今の自分に答えをくれるのが彼女だとそう思えて仕方なかった。
見覚えのある風景をたどる。
もう日も沈み暗闇が辺りを支配していたが、死者の自分には昼間と同じように風景がくっきりと見える。
結構便利じゃないか。これなら暗い部屋でタンスの角に小指をぶつけることもない。
妙に所帯じみたことを考えながら進むと、遠くに公園の入口が見えた。
もう少しだ。
俺は、賭けをしていた。
彼女がいなければ、俺はあの白いのについて行く。
いれば、彼女の助言に従う。
おそらく運命を左右するだろう決定を他人任せにするのもどうかと思うが、自分で悩んで結論が出ないのだからまあアリだ。
息切れも何もなくゆっくりと公園に入ると、外灯に照らされたベンチの上に確かに影があった。
いた。
別人じゃないかと思い近づくと、ライトで黄色がかったようなセーラー服が見える。
あの少女が、昼間と同じような困ったような顔でベンチからこちらを見ていた。
「やあ。また会ったな」
「そうですね。あれから、誰かに会いましたか?」
淡々とした調子で返答がある。
「ああ、白い、天使みたいなのに会ったよ。それで、死者の行くべきところへ行こうと言われた」
「迷っていらっしゃる?」
まるでこれまでの俺の行動を見透かしているようだった。
ついて行って良いのか、ダメなのか。
これまでも同じように死者に相談されていたのかもしれない。
彼女は口に手を当て、少し考えるように天を仰いだ。
眉間に少し寄ったしわがより彼女の困り顔を深刻に見せている。
今更ながら気付いたが、あの困ったような八の字眉もはどうやら生まれつきらしい。
ほんの一分ほど経ったところで、彼女は首を戻してこっちを見つめた。
俺は、ただ黙って答えを待つ。
「お名前をきいてよろしいですか」
予想外の答えだった。
よく考えたら名乗ってさえいなかったことに今更気づく。
「あ、浅田圭太。っていうか、今更名前?」
「あ、さ…浅田さん」
確かめるように呼ばれる。
何だか変な気分だ。
一応真面目に相談しに来たつもりだったんだが、雰囲気が壊れてしまう。
「私は、あなたのこと嫌いじゃありません」
さらに予想外な言葉。
女の子に好かれるのはまんざらでもないが、今はいくらなんでも状況が違うだろう。
どういうつもりなんだ?
「話していて楽しかった。だから」
少女が続ける。
「いっそ早く消えてしまうのか、長い間孤独に彷徨って転生を待つか、あなたの望むこれからを選べるように手助けしたいと思っています」
一瞬、彼女の言葉の意味が理解できなかった。
彼女の口から飛び出してくる言葉は、いつも衝撃的だ。
「…消えるか、彷徨うか?」
答えは、たぶん俺にとって、そして多くの死者にとって残酷なものだった。
消えるというのは、文字通り存在が消滅するということ。
そして転生というのは、何十年も現世を彷徨った死者がごくまれに生きた人間に吸収され再び生を受けるという事例を指すということ。
転生の可能性はほとんどなく、偶然の産物である為にほとんどの死者は消滅という末路を辿るということ。
ぼんやりする頭で説明を飲み込む。
聞かなければよかったと思った。
じゃあ、あの『お迎え』はなんだ?
死者がみんな行くという『天』とは、どこなんだ?
「それは私の口からは言えません。しかし、消えるか、延々と彷徨うか。死者にはこの二択しか存在しないのは確かです。間違いなく」
「じゃあ俺はどうしたらいいんだ?」
抑えようとしても唇が震えてうまく話せない。
わからない。
先ほどまで呑気に途方に暮れていた自分が懐かしく感じる。
死者に明るい未来はない。死んだのだから。
考えてみれば当たり前のことだったが、信じたくはなかった。
「どうしたら…」
「どちらの方があなたにとっていいのかは分かりません。ただ、今ならまだ選べます。時間は大丈夫ですか?」
時間。
そうか、夜明けにあの白いのと約束していたのだった。
「これ以上私に手は出せません。しかし、最後に一つ。もしあなたが彷徨うことを選ぶなら、白い人にも、あと黒い人にも捕まったらおしまいです」
「ずいぶん余計なことを喋るんだな」
驚いたなんてものじゃない。
つい今まで夜の公園で二人きりだった。
そのはずなのに。
声がした方向を振り返ると、ほぼ真後ろと言っていい程の至近距離に男が立っていた。
黒い服、黒い髪。
白ずくめの次は、黒づくめの登場だ。
「誰だよ!?いつの間に…」
声を上げるが黒づくめの目は俺を素通りして少女の方に向いたままだ。
鋭い眼光に突き刺されているにも関わらず少女の表情は変わらない。
ただその少し困ったような顔のまま俺と黒づくめを交互に見てゆっくりと息を吐いた。
「困るよ、今、懐柔の真っ最中だったのに。途中で割り込まれて台無しじゃない」
懐柔?
おそらく黒づくめに対しての言葉だろうが、聞き捨てならない内容だ。
急に口調が変わったのにも違和感を覚える。
ひょっとして、この黒いのと知り合いなのだろうか。
「あとでちゃんと連れて行くから、別のとこ行ってよ。一人に二人もいらないでしょ?」
「だまれ、できそこないの半端者。お前の癖はもう全員把握してるんだ。また、気まぐれで餌を逃がすつもりなんだろう?」
「え…餌?」
先ほどから疑問文ばかり口にしているような気がする。
分からないことだらけなのに、質問の答えは返ってこない。
俺はどうするべきか?
この黒づくめは誰なのか、彼女とどのような関係なのか?
そして餌というのは、何だ?
知りたくても、この雰囲気じゃ質問できない。
ちょうど二人の間に立っているというのに、俺はまるで蚊帳の外だ。
「違うよ、今回はちゃんとやるつもりだよ、ひどいな。言い掛かりだよ」
「そう言って今まで何匹逃がした?さっきも『白い人』ならともかく『黒い人』ともご丁寧に注意してただろうが。あいつらに横取りされるのは癪だがな、お前の命令違反もいい加減頭にきてるんだ」
「命令違反なんてしてないってば…」
「それは俺が運ぶ。お前は信用できない」
「私の獲物。だからダメ」
なんだか怪しい空気になってきた。
黒づくめの顔が徐々に険しくなっている。
対照的に、少女はどこ吹く風というか、まったく動じていない。
顔に似合わず図太い神経をしているようだ。
しかし、会話を聞いていて、感づかざるを得ないことが一つあった。
先ほどの疑問。
餌というのは…おそらく、いや間違いなく、俺のことだ。
そこで合点がいった。彼女が、死者は消えると言った真意が。
この黒づくめが、そして夕方に話した白づくめが、死者を消滅させる何かなのだ。
餌、獲物と言ってることから考えて、俺は…こいつらに狙われているのだ。食糧として。
こいつら…この黒づくめ、そしておそらくこいつの仲間であろう少女にとって、俺は肉や野菜と同じ。
恐ろしい事実だ。
鈍くなっていた頭が急速に回転を始める。
ここにいるのはまずい。
逃げないと。
逃げないと。
俺の中にはもう『消滅する』という選択肢はない。
彷徨うのがなんだ。
こんな得体のしれない奴らに食われて消えるのなら、長い時間孤独に耐えたほうがましだ。
幸いなことにこいつらの注意は俺に向いていない。
少女の顔に視線を流す。
何で自分は彼女を信頼してしまったのだろう。
今考えるとおかしかった。
彼女の触れた指先の体温は確かに温かかった。
彼女の声は俺の耳にはっきりと響いたし、彼女の纏う空気の感触もちゃんと感じられた。
夜の闇に影響を受けなかった自分が公園で彼女の姿を確認するのに近づかなくてはならなかったのは、彼女の影に対してだけ夜目が利かなかったからだ。
死者は現世に影響を受けない。
彼女のその言葉が信用できるとしたら、彼女は現世のものではないということになる。
彼女は霊感のある女子中学生などではなかった。
騙されたんだ。
あんなとぼけた顔をして、俺はすっかり騙されていたんだ。
熱い涙が目に浮かぶ。
死んだばかりで右往左往する俺をからかって、最終的に食べるつもりでいたと思うと悔しくてこみ上げる怒りが抑えられない。
まだやつらの言い合いは続いていた。
俺は。
足に力を込めて。
「だからしつこいってば。この人は―――――あっ」
虚をつかれたような声がしたが、振り返らなかった。
幸い今はいくら全速力で走っても疲れない。
離れていく公園から黒づくめの声も少し聞こえていたが、これも無視だ。
全神経を使って、暗い街をあてもなく突き進んだ。
とにかくここから離れよう。
そして、隠れるんだ。
あの黒づくめも、白ずくめも、少女も来ない場所に。
足だけが規則的に地面を蹴る。
音はしない。軽やかな気分だ。
一人でも、それなりに楽しみを見つければいい。
あの少女の言葉を信じるわけではないが、転生できるというのは本当かもしれない。
それまで、ゆっくり待てばいい。
大丈夫だ。
*****
視界の端に移る空が白みを帯びる。
もう朝だ。
ずいぶん長い間走っていたらしい。
ふと辺りを見回すと、見たことのない景色が広がっていた。
左に、瓦屋根の家屋。右に、長く続いた壁。
いや、違う、壁じゃない。これは堤防だ。
右方向に少し舵を切ると、壁のへりに手をかけて足をとめた。
キラキラと輝きを映す、水平線。
海だ。
「本当に…きれいだなあ」
昨日見た夕焼けも素晴らしかったが、朝日を浴びる海はそれ以上だ。
先ほどとは意味の違う涙が顔を伝う。
消えたくない。
この世界に留まりたい。
この朝日が上りきるまで、見つめていたい。
堤防に寄りかかり、その光景を目に焼き付けるように見つめていた。
「約束したのに、こんなところに来ていたんですね」
その声が、真後ろから聞こえるまで。
「さあ、夜明けですよ。十分に考えることはできましたか?答えをお聞きしたいのです」
振り向こうとするのに、首が動かない。
本能が拒否しているかのように、身体が命令を聞かない。
微動だにしない両肩にそっと白い手が載せられる。
まるで力の入っていないその手さえ、払いのけることができない。
「まあ」
耳元に吐息が触れる。
吐息が。
現世に存在しない何かの、その、空気の流れが、声が、体温が、
「どちらにしろ連れて行くんですけれどね」
俺の、浅田圭太の、世界が、人生が、魂が、存在が、
終わりを告げる。
*****
「またやらかしたな?」
自分に対して話しかけられた言葉だとわかっていたが、あえて反応しない。
そのまま通り過ぎてしまおうかと思ったが、セーラー服の襟を掴まれてつんのめる。
首が締まる。
抗議の視線を向けたが、凶悪な表情を返されて仕方なく足を止めた。
しょうがない。言いたいことを手っ取り早く言わせてしまおう。
「何かご用で?エターン。今日はもう休もうと思ったんだけど」
「下級の奴に報告を受けた。お前が逃げた獲物の捕獲の邪魔をしたってな。まだ、罰が足りないか?雨」
エターンと呼ばれた者が剣呑な様子で少女・・・雨を睨みつける。
どうやら脅しのようだが、恐るるに足りない。
何せ、今回は全く咎められるような証拠は残っていないのだから。
「何もしていないよ。本当だよ」
「じゃあ邪魔をしたっていうのは何だ」
「二人で同時に追いかけたから身体がぶつかって転んじゃって。うっかり逃げられちゃったんだよ。参ったなあ」
「……」
エターンが目を細めて見つめてくる。
無駄だ。
どんなに威嚇しても証拠は出てこない。
「…もう寝ろ」
どうやら今日はこっちの勝ちだ。
さっさと立ち去るエターンを見届けて、雨は自室へ足を急がせた。
本当に、何もしていない。
できなかった。
あの優しい人は、きっと今頃こっちの黒いのかあっちの白いのに捕まっている。
こちらの世界に慣れない死者が逃げ切れる可能性はほとんどない。
「消えて欲しくなかったなあ。きっと、いい友達になれたのに。寂しいなあ」
話し相手がほしい。
私は半端で、はぐれ者だから。
またダメだった。
もう何人もチャレンジしたけど。
最後まで、逃がすことができない。
「大丈夫、また、探そう。優しい人。ここの奴らとは違う、私に優しい人」
自分を受け入れてくれる人との談笑を夢見ながら、雨は両掌を温めるように握りしめた。