第一章
「俺、お前が好きなんだ」
ゴミ置き場から渡り廊下に差し掛かった時、中庭から聞こえてきた言葉に悠一は耳を疑った。
(え、告白? マジかよ、男子校だぞ!?)
同性という壁を乗り越え告白をしたチャレンジャーの顔を拝もうと、足音を立てないよう木陰から覗いた先で息を飲んだ。
(シ、シンちゃん……!?)
告白されていたのは、なんと幼なじみで親友の東真也であった。
「東、びっくりさせてごめんな。でも、俺本気なんだ。一年の頃から、ずっとお前が好きだったんだ。本当は言わずにおこうと思ってた。毎日教室で会って、一緒に飯食うだけでいいって思ってた。けど、それじゃもう満足できねえんだっ」
男子生徒は、短髪と大きな背中を揺らしながら全身で訴えるように畳みかけた。
「……悪い。俺は、お前とはそういう間柄にはなれないよ」
少しの沈黙のあと、真也が告げたのは拒絶であった。
「何でだ? 俺が男だからか?」
「違うよ。性別は関係ない」
「っ、じゃあッ!」
「お前じゃダメなんだ。俺は、あいつじゃないとダメだから」
「あいつ? 誰だよ」
「お前には関係ない。関係あったとしても言わない。この想いがバレて、あいつと一緒にいられない方が俺には地獄だから」
空梅雨の雲間から差し込む光に、真也の顔が歪む。初めて見るその表情は、見ているこちらの胸までつぶれそうなくらい痛々しいものだった。
「……そんな顔をするくらい、そいつが大切なんだな」
真也の表情に何か感じたのか、男子生徒は絞り出すように呟きその場を後にした。真也はしばらくその背を追っていたが、大きく息を吐き、渡り廊下の向こうに姿を消した。
「……ガチ告白だったな。てか、シンちゃん好きなやついたんだ」
生まれて初めて見る告白シーンに、いまだに心臓がバクバクと鳴り止まない。と同時に、真也の初めて見た苦し気な表情に胸がざわついて仕方なかった。
「あんな顔するくらい好きなのか。……何でだろ、なんかショックだな」
ゴミ箱を持ち上げようとした手が滑り、プラスチック特有の軽い音が誰もいない渡り廊下に響いた。拾わなければと思うのに、胸にじわじわと広がる湿った気持ちに囚われ拾う気になれなかった。
その時、スマホがポケットの中でブブッと鳴った。
『ゴミ捨て、まだ終わらないのか?』
見れば、真也からのメッセージ。テストの打ち上げでゲームセンターに行こうと誘われていたことを思い出した。悠一は少し戸惑ったものの、ゲームセンターに行くのを楽しみにしていた真也の顔を思い出し、意を決して転がったゴミ箱を拾い上げた。
空梅雨のさっぱりとした風に乗って、蝉の鳴き声が聞こえてくる。期末考査後で人気の少ない校内にやたらと響き、悠一の湿った心をざらつかせた。
軽いはずのゴミ箱を引きずるようにしてようやく教室にたどり着くと、最後に残っていたクラスメイトたちとちょうど入れ違いになった。
「お、西崎、当番おつかれー」
「また明日な」
「あ、ああ、おつかれ」
出入り口で彼らを見送り、室内に視線を向けた。そこにはテストから解放された喜びが残っていて、何だか祭に出遅れたような気分だ。
「何でテスト終わった日に当番かな。……つか、何でさっきからこんなにモヤモヤしてんだよ。何なんだよ、あいつって」
「何ぶつぶつ言ってるんだ?」
「うわぁっ」
突然背後から話しかけられ、ゴミ箱がまた軽い音を立てて床に沈む。誰だと勢いよく振り返った直後、目を見開いた。
「シ、シンちゃん……」
「どうしたんだよ、化け物でも見たような顔して」
見慣れた爽やかスマイルでゴミ箱を拾うと、真也は「お邪魔します」と言って悠一の背中を押した。あいつ発言を聞かれたかと肝が冷えたが、彼の表情を見るにどうやら杞憂だったようだ。悠一は、気付かれないようひそかに安堵のため息をついた。
「遅かったな。ゴミと格闘でもしてたのか?」
「あ、いや……」
「なかなか帰ってこないから、探しに行くとこだったよ」
コン、と軽い音を立てゴミ箱を置き、真也はふわりと笑った。先ほど見た苦悩が幻影だったのではと思うほど柔らかく、悠一は目を泳がせた。
「えーと……、ちょっと分別に手間どってさ」
「困るようなもんが入ってたのか? 言ってくれたら手伝ったのに。その方が早く終わっただろ」
「俺のクラスの問題なのに、別クラのシンちゃんに手伝わせるわけねえだろ」
そう言うと、真也はきょとんとしたのちきれいな歯を見せた。
「いつも思うけど、悠一のそういうとこカッコいいよな」
「どこがだよ」
「一本気なところって言ったらいいのかな。俺、お前のそういうところ好きだよ」
「へ……?」
好き、という言葉が、先ほど見た告白シーンのせいか特別な意味を持って悠一の心臓を鷲掴みにした。
「す、す、好きって、ど、ど、どっ……!?」
自分に好意が向けられたかのような錯覚に、心音がバクバクとうるさい。
「はは、言葉通りだよ。お前は、俺の大事な親友だからな」
「あ、ああ、そうだよな、その好きだよな!」
「何だ、がっかりしたか?」
「んなわけねえだろっ」
にやりと笑う親友をギロリと睨む。
「つか、簡単に好きとか言うなよ。俺じゃなかったら、勘違いされるぞ?」
「お前にしか言わないよ。それに、お前が好きってのもウソじゃないし。俺がお前にウソついたことあったか?」
「いや、ないって知ってるけどさあ」
「……だろ?」
薄茶色の瞳に一瞬影が過ぎったが、すぐに微笑みで上書きされた。先ほどの告白がまだ尾を引いているのだろうか。話を聞いた方がいいかと思ったが、その考えはすぐに捨てた。あんなにつらそうな顔をするくらい想う子がいる真也の心を、親友である自分が苦しませるようなことはしたくなかったからだ。
「それより、ゲーセン行こうぜ。取って欲しいもんがあるんだろ?」
「はは、ばれたか。UFOキャッチャーで、欲しいやつがあるんだ」
「仕方ねえな、俺様が取ってやるよ」
何となくもやもやする胸を一度叩き、悠一は足早に教室を後にした。真也はものの数歩で追いつくと、悠一の二十センチ上からにっこりと笑った。同じ年なのに、真也は一八〇センチ近い身長、対して自分は四捨五入して一六三センチだ。どうしてこうも体格差があるのだろう。
幼なじみが何だか憎たらしく感じて、苛立ち紛れに思い切り体当たりした。が、弓道部で鍛えられた体はびくともせず、帰宅部の細くて小柄な悠一は無様に跳ね返されてしまった。
「何でぶれねえんだよっ」
「鍛えてるからな」
そう言って、真也は腹を叩いた。その左手の親指の付け根に、黒い痣があるのが目に留まった。
「痣、そんなに濃かったっけ」
「ああ、前より黒くなったと思うぜ。それだけ、練習してるつもりだからな」
「部活、いつから再開なんだ?」
「明日だよ。それと、秋の新人大会に向けて夏休み中は練習三昧だ」
「うへえ、これからますます暑くなるのによくやるぜ。さすが、全国区の部はやることが違うな」
「まだまだだよ。今年はインターハイ行けなかったし。新人大会と十二月の選抜大会は勝ちたいよ」
「じゃあ、今日は数少ない息抜きデーだな。なおさら欲しいやつ取ってやるぜ」
「よろしくお願いします、師匠」
頭を下げる真也に、苦しゅうないと笑った。
(そういや、シンちゃんが好きな子と付き合うようになったら、俺はもう一緒にゲーセン行くこともなくなるのかな)
ふいに真也の隣に別の誰かがいる光景を想像し、胸の奥がツキンと痛んだ。
他校の女子から待ち伏せを受けることだって珍しくない真也だが、自分以外の誰かがそこにいたことは一度もなかった。そんな大切な場所に、知らぬ誰かが立つのかと思うと胸がもやもやして仕方がなかった。
幼なじみの知らぬ一面、幼なじみの男としての顔。それを見ることができるあいつとは、一体どんな子なのだろう――。
「……一、悠一」
賑やかなゲーム機の音に混じって耳に届く穏やかな声に、悠一は弾かれたように我に返った。
「あ、な、何?」
「あとちょっとで取れそうだな」
親友の目線が追うように、フィギュアはあと少しで取れそうな位置にあった。ぼんやりしながらこの位置まで持って来た自分の腕前に、我ながら驚きを隠せなかった。UFOキャッチャー選手権があれば、上位に行けるかもしれない。
「師匠、お願いします」
真也が、切実な声とともにコインを機体に入れる。ここまで来れば取るしかないと、悠一は深呼吸して慎重にアームを動かした。隣で息を殺し見守る真也の口元から「やった!」とこぼれると、箱がごろりと受け取り口から姿を見せた。
「やっぱりすごいな、悠一は! 俺にはできないよ」
「コツさえ掴んだらできるよ。シンちゃん器用だし」
「俺にはできる気がしないよ。元々不器用だし。……うん、俺には一生無理な気がする」
「それって……」
「ん?」
「あ、いや、何でもねえや」
慌ててフィギュアの箱を掴み、差し出した。真也は悠一と人形を見比べ、やがてゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう、大事にする」
「大げさだな。こんなのいつでも取ってやるよ」
「そう言い切れるのがホントにカッコいいよ」
まじまじと人形を見つめる真也の表情に、見も知らぬあいつが重なる。
「……あいつにも、そんな顔すんのかよ」
「え?」
「な、何でもねえっ。それより腹減った、何か食おうぜっ」
少し赤らんだ顔を隠すように大股で歩くも、ものの数歩で追い付かれ、おまけに学校でのお返しとばかりに今度は悠一が体当たりされた。簡単によろける自分が情けない。
「まじムカつくっ」
腹パンするも、真也は涼しい顔でただ柔く微笑むばかりだった。
「悠一は何にするんだ?」
フードコートを一望できるところで腕を組む真也に、「ラーメン」と速攻で答える。
「ぶれないよな」
「好きだからな。一日三食ラーメンでもいいくらいだぜ」
「俺は、今日は母さんが夕飯いらないって言ってたから、帰って作るのも面倒だし、しっかり食べとくかな」
「え、じゃあうちで食ったらいいじゃん。母さんが、お隣さんなのにシンちゃんに会えなくてさみしいっつってたぜ」
その悠一の母親・ゆかりは真也の母親・かなえの姉にあたり、一棟を二戸に分けたメゾネットアパートに住む隣人同士でもあった。そのため、二人は物心がつく前から互いの家を気軽に行き来しており、食卓を囲むこともしょっちゅうであった。高校に上がってからは、真也が部活動で忙しくなかなか誘う機会に恵まれなかった。
「俺も久々に一緒に飯食いたかったし、そうしようぜ」
「じゃあ、久々にお邪魔しようかな」
ひとつ頷くと、熱々のしょうゆラーメンをすすりつつスマホで母親に連絡をした。勤務する洋食屋が休みで自宅にいたのだろう、すぐに返答が来た。
「〝絶対連れて来い〟だってさ。いくら甥っ子がイケメンだからって、実の息子よりひいきすんのどうなんだよ」
「そんなことないだろ。おばさん、悠一のこと大事に思ってるじゃないか」
夕飯をごちそうになると決めたからか、真也が頼んだのはファーストフード店のハンバーガー単品だけだった。腹を空かせて行かなければという律儀者の彼らしい発想だ。
「どうだろうな。すぐに勉強しろ勉強しろってうるさいし。今の高校をギリギリで合格した俺が、勉強したっていい点数取れるわけねえじゃん」
「いや、それはおばさんが正しい。学生は勉強が仕事だ」
「シンちゃんはおべんきょができるからウラヤマシイデス」
「何で片言なんだよ」
真也がクスクス笑った。
「悠一は勉強が苦手って言うけどさ、赤点取ったことないのがすごいよな。ちゃんと勉強したら、ちゃんと点が取れると思うけどな」
「俺が赤点を免れてるのは、真也センセという素晴らしきカテキョーがいてくださるからです」
机に手をつき深々頭を下げると、親友はどういたしましてと苦笑いして最後の一口をたいらげた。
「シンちゃん、それじゃ足らなくね?」
「足らないけど、この後ごちそうになるしこれでいいよ」
「どうせおばさんの分も作るだろうから、残してもいつも通り持って帰れって言うと思うぜ」
「だとしても、おばさんの作るご飯をちゃんといただきたいよ。いくら親戚とはいえ、ここまでよくしてもらえるなんて普通はあり得ないからさ」
紙コップに入った水をひとつ飲み込み、小さく笑った。
「俺は運がいいよ。中学上がる前に父さん死んじゃったけど、母さんが変わらず働いてくれてるから生活に困ったことは一度もないし、おじさんとおばさんも自分の子どもみたいに俺をかわいがってくれる。何より、悠一にはいつも助けられてばっかだ」
「どこがだよ。俺の方が、シンちゃんに助けられてばっかじゃん」
ラーメンをすする手を止め、幼なじみを見つめる。慈愛に満ちた穏やかな眼差しに、胸の奥がじんわりと温かくなった。と同時に、いずれあいつがこの眼差しを独占するのかと思うと無性にムカムカした。
(面白くねえ)
その思いを押し込めるように、悠一は残りのラーメンを汁ごとかきこんだ。
トレイを片付け店を出ると、空はまだ明るかったがアスファルトには二人分の影がしっかりと伸びていた。バスに揺られる間、この間見つけた動画や夏休みの話などを交わしたが、悠一の脳裏にはあいつがずっとちらついて離れなかった。
真也の横顔が窓から差し込むオレンジ色の光に照らされ、どこか遠い世界の人間のように見えた。すぐ隣にいるのに彼の存在が遠く感じ、カーブでよろけるフリをして肩にもたれかかった。真也は何も言わず、悠一がもたれやすいよう肩を開いてくれた。
最寄りのバス停で降り、見慣れた住宅街を抜け自宅に辿り着くと、真也は「着替えてくる」と言って左側のメゾネットアパートに向かった。その背が玄関に消えるのを確認し、悠一も向かって右手の自宅玄関をくぐった。
「ただいまー」
壁の向こう、階上に上がる足音が聞こえる。その音に合わせてリビングへ進むと、室内にトマトソースのいい香りが充満していた。
「お帰り。あら、シンちゃんは?」
母・ゆかりが鍋から顔をあげた。
「着替えてくるって。多分、秒で飛んでくるよ。母さんの飯が食いたいって言ってたから」
「あらやだ、嬉しい~」
ゆかりがはしゃいだ矢先、チャイムが軽やかに鳴った。インターフォンのカメラに映った悠一の姿にゆかりは満面の笑みを浮かべると、「悠一、コンロ見てなさい」とワントーン低い声を残して玄関に向かった。
「何で扱いがこうも違うんだよ」
はあ、と大きくため息をつき、仕方なくぐつぐつ音を立てる鍋の前に立った。
鍋の中は、真也の好物のロールキャベツが煮込まれていた。トマトソースの豊潤な香りを胸いっぱいに吸い込み、ソースが焦げ付かないよう時折ゆっくりと鍋を回す。ラーメンで満たされたはずの腹がぐうと盛大に鳴った。
「うまそうなにおいだな~。……そうだ、味見しねえとな」
目の前の空腹を埋めるため、ソースを小皿に注ぎ舐め取った。酸味とほどよい甘みが口いっぱいに広がり、口元がにんまりと緩んだ。
ゆかりは隣町の洋食屋で働くプロの料理人だ。息子に塩対応するような一面はあるものの、いつだって悠一や父の胃袋をおいしい料理で満たしてくれた。母の料理は、悠一の自慢でもあった。
今日のロールキャベツは、亡くなった真也の父が残したレシピをゆかりが忠実に再現したものだ。二人は同じ洋食屋で働く先輩後輩同士だったのだ。
母が店の看板メニューでもあるこの味を真也のために作るのは、彼の好物だからというだけではなく、今は亡き父の味を食べさせてやりたいという愛情なのだろうと悠一は感じていた。
「母さんのこういうとこ尊敬するけどさ、たまには俺の好物のビーフシチューも作って欲しいよなあ」
「いやよ、めんどくさい。牛肉も高いし」
真也と一緒にキッチンに戻って来たゆかりが、これ見よがしにため息をついた。
「たまにはかわいい息子の好物を作ってもバチは当たらないと思いまーす!」
「じゃあ、あんたのもうひとつの好物のほうれん草とベーコンのキッシュはいらないってことね」
「いります、何でも言うこと聞きます、イエスマム!」
「はは、まるで親子漫才だな」
口元を綻ばせる真也が先日お揃いで買ったパーカーを羽織っていることに気付き、悠一も着替えてくると言って階上にある自室に上がった。
玄関の真上にある六畳間の部屋には、趣味で続けているヒップホップダンスの振り付けを確認するための全身鏡が壁面に沿ってずらりと並んでいる。継ぎ目のない鏡が欲しいところだが、賃貸なので壁面を鏡にするわけにいかず、そんなお金もなかったのでこれで我慢しているのだが、真也がここを訪れるたび「落ち着かないな」と苦笑するので、普段はシーツをかけていた。
ちなみに、壁の向こうには左右逆の間取りで真也の部屋が広がっている。行き慣れたそこは物が少ないせいかいつもこざっぱりとしていて、同じ広さのはずなのに妙に広く感じるから不思議だ。
きれいなのは部屋だけではない。ノートだってそうだ。いつも必要なことだけがきれいな字で綴られていて、そのノートに何度も窮地を救われてきた。
「勉強できて運動神経抜群。身長も高いし、何もかも真逆だよな。幼なじみで親友とは言え、なんか地味にへこむわ」
ぶかぶかのパーカーを羽織り、ため息をついた。天は二物を与えずと言うが、彼を見ていたらそんなことは絶対ないと思ってしまう。
自分が女子だったら、絶対真也に惚れていると思う。事実、他校の女子が校門で待ち伏せたり、仲介役としてラブレターを押し付けられたりするのは日常茶飯事なのだ。
そして今日は、ついに同性からの告白まで目撃してしまった。
「男まで骨抜きにするとか、シンちゃんって罪作りなやつだよな」
女子でなくともカッコいいと思う幼なじみが想いを寄せるあいつとは、一体どんな子なのだろう。もし紹介されるようなことがあったら、果たして自分は二人を祝福することができるだろうか。
「……あーっ、もやもやするっ。誰か分からねえからイライラするんだよ。いっそ、聞いちまうか」
髪の毛を搔きむしったところで階下から自分を呼ぶ声に気付き、急ぎ階下に降りた。テーブルには既に食事が並び、二人も座り終わっていた。
「あら、あんたたちそのパーカーお揃いなの?」
ゆかりが目ざとく気付き、二人を見比べる。
「悠一、ダボダボじゃない。サイズ間違えたの?」
「そういうファッションなのっ」
「俺は、体格的にそう見えないだけです」
苦笑する真也の隣に座り、「そうですー」とゆかりを睨む。母はそれをさらりとスルーし召し上がれと告げた。二人同時に合掌し、ロールキャベツを口にした。ソースの酸味とキャベツの甘みが口いっぱいに広がり、中から溢れる肉汁が早くもラーメンを消化した胃袋を満たしてくれた。
「おばさんのロールキャベツ、いつ食べてもおいしいです」
「そう? よかったわ。おかわりあるから、遠慮しないでね。……って、悠一、あんたはキッシュばっか食べてんじゃないわよ。ロールキャベツもスープもちゃんと飲みなさい」
「食ってるよ」
「口にものを入れてしゃべらないの。まったく、いつまで経っても子どもなんだから。シンちゃんとは大違いね」
「そんなことないですよ。悠一はカッコいいです」
「カッコいいなら、何でシンちゃんみたいに告られねえんだよ」
「それは女子に聞いてくれ」
「告ると言えば、男子にならされたことあったわよね」
「……え?」
真也の箸がピタリと止まる。
「あー、あったな。中学ん時、女子と間違われてさ。男だって言ったらめっちゃショックな顔されてこっちが逆に困ったぜ」
「へ、へえ、初耳だな」
「あれ、シンちゃんに話さなかったっけ? ダンススクールの話なんだけどさ……」
振りむいてぎょっとした。その顔に、告白を断った時と同じ険しい表情が浮かんでいたからだ。
「シ、シンちゃん……?」
「シンちゃん、おかわりいる? あ、かなえの分もあるから後で持って帰ってね」
ゆかりの声に、真也はすぐにいつものスマイルを浮かべたが、悠一の心臓はバクバクと変な鼓動を打って止まらなかった。おかげで、好物のキッシュがあまり喉を通らなかった。
夕飯後、二人はかなえが帰って来るまで悠一の部屋でのんびり過ごすことにした。
「……シンちゃん、さっき何であんなに怒ったんだよ」
先ほどの表情が気になり、自室のテーブルに彼の好きな梅こぶ茶が入ったマグカップを置いたところで口火を切った。
「怒ってないよ。ただ、びっくりしただけだ」
「ウソだ。シンちゃん、マジですげえ顔してたし」
「そっか。驚かせて悪かったな」
湯気越しに見つめる幼なじみは、先ほどの表情が嘘のように穏やかだ。いつもなら表情通りに捉えるが、今日は何かを必死に押し殺したように見えた。
「ダンススクールの話が嫌だった?」
「いや、そんなことはないぞ」
「でも、俺が最初にダンススクール通うって話した時、寂しそうだったじゃん。なんか、捨てられた仔犬みてえな顔してた」
「はは、そうだったか? そういうお前も、先月俺が部活で遠征した時は寂しそうだったよな」
「そ、そんなことねえしっ」
唇を尖らせたものの、地方ブロック大会に参加するため泊まりがけで出掛ける真也の背中を見送った時の寂しさがよみがえり、胸がきゅっと詰まった。胸を緩めようと梅こぶ茶をすすったが、口内に残っていたひき肉の油と混ざってなんだか妙な味がした。
「……さっきの顔、やっぱいつものシンちゃんらしくないよ」
「何だ、妙に引っ張るな」
「引っ張るよ。学校でも、同じ表情してただろ」
「学校?」
「……ゴミ捨ての帰りにさ、たまたま聞いちゃったんだ」
「聞いたって……、まさかっ」
目を見開く真也に、悠一は顔の前で手を合わせた。
「ゴメン、立ち聞きするつもりはなかった。ゴミ捨ての帰りに、たまたま出くわしただけなんだ」
「教室に戻って来るのが遅かったのって、そのせいだったのか」
真也は大きくため息をついた。
「マジでゴメン」
「いや、悠一のせいじゃないよ」
「……そう、なんだけどさ」
その言葉を最後に、二人は同時に押し黙った。稼働していたエアコンが動きを止め、室内にはさらに沈黙が広がった。
「……シンちゃん、好きなやついるんだろ? どんなやつなのか聞いていいか?」
悠一はためらいつつ、気になっていたことを聞いた。
「そんなこと聞いてどうするんだよ」
真也の声が少し硬くなる。
「親友だからさ、応援したい気持ちはあるんだけど、何て言うか、親友だからこそ悔しいって言うか……」
「……」
「シンちゃんに告ったやつの気持ちも分かる気がするんだよな。イケメンで誠実、スポーツ万能、惚れる要素だらけじゃん」
自分で言っておいて何だか恥ずかしくなり、誤魔化すように床にごろりと寝転んだ。目線の先には、シーツで覆われた白い壁がルームライトを受けて少しまぶしかった。
「シンちゃんなら大丈夫だよ。相手が誰か知らねえけど、叶うといいな。応援してるから」
「……本気でそう思ってるのか?」
静かな怒りをたたえたような声に顔だけ起こせば、真也がテーブルをガタッと鳴らし悠一を見据えたままにじり寄ってきた。
「シ、シンちゃん?」
「もし、俺が好きなあいつがお前でも、お前は応援してくれるのか?」
「え?」
起き上がろうとするより先に、真也が覆いかぶさった。ルームライトを背に悠一を見下ろす顔には、あの苦々しい表情が浮かんでいた。
「ど、どうしたんだよ、シンちゃん」
「答えてくれ。俺の好きなやつがお前だって言ったら、お前はどう答えるんだ」
「そ、それはっ……。てか、何で俺に告る話になってんだよ」
「まだ分からないのか? それとも、分からないフリをしてるのか?」
必死に距離を取ろうと後ずさる悠一の肩を床に縫い付け、低く笑った。苦渋に満ちた顔に、獣のような獰猛な色が滲む。
「……俺の好きなあいつって、お前のことだよ、悠一」
目の前の秀麗な顔がさらに歪む。同じタイミングで除湿モードのエアコンが再稼働し、ごうごうと力強い風が二人の肌を叩きつけた。
「シンちゃん、今のって……」
「……ウソだよ。忘れてくれ」
囁くようにそう言うと、真也は苦し気に笑って背中を向けた。その背中は、いつもの芯が通った大きなものではなく、どこか所在なげで今にもポキンと折れてしまいそうだった。
「ごめんな、変なこと言って。俺が言った好きは、親友としての意味だから安心してくれ」
背を向けたまま、真也は一度も振り返ることなく悠一の部屋を後にした。
「……何がウソだよ、何が安心しろだよ。シンちゃんが俺にウソ言ったことねえじゃんかっ」
悠一の脳裏に、放課後の会話がフラッシュバックする。
『お前が好きってのもウソじゃないよ』
シーツ越しに鏡にもたれかかり、悠一は前髪を掴んだ。
「……違う、あいつは大噓つきだ」
あの苦し気な拒絶も、穏やかな笑顔も、全部自分と親友でいるための嘘だったのだ。
「シンちゃんにあんな顔させたのも、ウソつかせたのも、全部俺じゃねえかッ……!」
行き場のない後悔を込め絞り出した声は、エアコンの風にかき消され誰にも届かなかった。




