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足音が近づいてくる

 その頃、ノイアフォードではワンドマリガ王国の不穏な動きを感知していた。最近、兵士や武器、食料を南東に集めているというのだ。ミラはワンドマリガ軍のラントフォードへの侵入を懸念した。ロクラスもその情報を手に入れていたようで警戒態勢をとるように北西部の領主に命じた。

「どうなさいますか、総司令殿」

 ランジャが尋ねた。彼はワンドマリガ出身の兵からなる部隊の隊長に任命されていた。他にもラフマートから共に脱出した多腕族ジークも五百人の兵を従えている。

「我が軍は九千。精鋭揃いではあるけれど一国の軍と戦うのは無謀ね。ライジス王は援軍なんて出してくれないでしょうし。まあ勝つだけなら方法はいくらでもあるけど」

「ははは、心強い。さすがは千年元帥」

 ランジャは笑う。彼らは一度ミラの指揮下で戦った。寄せ集めの軍でしかなかったがワンドマリガ軍相手に大勝を収めた。ノアと同じく彼女もワンドマリガ東部出身の兵士たちの信頼を得ているのである。

「ノイアフォード最初の戦争は我が君の号令で始めたいのだけれど…果たして戻ってきてくれるかしら」

「無理でしょうな」

 執務室の扉を開けてレナードが入ってきた。会議終了後、すぐに帰ってきたのだ。彼は肩をすくめた。

「主君は勝手気ままなお方。どうせどこかでトラブルを起こしているのでしょう。私やラミナス殿の胃に穴が空いても更生しませんよ」

 彼は長くノアの配下として過ごしてきた。いまだに彼の行動は読めないがろくなことをしないということはわかっている。ロクラスの拳骨を食らえば少しは落ち着くのだが、すぐに元に戻ってしまう。

 ミラの指示でノイアフォードは戦争の準備を始めていく。ノイアフォードには日々、迫害を受けた者や逃亡奴隷が救いを求めて逃げ込んでくる。彼らの居場所を守るのがミラたち軍人の役目である。たとえ領主が不在であろうとその責務は変わらない。ワンドマリガとラントフォード、両者の緊張は高まっていくばかりである。人類版図南部を揺るがす戦争がもうじき勃発しようとしていた。 

 

 ロイトらと離れた翌日、ノアたちはロイトらが捕縛された森の中に足を踏み入れた。ノイアフォードの軍馬は平原にめっぽう強いが山岳地帯や森の中ではその機動力を活かせない。馬に乗ったままだとすぐに人も馬も疲れてしまう。ノアたちは馬を降りて徒歩で森の奥へ進んだ。

「ロイトの奴、全然通じねーなー」

 大して心配はしていないが早く合流しないと予定が遅れてしまう。ミラはワンドマリガに侵攻の予兆ありと報告してきた。早く帰らねばノイアフォードの初陣に乗り遅れてしまう。

「お待ちください」

 ラミナスがノアの進みを制した。彼女もまた、この森で行われた戦闘の痕跡を見つけたのだ。誰がどういった理由で戦ったにせよ、すぐに立ち去るべきだ。だがノアはそのまま直進した。

「待ってよノア! 迂回してこうよ!」

「また面倒ごとに巻き込まれますよ!」

 だがノアの耳には届かない。彼はシャディーンの首筋を撫でながら木の根を踏み越えて歩いていく。仕方なく彼女たちもそれに従う。ラミナスとユミルは待ち受けるであろう予想もつかない面倒ごとにげんなりしつつも悪くないと考えを切り替え、ノアのあとを追うのだった。

 そんな彼らを兵士たちが取り囲んだ。いち早く接近に気付いたラミナスが抜剣し、ノアを守るように立ち塞がる。

「お前たちもバルトルサの斥候か。奴らめ、本当に女子供を偵察に使うようになったか。外道め!」

「なんかそれっぽいの昨日も聞いたなー」

「だね」

 そろそろ自分たちがおかしいのではと疑いそうになる。

「だが女子供だろうと我らの目を欺くことはできぬ。貴様らの仲間のように捕らえてやる!」

 兵士たちが矢を放って威嚇してくる。だが殺す気はないようで当たりはしない。それよりも聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「俺の仲間って…四人組か?」

 近くを飛んでいく矢を手で掴み、木の上の男に問う。

「ああ。男二人と女二人のガキどもだ。弱者であれば我らが油断すると思ったか、バカめ!」

 それで確信した。ロイトたちはこの森でこのよくわからない仮面の兵士たちに捕まっている。通信ができないのはそういうことかと三人は納得した。それはそれとして彼らを救出するためには捕まるわけにも逃げるわけにもいかない。

「そいつら俺の仲間なんだけど返してくんねー?」

「断る! 奴らにはバルトルサの情報を喋ってもらう。少なくとも生きては帰さん」

「じゃあ全員ぶっ飛ばす!」

 ラミナスが剣を振るった。瞬間、斬撃が実体を得て剣を離れて飛んだ。それは兵士が立っていた木を斬り倒した。彼女は剣をがむしゃらに振るって斬撃を飛ばす。それは周囲の木々を斬り倒し、兵士たちは落下した。それでもノアたちを阻むべく斬りかかってくる。ノアはそのうちの一人の首を掴み、走り出した。

「ユミル、殺すなよ!」

「わかってるよ。話し合いができなくなるもんね」

 謎の兵士たちの増援が森の奥から出現した。その方向に彼らの拠点があるのだろう。ノアを先頭に森の奥に走っていく。

「止まれ、貴様ら!」

「俺の仲間を返したら止まってやるよ!」

 剣の鞘で相手の顔面を殴る。顔の形が変わるほどだったが死にはしないだろう。襲い掛かってきたのが悪いのだ。雑兵程度ではノアたちを止めることはできず、素通り状態だった。三十分ほど駆けると大きな砦が見えた。

「お、あそこか!」

 それまで掴んでいた兵士を離し、加速する。敵の防御を突破し、垂直の城壁を駆けあがる。ラントフォードのスラムに生まれ、ラミナスの厳しい訓練を乗り越えてきたノアは人間でありながら非常に身体能力が高く、これくらいの石壁なら余裕でよじ登ることができる。身軽さで言えばノイアフォード一だ。城内に侵入したノアは立ちはだかる敵をすり抜けてロイトたちの名を呼びながら走り回る。ラミナスとユミルも城門を破壊して中に入ってきた。城内はあっという間に混乱に陥った。

「なんだあいつは」

 砦の塔から一人の男が下で暴れまわるノアたちを見下ろしていた。中背で痩せぎすのその男は帽子を深く被り、森林と同じ新緑色の瞳を投げてため息を吐いた。

「先日捕らえた密偵どもの仲間のようです。守備兵では止めきれず、侵入を許してしまいました」

「あいつら、妙だな。本当に密偵か? 剣を持ってるくせに兵を殺さねえようにしてるように見えるが」

 ノアたちがその気になれば砦の中は血の海に沈むことになるだろう。だが、現実として彼らは兵士を殺さないように戦っている。わざわざ武器を奪ったり気絶させている。彼らが敵であるならば殺せばいい話だ。敵だとして殺さないメリットがない。

「ま、信用はできねえし牢屋の仲間を人質にして止めさせろ。俺が話す」

「了解」

 暴れ回るノアたちの前に拘束されたロイトたちが引き出された。ロイトは喚きながら陸に打ち上げられた魚のように暴れている。

「そこまでだ! こいつらの命が惜しければ武器を捨てろ!」

 兵士の一人がワナンナの首に剣を突きつけて告げた。ワナンナは涙目になって震えている。ノアは彼らを見つけた途端、ワナンナを人質にとる男に向かって走り出した。豹のごとき俊足に男は反応できなかった。剣の鞘で鳩尾を突かれ、情けない声を上げてその場に崩れ落ちた。

「マジか!」

 塔からここまで移動してきた男は目を見開いて驚いた。仲間の首に剣が突きつけられているというのに飛びかかる判断力と決断の速さ。並大抵の身体能力ではできない。まともな精神性でもできない。

 ノアは仲間たちの拘束を解いた。

「こ、怖かったですー!」

 ワナンナがノアの襟を掴んで揺らした。

「あっはっは。わりー」

 ノアは彼の頭を軽く叩いて笑う。戦場にあるというのに朗らかな笑みを浮かべている。兵士や密偵にしてはあまりに異質すぎる。

「動くな。今度こそそこまでだ」

 突然、ラミナスの体が自由を失って宙に浮いた。彼女は三メートルほど地面が離れた場所で停止した。人並外れたノアの目には見えていた。彼女の体には無数の細い糸が絡みつき、その自由を奪っていたのだ。男がラミナスのすぐ近くに立った。極めて細い糸の上に立っているので浮いているように見える。

「指一本動かすな。動かせばこいつの首が飛ぶぞ」

 ナイフを彼女の首筋に当てる。

「あー、あいつ死んだかもな」

「ねー」

 男が口を開いたその瞬間、ラミナスの腕が動き、男の胸ぐらを掴んだ。糸が音を立てて千切れていく。男はの表情は怯えに塗り替えられた。

「嘘だろ⁉︎ この糸は兵士五十人で引っ張っても千切れねえ糸だぞ!」

「私には関係ない。私は私の理で生きる」

 空中の糸を束ねて切断し、その力を見せつける。そして男を思い切り地面に叩きつけた。男は背中を強く打ちつけ、血を吐いた。しかし意識は失ってはいないようで立ちあがろうともがいていた。

「すげーな、お前」

 ノアは男を担いだ。ノアには見えていた。彼が地面に叩きつけられる寸前に糸の網を出して落下の衝撃を和らげていたのだ。卓越した判断力と速さだ。それがなければ血を吐く程度では済まないだろう。

「お前、なんか偉そうだし人質な」

「チッ…。人質で脅そうとしたら人質になるとか笑いもんだ…」

「あはは、手を出す相手間違えたね」

 ラミナスの強さを知る者は絶対に彼女に敵わないことを知っている。ノアの配下としても、それ以前にも戦場で右に出るものはなしと誰もが言うほどの強さを振るい、戦場に屍の山を積み上げてきたのだ。近接戦では敵なしの彼女だが、魔術の扱いにも優れ、多種多様な魔術を行使してノアの冒険を支えてきた。その強さは各国も知るところであり、これまでに多くの国々が彼女を部下にしようと話を持ち掛けてきたが彼女は全て断っていた。

「セレカ様!」

 周囲の兵士たちは狼狽えて彼の名を呼んだ。

「お前、セレカってのか」

「まあな。お前は何もんだ? バルトルサの人間じゃなさそうだが」

 男は面倒臭そうに尋ねた。

「俺はライジスから来たノアだ。お前を叩き落としたのは仲間のラミナス」

「どこかで聞いた名前だな。何しにここに来た?」

 変な動きをしないように見張っているラミナスからの視線に寒気を覚えながらもセレカと呼ばれた男は会話を続ける。

「仲間を二人、故郷に帰らせるために来た。ついでにバルトルサで観光してたら兵士に襲われてここに逃げてきた」

「逃がすために私たちが囮になったのに捕まってて驚いたよ」

 ユミルが言うとラミナスは苦笑する。

「そ、それはすまねえ…」

 ロイトは項垂れた。ノアから仲間を託されていたというのに彼らを守ることができずに捕まり、またノアに助けてもらった。

「ま、それはいいんだけどよー、なんでバルトルサもここもこんなにピリピリしてんだ? 戦争でもしてんのか?」

 バルトルサもフルヴァルトも世界人類同盟に加盟している。両者の戦争は人類平和条約により禁止されている。だが事実、森には戦闘の痕跡がある。それにバルトルサの酒場の主人はバルトルサが戦争の準備をしていると言っていた。

「知らねえってことはほんとに無関係な奴か。おい、お前ら! こいつらは敵じゃねえ。たまたま通りがかった旅人だ。剣を下ろせ」

 男たちは渋々剣を下ろした。それに合わせてノアはセレカを解放した。なんとか戦いは終わった。

「いきなり剣を向けて悪かった」

 セレカが頭を下げた。

「いや、俺たちが勝手に森に入ったのが悪い。すまん!」

 ノアも頭を下げて謝罪した。相手が武器を持って襲ってこようと相手の土地に侵入したのはこちらだ。警戒されて拘束されてもおかしくない。

 彼らがロイトらを拘束し、牢獄に閉じ込めただけだったからこそこれで済んだ。もし彼らを拷問にかけていたり殺していたりしたら互いに謝罪して終わりでは済まされない。この森は地図から消え去ることになるだろう。

 セレカは砦の中の食堂にてノアたちに料理を振る舞った。鶏肉と果物が中心の食事だった。

「美味い! おかわり!」

「お前、すげー食うな」

 セレカは笑った。ノアの食いっぷりを気に入ったらしい。他の者たちとも仲良くなった。この城には気のいい人たちばかりいる。食べ終わったノアたちは城を出て出発することにした。

 セレカたちが見送りに来た。

「西に向かうんだったら一度東から森を出て南側に迂回していけ。森の南側は起伏が多い。森から出てすぐ西には山岳地帯がある。馬が越えていくのは難しいだろう」

「わかった。ありがとう! またな!」

 ノアたちは彼らに手を振って森を出た。

「またな、か」

 小さく笑い、旅人を見送った彼らに戦争の足音が確かに近づいてきていた。


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