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救えなかったもの

 ラフマートには過去類を見ないほどたくさんの客が押し寄せてきていた。だが、開始時間を過ぎても競りは始まらない。熱狂は最高潮に達していた。

「もったいつけておるな、ラフマートも! 妖精かエルフ、どっちかでもいい! 絶対落札してやる!」

「俺は人魚だ! 『閉鎖の海』の奴らの中でも上玉なんだとよ!」

「俺はワンドマリガ東部から送られてきた女どもを全部買う!」

 人間の暗い欲望が渦巻くラフマート。彼らは知らない。彼らが買い、道具のように弄んでいる奴隷たちがそれぞれ人生があり、思いがあり、命があるということを。だからこそ踏み躙る。奪われる者たちの輝きを。そして今日、思い知らされる。これまで奪い、踏み躙られてきた者たちの力を。解放の英雄の戦いを。

 

 

「ノアー!」

 暗闇の向こうからユミルとラミナスが駆け寄ってきた。その剣には血がたっぷりと付いている。ここに来るまでにたくさんの敵を倒してきたのだろう。二人の後ろにはたくさんの子供たちがいた。商品ではない、ここで働く奴隷たちだ。その中にサティーとシドがいるのを確認してノアは一息ついた。

「ここの子たちはみんな連れてきたよ! 名簿も確認したからばっちり!」

「ナイス! こっちも捕まってたやつはほとんど助けた! あと一人だな!」

「最後の一人、先ほど見つけました。ご案内します」

 ラミナスはノアを連れて最後の囚人の元へ向かった。残る一人の囚人、それは見上げるほどの巨躯を誇る巨人だった。

 

 

 突如、ステージが爆発し、その破片が客席に降り注いだ。ステージから飛び出してきたのは十メートル以上の背を誇る大男。世界屈指の戦闘民族である巨人だ。その肩にはノアが乗っている。巨人を縛り付ける拘束具はとっくに外れている。武器こそないが、腕を振り回すだけでも敵を吹き飛ばす武器になる。客たちは恐怖で逃げ惑い、出口を目指して我先にと走った。捕獲に駆けつけてきた兵は貴賓を捨て置くこともできず右往左往していた。

「よっしゃー! 出るぞー!」

 ノアの背に負われていた有翼族の少女はユミルによる治癒魔術を受けながら空を見上げた。雲一つない空だった。青い空には太陽が輝いている。

「空…」

 少女は涙を流した。奴隷商人に捕まって売り渡されてから数か月、窓のない室内に拘束され、空を見ることができなかった。どこまでも透き通る空。

 もう羽ばたくことはできないが空の下で死ねるのなら後悔はない。

 巨人は立ち上がった。その頭はラフマートの天井を破壊し、外に突き出た。衝撃でノアは肩から転落する。

「あはははははは!」

「笑ってる場合じゃない。早く逃げましょう」

 有翼族のスーが空中でノアを受け止め、外へ向かう。解放された者たちも全速力で脱出した。巨人族のバンガスは剛腕を振るって敵を叩き潰し、逃げる者たちを守った。矢も魔術も巨人族の分厚い皮膚を破るに至らない。

「はははははは! たわけ! こんなもの効かんわァ!」

 バンガスは久しぶりの自由に沸いていた。暴れに暴れ、施設を破壊しまくる。全員が脱出したのを見計らって彼も脱出した。

 シャビィも保護者の老人と再会し、ノイアフォードに移り住むことを決めた。

 三千人強の奴隷たちは誰一人欠けることなく地獄から抜け出し、自由の身となった。彼らを止められる者はいない。誰もが歓喜し、南へと走った。しかし付近のミズラエタ公国兵が彼らを追撃した。ノアは戦える者百名を率いてそれを撃破し、敵を全滅させたものの、ミズラエタ公国が彼らに対して本格的な追討軍を差し向けたことを知った。ここから南の北スーディル王国まで徒歩で三日。それだけあれば追討軍はノアたちに追いついてしまうだろう。

 夕暮れ、一つの命が終わりを迎えようとしていた。ノアが背負って逃げてきた有翼族の少女だった。彼女は生きようと必死に持ちこたえたがあらゆる延命治療もここが限界だった。彼女の命は燃え尽きようとしている。  

 ノアは少女を横たえた。彼女の顔色は悪く、今生きているのも奇跡のようなものだ。少女は琥珀色の瞳をノアに向けた。

「空を見せてくれて…ありがとう。最期に見れてよかった…」

「馬鹿言うな。絶対に助けるから死ぬな!」  

 そう叫んだノアだったが彼は自分の言葉を信じ切ることができなかった。これまで多くの戦場を駆け抜けて多くの兵士を看取ってきたからこそわかる。これほどの傷はもう助けられない。

 魔術の心得のある者は彼女に治癒魔術をかけた。しかし傷は治っても失い過ぎた血を戻すのは不可能だった。

「名前も知らない私のために…ここまで頑張ってくれてありがとう。優しい人、私はエルル。貴方の名前を聞かせて」

 少女はノアに尋ねる。

「ノア。ノアだ」

 流れる汗を拭いながら少年は答えた。守れなかったかつての記憶が彼の手を震えさせる。普段の彼からは想像もできない姿だった。

「ノア…。私の国ではね、夜を越えるっていう意味があるんだよ。良い名前だね。貴方はきっとこれから色んな人を助けていくのかな」

 ノアの碧い瞳が涙で揺れる。死んでほしくなくて、生きてほしくてノアは彼女の手を握る。彼女は微かな力で彼の手を握り返した。

「お願い。困ってる人を見つけたらできる限りでいいから…助けてあげて。それとどうか…私のこと…忘れないで」  

 彼女は目を閉じた。そして二度と琥珀色の瞳に何かを映すことはなかった。  

 ノアは泣いた。大粒の涙を零して肩を震わせる。無力な自分を恨んだ。結局誰も救えなかった。生きたいと願っている少女一人、助けることができなかった。

「ごめん…」

 彼は謝り続けた。謝っても意味がないことはよくわかっている。それでも謝罪の言葉を連ねずにはいられなかった。  

「ノア様、そろそろ移動しなければ」

 ラミナスが言った。

 為すべきことは残っている。ミズラエタ王国の追撃を振り切らねばならないのだ。弔いはその後だ。今は彼らを守らなくてはならない。それがエルルの最期の言葉に沿うことにもなる。

 そもそもミズラエタ公国軍が国境を越えてこないとも限らない。南スーディル王国との小競り合いで南の国境線に兵力の大部分を割いている北スーディル王国に彼らを阻む力はない。

 その夜、南から無数のかがり火が近づいてきているのを確認した。戦士たちは敵襲に備えて武器を構えた。しかし、それは違った。ミラが送ってきてくれた二千頭を超える軍馬と千騎のラントフォード騎兵だったのだ。馬を連れてきた兵士が言うには北スーディル王国を通過してここまで来たらしく、不自然なまでにスムーズに北スーディル王からの通行許可が出て驚いていた。

 伝球がミラからの言葉を伝えた。

「成功したようですね。我が君」

「ああ。もちろんだ」

 失敗するとはかけらも思っていない。

「ふふ。その意気です。ロクラス殿に無理を言って軍馬を借り受けました。どうかお使いください」

「ありがとう!」

 あの時強引に誘った甲斐があった。彼女でなければノアは自由に動くことはできなかった。彼女のサポートがあるからこそノアは楽ができる。

 普段に比べて元気がないように見えたノアにミラが何か尋ねようとしたが何かを察したようで簡潔な挨拶だけを述べて通信を切った。

 

 

 翌朝、ノアたちは馬に乗り、昨日とは比べ物にならない程の速さで北スーディルを目指した。予想の半分、一日でスーディルまで行けるだろう。人生何とかなるもんだな、などとロイトは思った。

 その日も追討軍が追いつくことはなく、見張りを立てて夜を越した。ラミナスの予測では昼頃には北スーディルに入れるとのことだ。だが同時にミズラエタ軍も昼間には追いついてくるだろうとも言っていた。ノアは馬を急がせ、速度を上げた。だが、乗馬に慣れていない者も多く、脱落者を出さないようにするので精一杯だった。

 太陽が高く昇った頃、バンガスが叫んだ。

「ミズラエタ軍だ! 奴ら追いついてきたぞ!」

「!」

 国境はすぐそこ。馬に不慣れな者たちが逃げ切れるかどうか。ミラが届けてくれた食料や寝具などがあったが、快適な環境で休むことができず戦士たちも疲れ切っている。ミズラエタの大軍を前にどこまで戦えるか不安だった。

 ミズラエタ兵はみるみるうちに距離を詰めてきた。

「バンガス! 力を貸してくれ!」

「おう!」

 バンガスが小岩をいくつか拾い上げてミズラエタ軍目掛けて投擲する。大小様々な石が不運な兵士たちを吹き飛ばす。

「一度止まれ!」

 ミズラエタ軍は一度停止した。このまま無策に近づけば被害を増やすだけだ。

「もういいぞ。逃げるぞ!」

 バンガスもミズラエタ兵に背を向けて走り出す。彼もまた体力を回復しきっていない。このまま戦えば力尽きるのは明白だ。逃げられる時に逃げるしかない。

 ノアらは国境を越えて北スーディル王国に逃げ込み、すぐ近くの森に入って休んだ。同盟国とはいえ北スーディル王国は主権を持つ国家。ミズラエタ軍が侵入すれば国際問題になる。レイシアがミズラエタ軍の侵入を許すとは思えないし許したとしても手続きに時間を取られる。その間に逃げることができるはずだ。

「いやー、思ったより騒ぎになったな」

 ノアは深く息を吐いた。

「当然です。世界政府公認の奴隷市場なのですから」

 しかし予想を裏切り、ミズラエタ軍は国境を越え、森に近づいてきた。ノアは腹を括った。戦わなくてはならない。森で陣を組み、敵を待ち受ける。

「お前ら! 覚悟はいいか!」

 ノアが叫ぶ。

「おおおおおおお‼︎」

 せっかく手に入れた自由だ。簡単に手放せない。戦士たちは覚悟を決めて武器を持って敵を待ち構えた。


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