潜入
客たちが利用する正門が閉まっていることを見つけたノアは裏門を探して走り回った。さすがに正面から乗り込むのは悪手であるという分別は辛うじてついていた。
ラフマートはかなり大きなレンガ造りの円形の建造物であちらこちらに見張りが立っている。近づきすぎると追い払われてしまう。
しかしそれらしき出入り口はなかなか見つからなかった。外周が広すぎて探しきれないのだ。奴隷たちを運び込むための出入り口があるはずだ。しかも巨人を収容できるほどの大きさのはずだ。うろうろしているうちにロイトとも離れてしまっていた。どうしたものかと考えているとこちらに向かってくる荷馬車が見えた。老人の御者が運転している。
「おーい、おっさーん!」
渡りに船と老人に声をかける。
「なんじゃ小童、儂は今忙しい」
「ラフマートに入りてえんだけどよー、どこにも入り口ねえから困ってんだよ。どうやったら入れる?」
老人は溜め息を吐いてノアの顔を見た。
「入りたいのか? あんな掃き溜めに」
「入りたくねーけど約束だから」
少しの間、老人は黙りこくっていた。わずかな逡巡を経て老人は小さく頷き、ノアに席を空けた。
「お前さんにも事情がありそうじゃな。乗れ」
「ありがとうおっさん! 助かるよ!」
愛馬から降り、走らせる。とても賢い馬だ。ノアが呼べばどこからでも駆けつけてくる。ノアは馬車に乗り込んだ。
馬車は走り出し、巨大な施設へと向かう。
「おっさんは奴隷商人か?」
鞄の中に入れていたパンを囓り、尋ねる。
「まあな。最初で最後の奴隷売買だ」
荷台から人の気配がする。だが一人しかいない。奴隷は人間であっても六十万レーネで売れる。必要な手間や金を考えれば一人だけ売るなら各地の奴隷商人に売り渡せばいいだけだ。それをしないということは希少で高価な種族がいるに違いない。
好奇心から荷台の幕を開けた。そこにいたのはやはり人ならざる存在だった。
「たった一人の商品。儂が自分の娘のように可愛がって育てた妖精だ」
体の形は普通の人間と変わりないが目は蒼に輝き、肌は真珠のように白く透き通っている。神々しさを感じるほどの美貌だった。それは妖精族。自然豊かな場所に生息する生き物だ。今回の目玉商品の一つである。値段は確か三千万レーネからである。
妖精の少女はこちらを見た。その目には不安と恐怖が映っている。
「なんで売るんだ? おっさんも訳ありに見えるけど」
彼女に手を振りながら問う。
「儂は小規模ながらも商売をやっていた。真っ当な小売商だ。どこぞの路地裏で倒れておったこの子を拾ったのは十年も前た。だが経営が立ち行かんくなって気付けば借金ばかりになっていた。金貸しはこの子を売って金を返せと迫ってきた」
俯いて男は言った。両目の縁には涙が溜まっている。己の不甲斐なさに怒り、少女の決して明るくはないであろう運命を嘆いている。見栄えが良い女の奴隷がどのような扱いを受けるのかノアもよく知っている。ノイアフォードにはそういった扱いをされていた者も多い。
「名はシャビィ。読み書きや計算はできるから良い主人に買われていくことを祈るばかりじゃ」
「そうか、シャビィっていうのか。俺はノア。よろしくな」
ノアは檻の中の少女に手を差し出した。
「ええ。よろしくお願いします、ノアさん。といっても短い付き合いですけど」
妖精は彼の手を軽く握った。
「かもな」
無邪気に笑い、席に戻る。近づいてきたラフマートを前に彼は体を動かしてこれからの戦いに備える。
「おっさん。こいつ引き渡したらすぐ離れてくれ」
指をパキパキと鳴らす。やる気は十分だ。
「は?」
「俺、ここをぶっ潰しに来たんだ」
「は?」
裏門が開き、彼らを中に招き入れる。中には警備兵がぎっしり詰まっていた。兵士はシャビィの檻を下ろして老人に袋いっぱいの金貨を渡した。
「シャビィ、不甲斐ない愚かな儂を許してくれ」
老人は涙を落としながら少女の肩に手を置く。
「これまでありがとうございました。十年もの間お世話になりっぱなしで少し心苦しかったのです。これでようやくお役に立てます。ですから悲しい顔をしないでください」
少女は老人の涙を拭いた。彼女の目からも涙が溢れた。
老人がラフマートを出るまでにはその隣にノアの姿はなかった。
ノアは予想より広いラフマートの中で迷子になっていた。奴隷が収容されている檻があちこちにあり、全部を把握しきるのは難しい。今更ながら無策で入ってくるべきではなかったことに気がついた。だがせっかく中に侵入できたのだ。引き返すのはもったいない。今できることを探せばいい。
「おいお前! そこで何してる⁉︎」
ノアの背後から怒号が飛んできた。振り返ると二人の少年少女を伴った男がこちらを睨んでいる。二人は生肉でいっぱいの大きなバケツを重そうに持っている。手足に枷が付けられていることから奴隷であることがわかった。売りに出される奴隷以外にも使用人としての奴隷もいるのだ。
「今日は過去最高の儲けが出る! ちゃんと働け!」
男はノアに鍵をいくつか押し付けてどこかへ歩き去っていった。なぜか労働者だと思われたらしい。残された二人の子供がこちらをじっと見ている。ノアの指示を待っているようだ。
仕方なく二人に行くべきところを尋ねる。
「虎の檻です。これから餌やりをしなくてはならないのです」
少年が答えた。よく見ると彼らの体は傷だらけだった。魔術でも治らないような古傷から新しい傷まで身体中に付けられている。鞭や刃物など人間に付けられた傷だけではない。肉食獣などの牙や爪で負ったような傷もある。少女に至っては右手の手首から先がなくなっている。よっぽど過酷な労働をさせられていることが見て取れる。
ノアは二人から肉のバケツを取り上げた。小さな子供達には重いだろうが鍛えているノアにとっては軽い荷物だ。
「あ、いけません! それは私たちの仕事です…!」
「任せとけよ。これくらいなんともねぇ。それより虎の檻に案内してくれ」
二人はノアを虎の檻に案内した。檻の中には十頭の虎がいた。腹を空かせているらしくノアたちを見ると獰猛な唸り声をあげて突っ込んできた。しかし頑丈な檻に阻まれ、大きな音を立てて檻を揺らしただけである。
「なんか餌少なくねーか?」
「はい。敢えて飢えさせているんです。いうことを聞かない奴隷を食わせるために」
少年はゆっくりと檻に近づく。
「小さな肉は檻の隙間から。大きな肉は檻を少しだけ開けて隙間から入れるんです」
少女は生肉を掴み、恐る恐る檻に近づく。虎はそれに気づき、檻に頭をぶつけ、荒い鼻息を吐く。獰猛な瞳に彼女は震え上がる。
「檻に近づかないでください。私は餌やりの途中で右手を食いちぎられました」
汗が吹き出し、足がすくむ。思わず俯いて虎から視線を離して俯いた。怖くて怖くて仕方がない。だが命令を拒めば殺されてしまう。腕どころではない。全身をあの獰猛な肉食獣に食いちぎられるのだ。
「そういやお前ら名前なんだっけ?」
「サティーです。こっちは弟のシドです」
少女が答えた。
「そっかー、姉弟かー。どっから来たんだ?」
「今は魔王領になっているカサンドラ王国です。二歳の頃までそこで暮らしていました」
「へー。じゃあお前らこっから出たら俺の所に来いよ」
ノアは言った。
「こんな傷だらけの私たちを買ってくれるんですか?」
「あ、そうだ。俺、ここの人間じゃねえんだ。あと金はねえ。ここをぶっ潰しに来たんだ。お前らを自由にしてやる! 帰る所がないなら俺の領地に来いよ」
監獄には不似合いなほどの明るい声だった。久しく聞かない温かな感情が青年から伝わってくる。少女は驚いたが顔を上げることができなかった。彼女が幼い時から纏わりついてきた絶望が晴れることはない。
「そんなこと…無理です。ここは世界人類同盟が認めた奴隷市場。誰にも壊すことはできません。手を出したらこの世界を敵に回すことになります」
「はっはっは。喧嘩上等。全部ぶっ飛ばしてやる!」
笑い声が監獄に響き渡る。
「どうしたいか自分で選べ。このまま奴隷でいたいなら残ればいいし、自由が欲しいならうちに来いよ」
「…わ、私は…」
少女は顔を上げた。その瞬間、驚愕した。
「えーーーー!⁉︎」
すぐ近くにいたはずのノアがいつのまにか檻の中にいた。それどころか十頭いた虎全部が気絶してその場に倒れている。シドもしばらく硬直してその光景に呆気に取られていた。ノアの方は至って平常で、気絶した虎の口の中に肉を放り込んでいる。
「こいつら連れて帰ってペットにしよ」
ノアは檻の入り口に向かって歩いた。だが、虎の尿でできた水溜りで足を滑らせて転倒し、頭を強かに打ちつけてしまった。
「だ、大丈夫ですか⁉︎」
二人はノアを檻から引っ張り出した。気絶しているだけで死んではいない。そこに先ほどの男がやってきて気を失ったノアを摘み上げた。
「こいつ、うちの人間じゃねえ。外から入ってきた侵入者だ。チッ。見ねえ顔だから新入りかと思ったが騙されるとこだったぜ。ま、奴隷にでもしておくか」
男はノアを連れ去っていった。




