人と魔の戦
「ラントフォードの狼ども! 狩りの! 時間だ!」
太く重々しい声が戦場を駆け巡る。
「「うおおおおおおおおおおおお!」」
兵士たちは大地を震わせるような雄叫びで応えた。各隊突撃を開始し、魔物に襲い掛かる。一万を超す兵士たちが雪崩のように攻め寄せる。元から統率などない魔王軍の前線部隊は一気に飲み込まれ、混乱に陥った。
ロクラス率いる本隊も暴れに暴れ、白い鎧を真っ赤に染めていた。
「おおおおお!」
ロクラスが咆哮を放つ。すると周囲の魔物たちは突然その場に倒れ伏した。戦意を失ったのではない。立てなくなったのだ。体が非常に重くなった。尋常ではないほどの重力がかかり、地面に張り付けられている。やがて重力は彼らの体の耐久力を越えた。血が舞い上がり、大地を濡らす。重力を操るのが彼の魔術である。
「この程度の侵攻であれば援軍が到達するまで持ちこたえられます」
「…いや、奴ら、何か隠しておるな。全軍に伝えよ。気を抜くな。何か異変があれば本隊に報告の後に退却せよと!」
ロクラスの予感は的中した。城の南の方にいた三千ほどの群れが動き出し、ラントフォード軍の左翼にぶつかった。その魔王軍はただの魔物ではなかった。魔物の上位存在である魔族。知恵を持ち、比較的人間に近い見た目をしている。その部隊はラントフォード軍左翼の兵士を次々に殺していった。魔族の部隊はその圧倒的な力で左翼を撃破し、中央軍へ攻撃を仕掛けんとしていた。
いち早く異変に察知したのは中央軍でも左翼よりにいたノア隊のミラだった。歴戦の直感で左翼の動きを感じ取り、ノアに進言した。
「我が君、左翼が撃破されつつあります! 救援せねば中央もやられます!」
ノアの判断は速かった。
「左の奴らを助けに行くぞ!」
「は!」
乱戦を解き、その場はロクラスに任せ、左に向かった。ミラの言った通り、左翼は壊滅していた。陣形は崩れ、兵士たちは逃げ惑っている。見るに堪えない惨敗の景色だ。秩序はどこにもない。
ノア・セシリア隊は魔族に斬りかかった。ノアの剣を一体の魔族が止めた。これまで向かうところ敵なしだったノイアフォード隊もその勢いをわずかに落とした。
「魔族の奴らがこんな徒党を組むなんて四年前の大戦以来ですね」
レナードが目の前の魔族三体の首を槍で刎ね飛ばしながらノアに言った。
「ああ! しかもちょっと強い!」
ノアは武器ごと魔族を切り捨てた。
ウィクトリア隊の猛攻は依然変わりなく、魔族の群れに大きな穴を空けた。彼らにしてみれば多少歯ごたえがある敵が出てきたにすぎない。相対する敵が獲物であることに何ら変わりないのだ。
ノアの伝球が鳴った。
「もしもし!」
「ノアか。今どこだ」
「左翼に移った! 魔族がわんさか出てきやがった。左翼はみんな逃げてる!」
ラミナスとレナードが通話中のノアを守る。
「退却だ。中央と右翼も魔族の群れに襲われておってな。お前は左翼を率いて下がれ!」
「わかった!」
ノアは各隊に退却を伝えた。
セシリアがノアと並走しながら叫ぶ。
「左翼は散り散りになっています! 殿もいない。まともに退却なんてできません!」
「いや、みんなわかってる。これが一番逃げ切れる!」
各隊は各々逃走した。目指すのは北。それがわかっているのだから全員全速力で北を目指すだけだ。目標となる建造物がない平原だが、全ての兵士にコンパスが配られている。迷いはしない。
「ノア様、危ない!」
振り向くと、緑の体色の魔族が回転しながらこちらに向かって飛来してきているのが分かった。ノアは何とかそれを回避した。魔族は地面に叩きつけられ血を吹き出した。飛んできたのはその一体だけではない。次々と飛んでくる。そのたびにノアはシャディーンを操って避けた。
「なんだよこいつら!」
「ノア様、あれを」
追って来る魔族たちの中にひと際大きい魔族がいた。そいつはこちらを見ながら近くにいる魔族を掴み、ノアに投げつけてきているのだ。
「あれ普通の魔族じゃねえな」
「はい。それなりに強い個体です。あれが統率個体かもしれません…。決して戦わないように」
魔族の中には統率個体と呼ばれる優れた知恵と戦闘力を持つものがいる。魔族や魔物を指揮するため厄介な存在だ。討伐しようにも仲間を盾にする上に統率個体自身も強く、生半可な突撃では討ち取れない。
勢いを失ったラントフォード軍に反転攻勢に出る突撃力はない。
「ていうかまずいぞ。もうすぐ見えてくる。ノイアフォードが…!」
兵士たちはノイアフォードを視界に捉えた。ノイアフォードに城壁はない。このまま逃げ続ければ住民たちに大きな被害が出てしまう。かと言って魔族軍の数は増えている。野戦で打ち砕くのは難しい。どうすることもできない。
「一度態勢を立て直すべきです。民に多少の損害が出ることを想定に入れ、退却を継続すべきです」
ミラが言った。ノアは判断を下せないでいる。このまま戦ったところで被害は膨れ上がるだけだ。負ければノイアフォードも蹂躙される。どのみち逃げるしかないのだ。ミラは総司令官のロクラスに進言するべく伝球を持つノアの護衛官の少女サレナに命令した。
「総司令官に伝球を繋ぎなさい」
「は、はい」
サレナは伝球を操作する。
用件を伝えようとしたミラが口を開く。しかし先に言葉を発したのはノアだった。
「…俺たちは援軍と合流するために撤退してる。このまま走れば数時間後には合流できるはずだ」
ノアはミラを見る。
サレナは伝球の操作を誤っていた。経験したことのない非常時に動揺して総司令官ではなく総軍に通信を繋いでしまっていたのだ。ノアの声は全兵士に届いてしまっている。彼女たちはそれに気付かず、ノアを見た。
「それまでどれだけの街を見殺しにすればいい?」
「…!」
兵士たちが硬直する。兵士たちは皆、ラントフォードに根ざす者。家族がここにいる。ここより北の街で待っている。街には戦えない者たちがたくさんいる。彼らを守るのが兵士たちの役目である。
「ノイアフォードには俺の家族がいる! このまま北に逃げれば魔族どもは俺の家族たちを皆殺しにする。それは…それだけは絶対にさせない! だからこれ以上俺は逃げない! ここであいつらを倒す!」
彼は馬首を巡らす。守るべきノイアフォードを背に雲霞の如く押し寄せる敵の軍勢を睨みつける。
剣を掲げ、一人で魔族の軍に突っ込んでいく。ラミナスが彼を追った。他の兵士たちも覚悟を決めた。
「ラントフォードの意地を見せろ! 死んでも守れ‼︎」
ノアの剣が魔族の首を刎ねる。ウィクトリア隊もそれに続く。彼らもノイアフォードに家族がいる。これ以上は後がない。
「続け! ノア様を死なせるな!」
「ここで押し返せ!」
逃げていたラントフォード軍も反転し、雄叫びをあげて魔族軍に襲いかかった。彼らの戦意は尋常ではなく、狂ったように雄叫びをあげ、武器を振り回す。
「…戦意が戻った。これなら…!」
千年元帥と呼ばれた女将軍とラントフォードの領主は勝機を見出した。左翼だけでなく戦場全体のラントフォード軍の闘志が燃え上がったのを感じ取ったからだ。なぜかはわからない。それでも利用するのに何の問題もない。
ミラの指示でノイアフォード兵は五つに分かれた。一つはノアが率い、残りはミラ、レナード、小隊長カストール、リハーが率いた。セシリア隊はノアの中央隊に続く。五隊は分かれて戦い、魔族軍に食い込み、それぞれ敵の統率個体を目指した。目標は巨大だ。乱戦の中でも見失うことはない。
「ノア! 危ないよ、少し下がって!」
「うるせえ! 追いついてこい!」
「えー…」
中央隊には選りすぐりの精鋭たちがいる。正面からあの敵を狙うのは難しくない。これは時間との戦いだ。ラントフォード軍は勢いを取り戻したものの、劣勢であることには変わりない。だからラントフォード軍最強のノイアフォード兵が左翼を率いて相対する敵を撃破し、中央軍や右翼を助ける必要がある。
ノア隊は正面の魔族を捩じ伏せ、統率個体を目指す。他の隊も順調に戦いを進めている。ノア自身もたくさんの怪我を負いながら必死に進み、魔族たちの首領に切り掛かった。それはノアが想定していたよりもずっと強かった。棍棒でノアの斬撃を防ぎ、跳ね返す。ノアは地面に叩きつけられた。彼は頭から血を流して動かなくなった。




