表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

七つの告白と七つの失恋−2

おかしい、6000文字の予定だったのに…おかしい…

「僕が賭けたのは……母の形見の宝石です」


──外務省の小さな執務室で、若い外交官であるフィン・マコーレーは恥ずかしそうに語った。


 フィンの顔立ちはまだ青年の面影を残しているが、その目には、必死に大人になろうとする若者特有の真摯さがあった。まだ、大人と子供の境界線を行き来している。そんな不安定さが、その表情に浮かんでいた。


「母が亡くなる前に、僕に託したものでして…『いつか、大切な人に渡しなさい』と。それを賭けるということは……母との約束を破るようなものでした。だけど、最年少ということで、いつも子ども扱いされていたこともあって、アルコールが入ってムキになっていたんで賭けてしまったんです。酔いが覚めた次の日は本当に後悔しました」


 その声には、今も消えない後悔が滲んでいた。


 そんな大事なものを賭けるほどに、よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。まあ、男子たるもの、早く一人前に見られたい、という気持ちはわからないわけではない。とはいえ形見を賭けるなよとは思うが、とエドウィンは内心で毒づいてしまう。流石に連続で話を聞き、疲れが出てきてしまった。



「僕は、彼女をピクニックに誘いました、恥ずかしいことですが、あまりうちはそこまで裕福ではないので、他の方々のようにお金のかかったことができないんです。正直、賭けに乗ったのも彼女の家の販路が目当てなのもありました」


-----


──秋の風が心地よい郊外の丘にて


 僕は背伸びして大人を演じようとして、少し高い…まあ貴族にとっては普通の値段くらいのワインを買っていきました。成人してまだ一年も経っていないから酒の味なんてわからないのに、まあ背伸びでしたね。


「このワインは、三十年物でして……」


 ですが緊張のあまりに手が震えてしまい……ワインを自分の服に溢してしまったんです。


 恥ずかしくて、情けなくて、顔が真っ赤になってしまったんです。

 だけど…マリアンヌ様は笑わなかったんです。優しく、ハンカチを差し出したしてくださって。


「大丈夫ですわ。フィン卿。無理に大人を演じなくても、あなたは十分素敵ですわ」


 その言葉に、思わず母を思い出してしまった──優しく包んでくれた母を。亡くなる前、病床で僕の手を握ってくれた母を。


「……マリアンヌ様…あなたは、母に似ていますね…」


 それで思わず言ってしまったんです。


「まあ、それは……光栄ですわ」


 マリアンヌ様は、少し驚いたようだったが、優しく笑いかけてくださった。その微笑みが、また母に似ていて…涙が出そうになった。


-----


「その後、僕は必死で外交の話をしました。最近の貿易協定について、関税について、為替について…。ですけど、彼女の方があっとうてきに詳しかった。僕が知らないことまで、知っていました。それこそ隣国との関係や自分の領地以外の販路や宗教なんかについても。それで……僕は、必死に聞いたんです。『どうやってそんなに勉強したんですか?』『どうすれば、あなたのようになれますか?』って」


 フィンは、苦笑した。


「今思えば、まるで子供でしたね。『教えてください』『認めてください』って、そればかり。でもマリアンヌ様は、優しく笑って言ったんです。フィン卿は、とても勉強熱心ですわね。きっと素晴らしい外交官になられるでしょうって…今思うとまだ伸び代があるという対等には見られていない状態だったんですけど、それどころじゃないくらいマリアンヌ様に惚れ込んでしまいまして。だからピクニックの終わり、僕は告白したんです。『僕と婚約してください』って。衝動的でした」


 ふっとフィンは嘲笑気味に笑みを溢した。


「それからの僕は必死でした。何度も屋敷を訪れて、手紙を書いて、プレゼントを贈って… 何度も、何度も告白しました。ふり構わず、必死に」



──僕はまだ若いかもしれない。でも、本気です!

──あなたを幸せにします! 信じてください!

──僕に、チャンスをください!

 

 何度も、何度も。手紙を書いた。夜遅くまで、言葉を選んだ。どうすれば、彼女に届くのか。どうすれば、認めてもらえるのか。


「でも、彼女はいつも優しく微笑んで言ったんです。『フィン卿の気持ちは嬉しいですわ。でも……』『まだ早い』『もう少し待って』『数年後には』──いつも、未来形でした。そして、最後は──フィン卿。あなたはまだ若い。数年後のあなたなら……きっと素敵な方になっているでしょうって。」


 フィンは、ふっと諦めのような、しかしからりとした秋晴れの空のようなすっきりした表情になった。


「つまり、『ダメ』ってことです。優しく、でも明確に、断られました」


「そうでしたか。今現在はどうされていましたか?」


「……婚約中です。十歳年上の女性と。彼女は外交官として大先輩です。仕事のこと、人生のこと、色々教えてくれる、本当に素晴らしい人です。」


 フィンは笑みを浮かべてはいるが、その笑顔には僅かな翳りが見える。


「でも……時々、思うんです。もう一度、マリアンヌ様に会えたら、なんて。もう叶わないのはわかってるんですけどね。いつか、いつか成長した姿を、見せられたら、と…思っていたので」


──その声には、かすかな未練が混じっていた。



-----


 王都で最も豪華な貴族街の一角にアルフレッドの屋敷はある。大理石の柱、金の装飾、広大な庭園、門には、建国の英雄の紋章が刻まれ…その全てが公爵家の権力を誇示していた。


 そんな中、アルフレッド・フォン・ベルグは堂々とした態度でエドウィンを出迎えた。


「ガレトやユリウスから聞いている。私のことも調べに来たのだろう?」


 そう言ってワインを勧めてきたが職務中だと言って断った。アルフレッドほどの男であれば、そのようなことをしてくるとは思えないが、貴族によっては呑んだから賄賂だ、なんだでやっかみをつけてくる者もいるのでルールで断るようになっている。


「私がかけたのは公爵家の象徴である、家宝の剣だ。代々受け継がれてきた、王国建国の英雄が使ったとされる剣。それを失うということは……公爵家の誇りを失うに等しい」


 アルフレッドは、グラスを見つめた。


「だが、そうだな…あの日は少し体調が良くなくて、いつもの酒の量だというのに泥酔に近い酔い方をしていた。…いや、体調だけじゃない。気持ちが昂ぶっていたんだ」


「気持ちが?」


「ああ。『王子が捨てた女を、私が最高の宝石に磨き直す』──公爵家の跡取りとして、誰よりも優れていると証明したかった。そのために、完璧なデートを計画していた」


 アルフレッドは、自嘲的に笑った。その笑いには、当時の自分への嘲りが込められている。


「緊張していたんだろうな。だから、いつもより酒が回った。そして……剣を賭けてしまった。だからこそ負けるわけには行かなくてね。…最初のデートは、王立劇場だった。最高の席を用意し、最高のワインを準備し、最高の演出をした。王国一の劇団。王国一の女優。王国一のワイン。全てが完璧だったと思う」



-----


「素晴らしい劇だった。あの主演女優は王国でも五本の指に入る実力だ」


「そうですわね」


 マリアンヌは、微笑んでいた。だが、その目は、どこか遠くを見ているようだった。


「……だが、君ならもっと高みに行ける。あの女優よりも、ずっと」


「……高み、ですか?」


「君は美しい。だが、まだ原石だ。私が最高のダイヤモンドに磨き直してやる。私が君を、この国で最も輝く女性にしてやる」


 その言葉を、私は自信満々に言った。これで、彼女は喜ぶはずだ。感謝するはずだ。公爵家の跡取りが、直々に彼女を育てると言っているのだから、本気でそう思っていた。


-----


「私は、彼女を『磨く』つもりだった。社交界に連れ出し、高級品を贈り、最高の教師を紹介した。舞踏、音楽、詩、社交術──全て、王国最高峰のものを用意する予定だった。…だが」


-----


 瞬間──マリアンヌの表情が、変わった。まるで仮面が剥がれ落ちたかのように微笑みが消え、目が鋭く光った。


「……宝石、ですか」


 マリアンヌの声が、低く、冷たくなった。


「磨き直す、ですか…私は宝石ではありません。物でもありません。あなたのプライドを満たすための道具でもありません」


 その眼光は鋭かった。真っ直ぐにアルフレッドを見つめる目には、怒りと悲しみが混ざっていた。


「『磨き直す』?私は、誰かに『直される』必要のある、欠陥品なのですか?『王子が捨てた女』を『最高の宝石にする』?それは、私という人間を見ているのですか?それとも、王子に勝つための『戦利品』を見ているのですか?」


 言葉が、次々と放たれる。マリアンヌは普段の微笑みを完全に捨てていた──その姿は、炎のように激しく、氷のように冷たかった。


「私は一人の人間です。意思があり、感情があり、尊厳があります。誰かの所有物ではありません。そもそも今日のデートを組むにあたって、あなたは、私という人間を、一度でも見ましたか?私の好きなもの、嫌いなもの、夢、希望──何か一つでも、聞きましたか?それとも、ただ『完璧なデート』を計画して、『最高のプレゼント』を用意して、『俺が磨いてやる』と言えば、私が喜ぶとでも思いましたか?私は誰かの作品ではありません。」


 その勢いに押されて、アルフレッドは謝った。公爵家の跡取りが、一人の令嬢に謝罪する。それほどまでに、マリアンヌの言葉は重く、ゾッとするほどの迫力があったのだ。


「……す、すまない。私は……」


 慌てるアルフレッドを前にマリアンヌは数度の深呼吸を行う──表情が、少しだけ和らいだ。嵐が、過ぎ去るように怒りが、静かに沈んでいくのが見てわかった。


「……申し訳ございません。言い過ぎました。でも…… そうですね、共に努力していけばさらに輝けるかもしれませんね」

 


──その言葉は、希望を与えるようで、同時に距離を保っていた。


-----


「結果としてはフラれたわけだが、正直私は他のメンバーとは違って、あまり彼女については語れない。正直その一件から距離が縮まらなくてね。」


アルフレッドは、自嘲的に笑った。


「『あなたなら、もっと素晴らしい方と出会えます。本当に愛し合える方と』そういってフラれたよ。俺は…彼女を自分のプライドを満たす道具にしようとしていたフラれたのも自業自得の一言に尽きるだろうよ。」


「現在は──」


「婚約中だ。相手は勝気な伯爵令嬢でね」


 アルフレッドは照れたように笑った。その笑顔は、以前の傲慢さとは全く違う、穏やかなものだった。


「最初は、正直戸惑った。俺の言うことを全然聞かない。反論してくる。尻に敷かれてるが、まあ悪くない。幸せだよ。本当に。だが……あの時の言葉が、今でも心に残っている。もし、あの時、俺が違うアプローチをしていたら、どうなったのか、なんてな。」


──もし、最初から彼女を一人の人間として見ていたら。


──もし、プライドを捨てて、素直に向き合っていたら。


──もし、王子への対抗心ではなく、純粋な好意で接していたら。


「まあ、もう、どうしようもない過去の話だがな」


──その声には、わずかな後悔が混じっていた。


-----


──宮廷画家のアトリエは、王宮の片隅にある。


北向きの窓から柔らかい光が差し込み、絵画や彫刻が所狭しと並んでいる。絵の具の匂いが、部屋を満たしていた。油絵の具、テレピン油、キャンバスの匂い。


 セシル・ルノワールは、どこか夢見るような、芸術家特有の、現実離れした雰囲気でエドウィンを出迎えた。王宮にいるセシルに話を聞きにいってもよかったのだが、良い題材が見つかっただとかで数日留守にされたのだ。結果としてガレトから話を聞くことにはなったが、芸術家とは身勝手なものである。



「俺が賭けたのは……当時の最高傑作でした」


 セシルは、部屋の隅にあるキャンバスを指した。非常に美しい、光と影のコントラストを描写した夕暮れの森の絵は見事なものだった。


 木々が、夕日を浴びて黄金色に輝いている。影が、長く伸びている。光と闇。生と死。永遠と刹那。全てが、一枚の絵の中に凝縮されている──芸術にそこまで詳しくないエドウィンですら感嘆を漏らしてしまうほどの美しさである。


「でも、今はこっちの方が最高傑作ですね」


 布を外すと、そこには青いドレスを着た女性の肖像画があった。


「美しい……」


 エドウィンは、思わず呟いた。


──青いドレスを着た女性。瞳には、強い意志が宿っていた。だが同時に、どこか憂いを帯びた表情。光と影。強さと弱さ。矛盾した美しさが、そこにあった。


「これは、マリアンヌ嬢をモデルにした絵です。…俺の最高傑作だ」


 セシルは、絵を見つめ、恍惚とした表情で言った。まるで、恋人を見つめるように。いや、それ以上に。まるで、神を見つめるように。


「これは、マリアンヌ嬢をモデルにした絵です。俺の最高傑作で…ずっと描きたかった題材だったのもあって、本当に素晴らしい作品になりました」

「ずっと?」

「実は、彼女のことは以前から知っていたんです。王宮で、廊下を歩く彼女を、何度か見かけていて。青いドレスを着て、窓辺に立っていることもありました。光と影のコントラスト。憂いを帯びた表情。だが、その瞳には強い意志…完璧だった!俺が求めていた、理想の美が、そこにあった!」


 セシルは、まるで啓示を受けた預言者のように両手を広げた。その姿は、狂気すら感じさせる。


「でも……彼女は第二王子の婚約者だった。流石に、話しかけるわけにはいかないでしょう?」


 苦笑するセシルの言葉に少し驚きを隠せなかった。まさかこの芸術家にその程度の分別はあるとは。なにしろ王宮でいい題材だなどといって問題を起こしたことが何度となくあったからである。


「だから、遠目から見ているだけでした。『いつか、あの方を描けたら』と思ってたんです。そしたら婚約破棄が起きたでしょ?で、リカルドが賭けの話を持ちかけた時、俺は思ったんです。『これはチャンスだ!』と。彼女を描ける。堂々と、アトリエに呼べる。モデルになってもらえる」


 セシルは、全く悪びれずに笑うが、エドウィンは少しばかりそれを不愉快に思った。婚約破棄という苦難に遭っていた令嬢に、自分の欲を優先するとはどういうつもりなのか。


 だが、セシルがエドウィンの不快感に気づく様子はない。いや、気づいても気にしないのだろう。芸術家にとって、芸術以外のものは、些細なことなのだから。


「だから、俺は賭けに参加したんです。最高傑作を賭けてね。それで、最初のデートは……正確には、モデルセッションですね。俺のアトリエに来てもらったんです」


-----


 アトリエの北向きの窓から柔らかい光が差し込む。その光は、まるで聖画を描くための光のようだった。



「マリアンヌ様。今日は……絵を描かせてください」


「え……絵、ですか?」


「ええ。あなたを、描きたいんです。ずっと、描きたかったんです!!お願いします。モデルになってください!!」


「……わかりました。でも、少しだけですわ」


 マリアンヌ様は、少し困惑していたようですけど…受け入れてくださいました。


「ありがとうございます!では、そこに座ってください」


-----


 それから、俺は夢中で描きました。何時間か…多分3時間くらいですかね。


 世界に、自分と彼女とキャンバスしかない。筆が無限に動き、色が重なり、美が、生まれる素晴らしい時間でした。


「……セシル様。もう……三時間になります。少し、休憩を……」

と少し疲れた表情をしたマリアンヌ様でしたが、

「ああ、もう少しだけ!今、すごく良い感じなんだ!」


 止められそうになかった、あんなにも素晴らしい題材を前にして筆を止められそうになかったんです。マリアンヌ様もそれをわかってくださったのか付き合ってくださった。芸術にも理解があるだなんて、なんて素晴らしい方なんだろうと本気で思いましたね。


-----


「彼女は素晴らしかった。本当に素晴らしいミューズのごとき方です。何時間でもじっと座っていてくれて。芸術への理解がある方だったんです。…それから、何度も『デート』をしました。とはいっても実際は絵を描くだけでしたけどね。週に三回、いや、四回呼んだかもしれない。毎回、三時間以上。時には五時間も描き続けました。彼女は文句一つ言わずに、じっと座っていてくれた。本当に、素晴らしいモデルだったんです。」


 セシルの声には、達成感が満ちている。だがその意気揚々とした態度を見るにいマリアンヌ嬢の疲労には、思いが至らないのだろう。


「そしてようやく絵が完成したんです」


-----


「……完成しました」


 マリアンヌ様が椅子から立ち上がり、絵を見れば、ほぉ、と息を吐かれました。


「……美しいですわ」

「でしょう!?これは俺の最高傑作だ!」


 セシルは、興奮して言った。


「貴女のおかげです!貴女は最高のミューズです!!ああ、最高だ…結婚して!どうか俺のミューズになっていただけませんか!!貴女と一緒なら、もっと素晴らしい作品が描ける!貴女を一生描き続けたいんです!!」


「…素敵な絵ですわ」


 マリアンヌは、優しく言った。


「でも、今はまだ……お答えできませんわ。もう少し考えるお時間をいただけますでしょうか。そうだわ、その間に、この絵をまずは世に出すのはいかがかしら。きっと、素晴らしい評価を得るに決まっているわ」


-----


「まあフラれたわけですがね。ですが彼女の言葉通りに、この絵は王立美術展で最優秀賞を受賞し、王族だけでなく多くの貴族のパトロンがつきました!私の絵を多くの人間に認められた…まさしく彼女のおかげです!」


 セシルの声は、喜びに満ちている。その喜びは純粋だった。芸術家として認められた喜び。だが、その喜びの中に、マリアンヌ嬢への感謝があるのか、それとも彼女をただの題材としか見ていないのか。エドウィンには、判断がつきかねた。


「…現在のご状況は?」


 正直エドウィンの価値観の中で1番分かり合えない相手だし、これ以上聞いていると不愉快になるが、グッと言葉を飲み込んで、現在の状況を聞き出せば幸せそうに自分語りを始めてきた。


「婚約中です!パトロンの娘と来年に結婚予定です!彼女は本当に絵が好きでね、資金面でも支援してくれるし、最高のパートナーだと思います。」


 だが──セシルは、マリアンヌの肖像画を見つめた。

 その目には、芸術家特有の憧憬が浮かんでいた。永遠に届かない美への憧れ。


「でも……この絵を超える作品を、俺はまだ描けていないし、婚約者ではかけないと思います。」


 セシルは、絵に手を伸ばした。まるで、触れることのできない何かに手を伸ばすように。


「彼女は、俺の最高のミューズだったんです。そして……今も」


 その目には、芸術家特有の憧憬が浮かんでいた。永遠に届かない美への憧れ。手を伸ばしても、決して触れることのできない何かへの渇望。


「ああ、また彼女を描けたら……もっと素晴らしい作品が描けるだろうな」


 セシルは、全く悪びれずに夢見るように言った。

──まるで、それが当然のことのように。


-----


 王都の商業地区は、活気に満ちm商人たちの声、荷車の音、金貨の音。全てが、商売の匂いを放っていた。


 リカルド・バロッソの店は、その中でも最も目立つ場所にあった。

 三階建ての豪華な建物。金の看板に派手な装飾。成功した成り上がりの豪商をそのまま建物にしたような、古い貴族たちが眉をひそめるような、露骨な富の誇示のデザインであった。


 リカルドは、豪快に笑いながらエドウィンを迎えた。


「 記録官殿、よく来た! あの賭けのことだろう? 隠すつもりはないぜ!」

 

 ソファに座るように促す仕草は、アルフレッドやレオナルドのような優雅さはないが豪快で力強い。


「俺が賭けたのは金貨一千枚だ」


 金貨一千枚。この国において、平民の生涯年収を遥かに超え、そこらの貴族の屋敷を買うこともできるほどの大金だ。


「大金だが、俺にとっては挑戦の証だ。金で買えないものを、金で賭ける。面白いだろう?」


 面白い、その言葉に眉を顰めかねない。この男の評判はあまりよくはない。実力でのしあがった。爵位を金に物を言わせて買った。その強権的なやりかたで反発を買っているときいている。


 令嬢を賭けの対象にすると言い出す下劣極まりない相手であるが、仕事は仕事。そこは割り切らなくてはならない。エドウィンは、内心の嫌悪を押し殺した。


「俺は、完全に投機目的で参加した。スリル、高貴な血筋、商売のコネ。全部欲しかったんだ。リヒテンシュタイン伯爵家の血筋、山側の販路、第二王子の元婚約者という肩書き。全部、金になる。…俺は商人だ。全てを、損得で考える。それが俺のやり方だ。それでまあ、最初のデートは、ストレートに結婚を申し込んだ」




-----


──王都の高級レストランにて


「マリアンヌ嬢。俺と結婚してくれ」


「まあ、ストレートですわね」


「商人は回りくどいのが嫌いでね。俺は金を持っている。聞いてるぜ、伯爵家の懐事情については。あんな素晴らしい販路を持っていながら活かせていないのは勿体無い。俺に任せてくれればリヒテンシュタイン伯爵家の借金も全部返せるだけじゃない、莫大な富を産める。それに、俺の商売のコネも使える。あと、アンタ自身も素晴らしいもんだ。美人だし、頭も良い。第二王子の元婚約者という肩書きも、使い方次第じゃ商売に使える」


どうだ?悪い話じゃないだろう?なんて意味を含ませて畳み掛けるように言ったんだ。


 だが、マリアンヌは静かに微笑んだ。


「素晴らしいお申し出ですわ、リカルド様。でも……リカルド様は、私を、家を正当に評価しているかしら」


「え?」


「まず、婚約すれば、リカルド様は実質的に我が家の借金の保証人になりますわね。十万金貨という額は、決して小さくありませんわ。それに、販路の整備には最低でも3年はかかります。その間、リカルド様は投資し続けることになりますが……利益が出る保証はございませんわね」

ふぅ、と息を吐きながらマリアンヌは言葉を続けた


「さらに王太子殿下が、弟君の婚約破棄を問題視されている今……私と関わることは、危険ではありませんか?王家に睨まれる可能性もありますわね。社交界でも、良く思われないでしょう。リカルド様は『新興貴族』でいらっしゃいますわね。古い貴族たちに受け入れられるために、どれほど努力されたか、存じ上げております。ですが、『第二王子に捨てられた女』と婚約すれば……」


 マリアンヌは、くすりと笑った。


「つまり、私は『高リスク・高リターン』の投資ですわ。商人でいらっしゃるなら、慎重にならなければなりませんわね」



-----


「正直やられたと思ったよ。彼女は、俺が『投資』として見ていることを理解した上で、『高リスク・高リターン』だと返してきた。商人の論理でな」


 リカルドは、グラスを見つめた。


「だが……その瞬間、俺は思ったんだ。この女性は、商人としての才覚がある、と。それから、俺は何度もアプローチした。金を積んだ。プレゼントを贈った。デートに誘った。まあほぼ全て袖にされたがな。だがどうしても諦めきれなくて、もう一度、結婚を申し込んだ」


──商人として、手に入らないものへの渇望を滲ませた声と目をリカルドは過去へと向ける・


-----


──再び、高級レストラン。前回と同じ席。同じワイン。だが、俺の覚悟は、前回とは違っていた。


「マリアンヌ嬢。俺は本気だ。あんたの才覚に惚れた。商人として、あんたと共に事業をしたい。あんたは頭が良い。商売のことも分かる。俺の妻になってくれ。最高の事業パートナーになる」


 マリアンヌは、少し考えるように沈黙した。


「……それは、素敵なお申し出ですわ。でも、リカルド様。私は『事業パートナー』として生きたいわけではありませんし、貴方が提示するものはどれも欲しいわけではありませんもの」


 その言葉に、俺は戸惑った。では何が欲しいんだ。金で買える物以外で、一体何が?


「じゃあ……何が欲しいんだ?金か?もっと良い条件か?」


「……自由、かしら」


 その言葉が、ぽろっと漏れた。まるで、心の奥底から湧き上がった本音のように。長く押し込めていた何かが、ふと表に出たように。だがマリアンヌは、はっとした表情で、いつもの仮面を、慌てて被り直すように、すぐに微笑んだ。



「あ……失礼いたしました」

「どういう意味だ?自由って」

「さあ、どうでしょう」


 マリアンヌは、優雅に笑った。だが、その目はこれ以上踏み込むことを許さないと言わんばかりに笑っていなかった。


「独り言ですわ。お気になさらず。…今日は素敵なお時間をありがとうございました」


「あ、ああ……」


 リカルドは、何か言おうとしたが、喉まで出かかった言葉が、張り付いたかのように言葉が出なかった。そのまま立ち去ろうとしたマリアンヌだが、ふと止まってこちらを振り返ったんだ。


「──リカルド様。あなたの豪気さ、素晴らしいと思いますわ」


「豪気さ?」


「ええ。金貨千枚を賭けるなんて、普通の方にはできません」


 マリアンヌは、優雅に言った。


「いつか、その豪気さが必要な時が来るかもしれませんわ…それまで、お待ちいただけますか?」


 その言葉は、他の男たちへの言葉とは、わずかに違っていた。「いつか」ではなく、「その豪気さが必要な時」。まるで、具体的な何かを想定しているかのように。まるで、将来の計画があるかのように。


-----


「……『それまで、お待ちいただけますか』」


 リカルドは、その言葉を反芻した。


「他の奴らには『いつか』と言ったらしいが、俺には『それまで、お待ちいただけますか』だ」


「まるで……本当に、『いつか』が来るかのような言い方だった、正直希望を抱いた。まあ三ヶ月後には結局、振られたがな。『あなたは素晴らしい方です。でも、今は結婚を考えられません』だとよ」


-----



「そうでしたか。では現在のご状況は?」


「婚約中だ。異国の踊り子とな」


リカルドは、嬉しそうに笑った。


「彼女は情熱的で、笑顔が素晴らしい。金では買えない本物の笑顔だ。情熱的で面白い女だ。マリアンヌ嬢とは全然違うタイプだな」


その笑顔には、幸せが滲んでいた。


「だが…」

リカルドは、遠くを見つめた。


「俺は商人だ。金で基本は何でも買えるという考えに変わりはない。だが、時々思うんだ。あの時、もっと違うアプローチをしていたら、と。もし、最初から『投資』じゃなく、『人間』として見ていたら、と」


リカルドは、グラスを飲み干した。


「まあ、過去の話だがな!」


──その笑顔が、少しだけ、寂しげに見えた。



-----


夕日が、王宮の執務室に差し込んでいた。


オレンジ色の光が、部屋を染める中、エドウィンは机の上に、七人の証言をまとめた書類を広げた。


話を大まかにまとめれば七人が、揃って求婚に行き、それぞれが、彼女と時間を過ごした。


だが──


エドウィンはペンを走らせた。インクが、紙に文字を刻んでいく。


──全員が、希望を持たされている。

だが、誰一人として、決定的な答えを得ていない。


「いつか」「時間が必要」「数年後」──未来への可能性を示唆する言葉だけ。


しかも、相手の性格に応じて、相手が自分に興味を持つような言葉を絶妙に選んでいる。


ガレトには「誠実な方と共に歩めたら」

ユリウスには「大規模なプロジェクトほど慎重に」

レオナルドには「誰かを本当に愛することが、怖いのではありませんか?」

フィンには「数年後のあなた」

アルフレッドには「共に輝ける」

セシルには「もっと素晴らしい芸術家になった時」

リカルドには「豪気さが必要な時が来るかも」



だが問題はそれだけではない。



ガレトの証言の「侍女たちのコミュニティで囁かれていた噂です。婚約破棄事件が起きる一ヶ月ほど前から、第二王子が婚約破棄をするという噂を得ていた」という言葉と

リカルドの証言である「侍女の噂話は、意外と馬鹿にできねえ。商売にも使えるし、賭けにも使える」という点がどうにも引っかかる


侍女たちが、婚約破棄の噂を流していたのであれば侍女たちは、どこから情報を得たのか

マリアンヌ嬢の周辺か。それとも、王子の側近か、あるいは──誰かが意図的に流したのか


風が吹く。秋の冷たい風が、窓から入り込んでくる。


この事件には、まだ見えていない大きな絵図がある。


エドウィンは、マリアンヌ嬢の肖像画を見つめた。

──青いドレスを着た憂いを帯びた表情の女性は一体何を考えていたのか


「あなたは、一体何者なのか」


夕日が沈む。

影が、長く伸びていく。


──真実への道は、まだ遠い。

ここまでありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ