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隣の墓参り

 ーーなんで。


 最初は偶然かと思った。ただ毎度となるとそうはいかない。偶然ではなく必然ではないかと感じた途端、何とも思っていなかった光景が一気に色を変えた。

 実害があるわけではなかった。だがその不気味さと異様さは、可能な限り視界に入れたくはないものだった。それだけなら良かった。しかしこうなると話が変わってくる。


 隣の墓石の前で合唱する男の姿を見る度、その時が訪れる日がない事を心底願った。







「おじいちゃんがいつも見守ってくれてるからね」


 お母さんの言ってる意味が正直ピンとこなかった。

 どうしてこんな事をするのか。会ったこともないおじいちゃんがどうして自分の事を見守ってくれているのか。そのおじいちゃんとやらはどうしてこんな石の中に入っているのか。ただ言われるがままに手を合わせ目をつむり、”おじいちゃん、ありがとうございます”と心の中でとりあえず唱えた。それがお墓参りというものだと、お母さんから教えられた。


 小学生になると少しずつお墓参りの意味が分かってきた。

 人間はいつかは必ず死ぬ。僕にはお父さんがいなかった。お父さんは僕が生まれてすぐ病気で死んでしまったそうだ。

 死んだ人間は生きていた頃の行動によって行き場所が変わる。良い事をすれば天国、悪い事をすれば地獄。地獄という場所はものすごく怖い所で、痛かったり苦しかったりと嫌な事だらけらしい。だから悪い事はしちゃいけない。

 

 会ったこともないおじいちゃんはどうやら良い人らしく天国に行けたようだ。死んでこの世にはもういないけれど天国から僕達の事を見守ってくれている。

 僕達はもうおじいちゃんに会う事は出来ないけれど、代わりにお墓に向かってお水や食べ物を置いて、いつも見守ってくれてありがとうと伝える。お墓参りにはそういった意味があるんだとお母さんは教えてくれた。

 特に面倒だとも嫌だとも思わなかった。ただ一つ気になる事があった。

 

 おじいちゃんのお墓参りに行くと必ず見かけるおじさんがいた。ぼさぼさの長い髪でお腹がぽっこりと目立つ半袖の白シャツと茶色のズボンを履いたおじさんは、おじいちゃんの隣のお墓でずっと手を合わせていた。まるで必死にお祈りするように俯いていて、髪のせいで顔はよく見えなかった。

 最初はお墓参りがすごく好きなんだなと思った。でもそうじゃないのかもしれないと思った。死んだ人にはもう会えない。僕はおじいちゃんを知らないけど、もしお母さんが死んでしまったらとても悲しいし辛い。

 知っている大切な人が死んでしまったら。このおじさんはすごく大切な人を亡くしてしまったのかもしれない。もう会えないからこうやってずっとお墓参りに来て手を合わせているのかもしれない。もしかしたら生き返って欲しいってお祈りをしてるのかもしれない。そう考えると、おじさんがすごく悲しい人に見えた。







 

 ーーまたいる。


 中学生にもなるとさすがにおかしいと思い始めた。墓参りに行く度に必ずその男は隣の墓にいた。服装も佇まいもまるで銅像のようにいつも一緒だった。

 男もそうだが隣の墓の状態もおかしかった。草も伸び、供えられた花は枯れきっており、墓石含め敷地がまるで手入れされていないのだ。


「ねぇ、あの人いつもいない?」


 さすがに気味が悪くなって僕は母に尋ねた。


「誰もいないわよ」


 しかし母の反応は想定外のものだった。きっと自分より先にずっと同じ違和感を持っていただろうと思っていたのに、母さんはそんな男は見ていないと言う。


 ーーまさか、自分にしか見えていない?


 途端寒気がした。ずっと見てきたあの男が実は幽霊だった?

 信じられなかった。霊感などないと思っていたが、あまりにもはっきりと見えていた存在を否定された事が衝撃だった。

 

「気にしちゃダメよ。誰もいないんだから」


 有無を言わせないような口調に僕はそれ以上何も言えなかった。ただどこか母さんは無理をしているようにも感じられた。穏やかな母さんにしては強く否定的な口振りだった事と、”気にしちゃダメ”という言い方が妙に引っかかった。

 

 本当は母さんも見えているんじゃないか? けれど見えているという事実が母さんにとっては僕以上に恐怖だった。だから否定したかった。僕にも見えているのなら、いよいよ本当にあの男が存在している事になってしまうから。


「ごめん、変な事言って」


 祖父のお墓参りを止めるわけにもいかない。母さんが毎度言い知れぬ恐怖を感じながらも墓参りを続けているんだと考えると、これ以上何も言うべきではないと思った。








 四十を越え自身が親となった頃、母が病床に伏せもう長くはないと宣告を受けた。


「変なお願いだと思うだろうけど」


 すっかりやせ細った母からある日そう切り出された。遺言の類になるだろうと私は母の言葉に耳を傾けた。


「出来ればお父さんのお墓には入りたくないの」


 意味が理解できず私は困惑した。あれだけずっとこまめに墓参りを続けた祖父が眠る墓に、自分は入りたくないというのだ。確執の類とは考えられない。母の目には怯えが見えた。私はどうしてかと尋ねた。しかし母は肝心の所で口を噤んだ。言葉にしなければいけないと分かっているが口にしたくないといった様子だった。


「その時必要があるなら、良一が判断して」


 ようやく母が口にした内容に私は更に戸惑った。そんな必要が生じるのか。だがもし母の言う通りだとすれば気持ちは十分に理解できた。将来自分が同じ墓に入るのだとすれば母と同感だった。


「分かった」


 それから程なくして、母は亡くなった。

 




 



 一周忌を終え、私は墓参りに向かっていた。

 どうするべきか迷ったが、結局母の骨壺は祖父と同じ墓に納めた。必要がなかったからだ。母が危惧した問題は起きていなかった。


“私もね、本当はずっと見えてたの”


 霊園の近くに車を止め、母と祖父が眠る墓まで歩きながら母の言葉を思い出す。


“気にしちゃダメだと分かっていても、どうしても見えちゃうから”


 概ね私が思った通りだった。母にもやはりあの男が見えていた。ただあれが何者なのかは母にも分からないようだった。


“あぁ……良一は知らないのね。だから私がここまで怖がる理由までは分からないわよね”


 墓が視界に入った時、いつもとどこか景色が違うように感じられた。

 なんだ。同じようでまるで違う。歩みが一気に鈍った。

 墓にゆっくりと近づいていく。近づくほどに母の危惧が形になった現実が視界に捻じ込まれていく。現実なんて変えようもないのに、心と頭が一向に目に映るものを認められなかった。

 

 小さな頃からずっと見てきた当たり前の光景だった。墓参りに行けばあの男が隣にいる、ワンセットになった記憶。母から存在を否定された日からも、ずっとあの男が消える事はなかった。いつも同じ服装と佇まい。時の流れを感じさせない見た目はやはり異形としか思えなかった。


 墓まではまだ少し距離があった。だが私の足は完全に止まった。離れた位置からでも手を合わせている姿形は何一つ変わらない。ただ一点だけ違う所があった。ずっと昔から見てきたからこそ、あまりに強烈で背筋が凍るほどに怖気立つ光景だった。


“最初はもう一つ右隣のお墓にいたのよ。それがある日急に移動したの。おじいちゃんのお墓の隣に。そこでまた同じようにお墓に向かって手を合わせ始めたの”


 理屈や解釈は存在するのかもしれない。だがあったとしてあの男の行動の意味を理解する事は到底無理だろう。気味が悪いとは思ってきたが、ずっと墓に眠る自分の先祖か誰か大切な人に対しての何らかの想いだと勝手に解釈してきた。

 しかし、母の言葉と今目にしている光景で完全にその解釈は崩壊した。


 男は私の母と祖父の墓に向かって手を合わせていた。自分の血筋とは無関係な墓石の前で何かを祈り願っている。ただひたすらずっと顔を伏せて手を合わせている。


“ずっと笑ってるのよ、あの男。幽霊ってだけでも怖いのに、笑いながらお墓に手を合わすだなんて……本当に気持ちが悪いわ”


 母の言葉を思い出した。この距離では男の表情は確認できないし、自分は男のそんな笑顔を見たことはなかったが、今も笑っているのだと思うと寒気がした。

 男の考えなど知る由もない。他人事だが今までは隣の墓だったからまだ良かった。しかし今男は母が眠る墓石の前にいた。

 生きた人間は死者と会話できない。だが死者同士であれば。生きた私には分からない何かを、今母達が浴びせられているとしたら。

 

 ーー墓を移動させよう。


 それで解決するかは分からない。隣の墓に眠る誰かが今度は犠牲になるかもしれない。ただこんな意味不明で理不尽な恐怖をそのままにはできない。理解できない存在ほど恐ろしいものはない。それは生きた人間も死んだ人間も同じだ。


 

 私は墓参りを諦め踵を返そうとした。怖さと怒りが入り混じった混沌とした感情に吐き気がした。最後に一睨みするように男の方を見た。

 

 男がこちらを向いていた。髪で隠れていた顔面の肌色が、まるで宙に浮いた生首のように際立って見えた。ぼやけてはいるが口を大きく開いているのが分かった。肩が大きく上下に揺れ、激しく両手を何度も打ち合わせていた。

 笑っていた。面白くて愉快で仕方がない、そんな風に見えた。

 笑い声は聞こえない。あれだけ激しく手を合わせているのに拍手の音も一切していない。


 これは災害だ。何の因果も原因も理由もなく巻き込まれ抗いようのないもの。

 おそらく隣も逃げたのだ。唐突に現れた理不尽な存在に墓を奪われた。


 私は慌ててその場から逃げ去った。

 もうここに来ることは決してないだろう。

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