第1話 約束と再会
「仕事だ。いつも通り顔を隠せよ」
頷いて、紙袋を受け取る。男は他に言うこともないらしく、ドアを閉めて去っていく。
あたしがエドガーとの約束を交わしてから、5年もの月日が流れていた。エドガーに会って謝りたいと思ったあの日から、もう3年。17歳になった。諦めきれないまま、だけど会えない日々が続いてる。
……感傷的になるのは、仕事を終わらせてからだね。
あたしは、狭苦しい部屋の隅にあった大きなローブを着る。顔が見えないようにピンクのツインテールまでしっかりフードに収めて、受け取った紙袋とともにボロい廃屋から出た。
あたしが住むこの街の治安は、正直言ってあんまり良くない。ひったくりなんて出ない日の方が珍しいし、表に出てないだけで違法な取引はたくさんあると言われてる。最近では、連続殺人犯が出てまだ捕まってないらしい。
ただもちろん、比較的治安のいいところと悪いところというのはある。あたしが向かっているのは、入り組んだ路地裏の中で、少し開けたところ――通称は裏広場――つまり、治安の悪いところだ。
よし、着いた。……あれ?
「茶色の柵は?」
「え?」
先客がいるらしい。大柄な男の問いかけに、金髪赤目の女の子が驚いた顔をしている。他に人はいないようなので、彼女に向けられた言葉のはずだけど。
そこで男は露骨に舌打ちをして、
「邪魔だ。さっさとどけ」
と女の子を睨みつける。男は裏広場に残る必要があって、ここでこれから起こることには女の子が邪魔……と言ったところだろうか。
さて、どうしたものかな。あたしと同じくらいの年にしか見えない、あの女の子を助けるために飛び出すか。それとも、静観を貫くか。
ところが、事態は予想外の方向に進みはじめた。
「違法な取引の相手との待ち合わせがあるから?」
少し考えて、女の子はそう尋ねたのだ。
「は……? 何言ってやがる」
男は強がっていたけど、図星なのは明らかだった。
「最初の質問は合言葉だったんじゃない? 質問が要領を得ないし……その後もここに残ろうとしたってことは、ここでの待ち合わせがあるのは間違いないよね? その上でわざわざここで待ち合わせる理由なんて、違法な取引くらいしかないと思ったの」
すご……あの子は一体、何者なのだろう。答えを知る術のない疑問が浮かぶ。
「そんなの、根拠のない言いがかりだろ!」
「そうかもね。でも、いかにも連続殺人犯がやりそうなことじゃない?」
え?
今度は男は強がりすらできないらしく、呆けた顔を隠せていなかった。
「なっ、なんで」
誤魔化すのは無理だと悟ったのか、そう尋ねる。
「さあ?」
ところが、打って変わって微笑んだまま女の子はとぼけ始めた。
「ちっ……まあバレてるなら関係ねぇな」
そう呟いた男の手には、ナイフ。さすがに助けないと、危ない?でも、今あたしが出て行ったら……
あたしが迷ってる間に、またもや事態は動き出す。
「――さすがだな。手段はめちゃくちゃだが証拠を掴むとは」
そう言って、誰かが裏広場を囲む建物の一つから出てくる。それは――
「当然だよ、エドガー。こんなところで失敗してまた被害を増やすわけにはいかないから」
嘘、じゃない。あの薄青の髪。5年前から変わらない、意志の強そうな瞳。残る面影。全てが、物語ってる。
あれは、あたしがずっと会いたがっていたエドガーなのだと。
あたしに衝撃を与えたのは、それだけじゃなかった。
「王国騎士団員が、なんでここに……」
明らかに動揺して、男がこぼす。
そう。エドガーは王国騎士団員だけが纏うことを許される、紋章入りの白いローブを纏っていたから。
エドガーは戦意喪失した連続殺人犯を手際よく縛ると、女の子に声をかけてあたしの方に向かってくる。……いや、違う。裏広場の入り口兼出口は、今あたしがいる一か所しかないから、エドガーたちが裏広場を出ようとすると、自然にあたしの方に来る形になってしまうだけなんだ。
そう気づいたとき、あたしは身を翻して駆け出していた。
「あ、おい待ってくれ!」
制止の声が聞こえた気がしたけど、あたしは止まらなかった。
♦
「なかなか足が速いな……追いつけそうにない」
俺は裏広場から走り去っていくローブの人影を見送って呟く。
「しかし、なんで逃げたんだ?」
「彼の関係者、とかかも」
「そうなのか?」
金髪赤目の少女――アリスの答えに思わず聞き返す。アリスは王国騎士団長の娘。巷を騒がせている連続殺人犯を見たといって付き合わされたのだが、まさか団長が出した逮捕の条件である「証拠を出すこと」までやってのけるとは思わなかった。アリスに対する認識が甘かったみたいだな。
「確証はないけど……彼には合言葉を設定してまで会いたい相手がいたんだったよね」
俺は2人の会話を廃屋の一つから盗み聞きしていたから、その内容は知っている。そういえば、アリスはそんなことを言っていたな。
「その相手が、今のやつってことか?」
「まあ、ただ驚いて逃げちゃっただけかもしれないからなんとも言えないけど」
「だけど、そうだとしたらあいつは違法な取引をしてたんだろ? やっぱりちゃんと追った方が良かったかな……」
♦
息を切らして、2人の姿が見えないことを確かめる。そこであたしは立ち止まって息を整える。
あたしがずっと会いたいと願ったエドガーから逃げてしまったのは、きっと……今のあたしを見て欲しくなかったから。エドガーは夢を叶えて、騎士になった。でも、あたしは? 2人の約束から、夢から、程遠い場所にいる。
でも、わからない。あたしは一体、どうなりたいのか。……ううん、どうしてほしいのか。
気づけば夜は深くなっていて、さすがにボロ屋に戻ることにした。
「おい、なんでまだ袋を持ってる?」
ドアを開いて中に入るなり、そう問いかけられる。
「取引相手が捕まりました」
隠しても仕方ないので正直に答える。
「はぁ? 適当言ってんじゃないだろうな」
無言で目を伏せる。こういうときは、何を言っても無駄だって知ってるから。
「お前わかってんのか? お前のせいでどんだけの損が出るか」
「それは……」
そんなの、わかるわけない。だって、あたしはこの紙袋の中身を知らないから。
「ふん、まあいい。明日は別の仕事がある。もうヘマするなよ」
「……はい」
あたしが答えると、男は奥の部屋に引っ込む。このボロい廃屋はもともとアパートのようなものだったらしく、部屋数は意外とある。その部屋は何に使われているのかというと、男やその配下たちが住んでいるのだ。あたしの部屋もあるけれど、いろいろな都合であたしの立場は他の配下たちより弱いので、それなりに狭い。とはいえ、あたしにとっては比較的安らげる場所のひとつだ。あたしも部屋に戻ることにする。
だけど、嫌な予感がするな……不可抗力とはいえ取引を失敗させてしまったのに、叱責が甘すぎる。明日の仕事とやらも、概要が何もわからない。
漠然とした不安を抱いたまま、あたしは眠りについた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
冒頭の「エドガーとの約束」って何?と思われた方はぜひ、すでに投稿済みのプロローグをお読みください!