33. 夜の芍薬麗園で
すらりとした芍薬の美しい季節が近づいてきた。芍薬は夜になるとはにかむようにその花弁を閉じるのだが、その姿が一番魅力的だと竹香は思う。
この庭の芍薬はその美しい姿を誰に見てもらうこともなく、静かに散っていく。
今年はその芍薬の美しさを満喫していただき、自分は芍薬の天女になって踊るのだ。
竹香はその準備に明け暮れていたのだが、お客さまを招待する日が明日に迫ってきた。時刻を遅い時刻に設定したのは、遅番の仕事がある人もいたし、月が出ていたほうがよいと思ったからである。
竹香は自分の特技といったら、踊りくらいだと思う。みんなに感謝の気持ちをこめて、最高の踊りを見せたいと思った。
伴奏がほしかったから、音楽部の柳風と柳光のところに行って、練習生を紹介してほしいと相談してみたら、自分たちがやろうと言ってくれた。
宮廷の音楽部の人に頼むなんてできないです、と竹香は遠慮したが、ふたりは遠音皇子のところの夜は楽しかったから、もう一度、竹香の踊りの伴奏をしてみたいのだと言って、その日は、特別に休みを取ってくれるという。
柳風と柳光は乗り気で、こういう楽しみのために音楽をしているのだよと言い、何度もリハーサルを重ねた。踊るたびに新しいアイデアが出てきたり、提案されたりして、それは自分には難しくて舞えないなと思っても、何度か練習するとできるようになるので、それも楽しくてならなかった。
その夜、遠音皇子が外出の前に、芍薬麗園のそばを通りかかった。
灯が見えるので覗いてみると、庭には竹香が椅子を並べている姿があったので、おやっと首を傾げた。
皇子はそのまま通り過ぎようとしたが、ここは自分の庭なのだからと胸をそらせて中にはいっていった。
「今夜、ここで、何かあるのかな」
「はい。明日、お世話になった人々を招待して、この庭の美しい芍薬を鑑賞していただこうと思っています」
えっ、とその瞳が驚いていたから、その表情を見て、竹香もびっくりした。
「先日、そのお許しはいただきましたが」
竹香は皇子の前で踊った夜に、ご褒美としてその許可をいただいた、と思っていた。
ああ、そう言えば、そんなことがあったかもしれないな、と皇子は思った。
まぁ、それはどうでもいいことだ。
「では、私はどうなのですか。その会には招いてもらえないのですか」
皇子の皺がやさしいものになった。
「殿下をお招きするなんて、おそれ多いことすぎて、とてもできません」
「私は一向にかまわないが」
「主な客は洗濯部の人たちですから」
「そうか、だめなのですか」
遠音皇子はなにか釈然としない表情である。
「もちろん、だめなんかではありません。殿下のためには、特別な機会を設けさせていただきます」
「それは、いつのことですか」
「なるべく早く」
「いつ」
家来が「馬車の用意ができました」と告げにきたので、遠音皇子は3度も振り返りながら、麗園を出ていった。
本番の日の夕方、芍薬麗園には、招待した人々がぞろぞろやってきて、芍薬の匂いと姿の美しさに驚きの声を上げた。宮廷の一角に、こんな天国のような場所があったのだとみんな驚いた。
竹香がところどころに用意していたあった蝋燭に火をともした頃、離山が現れた。
庭が幻想的になり、あの仙界を思い出させた。
「離山さま、ようこそいらっしゃいました」
竹香がうやうやしく挨拶をした。
「キャプテンでいいよ」
離山が顔を近づけ、耳元で小さな声で言った。竹香はそんな仕草さえも、うれしくてたまらない。ぜひよいところを見せたいと思う。
十五夜の月がくっきりと出た。
竹香は舞台に上がると、柳風と柳光笛の小太鼓が鳴り始めた。音の中に、形がある。張りがある。
ありがとうございます、と竹香は心の中で頭を下げてから、天女になっていった。
竹香はこれまでの感謝と愛の想いをこめて、我を忘れて舞った。
誰もがこういう場所での、こういう踊りははじめてで、夢の世界にいるのかと思った。
人々は感動して立ち上がり、手が赤くなっても、熱い拍手を続けた。
みんなが帰った後、後片付けを手伝いながら、離山が言った。
「チーチーはこんなに上手なんだね。言葉にできないくらい、すばらしかったよ」
ほんと?
ありがとうございますと心では言う。
「でも、キャプテが言葉にできないことなんか、あるのかしら」
「あるよ」
自分は生意気、でもキャプテンは素直な人。そこも、好き。
「とても誇らしい気持ちだった。幸せな気分になったよ」
「どのくらいの幸せ、でしたか?」
そうだな、このくらい、
離山は両手をいっぱいに広げた。
「2メートルの幸せですか」
「指を見てごらん。もっと広がっているだろう。永遠の幸せだよ」
「わたし、これからもがんばって、キャプテンを幸せにしようと思います」
「がんばらなくていいからね。ともに生きていく、それだけでいいんだ」
「わたしにそんな価値があるでしょうか」
「またか。チーチーは価値が好きだね」
と離山が笑った。
「チーチーが生きていることが価値だって前にも言っただろ」
竹香は突然、両手を腰に当てて、
「あーあ、だめか」
「どうした?」
「だって、少しはましなことを言おうと思っても用意してきたのに、わたし、語彙が少ないから、これ以上は出てこないんです。キャプテンはときたら、記憶力もいいし、いろんな言葉を知っているし、何でもすぐに応じることができるから、わたし、勝てっこない」
「チーチーはぼくと競っているつもりだったのかい?」
「そうですよ。わたしだって、たまには勝ちたい」
「これが試合だったら、最後の一言で、チーチーの勝ちだよ」
「どこ?」
「勝てっこないといったところ」
「そうなの?」
「そうだよ」
竹香は離山の肩に頭をくっつけた。
「これからは、わたしはキャプテンとずーっと一緒」
「そうだよ、ずーっとだ。チーチーが、ぼくに何でも話せるようになったのはうれしいけど、その急にかっかするのはやめてほしい。驚くじゃないか」
「やっちゃった。ごめんなさい」
と竹香が肩をすくめた。
「いいよ」
「いいの? 何でもいいの」
「いいよ」
「わたし、特別待遇」
わーいと竹香が飛び上がった。
仕方のないやつだなぁと離山は笑いながら、願っていた時が今なのだと思った。




