第一話 骸
第一話 骸
彼女にとって、「旅人日記」は人生そのもの。
それ故、彼女は「旅人日記」を読むこと以外に、生きがいを見いだせなかった。
学校には通わず、基本的に人とは接さない。
家族とすら顔合わせをしようとしない。
唯一人と関わる時間があるとすれば、一日に2回、家族と一緒にご飯を食べるときくらい。
その時でさえ、彼女は無言を貫き通し、表情を無にし、黙々とご飯を口に運ぶ。
一瞬、人形かと疑ってしまうほど、完成されたポーカーフェイス。
なにがあっても感情を顕にしない、
言葉通り、もぬけの殻だ。
一方彼女の両親は、無理に接触を図ろうとはせず、彼女の様子を静かに見守っている。
彼女は重度のASD(自閉症)を患っていた。
先天性の心疾患であり、物心着いた頃には「旅人日記」以外のことにはまるで興味を示さず、何に対しても呆気からんとしたいた。
排泄、食事、睡眠。
生きるための最低限のことだけを行い、もちろん学校には通ったことがない。基本的に家から外へは出ずに、ずっと自室に籠っている。
そんな彼女の生き様は、一見、モノクロで虚ろな人生にも思えるが、彼女には、「旅人日記」という心の棲家がある。
「旅人日記」で、心の空白は彩られていた。
人と接する際には、話すことはおろか、目を合わせることすらできない彼女だが、決して虚無感や、寂しさなどは感じていなかった。
それもすべて、彼女の人生そのものである「旅人日記」のおかげ。
彼女は、「旅人日記」に生きる意味をみいだしていた。
彼女から「旅人日記」を取れば、そこに残るのは生気を失った骸。
そんな、人生の意義を「旅人日記」に依存しすぎた彼女の末路は、散々なものであった。
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ない、どこにあるの!?
あれがないと、私は生きていけない…!
一セットの机と椅子、木製ベッド、本がぎっしりと詰められた本棚。まるで小書斎のような部屋に、なぜか緊迫した面持ちで、ひたすらに暴れ回る少女の姿があった。
(旅人日記が…ない!)
なぜここまで彼女が取り乱しているのか。
いつもなら部屋のベッドの真隣の本棚に、十篇120冊分ぎっしりと「旅人日記」が並べられているのだが、まるまる120冊その棚から消えていた。
生まれて初めてのことだった。
彼女は、生まれてこのかた、無くしものをしたことがない。それはひとえに、彼女には「旅人日記」以外に無くすものがないということを意味している。
それゆえ、ここまで取り乱してしまうのは必然といえた。一度心を整理し、落ち着きを取り戻し呼吸を整えて改めて部屋を搜索すればいい。彼女はそうやって自制心を取り戻そうと考えた。
しかしなぜか、彼女は「ソレ」を探さずに、癇癪を起こし、ただひたすらに自傷行為をしていた。
我を忘れるほどまでに焦燥し、もう既に、もはや生きている心地すらしなくなっていた。
彼女は、生きる上での、人生のモチベーションを「旅人日記」に依存しすぎていた為、それがなくなってしまったという可能性を考えただけでも、身が引きちぎれるような恐怖に襲われた。
頭を壁にうちつけ、腕部を爪で引き裂き、体のあらゆる箇所から流血した。薄い灰色をした、無地の長袖シャツは、じんわりと血で滲んでいった。
それでもただ暴れ続け、頭を机の角でぶつけたのを最後に、気づけば彼女の意識は闇に堕ちていた。
やがて彼女の体は、だんだんと冷たくなり、本当の意味でもぬけの殻となってしまった。
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ここから下の欄では、物語中では語れない、重要な情報などを小出しにしていきます。
辻褄を合わせるための、情報の補遺だと思って貰って構わないです。
是非読んで頂けると幸いです。
彼女の母親は、彼女が「ASD」と診断された際、「この子は忌み子だ。産んだ私に責任がある」と自信に言い聞かせ、何度も心中を計ったそう。
そんな母親の暴挙を止めに入ったのが、彼女の父親であった。
そして、その彼女の父親こそが、「旅人日記」を彼女に渡した張本人だとか。
紆余曲折を経て、彼女は両親から深い愛情を受けて育ち、十数年後。
見事、親不孝者へと転身した。