どこかで聞いた話
貴族学園の食堂の一角。キャリーと友人のシィーズーは、いつものように二人だけで紅茶を飲んでいた。
本来ならば、昼食が終わり、午後の講義が始まるまでの穏やかな一時。
しかし、今日は違った。二人の気分は最悪であった
二人の近くには誰も近寄ってこなかった。とは言え、食堂が空いているわけではない。離れた席は他の学生で埋まっている。
理由は、今キャリー達の前に現れた二人の男性である。
キャリーは作り笑顔を浮かべた。対して、暗かったシィーズーの顔は怯えに変わった。
「キャリー様、シィーズー様ごきげんよう」
二人の片割れが話しかけてきた。
カッツオ=イスオーノ。上級貴族イスオーノ家の長男である。顔が好みというだけでキャリーを好いている。それだけの理由で好きになられたキャリーとしては、単に迷惑でしかないのだけれど。
なにしろ、イスオーノ家は代々王家に忠誠を誓ってはいるけれど、歴代当主が国や王家に貢献したことはない。王都の中心という一等地に建つ屋敷は古くみすぼらしい。そして屋敷を建てた当時の、数世代前の調度品を今も使っている。他の貴族からは『名ばかりの上級貴族』や『中身と見た目は下級貴族』などと揶揄されていた。
本人にも家柄にも問題のある者を、位が下の中級貴族とは言え、どうしてキャリーが好ましく思えるだろうか。
もう一人、カッツオの背中に隠れるように立っているのはビート=ノノビー。中級貴族ノノビー家の一人息子。こちらの方が問題である。学生だけではなく、先生方も「彼ほど酷い生徒はいない」と言うほどであった。
そして、そのノノビー様に好かれてしまったのが、目の前で怯えているシィーズーであった。
二人は週に一回、必ずキャリーとシィーズーに声をかけてきた。どんなに避けようとも。どこに隠れようとも。その異常さに恐れたキャリーとシィーズーは、それならば少しでも人目のあるところでと、この時間は必ず食堂のこの席にいるようにしていた。
「イスオーノ様。何度も言っておりますけれど、私のことをファーストネームで呼ぶことは止めてください。イスオーノ様に許した覚えはありません」
「つれないなぁ。私とキャリー様の仲ではないですか」
「イスオーノ様とは無関係である筈ですが」
「まぁまぁ、その様なことを言わないでください。
それで今度の休みなのですが、ご存じの通り『学年対抗ベスボー大会』が開かれます。
実はですね、私とこちらのビートがその選抜メンバーに選ばれたのです。そこでキャリー様とシィーズー様に応援していただきたいと思いまして、お誘いに参った次第です」
カッツオが私の言葉を無視して話しかけてきた。毎回毎回、色々な事をキッカケに話しかけてくるけれど、今回は『学年別対抗ベスボー大会』を使って声をかけてきた。
(何度言ったらわかるのでしょう。どうして伝わらないのでしょう。何度、どのように誘われようとも、お付き合いする気はさらさらありませんのに。
イスオーノ様のご友人達は「一途な愛は必ず伝わる」「努力は必ず実を結ぶ」などと囃し立てているようですけれど、一切気のない私からしてみれば、ただただ迷惑でしかありません。確かに特定の殿方とお付き合いをしているわけではありませんけれど、どうして私が魅力の欠片も感じないイスオーノ様と付き合おうと思うでしょうか)
胸の内で溜息を吐きつつ、いつものようにキャリーはカッツオの誘いを無視しようとする。しかし、先程のカッツオの言葉に引っかかりを感じた。カッツオの言葉を思い出し、引っかかりの正体を突き止める。
「申し訳ありません。私の聞き間違いでしょうか?今、お二人が選抜メンバーに選ばれたと言われましたでしょうか?」
「ええ、そうです。普段から研鑽していた甲斐あって、私が選ばれました。そこで、是非、キャリー様に応援していただきたいのです。キャリー様の応援があれば、私はいつも以上の力を発揮し、必ず勝ってみせます。その勝利をキャリー様に捧げたいのです」
「そちらのノノビー様も選ばれたのですか?選抜メンバーに?」
「グッ。は、はい。そうです」
キャリーが無視したことが少しは堪えたのか、カッツオが声をつまらせた。
キャリーの悪かった気分が少しだけ回復した。
ただそれ以上に、ビートが選ばれたことにキャリーは違和感を覚える。ビートの運動神経は最悪である。学年どころか、学園で最低と言っても差し支えない程である。普通であれば、ビートが選ばれることなどあり得ない。
その点は気にはなったキャリーであったけれど、この二人との会話は必要最低限に終わらせたかった。
「そうですか。それは良かったですね。しかし、私、好きでもない殿方を、特別に応援するようなつもりはありません。当日はお一人で頑張ってください」
「相変わらず、キャリー様は素直な方ではありませんね。でも、そこがキャリー様の可愛らしいところですね」
相変わらずこちらの意図が伝わらないカッツオにキャリーは苛立ちを覚える。視界に入れたくなく、カッツオから目を背けたところ、向かいのシィーズーが目に入る。シィーズーは二人が現れてから怯え続けている。シィーズーのためにも、自身のためにも、この不快な時間を終わらせようとキャリーは苛立ちを押し殺した。
二人を去らせるため、まずはいつも通りカッツオに話しかける。
「それにしても、イスオーノ様は呑気ですね。ベスボー大会に興じているなんて」
「どういうことでしょうか、キャリー様」
「いえ、イスオーノ家は大変な状況にあると伺いましたので。なんでも、現当主と義兄様が静かな部署に配置転換されたとか。祖先の遺産を惜しげもなく使われているとか。色々と聞き及んでおりましたもので」
「何だ、そんなことですか。それなら問題ありません」
あからさまな侮辱をカッツオが些末なことのように受け流したことで、周りからどよめきが起こる。キャリーもカッツオの予想外の反応に驚き、目を見開いてしまう。
「確かに、父上と義兄上は大変な状況に置かれています。しかし私が学園を卒業して働き始めれば、すぐに問題は解決されますから」
カッツオの言葉が、キャリーには理解出来なかった。
いや、食堂にいた全ての者が理解出来ていなかったであろう。
(自信満々に話されていますけれど、何か当てがあるのでしょうか?イスオーノ家と言えば、様々な事業を失敗してきたことで有名ですし。何度も騙されたとも聞いています。イスオーノ家に良い話が回ってくるとは到底思えません)
少し気にはなったけれど、会話を終わらせる以上にキャリーにとって大事なことはなかった。キャリーにとっては、カッツオの事情よりも、目の前で怯えているシィーズーの方がなによりも大事である。
しかし周りはそれを許さなかった。中級貴族というキャリーの立場では、周りからの「聞け」という無言の圧力を無視する事が出来なかった。
キャリーは内心で大きな溜息をつくと、気合いを入れてカッツオに話しかける。
「そうなのですか?もしかして新しい事業に手をつけられるのですか?」
いつもと違い、キャリーに興味を持ってもらい、尋ねられたことが嬉しいのか、カッツオが満面の笑みを浮かべる。
「そうですか、気になりますか。良いでしょう。他ならぬキャリー様のお願いです。特別に教えてあげましょう」
得意気に、大声でカッツオが話し始める。
少し離れた場所で、多くの人達が二人のやり取りを聞いているのをわかっていないようだった。
「実は私、大器晩成型なのです。今はまだ明確な成果を出すことは出来ていませんが、学園を卒業した後は、必ず大きな成果を打ち立て、レヨン王国にイスオーノ家ありと言わせてみせましょう」
カッツオの言葉に、キャリーは唖然としてしまった。カッツオの言いたいことが理解出来ないとう問題ではない。全くの意味不明であった。
カッツオの言葉を聞いた全ての者が言葉を失っていた。
僅かな間であったけれど、食堂から全ての音が消える。
そして戸惑いの声が聞こえ始めた。
カッツオがしたり顔で、キャリーの返事を待つ。
カッツオの期待をはらんだ眼差しを受け、キャリーは願った。
今すぐこの場から逃げ出してしまいたいと。
誰かこの場に現れて助け出して出して欲しいと。
そちらに交ざって「今のイスオーノ様の発言はどういう意味なのでしょう?」と遠巻きに話し合いたいと。
しかし、周りはキャリーがこの場から去ることを許してくれなかった。再び無言の圧力がキャリーにのしかかる。
「イ、イスオーノ様?申し訳ありません。私、イスオーノ様の言葉の意味がよくわからなかったのですけれど、イスオーノ様は卒業後、特別な職に就かれるなど決まっているのでしょうか?
イスオーノ家を復興する、何か確約なようなものがあるのでしょうか?」
キャリーの問いに、カッツオが不思議そうな顔を浮かべた。
「は?どういうことでしょうか?卒業までは1年以上ありますし、まだ何もしていません。これからです。まだ何をするかも決めていませんよ。
キャリー様は、おかしなことを言われますね。まぁ、そういう所も可愛らしいのですけれど」
怒りを通り越して、キャリーに殺意が芽生える。
(おかしいのは貴方の方でしょう!!何故私がおかしいことになっているのですかッ!!あと1年ほどしかないのにッ!)
キャリーは顔を見られないよう俯く。とても人に見せられる顔をしていないことを自覚していた。テーブルの下では、キツく握りしめられた拳が震えている。
周りからは同情のような目が向けられていたが、キャリーは自身を抑えることに必死で、そのことに気づく余裕すらなかった。
「どうしました?具合でも悪いのですか?それならば、救護室までのエスコート、このカッツオにお任せください」
頭の上からかけられた悍ましい言葉に、キャリーの全身が粟立つ。先程までの怒り、殺意など一瞬で消え去ってしまった。
キャリーは慌てて顔を上げて、全身全霊でカッツオの申し出を断る。
「だ、大丈夫です。本当に大丈夫です。大丈夫ですから。ですから、そう、このままもう少しお話を」
「おぉ、キャリー様がそこまで私と話をしたいと言ってくださるなんて」
なんとか二人きりになることを逃れたキャリーは安堵し、胸をなで下ろす。
カッツオと二人きりになることは確かに避けたいことであるが、なによりキャリーはシィーズーとビートを二人きりにしたくなかった。近寄るだけで顔も上げられなくなるほど怖がるシィーズーが、もしビートと二人きりになれば、おそらく壊れてしまうだろうとキャリーには思えた。
キャリーは目を閉じて呼吸を整えて平静を取り戻す。
(このあとノノビー様もいらっしゃるのだから、そろそろ終わらせないと。すでに疲れてしまいましたけれど)
キャリーは自身を鼓舞すると、笑顔を作り、カッツオに向き直った。
「イスオーノ様は先程、ご自身の事を大器晩成型と言われましたが、それは間違いありませんか?」
「えぇ、そうです。父上が事あるごとに、私をその様に評してくれています。ですので、今は目立たぬ私ですけれど、いずれはレヨン王国の中心的存在となるでしょう」
キャリーはカッツオの戯言を聞き流し、辛辣な事実を突きつける。
「イスオーノ様。まず『大器晩成』という言葉ですけれど、『傑物は時間をかけて実力を養い、のちに大成する』『傑物は遅れて頭角を現す』という意味です。言い換えれば『努力が実を結ぶには時間がかかる』ということです。
私の知る限り、イスオーノ様は何かしらでも努力をしてきたようには見えませんでした。試験では合格点に届かず、毎回全ての講義で補講を受けられていたようですし。
なんの努力もしていない人が、ある日突然優秀になるなどあり得ません。
イスオーノ様は、何の根拠があって、ご自身が将来優秀になると考えておられるのですか?」
「えっ?あっ、いや、それは、父、上が、そう、言っていたもので・・・」
「毎日遊び呆けて、未だ将来について何も見ていないイスオーノ様がいつ大成するのです?ある日突然、英知を授かるとでも?」
カッツオが非痛な顔を浮かべる。
しかしキャリーはさらに追い打ちをかける。
「そもそも、イスオーノ家があと何年存続出来るとお思いですか?閑職に追いやられて、多くない収入がさらに減ったではないですか。他に事業を興しているわけでもない。それなのに王都の中心から移ろうともしない。身の程に合わせて貴族位を下げれば良いのに、それすらしない。
なによりイスオーノ様は、コンティカン家を怒らせているではないですか」
カトリーヌ=コンティカンは王家に次ぐ力を持っている、レヨン国最大の貴族、コンティカン家の長女である。愛らしくも美しい容姿だけでなく、才知にも長けていることから、学園にいる令嬢達の憧れであった。
そのカトリーヌをカッツオとビートは怒らせていた。カッツオの父親と義兄が閑職に追いやられたのも、それが原因である。
キャリーとシィーズーがいるところに偶然カトリーヌが声をかけてきたのだが、その会話を遮り、カッツオがキャリーに話し始めたのだった。さらにそのことを咎めたカトリーヌに対して、カッツオは「年下の分際で生意気な」と無礼を働いた。
そのことが、孫娘を溺愛していたコンティカン家現当主の耳に入り、イスオーノ家とノノビー家に圧力がかかったのだった。
なお、カッツオはカトリーヌを知らなかったと後で言い訳をしていたけれど、知らないことも問題であることを理解すらしていなかった。
「卒業後、イスオーノ様の居場所があるとお思いですか?いい加減、ご自分の立場を理解なされては」
キャリーの言葉がさすがに堪えたのか、カッツオが絶望した表情になった。立っていられなくなり、隣の席に腰を下ろす。何やらブツブツと言っているけれど声が小さくて、近くにいるキャリーですら聞き取れなかった。
(ようやく一人終わりました。あともう一人)
キャリーがカッツオからビートに視線を移す。
ビートはカッツオのように自信家ではなく、小心者で臆病であった。誰よりも劣っているにも関わらず、何故か自尊心だけは高い。そして思い込みが激しく、他者の意見を全く聞き入れない。
これだけでもカッツオより厄介な人物であった。
ビートを怖がり話せないシィーズーに代わり、いつものようにキャリーが話しかける。
「それで、ビート様はどの様なご用件でしょうか?」
「え、えっと。『学年対抗ベスボー大会』の選抜メンバーに選ばれたから、シィーズー様に応援してほしいのだけど、駄目、かな?」
相変わらず辿々しく貴族らしからぬ言葉で、ビートはキャリーを無視してシィーズーに話しかける。初めの頃は、そのことを咎めていたけれど、キャリーを無視して一方的に話しかけるビートに、気を失うほどシィーズーが心底怯えてしまった。しかも内容が「僕のお嫁さんになって欲しい」「君と結婚すれば、僕は幸せになれる」「君ならありのままの僕を受け入れてくれる」といった、あまりにも自分本位なものであった。そこにシィーズーの意思や心など存在していなかった。
それ故、キャリーがビートに話しかけるようになった。キャリーを無視してシィーズーに話しかけはするものの、一応会話という体裁は整っている。あの時のように一方的な語りではない分、シィーズーもなんとか耐えられていた。
「シィーズー様も私と同じで、応援には行けません。毎回言っていますけれど、休日は全て私との約束で埋まっていますので」
「そ、それじゃあ、頑張れるように、シィーズー様の物が何か欲しいな。リボンとか口紅とか。うん、髪の毛が良いかな」
シィーズーの肩が大きく揺れた。恐怖で震え出す。
「恋人でもなければ好いてもいない方に、その様な真似、するはずがないでしょう。人前で破廉恥なことを言わないでください。シィーズー様に対して失礼です」
「そ、そっかぁ。シィーズー様、申し訳、ありませんでした。ゆ、許して、くれる?」
「許せるわけないでしょう」
「え~?謝ったら、許してくれるん、じゃ、ないの?」
「何を言っているのですか。無礼を働いたことで謝罪するのは当然のことです。許すか許せないかは、全くの別問題です。ビート様の言葉は、到底許せるものではありません」
「え~。それじゃあ、どうしたら許してくれるの?」
「許せないと言っているのです。もうシィーズー様に関わらないでください」
「駄目だよ。だって、シィーズー様は、僕の、お、お嫁、さんに、なるんだから」
俯いているシィーズーから嗚咽が漏れ出した。今のビートの言葉で限界が訪れたらしい。シィーズーが倒れてしまう前にビートを追い払わねばと、キャリーは焦りを覚える。ビートの異常さは、大勢の者が目にしているので周知されてはいるけれど、人前で気を失うという失態が許されるわけではない。
キャリーはビートとの会話を終わらせ、シィーズーを連れ出すことにした。
「ビート様。ご覧の通り、シィーズー様は体調が優れないご様子。失礼させていただきます」
「あっ。そ、それなら、ぼ、僕が、連れ、連れて行くよ。さっきの、お、お詫びも、兼ねて」
「いいえ、結構です。
そう言えば、ビート様は先日の試験で零点を取られたと聞きました。引き算すら、未だ出来ないとも。それどころか、来年は最終学年になるというのに、ご自分の名前すら間違えたとか。ご自分の部屋に戻られて、名前の書き取りをすべきでは?」
キャリーの言葉に周囲がどよめく。「まさか、さすがにそれは」「いや、ノノビー様なら」「そこまで酷いとは」など声が聞こえてきた。同学年の者ならば周知の事実であったけれど、他学年の者は知らない者も多かったようだ。驚きの声が止むと、今度はビートに聞こえることもかまわず、ヒソヒソと罵り声が聞こえ始めた。
周囲の者全てから罵倒され、嘲笑され、侮蔑されたことが、自尊心が高いビートには堪えたようで、怒りと羞恥で顔が真っ赤になった。
ビートは、この状況を作り出した、自分を恥さらしにしたキャリーを涙目で睨みつける。
負けじとキャリーは冷たい目で微笑み返した。
「ゆ、許さないからなー。覚えていろー」
ビートはキャリーに向かって捨て台詞を吐くと、「エモ~ン」と大声で喚きながら走り去っていった。
ビートを最も厄介な人物にしているのが、そのエモンという男であった。
ノノビー家の食客ということらしいが、素性は誰一人わからなかった。
実は、ノノビー家の当主にもコンティカン家の圧力はかけられていたのだが、何故か、いつの間にか左遷の話は立ち消えてしまっていた。何度も、どのように圧力をかけても。
それが、エモンという男の仕業であるらしかった。
明確でないのは、エモンが関わったという証拠が何一つなかったためである。ただエモンの影だけがあるだけで。
「シィーズー様、大丈夫ですか?終わりましたよ」
キャリーはシィーズーを立たせて、足元がふらつき倒れそうになる体を支えながら出口へと向かう。
キャリー達を遠巻きに囲っていた人垣が割れ、二人の進む先に道が開ける。
鬱陶しい、同情哀れむ目を背中に浴びながら、キャリーとシィーズーは食堂の外に出た。
シィーズーは今も沈んだままであったけれど、キャリーは安堵していた。カッツオとビートとの話が終わったことに。これから6日間は平穏に過ごせることに
そのまま寮に戻り、シィーズーを部屋まで送り届けてベッドに座らせる。自分の部屋に戻り、人の目を感じないことで安心したのか、シィーズーの目から大粒の涙が溢れた。
「ありがとう。ご免なさい。キャリー様ご免なさい」と消え入りそうな声で、シィーズーはキャリーに謝り続ける。
キャリーはシィーズーを抱きしめ慰めながら、彼女を哀れに思った。
ただでさえビートという令息は厄介な相手というのに、その側にエモンという、コンティカン家の力も有耶無耶にしてしまう不気味な存在がいるのだ。中級貴族のシィーズーでは、どれほど抗ったとしても、いずれビートの望む形になるのではと恐れてしまうのは当然である。
キャリーは一度だけエモンを見たことがあり「人とは思えない程青白い顔をしている」という印象が強く残っている。
シィーズーを哀れみながらも、自身がシィーズーの立場でないことに、後ろめたい安堵をキャリーは感じていた。
実際、カッツオに好かれているのは面倒ではあったけれど、恐怖を感じることはない。何より話が通じる。抗議したことで、訪れることが週2回から1回に減った。そしてコンティカン家のおかげで、イスオーノ家が消え去るのは遠い先ではなくなった。
それに対して、ビートは延々と己の欲望を口にしているだけで、会話が成り立っていない。そこにコンティカン家の力すら及ばないエモンという存在である。
逃げ道が見つからない、希望も見つけられない現状、シィーズーはキャリーにしがみつくことでギリギリ立っていられる状態であった。
そしてシィーズーを支えることが、キャリーの後ろめたい喜びに対するシィーズーへの贖罪であった。
(これから6日は平穏に過ごせますけれど、一週間後の同じ時間にまた二人が現れると思うと気が重いですね。それも、今日のことなどなかったように)
何故か二人とも、週に一回しかキャリー達の前に現れなかった。疑問を感じつつも、裏目に出てはと思い、キャリーもシィーズーもカッツオとビートにその理由を尋ねることはしなかった。
しかし、前回のことがなかったように振る舞うことについては違う。毎回断っているのに、何故なかったかのように振る舞い、同じ事を繰り返すのか尋ねたところ「一週間も経てば、心変わりしているかもしれないから」と返された。キャリーとシィーズーは嘆くしかなかった。言っても無駄とはこういうことかと身を以て知ったのだから。
心労が祟ったのか、泣き疲れたのか、気づくとシィーズーがキャリーに体をあずけて寝てしまっていた。そのままシィーズーをベッドに横たわらせると、キャリーはシィーズーの手を握り囁いた。
「私こそご免なさい。代わりに約束します。貴女が心安らぐ日まで一緒にいることを。
これからも貴女の側にいさせてください」
キャリーは立ち上がり扉に向かう。
扉の前で振り返り、もう一度シィーズーを見る。
(気休めにもならないから、今は言えないけれど。あと一年。一年後卒業したら、きっと何か変わる筈。だから、それまで)
キャリーはシィーズーを起こさないよう、静かに部屋を後にした。