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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
93/104

93 中学受験は時間切れ

 藤城皐月(ふじしろさつき)は学校から帰った後、ずっと算数の勉強をしている。これは今までの皐月からは考えられないことだ。

 いつもの皐月なら友達と遊んだり、ゲームをしたり、漫画を読んだりしている。ネットでアニメや鉄道、アイドルの動画を見て、のんびりすることもある。

 自主的に勉強をすることもある。その時は自分の好きな漢字や地理・歴史の勉強をする。それらは好きでやっている勉強なので、皐月にとっては遊び感覚で、勉強とは意識していない。

 皐月は算数が嫌いではない。むしろ好きな科目だ。しかし計算はあまり得意ではないと感じている。

 皐月の計算能力は速さと正確性では五年生まではクラスでトップレベルだったが、珠算や公文(くもん)の経験者よりは遅かった。そのことに皐月はずっとコンプレックスを感じてきた。

 六年生になって前島先生が担任になり、算数の小テストで中学受験で出題されるような計算問題を出されるようになった。すると皐月が憧れていた公文や珠算経験者も手こずるようになった。

 前島先生の出す算数の小テストは全12問、120点満点の小テストだ。算数の得意な児童たちでも100点までは取れるが、120点は取れないのだ。最後の2問は私立中学の過去問から出題されるので、普通の計算力では解けても時間がかかってしまう。

 だから算数自慢の子ですら、5分で12問では時間が足りなくなってしまい、良くて110点までしか取れない。最後の図形や文章問題はそもそも計算力でどうにかなる問題ではない。だから皐月も110点が限界だ。

 しかしこんなテストでも満点を取る子がいる。栗林真理(くりばやしまり)二橋絵梨花(にはしえりか)だ。

 中学受験の塾に通っている二人は前島先生の小テストでいつも120点満点を取る。皐月はクラスの席替えで真理と絵梨花に囲まれる席になり、彼女たちの圧倒的な力を見せつけられることとなった。5年生までは算数のテストでは誰にも負けたことがなかった皐月には、この現状が悔しくてたまらなかった。


 最近付き合い始めた小学五年生の入屋千智(いりやちさと)も中学受験塾に通っている。

 彼女が東京に住んでいた時は小学四年生から通塾していたという。五年生になり、豊川に引っ越してきて通塾を一時中断していたが、夏休みから岡崎にある、東京で通っていた塾とは別の塾に通い直すことにしたと言う。入塾した時点での成績はその校舎のトップだった。

 試しに千智に皐月のクラスの小テストを解いてもらうと、いとも簡単に120点満点を取った。千智はこの小テストの問題だと、中学受験レベルでは簡単な部類だと言う。遠慮がちに言ってはいたが、問題を解くスピードが真理や絵梨花と比べて半端なく早かったので、千智の言う簡単な部類という言葉は控え目な表現に違いない。

 皐月の肌感では千智の学力は小五にしてすでに真理や絵梨花よりも圧倒的に高いように思われる。聞いてみると、東京時代は最難関校を志望していて、塾からは合格を期待されていたと言う。

 泣きたくなる気持ちを抑えながら(すげ)ぇなと千智を讃えると、解き方を知っているのと慣れているだけで、受験塾で勉強していれば誰でもできるようになると言われた。

 ゲームの攻略法のように計算にも攻略法があることは先生からもらう小テストの解説文を読んで皐月も薄々気付いていた。解説文を千智に見てもらうと、断片的に解き方を覚えてもなかなか計算力がつかないから、体系的に計算法を勉強した方が早く力がつくと言われた。計算には覚えるべき小技がたくさんあるので、それらを覚えて習熟するのがいいと、アドバイスまでしてくれた。

 今まで勉強ができるつもりでいた皐月だが、まさか五年生に勉強を教えてもらう日が来るとは夢にも思わなかった。


 こんな経緯があって皐月は家で算数の勉強をするようになった。真理や絵梨花に負けたくないという気持ちもあるけれど、五年生の千智に気を使われたことの屈辱と焦燥が皐月を勉強に駆り立てた。

 六年生になって真理と初めて同じクラスになった時、真理の学力に驚き、負けを認めるまでに随分時間がかかったのは苦い思い出だ。真理だけでなく絵梨花にも勝てないことを知ったのは天狗の鼻をへし折られるのに十分だった。

 だが千智の学力を見せつけられた時の衝撃はこの時の比ではなく、皐月の淡い恋心でさえ消し去ってしまうのではないかと思ったほど、プライドがズタズタになった。

 真理に借りていた『特進クラスの算数』は皐月には難しすぎるので、真理には内緒でもうすこし簡単な『応用自在 算数』を買ってみた。この参考書は300ページを超える分厚い本で、中学受験の基礎的な知識を得られるものだ。ただ、この本1冊で受験を突破できるようなものではないらしい。

 皐月は真理にまだ中学受験に間に合うんじゃないかと言われてきたが、中学受験のことを知れば知るほど無理だと思えてくる。真理の言う間に合うとは、どこでもいいから入れるというレベルの話なのだろう。皐月の望む中学へ行こうと思ったら、遅くとも四年生の終わり頃から勉強を始めていなければならないらしい。

 算数だけでなく、理科・社会・国語の入試問題を見て、皐月はそのレベルの高さに皐月は絶望した。そして今から中学受験を目指すのはもうとっくに時間切れになっていたと悟った。中学受験はもう諦めた。


 そんな気持ちになっていても、皐月は算数の勉強をするのをやめられない。今から必死で勉強したところで、真理や絵梨花、千智には勝てないだろう。だが、皐月はもう彼女たちに勉強で負けてもいいと思っている。

 勉強を続けることが楽しくなってきたからだ。知識や知恵を獲得するのは単純に面白い。皐月は勉強がこんなに楽しいものだとは知らなかった。

 こんなことなら真理と一緒に受験勉強を始めればよかったと思った。勉強を強いられるのは死ぬほど嫌だけど、自分のスペックを上げて戦う中学受験はゲーム感覚で面白いのかもしれない。

 だが皐月は自尊心を満たすことよりも、知識欲を満たす方が自分に向いていると思っている。神谷秀真(かみやしゅうま)とはオカルトで、岩原比呂志(いわはらひろし)とは鉄道の話で盛り上がるのは楽しい。

 朝の経済ニュース『Newsモーニングサテライト』を見続け、時々母が読んでいる日本経済新聞を読むようになると、経済の知識が増えてくる。個人的興味で読んでいる女の子向けのファッション雑誌にしてもそうだ。知識の量が増えれば増えるほど、趣味は楽しくなる。皐月はそのことをすでに経験で身につけている。

 算数だけでなく、国語や理科、社会の勉強だって、知識が増えればもっと楽しくなるに違いない。千智が勉強している英語だって、できるようになれば世界が広がる。皐月はそんなことを期待しながら、これからも勉強を続けていこうと思っている。


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