92 先輩は後輩の面倒を見る
「先輩どうしたの、教室まで来て?」
入屋千智は藤城皐月が5年3組の教室に来たことに驚いていた。
「どうしたのって、約束したじゃん。ハンカチ返しに来るって」
「ありがとう。律儀に罰ゲームに付き合ってくれたんだね。それよりその髪の毛、どうしたの?」
「ああ、これね。染めた。格好いいだろ?」
「格好いいけど、ちょっと派手だね」
「地味って言う子もいたけどね」
皐月は持って来たラッピング用の小袋を手渡した。
「先輩、こんなかわいいの持ってたんだ。意外!」
「祐希が使えって、くれたんだよ。俺がこんなの持ってるわけないじゃん」
「なんかプレゼントされたみたいでドキドキするね」
「ハンカチしか入っていないから期待すんなよな」
本当はハンカチ以外にメッセージカードを入れてある。今見られると恥ずかしいので、なんとかごまかしてやり過ごさなければならない。
「いっしょに喋ってた子がステファニーさんなんだね。なんか邪魔して悪かったね」
「いいの。ステファニーがゆっくり話してきてって言ってくれたから」
「千智を呼びに行ってくれた子って、もしかして月映さん?」
「そう。よくわかったね」
「雰囲気が大人びていたからたぶんそうだろうなって。俺の方が年上なのにちょっと緊張しちゃったよ」
「月映さんも緊張してたみたい。髪の毛染めた怖いお兄さんに声をかけられて」
「えっ? 俺、怖い?」
「月映さんが輩みたいな人が来たって言ってた」
「マジか!」
格好いいつもりでいたのに、後輩を怖がらせるとは思ってもみなかった。皐月がカラーをしたことを真剣に後悔していると、千智が笑いだした。
「先輩、今の嘘だから」
千智が声を上げて笑っているのが余程珍しいのか、3組にいる全員の視線がこっちを向いていた。
「……やられたわ。ところでさ、ちょっと2〜3分付き合ってもらいたいんだけど大丈夫かな?」
「いいよ。で、どうしたの?」
「今からね、3年生の教室に行って同じ町内の女の子に会いに行きたいんだ。怖い輩だけで行くと助けてって先生を呼ばれそうだから、俺の代わりに千智が呼び出してくれると助かる」
「わかった。でも同じ町内の子なら、家に帰ってからでも話せそうなのに。何か急ぎの用でもあるの?」
「その子、美香ちゃんって言うんだけど、美香ちゃんも俺と一緒に髪を染めたんだ。美香ちゃんの家は美容院で、お母さんにカラーしてもらってね。で、美香ちゃんがカラーしたことでイジメられていないか心配だから、ちょっと様子を見に行きたいんだ」
「そっか……。東京に住んでいた時は髪の毛染めていた子ってどのクラスにも何人かいて、別に普通だったんだけどね」
「豊川は田舎だから、みんなと違うことすると目立っちゃうんだ」
皐月と千智の二人は低学年棟の3年生の教室へ向かった。千智が目立ちたくないと言いキャップをかぶって来たが、これでは千智そのものは目立たなくても、二人揃って歩いているとかえって目立ってしまう。
岩月美香の3年2組の教室を覗くと、美香の姿はすぐに見つかった。友だちに囲まれて、楽しそうに笑っている。
「あのエメラルドっぽい髪の色の子が美香ちゃんだよね。人気者じゃない」
「そうみたいだね。心配なかったかな。でも一応呼んでもらってもいいかな?」
「オッケー」
千智がたまたま近くにいた男の子に美香を呼んでくれるよう頼んだ。キャップくらいでは隠しきれないほどの美人の千智に頼まれた男の子は顔を真っ赤にしていた。美香が皐月のことを見つけると大きく手を振って、「皐月ちゃ〜ん」と大きな声を上げた。
「皐月ちゃん?」
千智が皐月の顔を見て笑った。
「美香ちゃんのお母さんが俺のことを皐月ちゃんって呼ぶんだ。美香ちゃんはそれを真似して俺のことをちゃん付けにしてる。まあいいんだけど」
「私も先輩のこと皐月ちゃんって呼んでもいい?」
「えっ? まあ、別にいいけど……」
「じゃあ時々皐月ちゃんって呼ぶね」
美香が皐月に向かって抱きつきそうな勢いで駆け寄って来たが、隣にいる千智を見てブレーキをかけた。
「美香ちゃん元気にしてる?」
「元気だよ。それよりどうしたの? 教室まで来てくれて」
「美香ちゃん、髪にカラーしたせいで誰かにイジメられてないかなって心配になって、様子見に来たんだ。どうだった?」
「女の子には評判良かったよ。男子はどう思ってるかよくわからない。先生には嫌味を言われた」
「大丈夫か?」
「うん。怒られたりはしなかったよ」
「そうか、良かった。もし誰かにイジメられるようなことがあったら俺に言ってね。何とかするから」
「ありがとう。皐月ちゃん、本当に今日、格好いいね!」
「これからだって、ずっと格好いいよ」
皐月と美香が話していると美香の友だちが寄って来た。みんな皐月の髪を褒めてくれたが、隣にいる千智に気付くとみんな千智の方に関心が移った。芸能人みたいとかアイドルみたいとかチヤホヤされて、千智は大いに照れていた。
「皐月ちゃん、今日は本当にありがとう。心配してくれて嬉しかった」
「いいよいいよ。友だちのみんなも美香ちゃんのこと守ってあげてね」
皐月の呼びかけに美香の友だちはみんな協力してくれると約束してくれた。千智がお礼を言うとみんなキャーキャー喜んだ。
これで重要なミッションが終わったので、皐月はドッジボールに急ぐことにした。
「千智、今日はありがとう」
「ううん、私もいい経験ができて楽しかった。先輩って面倒見がいいんだね」
「俺は6年だから、誰かに髪のことで何か言われても平気だけど、美香ちゃんはまだ小さいし、俺と違って繊細だから心配だったんだ」
「3年生って小さくてかわいいかったね」
「俺に言わせれば、5年生もまだ小さいけどな。じゃあ急ぐから。今ならまだドッジボールに間に合う」
「皐月ちゃん、がんばって〜」
いつも先輩と呼ばれている千智から皐月ちゃんと呼ばれるのはまだ抵抗があった。とりあえず笑顔を作って手を振ってはみたが、この笑顔は苦笑になっていたかもしれない。いつか千智のことを千智ちゃんと呼んでみようかな……そんなことを考えていると、皐月はだんだん気分が良くなってきた。
もうすぐドッジボールができるかと思うとテンションが上がる。皐月は博紀と茂之たちのもとへ猛ダッシュした。