90 女の子たちに守られて
月花博紀が教室に入ってくると、松井晴香が博紀に駆け寄って行き、何かを話していた。藤城皐月をホストみたいだと言ったことで花岡聡が怒ったことをチクっているのだろう。皐月が博紀の方を見ると目が合い、博紀がこっちに向かって歩いてきた。
「よう」
皐月は博紀におはようなんて挨拶はしない。それは博紀も同じで、お互いに照れ臭いからだ。
「ああ。お前、髪切ったんだな」
「まあな。さすがに五分刈りにはしなかったけどね」
「本当に髪の毛染めてくるとは思わなかったぞ」
「そうか?」
「俊介の言葉なんか真に受けてんじゃねえよ」
「俺はいいアイデアだと思ったんだよ。俊介センスいいわ」
「紫は派手過ぎだろ。まるでホストみてえだな」
この瞬間、この場に緊張が走った。聡の顔色が変わった。
皐月は博紀の性格をよく知っている。博紀は晴香の言ったことと同じことを言って、晴香の代わりに仕返しをしているつもりだ。自分を慕う女に義理を通すという健気さがおかしかった。
「アイドルみたいで格好いいだろ。さっき筒井にそう言われたんだぜ」
「筒井さんはお前のこと何でも褒めるからな」
「私も皐月のヘアー、格好いいと思うよ」
皐月は栗林真理が人前で自分のことを褒めるのを初めて聞いた。
「私も藤城さんの髪型、素敵だと思います」
「格好いい」
二橋絵梨花と吉口千由紀が真理に追従するわけがない。彼女たち三人は間接的に博紀のことを非難しているのかもしれない。
もしそうなら嬉しいし、本気で格好いいと言ってもらえたなら、それはそれで嬉しい。皐月は女性から守ってもらえる幸せを感じた。
「ほら。みんな格好いいってさ」
「……そうか、よかったな」
博紀は気になる女子が揃いも揃って皐月のことを褒めそやすのがこたえたようで、全く覇気がなくなってしまった。
「博紀も俺みたいにカラーするか?」
「いや、俺はいいよ。似合わないから」
「お前だったら何やっても似合うよ」
博紀はひきつった笑顔を残して自分の席に戻った。
博紀は教室では体裁を気にしているのか、あまり本音を出さないようにしている。六年になって初めて博紀と同じクラスになるまで、皐月は博紀が学校でこんな爽やかな振舞いをしていることを知らなかった。
博紀は学校の外では皐月に対してシニカルな奴だ。だが、教室で皐月と二人になると、クラスの友達には絶対に見せない素の自分を出す。しかし他の友達がいる時はいつもいい子ぶり、特に先生の前だと完璧に優等生を演じている。
皐月は教科書とノートを机の中に押し込んで、ランドセルをロッカーに片付けに行った。
「花岡ってホストに憧れてたのか?」
「ん……ホストってよりもジゴロかな」
「ジゴロ! お前面白いな。じゃあ博紀みたいにモテモテになりたいってわけじゃないんだ」
「ああいうのはつまんねえだろ。あいつもよくやるよ、ファンクラブだなんて」
博紀はモテ過ぎるので男子から反感を買いそうだが、人当たりがいいのと運動神経がいいことで、男子からも人気がある。だが、男子全員から好かれているわけではなく、聡は女子に人気のある博紀に嫉妬している。
「別に博紀が作ったわけじゃないだろ。全部松井がやってることだし」
「やめろって言えばいいのにな。女子たちにチヤホヤされるのが気持ちいいのかな?」
「そんな楽しそうでもないみたいだけど……。あいつなりに考えがあるんじゃないかな」
皐月は席に戻ると、聡がジゴロに憧れていることをもう一度考え直した。タブレットでジゴロの意味を調べると「女から金を得て生きている男」という意味だった。
ジゴロは皐月の思い描いていたイメージとは少し違っていた。そして聡に対する印象も変わった。皐月は聡の心の暗部を垣間見たような気がした。だがそれを否定する気にはなれない。
皐月も真理も、男たちが母親に払う金で生きている。皐月の好きな芸妓の明日美だってそうだ。
恋愛感情に付け込んで、男から巻き上げた金で生きている。そして自分はその金で育てられている。聡がジゴロに憧れることを皐月が責められるわけがない。
そんなことを考えていると、晴香は皐月の母親が芸妓であることを博紀から聞いていたのかもしれない、という仮説が思い浮かんだ。だから晴香は皐月のことをホストみたいだと言ったのかもしれない。
あまり考えたくなかったことだが、博紀が皐月の母の仕事を軽蔑していることの反映なのかもしれないという仮説も考えた。それは博紀が親に何らかの偏見を吹きこまれていたから、水商売の女を軽蔑しているのかもしれない。
「皐月、どうした?」
「藤城氏?」
考え込んでいたらオカルト好きの神谷秀真と鉄オタの岩原比呂志が話しかけてきた。彼らがすでに席についていたことに全く気付かなかった。
「あ、悪ぃ。寝てたわ」
「藤城氏の髪の色って東京メトロ半蔵門線の18000系をイメージしたもの?」
「そう、特にロングシートの色ね」
「冠位十二階の大徳でしょ」
「やっぱ最高位だもんな、紫は」
皐月は秀真や比呂志とマニアックな話をしている時が大好きだ。二人がヘアカラーのことを非難してこないで、趣味に絡めて突っ込んでくれたことが嬉しかった。皐月は自分が朝からずっと緊張していたことに、今になってやっと気がついた。