9 ネットで繋がった
藤城皐月と入屋千智は夏休みの体育館にいた。皐月は千智にワン・オン・ワンをやろうと誘われた。これは絶対にボコられるなと思ったが、やはり皐月は千智の相手にならなかった。
千智はハンドリングが上手過ぎるし、動きが速過ぎてついていけない。右に行くかと思えば、股下でボールを切り返して左へ行く。皐月はその度にひっくり返っていた。
「ひゃ〜。参った参った。もうやめようよ。疲れた」
「え〜、もうやめちゃうの? 体力ないなぁ」
「体力もないけど、根性がないんだな……。それに負けてばっかで泣いちゃうよ」
「もう、しょうがないなあ。じゃあこれくらいで勘弁してあげます」
千智はまるで疲れを見せずにニコニコしている。これが泳げなかったあの千智か、と見る目が180度変わった。
皐月は遊び以外で運動らしい運動を特にしていない。自分のことをひ弱だと思ったことはなかったが、実は結構ヤバいかもしれないと思い始めた。スポーツをやっている千智は皐月よりもずっと体力がある。
「バスケやってるの?」
「特にやってるわけじゃないけど、お父さんが昔バスケやってて、いろいろ仕込まれたんです」
「バスケの選手とか目指すの?」
「目指さないですよ。だって私、身長がないから無理です。でも中学に入ったら部活はやろうかなって思ってます」
「そっか。バスケ部か。俺、中学になったら部活どうしよう。ドッジボール部なんてないし、野球部は坊主にしなきゃならないから嫌だし……」
6年生にとって中学でどの部活に入るかは重大な問題だ。好きなスポーツの部活に入っても、必ずしも楽しいわけではないらしい。
「バスケやったらいいじゃないですか。結構上手かったですよ」
「え? ホント?」
「はい。フォームも綺麗だし、ドリブルも上手いですよ」
「千智やマンガの真似をしただけなんだけどね」
「きっと飲み込みが早いんですよ。スポーツなら何でも向いてそう」
「体力ないからなぁ……」
「体力なんて運動していれば勝手につくからどうにでもなりまよ」
皐月はどちらかといえばインドア派なので、千智のようなスポーツ少女とは合わないと思っていた。だが千智は素直でいい子だ。
皐月は特別スポーツが苦手というわけでもないし、嫌いでもない。器用な分だけむしろ得意な方で、ドッジボールと野球は自信がある。ただ、走るとすぐに息が上がって胸が痛くなるので、わざわざスポーツをやろうとは思わない。
皐月は体力さえつけば千智と一緒にスポーツを楽しめるようになるかもしれないと思った。千智ともっと仲良くなりたい。
「帰ろっか。今日は楽しかった。せっかくプールに入ったのに汗かいちゃったね」
ボールを片付けて靴下を履き、体育館を出た。少し涼風がそよいでいて、中にいるよりも気持ちがよくなっていた。校門から出たら、家の方角次第ではここでお別れだ。
「藤城先輩って家どこですか?」
「栄町だよ。豊川の駅前っていうか、お稲荷さんの門前というか」
「私は古宿です。姫街道の向こう。方向が違いますね」
皐月はバスケが下手過ぎて相手にされないと思っていたので、この展開を意外に思った。千智が自分の住んでいるところに関心を示したことが嬉しかった。
「千智ってお稲荷さんに行ったことある?」
「初詣に行ったことがあるくらいかな」
「一番混んでいる時期だね。普段はガラガラで広々としてるよ。早朝なんて誰もいないから、気持ちがいいんだ。今度一緒に豊川稲荷に行こうよ」
「今度じゃなくて、今からでもいいですよ」
キャップの奥の瞳がキラキラしていた。皐月はこの目を知っている。買い物に行った時に女性の店員から向けられる目だ。
「ごめん。今日はこの後、家の用事があるんだ。引っ越しがあってね」
「えっ? 藤城先輩引っ越しちゃうんですか!?」
この反応で皐月は確信した。千智は自分に好意を持っていると。
「いや、引っ越すんじゃなくて、うちに引っ越してくる人がいるんだ」
「ん? どういうことですか?」
皐月の家が置屋であること。母が芸妓であるということ。弟子になる人が住み込みのために引っ越してくること。ちょっと普通の家とはいろいろ違うので説明が必要だった。
千智は置屋どころか芸妓も知らなかったので、できるだけ印象が悪くならないように説明をした。
母が芸妓ということで悪く言う人もいるので、皐月は千智に話すことをためらった。仮に千智が無反応でも、千智の両親には良く思われないかもしれない。
「芸妓さんなんて、お母さんは綺麗な人なんでしょうね」
「綺麗かなぁ?」
「だって藤城先輩、美少年じゃないですか。だから絶対にお母さん美人ですよ」
「美少年? 俺が?」
皐月は髪を伸ばしているので女の子のようだとよく言われる。中性的な顔立ちを千智は美少年だと感じているのだろうか。皐月は女の子みたいと言われることが嫌いなので、自分では不細工だと思っていた。
「そうですよ。先輩、モテるでしょ?」
「全然。だいたいうちのクラスにアイドルみたいな奴がいて、そいつが女子の人気を全部かっさらっちゃってるから」
「へぇ、そうなんですか」
思わぬ高評価に皐月はびっくりした。自分に好意を寄せるような女子は隣の席の筒井美耶だけだと思っていた。
「今スマホ持ってる?」
「家に置いてきちゃいました」
「そっか。今度また誘おうと思ったんだけどな……。どうしようかな」
「連絡先、教えてください。こっちから誘います」
皐月はメッセージアプリのアカウントを千智に教えた。皐月は普段、母親以外と SNS を使っていない。幼馴染の栗林真理とは一応繋がっているが、塾に通うようになってからはほとんどやりとりをしていない。
クラスでは隣の席の美耶と繋がったことがある。だが、やたらとメッセージを送ってきたので、辟易して怒ったことがある。女子がみんな真理のように淡白なわけではないということを知り、皐月はネットでの交流に慎重になっていた。
千智がどんなタイプかわからない。つい勢いで今度また誘うと言ってしまったが、本当は自分から連絡するのはあまり気乗りしない。だが、千智から誘うと言ってくれたので、皐月は正直ホッとしていた。