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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
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79 時間が止まり、言葉を失う

 入屋千智(いりやちさと)は大きな手を和了(ほーら)して、嬉しそうに笑っていた。一撃でゲームを決めてしまったからだ。

「げ〜っ、俺が最下位か……やっぱ歌、歌わなきゃダメなのか?」

「当たり前じゃん。博紀、男らしくないぞ」

「博紀君、知ってる歌だったら俺が一緒に歌ってあげようか」

 今泉俊介(いまいずみしゅんすけ)が BGM を止め、月花博紀(げっかひろき)に曲の選択を迫った。俊介が楽しそうにしているのは博紀をからかっているからなのか、あるいは自分も一緒に歌おうとワクワクしているからなのかはわからない。

「あ〜っ、もうわかったよ。歌えばいいんだろ」

 博紀は少し前に稲荷小学校で流行っていた Ado の『うっせえわ』という曲を選んだ。

「博紀君、カラオケアプリで歌う?」

「いや、それは勘弁。せめてボーカルに合わせて歌わせてくれよ。それくらいいいだろ」

 歌が苦手な博紀は少しでも自分の歌声を誤魔化そうと必死だ。こんな弱っている博紀を見ることは滅多に見られないので、藤城皐月(ふじしろさつき)たち栄町の悪童三人は大喜びだ。男だけで遊んでいたら博紀もここまでヘコまなかっただろう。千智という女の子がここにいるからこそ恥をかくことを恐れているのかもしれない。


「兄貴の歌を聴かされた方が罰ゲームじゃん」

「うるせえ!」

 弟の直紀(なおき)が煽ると、博紀が本気で怒った。

「博紀君、それじゃぁリアルにうっせえわ。そんなに嫌ならカラオケアプリはなしにしよう。動画に合わせて歌うで決定。それなら映像も見られるし、いいよね?」

 俊介の仕切りでひとまず場が収まった。MVで『うっせえわ』を表示させ、いつでも再生できるようにスタンバイさせた。

「ねえ博紀君、歌ってるとこ動画撮ってもいい? SNSに投稿したいんだけど」

「ダメに決まってるだろ!」

「ちぇっ、つまんないの」

「ファンクラブの子たちにお前の動画を見せてやったらいいのに。悶絶して喜ぶぜ」

「皐月もくだらんこと言ってんじゃねえよ。それよりさっさと済ませようぜ。歌うのは1番だけな」

 博紀と俊介によって場のルールが整備されていく。年上で学級委員の博紀よりも俊介の方がリーダーシップを発揮しているのが面白い。

「しょうがないなぁ。じゃあ始めようか」


 博紀の歌が始まった。1秒で終わるイントロに乗り遅れて博紀もMVのボーカルと一緒に歌い始めた。テレビの画面に映像が流れ、ミニコンポのスピーカーからいい音が流れて、なかなかいい感じだ。この方がカラオケアプリで歌うよりも絶対に楽しい。

 サビのところで俊介も歌いだし、2回目のサビでは直紀も皐月も一緒になって歌い、千智もノリノリで手をたたいてくれた。

「はい、終わり〜」

 博紀が素早くPCに手を出して動画を止めた。

「え〜っ、なんでだよ〜、せっかく盛り上がってたんだから2番も歌わせろよ〜」

「そんなに歌いたかったら俊介、次からはお前が一人で歌えよ」

「じゃあ次はワザと負けようかな」

「やっぱり俊介にとってこの罰ゲームはただのご褒美だったな」

 俊介のこの一言に皐月はムッとした。遊びなんだから真面目にやってほしい。

「兄ちゃん、もうムキになって勝ちにいくことないんじゃない?」

「はぁ? 俺はもう歌いたくね〜よ。次は絶対に勝つから」

「まあいいや。俺は普通に打つからね。俺が負けたら俊介と一緒に歌うわ。一人じゃなきゃ、歌うのなんてどってことねーよ」

 皐月は直紀たち月花兄弟の会話を聞いてホッとした。これでやっと普通の麻雀が打てる。勝負にはこだわりたいが、ギスギスしたのは好きじゃない。でも緊張感はだいぶ薄れてしまった。

「じゃあそろそろ2回戦をやろうか」


 男たちが揉めている間、スマホを触っていた千智が手を止めて、顔を上げた。

「祐希さん、今から家に帰るって。麻雀楽しそうだって書いてあるよ」

「祐希、帰ってくるんだ」

 皐月は及川祐希(おいかわゆうき)がこんなに帰ってくるとは思っていなかった。どうせ恋人と会って遅くなるんだろうと思っていたからだ。

「さっきスマホで写真付きのメッセージ送ったら、ちょうど今から帰るところだって返信がきたよ」

「よかったな、博紀。お前のお目当ての祐希に会えるぞ」

「何言ってんだ。俺は麻雀をやりに来たんだ。まあ直紀に祐希さんを会わせてやりたかったってのはあるけどな」

「兄貴がそんなこと言うからってわけじゃないけど、祐希さんに会えるの、俺もだんだん楽しみになってきたよ」

「僕もちょっと楽しみだな。博紀君が好きな人がどんな人か見てみたい」

「てめえ俊介、勝手に話作んじゃねえ!」

 顔を赤くしている博紀を見て皐月は驚いた。博紀は本気で祐希のことを好きなのかもしれない。学校で女子たちにちやほやされても涼しい顔をしているのにこの為体(ていたらく)は何だ?


「ねえ、先輩」

「ん? 何?」

 俊介と博紀と直紀が騒いでいる隙を狙って千智が皐月に話しかけてきた。

「このメンバー、楽しいね」

「そうか。じゃあまた一緒に遊ぼう」

「う〜ん。そうしたいけど、ちょっと難しいかも……」

「えっ?」

 この瞬間、皐月の時間が止まった。騒がしい部屋なのに、何も聞こえなくなった。何か話したくても、言葉を失って何も言えなくなっていた。

「おいっ! 2回戦やるぞ!」

 博紀からの強い再開宣言が出た。俊介が牌をかき混ぜ始めると、博紀がコインの再配分が先だと言って、卓の上に皆のコインを出すように言った。

 あわただしく次の対局の準備が始まったが、皐月は血の気が引いて、思うように動けなかった。一緒に遊ぶのが難しいって何だろう……。

「さっきの話、後でね」

「……うん、わかった」

 皐月はこの時の千智の眼の色、声の柔らかさ、微かな笑顔にすがる思いで、ゆっくりと手を動かしてコインを卓の上に出した。


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