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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
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65 優しい罰ゲーム

 藤城皐月(ふじしろさつき)は夏の暑さに耐えられなくなってきた。街歩きを早めに切り上げようと思い始めていたが、自販機で買った水で水分補給をした入屋千智(いりやちさと)が元気を取り戻したようなので、冷房のきいた自分の家に早く行こうとは言いづらくなっていた。

 皐月は自分のことをそんなにひ弱だとは思っていなかったが、炎天下で平気な顔をしている千智を見ていると自信が揺らいでくる。

「千智ってホント暑さに強いよね」

「先輩が弱過ぎるんじゃないの?」

 千智に笑われてしまったが、軽蔑されているわけではなさそうだ。こんな風に女子から軽くからかわれるのは心地良い。

「友達同士だとさ、表参道ってあまり遊ぶとこないんだよね。こういう所って、お金を使わないと何も面白くないじゃん。だから俺が入る店は本屋とか床屋とか自販機とか、そんなんばっか」

「自販機ってお店なの?」

「無人のテイクアウト専門店じゃん」

 千智の反応が薄かったので、皐月はちょっと恥ずかしくなった。皐月としては冗談だと笑って欲しかった。


「初めて千智と会った時、祐希(ゆうき)に表参道の案内をしてたんだけど、この通りにある飲食店全部に行ってみたいってはしゃいでいたよ。また来ようねって話してたんだけど、その時は千智も一緒に来る?」

「いいの? 私がついていっても。邪魔にならない?」

「千智は祐希のお気に入りだから、邪魔なわけないじゃん」

 皐月は千智と少しでも先の約束をして、繋がっておきたかった。皐月はそのために一緒に暮らしている高校生、及川祐希(おいかわゆうき)を利用した。

「祐希さんはもう大人だから、祐希さんにお店に連れて行ってもらえたら、私たちが一緒についていっても大丈夫だよね」

「そうだね。余裕で大丈夫だと思うよ。小学生の俺たちが二人だけで店に行ったら断られちゃうかもしれないけど、保護者同伴なら大丈夫。祐希って、友達とカフェ巡りをするのが趣味なんだって。高校生ってそんなことして遊んでるんだな」

 お金を使って遊ぶのは大人の遊び方で、皐月の知らない世界だ。憧れはまだないが、ハマる要素はありそうな感じがする。

「カフェ巡りか……私もカフェ巡りしてみたいな。ねえ、しようよ、私たちもカフェ巡り。二人で大人っぽい雰囲気出して、高校生のふりして行けば問題ないよね?」

「そうなのか……な? そうだな、それって面白いかも。入店拒否されたら諦めればいいだけだし。でも千智よりも俺のほうが見た目がヤバいかも。子供っぽいからな」

「でも先輩は背がそこそこ高いし、秋の服なら上手に着こなせば印象がガラッと変わるかもね。Tシャツに短パンは子供っぽいからNGだけどね」


 豊川稲荷の表参道は平日だと参拝客や観光客があまりいない。皐月はゆっくり歩きながら、時に立ち止まって、目につく店について自分の思い出にまつわる話をした。今度は祐希に話した時よりも無駄なく面白く話せた。

「このイタリア料理店、以前はレトロな雰囲気の喫茶店だったんだよ。一度入ってみたかったな。ここじゃないけど、俺の行きつけの喫茶店もレトロでいい感じの店だよ」

「先輩って喫茶店によく行くんだ」

「ママの仕事の日とか、よく晩ご飯を食べに行ってるよ。あと日曜日のモーニングとかも。家の近くの店でさ、ママが昔から通ってて、俺も連れて行ってもらってたんだ。だからその店だったら小学生の俺でも一人で入れるよ」

 皐月の行くパピヨンという喫茶店では母のツケやチケットで飲食ができる。

「一人で外で夕食とか寂しくないの?」

「そうだね……寂しいっちゃ寂しいかな。気楽ではあるけど。でもこれからは祐希のお母さんがご飯を作ってくれるし、祐希と祐希のお母さんと一緒に食べるから寂しくはないよ。気楽ってわけにはいかなくなっちゃったけど……」

 千智に話しながら、今まで意識にのぼって来なかった思いが口から出てきた。不意に出てきた自分の言葉で、自分の置かれている特殊な環境を改めて思い知った。

 家の中は賑やかになった。祐希の母の頼子(よりこ)が食事の世話をしてくれて、祐希たちと一緒に御飯を食べるようになった。皐月の母の小百合(さゆり)は友達の頼子と一緒に暮らせるようになって楽しそうだ。

 自分の気持ちはどうなのか……。本当は少しくらい寂しくても、今まで通り一人で外食をしたり、弁当を買って家で一人で食事をとっていた方が良かったのかもしれない。

 これからは頼子や祐希に気に入られるように振る舞わなければならない。祐希たちが引っ越してくるまでずっとそんなことを考えていたので、知らず知らずのうちに疲れているのかもしれない。祐希たちの不安な気持ちを自分が支えなければならないという重圧もある。


「先輩、どうしたの?」

 皐月はいつしか涙を流していた。皐月だけでなく祐希たちにとっても、憂いを含んだ暮らしは始まったばかりなのだ。

「汗で顔の脂が目に入っちゃったかな。ちょっと沁みるね」

 苦笑しながら皐月は指でそっと涙をぬぐった。泣いていない風に装うため、ついでのように手で額の汗をはらった。濡れた手をTシャツで拭くと、千智がハンカチを差し出した。

「先輩、私のハンカチを使って汗を拭いて。そんなことしたらシャツが汚れちゃうよ」

 千智が心配そうな顔をして、覗き込むように皐月を見ている。

「ああ……そうだね。俺、普段からハンカチ持ち歩かないからなぁ……。やっぱ汚いよなぁ……。千智のハンカチ、汚したくないなぁ……」

 何度指で拭っても涙が滲んでくる。

「いいよ、そんなの。それよりこれからはハンカチ持ち歩こうね」

「うん」

「このハンカチ、先輩にあげる」

「いいよ。ハンカチくらい家にあるから。これはちゃんと洗って返すよ」

「じゃあ私の教室まで返しに来て。クラスの女子の誰かに声をかけて、私のことを呼び出すこと。いい?」

「え〜っ、女子!? ちょっと恥ずかしいな……。男子じゃダメなのか?」

「だ〜めっ! これは罰ゲームです」

 優しく笑いながら話す千智に皐月は救われた。顔がキャップのバイザーの陰になっているのに、千智の瞳はいつもよりも輝いて見えた。


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