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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
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64 小さな失敗

 豊川(とよかわ)駅から豊川稲荷(とよかわいなり)へ行くには表参道コースと商店街コースの二つがある。藤城皐月(ふじしろさつき)入屋千智(いりやちさと)の二人は観光地らしい雰囲気のある表参道を歩くことにした。門前通りに出るまでは本町商店街を通る。

「飲食店がたくさんあるけど、まだ閉まっている店が多いね」

「こっちは夜の店が多いからね。まだ俺たちには縁のない店かな。そういえばさっき、千智って豊川駅に縁がなかったって言ってたけど、一度も来たことなかったの?」

「うん。こっちに引っ越して来てまだそんなに経っていないから、豊川のことってよく知らないの。家族で豊川稲荷に初詣に来た時も稲荷口(いなりぐち)の駅から歩いて行ったし」

「えっ? 稲荷口から豊川稲荷まで電車で来た方が楽なのに」

「稲荷口の駅の近くに私の母の実家があるの。今はそこに住んでいるんだけど、電車で一駅乗っていくよりも、歩いて行こうってお父さんが言うから、そういうものだと思ってた」

「まあ、歩いて行ける距離だよね」

 千智は稲荷小学校には歩いて通っているのだから、豊川稲荷へは苦もなく歩いて行ける。だが皐月なら、それだと表参道を歩いたりして旅情を感じられないから、味気ないと思う。千智のお母さんは地元民なので、そういうことはあまり気にしていないのかもしれない。


「引っ越して来たって言ってたけど、前はどこに住んでたの?」

「東京だよ。練馬区の石神井(しゃくじい)公園駅が一番家から近い駅だった」

「東京か……いいなぁ。石神井公園駅って西武だったよね。何線?」

「西武池袋線ってわかる?」

「うん、わかる。ちょっとだけど知識はある。東京の鉄道ってまだ乗ったことないけど……」

 皐月は関東の私鉄だと、路線までなら何とかわかるが、さすがに個別の駅までは把握していなかった。

「愛知県に住んでいるのに東京の鉄道のこと知ってるんだ。先輩ってもしかして鉄道マニア?」

「いや、ただの鉄道ファン。残念ながら、オタクには程遠いけどね」

「どうしてオタクじゃないのが残念なの?」

「え〜、だって鉄オタってマニアックな知識が豊富で面白いじゃん」

 千智はよくわからないって顔をしている。皐月は友達で鉄道の師匠の岩原比呂志(いわはらひろし)のことが頭に浮かんでいた。比呂志はいつも皐月に嬉しそうに鉄道の話をしてくれる。

「鉄ヲタでも乗り鉄っていうジャンルがあってね、その人たちっていろんな鉄道に乗ったり、いろんな所に行ったりするんだ。小学生の俺なんか、近場の路線しか乗ったことがないから、羨ましいな……」

「電車に乗って旅行するのって楽しそう。家ではいつも車で旅行だから、鉄道の旅って憧れちゃう」

「鉄道旅行っていいよね……。俺はそもそもあまり旅行に連れて行ってもらったことがないから、鉄道に限らずどんな旅行でもしてみたいな」


 話しながら歩いているうちに豊川稲荷表参道に出ていた。栄町(さかえまち)の商店街との辻には赤い鳥居に「なつかし青春商店街」と書かれてあり、その横に金属製のレトロな琺瑯(ほーろー)看板が30枚ほど並べて展示されている。

「昭和レトロって感じで面白いね。あざといけど」

「うん、ちょっと狙い過ぎてるよね。本当にレトロなのは、昔から続いているお店に掛けられた看板だよね。今の時代、新しいお店にどんどん入れ替わっているから、琺瑯看板が残っているお店って、ほとんどなくなっちゃった」

 本町商店街も表参道も古い建物から新しい建物へ建て替えが進んでいる。だが、まだ少しだけ古い建物が残っている。皐月の住む家も古い建物なので、皐月はそういったレトロの店が大好きだ。

「私がおととい豊川稲荷に来た時は表参道を通って来なかったから、こっちの道のことは気になってたの。門のところで先輩たちに会わなかったら、表参道を抜けて家に帰ろうと思ってた」

「じゃあ、今からその時の気持ちを取り戻そうか」

「うん」

「自転車で駆け抜けるよりも、ゆっくり歩いたほうが楽しいよ」

「それに、一人よりも二人で歩いた方が楽しいよね」


 九月とはいえ、昼の日差しはまだ強烈だ。皐月が暑いと口にすると、二人は急に夏の暑さを意識し始めた。それまでは暑さを忘れて話をしていていたが、一度でも暑いと思うと我慢ができなくなる。

「マジ暑いね。これじゃ、ゆっくり歩いていたら熱中症になりそう」

「先輩って本当に暑さに弱いね。プールから上がった時も、暑い暑いって言ってたよね」

「だって俺、夏弱いんだもん。冬なら得意なんだけどな」

「さすがにこんなに暑いと冬が恋しいね。寒いのはあまり好きじゃないけど」

「今は冷房が恋しいよ。何か冷たいものでも飲んでいきたいところだけど、家にケーキがあるみたいだから、あとちょっとだけでも暑いのは我慢しなきゃ……。でも、やっぱり何か飲み物が欲しい」

 目の前に自販機があったのでミネラルウォーターを1本買った。お金は皐月が払った。

「先に飲んでいいよ」

「えっ、先?」

「うん。次に俺が飲むから」

「これ、二人で飲むの?」

「あ……そういうのダメか」

「ダメっていうか、そういうわけじゃないんだけど……私のは自分で買うよ」

 皐月は母や幼馴染の栗林真理(くりばやしまり)といつも回し飲みをしていたので、つい千智にもと思ってしまった。

「ごめん。俺、ちょっとガサツだった。家族みたいな扱いしちゃった」

「ごめんなのはこっち。私がちょっと潔癖過ぎるんだと思う」

 皐月は自販機に硬貨を追加投入し、もう一本水を買って千智に手渡した。

「潔癖いいじゃん。汚いより清潔な方がいいに決まってるから、気にすんなよ。それより俺が少しは気にした方がいいのかもね。あんまり汚いことすると、千智に嫌われちゃうから」

「先輩、全然汚くないよ。むしろ爽やかだよ」

「そう? 俺が爽やか?」

「うん。爽やか」

 皐月は女子から面と向かって爽やかだと言われたことがなかった。

「千智にそんな風に言ってもらえて嬉しいよ。まだ嫌われていなくてよかった」

 皐月は買った水を飲まなくても暑さを感じなくなっていた。こんな失態を二度とするまいと肝に銘じた。


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