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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
63/104

63 幸運の女神

 藤城皐月(ふじしろさつき)は待ち合わせの時間の5分前には豊川稲荷(とよかわいなり)駅に着けるように家を出た。

 入屋千智(いりやちさと)は自転車で来る。自転車を止める場所なら自分の家に止めてもらえばいいのだが、皐月は千智と一緒に街を歩きたかった。家から離れた場所に自転車を置いてもらえば、駅から家まで千智を連れて歩くことができる。

 初めて意識して見た豊川駅西口自転車駐車場は意外に大きかった。駐輪場が無料であることを確認し、豊川駅の前を通って、隣接する豊川稲荷駅へ向かった。東西自由通路の前を過ぎ、タクシー乗り場の横を抜けようとしたら声がかかった。

「あれ? 皐月君じゃないか。これから電車に乗ってどこかに行くのかい?」

 五十代には見えないこの男は永井明彦(ながいあきひこ)というタクシードライバーだ。芸妓の母・百合(ゆり)(芸名)がお座敷に行く時に指名する運転手だから顔なじみだ。

「どこにも行かないよ。友達を迎えに来ただけ」

「今日もお母さんから指名をいただいたよ。いつもありがとう」

 皐月は父親のトラウマからか大人の男の人が苦手で、友達の父親や学校の先生ですら、接する時に変な緊張をしてしまう。なのに幼さの残った風貌の永井には特に嫌悪感を抱かない。

「母をよろしくお願いします」

「任せておいて。ちゃんと安全運転するから」


 永井に手を振振って別れ、皐月は豊川稲荷駅の切符売り場の端で千智を待った。しばらくすると細い路地の向こうから千智が自転車に乗ってやって来るのが見えた。約束の時間きっかりだ。皐月が手を振ると、千智も手を振り返した。

「先輩、待った?」

「ううん、ちょうど今来たとこ」

 学校で見た通り、黒いワンピースに黒いキャップ、そして黒のスニーカーのコーデだ。千智は小学五年生とは思えないほど大人びていた。

「先輩、歩いて来たの?」

「うん。家から近いし、一緒に街を歩いてみたかったんだ。だって千智、学校で見たとき格好よかったから」

「えへへ、そんな風に言ってもらえると嬉しいな。私、豊川駅に来るの初めてなの。最寄駅が稲荷口(いなりぐち)駅だから、こっちの方に全然縁がなかったんだ」

「そうなんだ。じゃあ俺が案内するよ。駐輪場に自転車を置いて、散歩しながらちょっと遠回りして俺ん()まで行こう」

「うん」

 千智と距離が近くなると、うなじの辺りから石鹸のような香りがした。豊川稲荷で千智の手を引いて走った時に感じた女の子の匂いと制汗剤の香りが混じり合ったいい匂いだ。


「袖口、リボンみたいに結んでるんだ。かわいいね」

「あっ、気付いてくれたんだ。私、これ気に入ってるの」

「ウエストリボンもいいね。黒一色なのに華やかに見える」

「ありがとう。なんか褒めてもらっちゃって照れるね」

 千智は笑ってくれたが、皐月は褒め過ぎたことをキモいと思われそうで、内心穏やかではなかった。クラスの女子には軽い気持ちで外見を褒めまくっているが、この時は顔が強張っていたかもしれない。

「このワンピースを着る時はいつも上に明るい服を合わせてるの。キャップだってかぶっていないんだよ。でも今日は黒い気分だったから、思い切って黒装束で学校に行っちゃった。でも失敗。黒はやっぱり暑かった」

「なんか俺、黒い服で来いとか、すげ〜ワガママ言っちゃったな。暑いから、早く家に行って涼もうか」

「え〜っ、遠回りしてくれないの? せっかく先輩のリクエストの服で来たのに〜」

「じゃあ少しだけ遠回りするね。豊川稲荷の門前通りを歩こう。ちょっとした旅行気分だよ」

「楽しそう〜。旅行気分になれるなら、少しくらい暑くても平気だよ」

「旅行気分はちょっと話、盛っちゃったけどね」


 千智の自転車を引きながら、皐月と千智は駐輪場に向かって歩き始めた。タクシー乗り場に近づくと運転手の永井にからかわれそうで嫌だったが、遠回りするのは余りにも非合理的だから覚悟を決めた。

「お〜い、皐月く〜ん」

 案の定、永井が声をかけてきた。面白いことでも見つけたかのような嬉しそうな顔がムカつく。

「さっきはどうも」

「友達ってガールフレンドのことだったのか」

「そうだよ」

「皐月くんもニクいね。デートならタクシー乗ってく?」

「乗るわけないじゃん。これから街歩きするんだから」

「このクソ暑いのに? 元気だな〜。どこか遊びに行きたかったら俺の車にのせてあげるよ。涼しいぞ」

 駅待ちの時はドアを閉めているのに、この時はわざわざドアを開けた。そんなことをしたら、せっかく冷えた車内が暑くなる。

「いいよ、そんなお金ないし。永井さんさ〜、子供相手に営業ってどうなの?」

「営業じゃないよ。皐月君には特別にメーター入れないで走ってあげるから」

「やだよ、デートに永井さんを連れていくなんて。それに、タダで走ってもらうなんて悪いじゃん。確かメーター入れないで走っていると、俺たち客じゃないってことで、事故ったとき保険が下りないんじゃなかったっけ?」

「よく知ってるね、そんなこと」

明日美(あすみ)が言ってた。永井さんがいつもそうやってナンパしてくるって」

「まいったな……子供にそういうこと話すかね、明日美ちゃんも」

「真面目に仕事しなよ。じゃ、俺たちこれからデートだから。バイバイ」

 軽くスルーというわけにはいかなかったが、皐月は永井を振り切った。


「先輩、タクシーの人の知り合いがいるんだね。大人みたい」

「あの人はね、よく家にママを迎えに来る人なんだ。なぜかママのお気に入りみたいで、わざわざ永井さんを指名するんだって」

「先輩、ヤキモチ焼いてるんだ」

「そんなことねーよ」

 本当はそんなこともなくはなかった。母親が男の人と仲良く話しているのを見るのは面白くない。

 芸妓だから男性相手の仕事をするのは仕方がない。皐月は母の仕事をしている現場を見ることはないので、母が客の相手をしているところを想像さえしなければ、嫌な気持ちにならずに済むと割り切っている。

「気さくな人だね、あの永井さんって人」

「あれで五十過ぎてるんだぜ。見えないだろ?」

「全然見えない! どう見ても三十代だよ」

 ちょっと小太りの永井は皮膚に張りがある。髪型は中学生みたいで、髪質はサラサラとしている。常に車内にいるせいか、顔が日焼けしていなくて肌が白い。

「だろ? あの人ちょっとおかしいんだよ。見た目が若いっていうよりも、たぶん精神的に幼いんだよ」

「それはきっと永井さんが先輩に合わせてくれてるんだと思う。先輩のお母さんに指名されるくらいだからコミュ力高いんだと思う」

「じゃあ永井さんって優秀じゃん」

 確かに皐月は永井と話していて本気で嫌な気持ちになったことは一度もなかった。大人なのに大人と話している気もしない。千智の言うとおり、永井は皐月に合わせた話し方をしてくれているのかもしれない。


 豊川駅西口自転車駐車場は混んでいると奥の方まで行かなければ空きスペースが見つからない。この時はたまたま出入り口付近に自転車を止められる場所が一か所だけ空いていた。

「ラッキー。こんな近くに止められるよ。やっぱ俺の日頃の行いがいいのかな」

「私っていい子だから、こういうのって大抵運がいいの。先輩との相乗効果だよ」

「運がいいって最強だよね。なんか千智の運がいいってのは納得。わかりやすいわ」

「これからは幸運の女神として崇め奉ってもいいよ」

 千智は冗談で言ったつもりだと思うが、皐月は本当に千智が幸運の女神に見えてきた。こんな神様からの贈り物のような子と一緒にいられるだけで幸せだからだ。


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