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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第1章 夏休みと子供時代の終わり
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4 喫茶店

 栗林真理(くりばやしまり)藤城皐月(ふじしろさつき)が解いていた塾のプリントを回収して、テーブルの上を片付けた。

「そういえば明日、新しいお弟子さんが来るんだって?」

「ああ、知ってたんだ」

 皐月の家は芸妓(げいこ)置屋(おきや)をしている。明日は母の小百合(さゆり)のもとに新弟子が引っ越してくる。かつて小百合寮には寿美(すみ)という弟子がいた。住み込みの新弟子は寿美以来だ。

「その人ってまだ高校生だよね」

「違う。ママの同級生だからおばさん」

「あれ? お母さんから聞いた話と違うなあ」

「その人には高校生の娘がいて、二人でうちの寮に住み込むんだって」

 真理は微笑んでいるが、それほど楽しそうには見えない。何を考えているのかわからない笑顔なので、少し怖い。

「ふ〜ん。じゃあ娘と母親、どっちが芸妓やるの?」

「ん……よくわからないけど、母親の方じゃないかな」

「へぇ〜。その人ってもういい齢なのに、今から芸妓なんかやるんだ。そんな話、初めて聞いた。芸妓って普通はもう少し若い人がやるよね」


 皐月は母から事情を聞いていた。小百合にお座敷が入った時、皐月が家で一人になるのを心配して、高校時代の同級生の及川頼子(おいかわよりこ)に家にいてもらえるよう頼んだのだ。

 小百合と頼子は小百合の母の葬儀の時にその話をしたという。その時、頼子がちょうど離婚しようとしていたところだったので、それなら新しい生活を始めるために家に来てもらおうと、小百合から頼子に提案した。

 小百合寮ではかつて住み込みの弟子を住まわせていた。だが今は弟子を取っていない。そのため部屋が余るほど空いているので、頼子が小百合の家に来ることはお互いにとって都合がいい。

 できれば皐月は真理にそのことを話したくなかった。それは真理は一人で留守番をしているからだ。

 皐月は自分には親だけでなく、別に保護者が必要だと思われるのが恥ずかしかった。母から頼子が家に来る話を聞かされた時、子守なんていらないと怒ったくらいだ。


「女子高生が家に来るんだよ。ねえ、嬉しい?」

 楽しげに皐月をからかってはいるが、真理はどこか冷めた目をしていた。

「別に嬉しかねえよ」

 真理は残りのサンドイッチを一口で食べようと頬張った。下品でバカみたいな顔をしていた。

「そのおばさんって娘を芸妓にするつもりなの?」

「さあ……そんな話は聞いていないけど、たぶんさせないんじゃないかな。真理だって(りん)姐さんから芸妓になれって言われてないだろ? それよりも食べながら話すなよ、みっともないな」

 テーブルの下で皐月は真理に蹴りを入れられた。

「なんで肝心なところをちゃんと聞かなかったの?」

「そんなこと聞けるかよ。それじゃ俺が女子高生に興味津々みたいじゃん」

「男の子が女子高生に興味を持つなんて当たり前でしょ。百合姐さんだって息子の成長を喜ぶと思うよ」

 真理が言うように頼子の娘に興味がないわけではなかった。むしろ胸が高鳴ったくらいだ。

「私が百合姐さんに聞いてみようかな」

「お前さ、そういうウザいことするなよな」


 皐月と真理の間の雰囲気が悪くなりかけたところに餃子と炒飯が運ばれて来た。

「マスター、なんで喫茶店なのに中華の店みたいなメニューがあるの? 変よ」

「中華の美味しい喫茶店って、紅茶の美味しい喫茶店よりも面白いだろ?」

「私には何が面白いのかさっぱりわからない」

 皐月は「紅茶の美味しい喫茶店」というフレーズを聞いたことがある。

「昭和のアイドルでしょ。ネットで見たことある」

「皐月君、よくわかったね。じじいみたいだな。たまにはモーニングにおいでよ。懐メロを流しているからさ。百合姐さんのチケット使えばいいよ」

「小学生を相手に営業かけるなんて、マスターも容赦がないね」


 マスターは少し後に真理が頼んでいたホットコーヒーを運んできた。

「お前、コーヒーなんて飲むんだ」

「眠気覚ましにカフェインを取ろうと思って飲み始めてみたの。今までは緑茶だったけど、コーヒーを飲んでいるうちに好きになっちゃった」

「コーヒーってさ、香りはいいけど、味なんて苦いだけじゃん」

「皐月ってインスタントコーヒーしか飲んだことがないでしょ? コーヒーは豆や挽き方や淹れ方によってだいぶ味が違うよ。家で自分でもいろいろ試しているけど、結構奥が深いよ」

 真理は一人で留守番を任されていて、そのうえコーヒーまで飲める。皐月はなんだか人として負けたような気がしてきた。

「ふ〜ん。じゃあちょっと飲ませてよ。ここのコーヒーって美味しいんだよね?」

「食事前に飲んだらその炒飯、不味くなっちゃうよ。コーヒーはお茶と違って、ご飯を食べながら飲むようなものじゃないから」

「いいじゃん。ちょっとくらい飲ませろよ」

「じゃあ、私はその餃子をもらうね」


 真理が大人ぶっているのが(しゃく)に障る。それにコーヒーなんか飲まなくても、カフェオレにすればいいのにと思う。コーヒー牛乳なら給食でも出るし、ミルメークだって美味しい。

「あれ? 苦いけどちょっと美味しいかも。家のコーヒーと全然味が違う。砂糖を入れないで飲むんだ」

「苦みと甘みが混ざるのは苦手だから、私はブラックしか飲まないよ」

「……そっか、甘くしないから美味しいんだ」

 皐月は小さい頃から喫茶店の匂いが好きだった。その香りがコーヒーだと知ってからコーヒーに興味を持った。

 母にコーヒーを飲ませてくれと頼んでもずっとダメだと言われ続けてきた。家にあるインスタントコーヒーや自販機の缶コーヒーを飲んでみたことがあるが、今まで一度も美味しいと思ったことはなかった。でも、パピヨンのコーヒーは美味しかった。


 皐月がもう一口飲んでいる間に真理は餃子と炒飯を目いっぱい口に頬張った。

「お前、食い過ぎだ!」

「あ〜、コーヒーを飲む前の炒飯は美味しい。あんた、さっき私のサンドイッチの一番美味しいところ食べたでしょ?」

「そういうことじゃなくて、量の問題だ!」

 急に自分のご飯が惜しくなり、皐月は真理から餃子を取り上げて食べた。

「うわ、不味っ!」

「バ〜カ」

 真理がゲラゲラ笑っている。真理は学校では全く笑顔を見せないので、皐月は久しぶりに真理の屈託のない顔を見られたことが嬉しかった。


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