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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第1章 夏休みと子供時代の終わり
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38 お座敷前の芸妓

 新しい家族四人で朝食を終えた後、藤城皐月(ふじしろさつき)は自分の部屋に戻り、明日からの新学期に向けて、幼馴染の栗林真理(くりばやしまり)がやり残した宿題に取り掛かった。

 まずは眠気眼(ねむけまなこ)で完成させた自由研究にミスがないかを確認しなければならなかった。徒労に終わるかもしれないが、真理が描こうとしている交通安全のポスターも、代わりにやるつもりでアイデアを練ろうと思っていた。

 及川祐希(おいかわゆうき)は母親たちが家事を終わらせた後、三人で喫茶パピヨンでモーニングに行った。祐希はその後、高校の友人に会いに出かけるという。お昼は友達と食べてくるので夕方まで帰ってこないらしい。


 皐月は祐希や母たちと一緒にモーニングには行かず、午後から真理に会いに行く準備をしていた。好きな音楽を聴いていても耳に入らないほど集中して、自由研究のチェックをした。宿題の提出は手書きでなければいけないので、本文はベタで印刷して、画像は別にまとめて印刷した。

 自由研究の準備が終わり、音楽を消すと我に戻った。

 皐月は自分は真理と会うのに、祐希が友達に会いに行くことで、置いてきぼりを食らったような思いが湧き上がってきた。これが被害妄想だということはわかっているが、子供の頃から一人ぼっちは慣れているはずなのに、寂しかった。


 交通安全のポスターは無難なものにしようと考えていたが、すぐにつまらなくなって、自分の趣味を前面に出したくなった。

 ポスターは『自転車も止まれ』というタイトルにした。題字を静脈血を連想させる暗褐色を使って指で描いてやろうと思った。事故死なら動脈血の鮮紅色を使うべきだが、見慣れた静脈血の色の方が恐怖心を喚起させる。

 絵のコンセプトは友達を事故で失った少女にしようと思った。「止まれ」の規制標識の根元に花が供えてあり、女の子が手を握りしめてうつむき加減に立ちすくんでいる。

 皐月は絵を描く時の手が早いので、1時間もかけずに絵を完成させた。背景に色を塗りたくなかったが、学校の宿題では手抜きと思われそうなので、背景は限りなく白に近い紫の単色で塗りつぶすことにした。背景を消すのは対象を抽出する意図があるので、薄い色を塗ることでギリギリの妥協をした。隠喩の効いたいいポスターになったような気がした。


 昼食は母の小百合(さゆり)と祐希の母の頼子(よりこ)と三人で素麺(そうめん)を食べた。頼子に夕食の希望を聞かれ、皐月はカレーをお願いした。

 この日の夜は小百合と真理の母の凛子(りんこ)が同じお座敷に呼ばれているので、頼子と祐希と皐月の三人で夕食を食べることになる。小百合は検番(けんばん)で凛子と一緒に稽古した後、豊橋の宴席へ向かう。今日は近場だから皐月が寝る前に帰って来られそうだ。

 昼食後、皐月は真理にメッセージを送った。さすがにもう起きていたようで、すぐに返信が来た。真理が皐月の家まで自由研究を取りに来ると書いてあったが、真理の時間を無駄にさせたくなかったので、自分が真理の家に届けると返した。

 真理の家に宿題をやりに行くと小百合に伝えると、頼子から真理の夕食をどうするかの連絡を入れるようにと言われた。頼子が真理のことを気にかけてくれているのが嬉しかった。


 明日から二学期だというのに昼日中(ひるひなか)の外はまだ暑い。少し歩いただけで汗が出てくるし、日差しを浴びていると頭がぼ〜っとしてくる。

 皐月は豊川駅の東西自由通路のエスカレーターに乗っている途中で差し入れのことを思い出した。昨日の夜、真理に「今度家に来る時はおやつを持ってきて」と言われたのをすっかり忘れていた。今からコンビニまで階段を下りて戻ろうかと思ったが、少し逡巡して買うのをやめた。とにかく暑くて、何をするのも面倒だった。

 真理の住むマンションの部屋の前まで来ると、真理を抱き寄せた時の感触を思い出した。幼馴染というよりも好きな女の子の家を訪ねる感覚になり、インターホンを押す手が少し震えた。


「皐月ちゃん、久しぶりね。暑かったでしょ。さあ、入って」

 ドアを開けたのは真理の母の凛子だった。凛子はお座敷前なのに、すでに綺麗で色っぽかった。

「ちょっと日焼けし過ぎなんじゃない? せっかく色白なのにもったいないな〜」

「凛姐さんも明日美(あすみ)みたいなこと言うんだね」

 皐月は中に上がらせてもらって、応接室のソファーに座った。

「美容液塗ってあげようか。美白有効成分のトラネキサム酸が配合されてるのよ」

「凛姐さんの肌が白くて綺麗なのはトラなんとか酸のおかげ? 真理も肌が白いけど、その美容液使ってるの?」

「あの子ってそういうの面倒くさがるのよね。そのくせ美容液を使わなくても白いから羨ましい。引き籠りだから日焼けしないだけって……」


「私のいないところで何の話してんのよ」

 チュール袖の白Tシャツに黒のラインレギパンという部屋着で真理がやってきた。

「俺の顔が黒くて真理の顔が白いって話だよ」

「冬になったらいつも皐月の方が白くなるじゃん」

「真理も少しは外に出て日焼けしろよ。昭和のアイドルは小麦色の肌が健康的って言われてたんだぜ」

「ジジイか、あんたは」

 喫茶パピヨンでモーニングを食べていると昭和歌謡に詳しくなる。マスターの影響で、ネットで動画を見るようになった。

「皐月ちゃん、何か飲む?」

「コーヒー淹れてあげようか」

 真理は本当にコーヒーにハマっているようだ。

「暑いからお茶がいい。凛姐さん、冷たい緑茶ってある?」

「ペットボトルの『伊右衛門特茶』ならあるよ」

「あれ高いじゃん! 特保だよね」

「ケルセチン配糖体が脂肪分解酵素を活性化させるのよ。ダイエット効果があるかもね」

「じゃあ私も特茶でいい。私だけコーヒー飲んだら、口臭が気になっちゃう」

 口臭なんて気にしなくてもいいのにと思った。真理はまわりに合わせてしまうところがある。

「凛姐さん、さっきから難しい専門用語ばかり言ってるけど、そういうの詳しかったっけ?」

「明日美の影響よ。あの子、健康オタクみたいなところあるから」


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