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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第1章 夏休みと子供時代の終わり
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14 新しい生活の始まり

「あんた、明日美(あすみ)に会った?」

 藤城皐月(ふじしろさつき)小百合(さゆり)に怪訝な顔で話しかけられた。

「うん」

検番(けんばん)に寄ったの?」

「うん。さっきまで検番にいたけど、なんでわかったの?」

「あの子の匂いがする」

 皐月に緊張が走った。皐月に緊張が走った。明日美の匂いに母が気付いたようだ。明日美に抱かれ、キスをされていたことを母に知られるわけにはいかない。

 皐月はこの日、入屋千智(いりやちさと)と出会い、その直後に明日美とも会った。今は及川祐希(おいかわゆうき)が目の前にいる。

 千智に対しても明日美に対しても、今までに感じたことのない不思議な気持ちになっていた。そして、祐希にも同じ感情が芽生えていた。皐月は明日美と会っていたことの後ろめたさよりも、この涙が溢れそうな今の精神状態を誰にも気付かれたくなかった。


「明日美、検番にいたんだ。元気そうだった?」

「まあ、元気っちゃあ元気だったけど、明日美がどうかしたの? 変なこと聞くなぁ」

「あの子、ずっと病気で休んでいたの。……そうか、元気になったんだ。……よかった。あとでメッセージ送っておこうかな」

 小百合の反応が気になった。皐月は母が芸妓(げいこ)仲間のことをここまで心配しているのを見たことがなかった。

「ねえ、明日美って何の病気だったの?」

「ああ……あんたは知らなくていいよ」

「なんでだよ……」

 皐月はこれ以上詮索できなかった。小百合に突き放された時はこれ以上、何を聞いても無駄なのだ。だが、これで明日美と会っていたことをこれ以上聞かれることはない。明日美の病気も気になるが、今は自分が安全になったことにホッとした。


 及川頼子(おいかわよりこ)の部屋の荷物の少なさは、段ボールの数を見れば皐月にもすぐにわかった。本当にこれで全部なのかと思うと、頼子がここに来る前に、いかにたくさん物を捨ててきたのかがわかる。

 皐月は部屋の片付けを命じられた時、物を捨てるということに考えが及ばなかった。もったいないと思ったのだ。そして、部屋が狭くなることへの不満ばかりを感じていた。

「何か片付けで手伝えることってある?」

「特にないよ。もうすぐ終わるから」

「気を使わせちゃってごめんね」

 頼子の言葉が皐月には辛かった。謝るのは自分の方だと思った。気を使わなければいけないのは、頼子ではなく自分の方だ。


「祐希さんの部屋の片付け、手伝いましょうか?」

 皐月は慣れない敬語を使って、何か祐希の力になりたいことを伝えた。

「私の部屋はもう終わってるから大丈夫。それに私に敬語なんて使わなくてもいいよ。祐希って呼び捨てにしてくれてかまわないから」

 祐希の笑顔を初めて見た。陽が傾き始め、この部屋は暗くなりかかっていた。照明がついていないのに、祐希の顔が輝いて見えた。

「いやぁ〜。さすがに初対面の高校生を呼び捨てになんてできないっス」

「何よ、その『できないっス』って。気持ち悪いな〜。あんた普段はそんなこと、言わないでしょ」

「うるさいな〜」

 小百合と頼子に笑われた。祐希も楽しそうに笑っていた。敬語のつもりが変な言葉になってしまい、バカみたいで恥ずかしかった。皐月はどう話したらいいのかわからなくなった。

「私も明日美さんみたいに呼び捨てにされるくらい仲良くなりたいな」

「そんなの……なれるに決まってるじゃん」

 祐希の過剰な親しみに皐月は戸惑った。どうしてこんな言葉をかけてくれるのか。これは本音なのか、それとも配慮なのか。

「俺、晩飯まで外で遊んでくる」

「暗くなる前に帰ってきなさい。今日はお寿司を取るからね」

「マジで? 超豪華じゃん!」

「そりゃ引越祝いだからね」

「たくさん頼んでおいてよ。特にサーモン。あとカルビ。俺いっぱい食べるから」

「はいはい。でもカルビはないな〜。回転寿司じゃないから」


 頼子の部屋を出て隣の部屋に入ると、昔の皐月の部屋はもう祐希の部屋に変わっていた。皐月は引っ越しがあったことを一瞬忘れていた。(ふすま)一枚隔てた奥が皐月の部屋だ。

「あっ、ごめん。勝手に入っちゃって」

「私の部屋なんか通り抜けてもいいよ。皐月君の部屋、この奥だもんね」

 祐希の部屋は物が少なくすっきりとしていた。皐月の部屋との境になる襖には何も置かれていなかった。

「襖を開けられるようにしてくれたんだね」

「家具で塞いで壁にしちゃったら風通しが悪くなっちゃうでしょ。声をかけてくれたら、いつでもこの部屋に入って来ていいよ」

 皐月の部屋には襖に沿ってベッドが置いてある。襖を開けてベッドに座れば、いい感じでソファーのように使える。祐希の部屋にはベッドがなく、毎日押入れから蒲団を上げ下げするようだ。

「祐希さんもトイレ行く時とか僕の部屋通ってもいいよ。こっちからの方が近いし、夜は廊下が暗いくて怖いからね」

「ありがとう」


 皐月は自分の部屋に置いてある縫い目のあるゴムボールを手にとって、階段に近い出入り口から部屋を出ようとした。

「ねえ、皐月君。私も一緒に外に行っていい?」

「うん。いいけど……」

 皐月は意外な言葉に驚いた。こんな展開になるとは思わなかった。

「私、まだこの辺りのこと何も知らないから、案内してもらえると嬉しいな」

「僕が案内できる所なんて碌なところがないよ」

「何それ? そんなこと言われるとかえって楽しみだよ。それに『僕』ってかわいいね。さっき自分のこと俺って言ってたじゃない」

 祐希に突っ込まれたくないところを突っ込まれた。

「時と場合によっては言い方を変えることだってあるさ。祐希さんが皐月君なんて呼ぶから、こっちだってつい僕って言ったんだ」

「皐月君が祐希さんって呼ぶんだったら、私も皐月君って呼ぶしかないでしょ?」

「あ〜っ、なんかずるい言い方だな。じゃあ祐希って呼ぶから、俺のことも皐月って呼んでくれよ」

「オッケー、皐月。なんか姉弟みたいだね」

「俺、支配されちゃったのかな?」

 こうして笑い合っていると、皐月にはさっき祐希に見た影のようなものが気のせいに思えてきた。


 下に降りる前に頼子の部屋に寄り、小百合からお小遣いをもらって祐希と一緒に外に出た。

 暑さも和らぎ、風向きも変わっていて、プールにいた時よりも過ごしやすくなっていた。松の木の木漏れ日に照らされた祐希の姿は部屋で見た時とまるで別人のように眩しかった。


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