12 美しい芸妓
藤城皐月が検番の二階の稽古場に上がっていくと芸妓の明日美がビデオで撮影しながら何かの振り付けの練習をしていた。
皐月は邪魔にならないよう、部屋の隅に座って明日美の背後から舞を眺めていた。明日美の美しさを目の当たりにすると、記憶の中でさっきまで一緒にいた入屋千智のことが霞んでくる。
明日美は皐月の知る限り最も美しい女性だ。テレビなどで見る芸能人の方が実際に会えば綺麗なのかもしれない。だが画像や映像だけではその人の持つ実際の美しさはわからない。近くで直接見て初めてその人の持つ魅力がわかる。
練習がひと段落した時を見計らって、皐月は明日美に近づいた。
「あれ? 皐月?」
「皐月だよ」
「何、久しぶり!」
明日美が抱きついてきた。皐月はこの抱擁が欲しくて明日美に会いに来た。明日美に抱かれると、大人の女の匂いで軽く意識が飛びそうになる。
「背、伸びたね。もうすぐ抜かれそう」
「育ち盛りだからね」
「ちょっと真っ黒じゃない。それじゃ日焼けし過ぎだよ。焦げてんじゃないの?」
明日美がケラケラと笑っていた。明日美は人前ではめったに笑わない。こんな笑顔は自分しか見たことがないかもしれない、というのが皐月のひそかな自慢だ。
「せっかく色白なんだから、ちゃんとケアしないとシミになっちゃうぞ」
「どうせすぐに白くなるし、気にしてないよ」
「ダメだよ。勿体無いでしょ。もう、バカだな〜」
「何だよ、バカって。うっせぇなぁ」
「皐月はバカでかわいいな〜。チューしてやるよ」
皐月はこうして明日美にかわいがられるのが大好きだ。明日美は他に人がいるところで決してこんなことはしてこないので、これは二人の秘密だと思っている。
「今日ね、うちに新しいお弟子さんが来るんだ」
「さっきお母さんから聞いた。寿美姐さん以来だね、住み込みの人って。家が賑やかになるね」
「まあそうなんだけどさぁ……」
「何? 百合姐さんと二人だけの方が良かった?」
「そうじゃないけどさ……。なんかお守をつけられるような気がして、ちょっと複雑な気分なんだ。俺ってそんなに信用ないのかな?」
「皐月はまだ小学生だから仕方がないでしょ。アメリカじゃ13歳未満の子どもに一人で留守番させるとネグレクトにされちゃうからね」
「ここは日本だし。ところでネグレクトって何?」
「育児放棄。虐待の一種だね」
明日美は皐月が相手でも時々難しい話をする。子ども扱いをするかと思えば、大人同然の扱いもする。皐月にとって明日美との会話は刺激的だ。
宴席で客と会話ができるよう、明日美は毎日新聞を欠かさず読んでいるという。新聞以外にも本をよく読むと母から話を聞いている。
「虐待なんて全然。俺はママに思いっきりかわいがられてるよ!」
「わかってるって。でも、百合姐さんは皐月を家に一人にさせていることを気にしてるから」
「俺なら平気なのにな。家の事なら何でもできるし、料理だってできる。いつも仕事先からビデオ通話がかかってくるから、ウザいくらいだ」
「そういうこと言うな。百合姐さんも寂しいんだから。姐さんって人気あるのに仕事セーブしてるの知ってた?」
「何、それ?」
「かわいい皐月ちゃんと一緒にいたいって、時々お座敷を断っているんだよ。特に私との仕事とか」
「えっ? 俺のせいで仕事できないの?」
皐月は母から、頼子が家に来てくれたら仕事を増やせる、という話を聞いていた。その話を聞いた時は意味がよくわからなかったので、うっかり聞き流してしまった。
「ん〜、ちょっと違うかな。百合姐さんは仕事を選んでるだけ。私と一緒に出張しちゃうと、その日は向こうで泊りになっちゃうから嫌なんだって。百合姐さんは皐月のいる家に帰りたいんだよ」
明日美の話を聞き、皐月は瞬時にいろいろなことを考えた。だが、情報量が多くて頭がぼ〜っとしてきた。
「もっとも仕事を選んでいると言うよりも、単に私と一緒にお座敷に上がりたくないだけかもしれないけどね。私は百合姐さんに嫌われてるから。愛する皐月ちゃんを取られちゃうんじゃないかって、警戒されているのかもね」
「そんなことないよ。ママは明日美のことすごく褒めてるから」
「本当? そんな風に言ってもらえてたら嬉しいな。私、百合姐さんのこと尊敬してるから」
「そうなの? ママのこと、尊敬してるんだ」
「百合姐さんはね、お客の扱いがとても上手なの。私はそういうの苦手だから、百合姐さんってすごいな〜っていつも思う」
皐月は母からお座敷での明日美のことを聞いたことがある。明日美は美人だから客受けがいいけれど、くだけた話題になると上手く客の相手ができないらしい。だから、いつも自分がフォローしなきゃいけないから大変だと言っていた。
明日美はその時の百合の大変だという感情を読み取っているのだろう。だから、明日美は母に嫌われていると誤解をしているのかもしれない。
「明日美に俺のことを取られたくないとか、そんな話は聞いたことがないな……。ママは俺にガールフレンドができたら喜ぶんじゃないかな」
「同じ年頃の女の子が相手なら喜ぶかもしれないけど、相手が私みたいな芸妓じゃ、百合姐さんだって怒るよ」
「俺は明日美が恋人だったら最高なんだけどな……」
「嬉しいことを言ってくれるね。ありがとう」
明日美は笑いながら皐月を抱き寄せて、頬に軽くキスをした。明日美の胸の中でゆさゆさ揺すられているうちに、皐月は気持ちよくなってきた。
「そういや高校生の娘が来るんだってね。皐月、私以外の女を好きになったら、絶対に許さないからね」