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はじまり

 その日、僕は膝を抱えて学校の隅に座っていた。

 別に、いじめにあったとか、クラスで浮いているとか、そういうわけではなかった。

 ただ、四月から始まった新しい生活に、心が追い付いていないだけだった。

 グラウンドの端、ネット越しに土色の大地を眺める。砂埃が舞う。陸上部の生徒が駆け抜けていく。

 枝が揺れて、時々強い日差しが降り注ぐ。まぶしさから顔を俯かせる。

 部室棟の壁の横に隠れるように座りながら、目の前の光景から目をそらすように膝を抱える。両ひざの間に顔をうずめて、そっと目を閉じようとして。

 その時、視界に影が落ちた。

「……なぁ、人を救うことに興味はないか?」

 その言葉に、不思議と顔を上げていた。

 そうして僕は、その人と出会った。この学校の生徒会長にして、イケメン先輩こと須藤(すどう)篤紀(あつき)。中学三年生の彼との出会いが僕を変えるなんて、この時はまだ思ってもいなかった。


 いわれるがまま、会長の後についていった。何となく、あの場所に座り続けるのも居心地が悪かったから渡りに船だった。

 陰で膝を抱えていた僕の前を通り過ぎる生徒が、たまに「うおっ」などと悲鳴を上げるのだ。そんなに僕の気配はなかっただろうか。まあ、建物の影で膝を丸めて座っている人がいきなり視界に飛び込んでくれば仕方がないかもしれない。

 野球部の掛け声を聞きながら、僕はグラウンドを離れる。

 グラウンドを囲むように存在するコの字の建物は、東館と西館、それから北館。グラウンドの南側にあるのに北館なのは、そのさらに北にもう一つ建物があるから。そこは職員室などがある北館、あるいは本館と呼ばれる建物だった。

 職員室や生徒会室、あとは保健室や三年生の教室が入っている。まだ保健室を訪ねたこともないし、本館はどこか場違いな感じがして少しだけ足を踏み入れるのをためらった。

 案内されるままに向かったのは、当然というか生徒会室。職員室の目と鼻の先にある部屋だ。ああ、でも間に生徒指導室という小部屋があるから言うほど近くはないかもしれない。

 建付けが悪いんだよな、などとぼやきながら会長が扉の鍵を開ける。その背に続いて、そっと部屋に踏み込む。

「……失礼します」

「そんなに固く並んでもいいぞ。今日は俺しかいないからな」

 そういいながら、会長は人差し指でくるくると鍵を回す。その指からすっぽ抜けた鍵床を転がり、チャリンと音を立てた。

 無言がひどく痛かった。

 ガシガシと髪を掻いた会長がよっこいしょ、なんて言いながら鍵を拾い上げて壁のフックにかける。

 そうしてあたらめて両手を広げた。

「ようこそ、俺の城に」

「あ、はい。お邪魔してます」

「本当、硬いなぁ。もっと気楽にいこうぜ」

 苦笑を浮かべる顔も様になっていた。さすが、学校一のイケメンと言われているだけある。鋭い目と整った眉、すらりとしたあごのラインは左右でわずかな差もなく、鼻梁はぴんと立っていて、唇は薄い。顔のパーツすべてが黄金比を描くような完璧な配置をしており、どこか神々しさを感じる。

 たぶん、劣等感を刺激されているせいで一層イケメンに見えるのだと思う。僕はお世辞にも顔が整っているほうではないと思う。

 どっかりと椅子に腰を下ろした生徒会長は、僕なんていないようにポケットから取り出したスマホを触り始める。漏れ聞こえる音からして、たぶんゲームをやっているみたいだった。

 スマホの持ち込みが許可されているとはいえ、校内では使用を控えるように言われているはずだ。会長が触っていていいんだろうか。

「……おぉ?とりあえず座れよ」

 視線に気づいた会長に言われて、手近な椅子に座る。

 生徒会室と聞いて身構えていたけれど、入った先にあったのは会議室のような部屋だった。中央に長椅子が二つ横に並んでおいてあって、それを取り囲むように六脚のパイプ椅子があった。机の上には数枚のプリントとファイル、そしてパソコンが一台。伸びるコードの先にはコンセントと、大きな棚が二つ。備品が詰め込まれた棚と、たくさんのファイルが並ぶ棚。そのあたりは少しだけ生徒会室らしい気がした。

 部屋の広さは普通の教室の半分にも満たない。つまり狭い。

 そんな“城”の主であるところの会長は、しばらくスマホゲームをやってから顔を上げた。

 窓から差し込む夕日を背負う会長は、後光を浴びているようで、のどまで出かかった言葉は、引っかかって思うように出てこなかった。

「……聞きたいことがあるならどんどん聞いてくれ。正直、最初から最後までしっかり説明するのは疲れるんだ」

 ちらと壁の方に視線を向ける会長に倣って、僕もその先を見る。時計にかかった壁は、下校時刻まであと三十分のところを指していた。

 聞きたいこと……そう意識すれば、するりと言葉は口から出てきた。

「あの、人を救うって、どうするんですか?」

 そうだ、あの言葉が、僕をここへ連れてきた。会長に黙ってついてきたのは、あの一言を聞いたからだった。いtもの僕だったら、たぶんその場でへこへこと頭を下げて逃げるように帰っていた。

「ああ、これだよ、これ」

 言いながら会長が突き出してくるのは、先ほどまでゲームをしていたスマホ。画面には僕も知っている最近はやっているゲームのUIが映し出されていた。つまり、ゲームの中で人を……登場人物を救ってこと?

 途端に肩の力が抜けた。逆光の中でまじめな顔をしている会長が道化のように見えた。そんな顔して、ゲームで人を救おうって……頭、大丈夫だろうか?

 目を細めた会長があきれたように僕を見てくる。

「お前、今変なこと考えただろ?」

「その、ゲームで人を救おうってそんなまじめな顔で言われたら、この人大丈夫かなってなりますよね?」

 あ?と訝しそうな声を出した会長が画面を見て慌ててゲームを消す。それから再度突き出されたのは、スマホといえば、という機能の画面。

 つまり、電話画面だった。

「……電話、で、人を救う?」

「別に人を救ってほど高尚なものじゃないけどな」

 言いながら、会長はちらと扉の方を見る。それから僕の手招きしながら机に顔を乗り出す。わずかに、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 僕もまた机に手をついて顔を乗り出す。片耳を突き出せば、ささやくように会長が告げる。

「うちの生徒会には、教師には知られてない裏業務があるんだよ」

「……やばいやつですか?」

「まさか。普通に合法だ。でもまあ、昨今のプライバシーとか個人情報とかを考えるとあんまり声を大きくして話せないようなことではあるかもな」

 途端に怖くなってきてそのまま逃げだそうとしたけれど、残念ながら会長は逃がしてくれなかった。

 テーブルについていた手を握られた僕は逃げることができず、黙って会長の話の続きを待つ。がっしりとしたその手は、僕の細い腕では振りほどけそうになかった。

「……それで、その裏業務って何をやってるんですか?」

「電話業務だ。希望した生徒に電話を送って、相手を励ます。それだけだな」

 そんなことをしているなんて知らなかった。

 電話ということは相手がいるということだし、よく先生にばれないものだと思う。秘密が漏洩しないほどに、生徒が大事にしている、ということだろうか?

 電話……この会長から、電話。電話越しに、エールをもらうわけか。女子がたくさん集まりそうだ。

「女子生徒ばっかりですか」

「お、気になるか?けどまあ、男女の比率は半々ってところかな。うちの副会長もやり手だからね」

 言われて、凛とした立ち居振る舞いの三年生の顔を思い出した。

 西願寺……誰さんだっただろうか。副会長の西願寺さん。つややかな黒髪を一つに縛った、武道家みたいな雰囲気の人。背丈は高くて足は長いし、顔も整っている。胸もあって、同じクラスの男子が下種な話をしていたことを思い出した。

 副会長に励ましの電話をもらえるなら、応募する男子は多いだろう。僕は……なんか励まされても言外に叱られているみたいで嫌だ。でも、あの凛とした声で囁かれたら副会長のことが好きになってしまうかも……ないかな。

「忙しいやつだな」

「え?」

「百面相しやがって。どうせ彩夢(あやめ)のことを想像したんだろ」

 ああ、そうだ。西願寺彩夢副会長だ。まあ名前はどうでもいいや。

「そうですけど、違いますよ」

「何が違うんだ。考えていたんじゃねぇか」

「副会長が電話をしてくれるなら電話を希望する男子も多そうだなと思っただけです。たぶん、励ましなんていらないような人も希望しますよね?」

「あー、まあほとんどないぞ。必要だと判断される相手にしか広めないように言ってあるからな。自分の時間が減るっていわれちゃあわざわざ他人に話そうとは思わんだろ。ただまあ最近そろそろ手一杯になってきてな。で、増員というわけだ」

 僕の鼻先にスマホの角が突き付けられる。……つまり、僕にそれをやれと。たぶん女子相手に――

「無理無理無理無理、無理ですって!」

「何度無理っていうつもりだよ。とりあえずやってみりゃいいじゃねぇか」

「いや、でも……」

「こいつか?あー、なるべく初のやつのほうがいいか?だとすると……同じ一年にすっか?」

 ぶつぶつ言いながら電話帳をスクロールしている。あのスマホを紛失したら大変だろうな。そもそも、そんなに電話をかけて料金は大丈夫なんだろうか。裏業務って言っていたし、生徒会の活動費から払うわけにもいかないよね。まさか、自腹。

 途端に会長が訳の分からないもののように思えてきた。

 しばらくして、会長は近くにあった紙に電話番号の一つを書き留める。

 それは、実に都合のいいことにその裏業務のテンプレートが書かれた紙だった。

 ……つまり、会長は増員候補を探して学校を歩き回っていて、運よく僕を拾ったと。

 僕は火に飛び込んだ夏の虫だったみたいだ。

「ほら、とりあえずそこから適当に選んで相手に話かけろ。特に相手の事情を知らなくたって構わんからやれ」

「え、でもこんな――」

「や・れ」

 恥ずかしいという言葉は、会長のいい笑顔にかき消された。からかうようなその笑みと勢いに飲まれて、僕にはそれ以上否定の言葉を口にすることはできなかった。

 手渡されたテンプレートには、恥ずかしい言葉が並んでいる。こんな言葉を、今から見ず知らずの同級生の女の子に言うの?

 正気じゃないと思った。そうだ、僕は正気じゃなかった。

 ただ、会長の空気に、場違いな生徒会という場所に、そして下校時刻十五分前を告げる放送に飲まれた。

「あの、スマホは」

「自分ので掛けろ。あ、請求はしてくれるなよ。今後業務を続けることになるなら契約を変えてこい」

 無茶苦茶だ。そんなお金はないしに、母さんになんて話せばいいかわからない。そもそも校則違反じゃ――

 でも、僕は気づけばポケットからスマホを取り出していた。これは人を救うため、頑張るための力をあげるため。これは善行だ、校則違反だからなんだ。

 スマホに、震える指で番号を入力していく。誰の番号かもわからない相手のもの。この電話をかけた相手に、励ましの言葉を贈る……できるの?僕にそんなことが、本当に?

 コール音が鳴り始める。画面を耳にあてる。スマホを握る手がじっとりと汗で湿っていた。

 コール音が止まる。誰かが、電話に出る。

『……もしもし』

 その声に、背筋に電流が走ったような感覚を覚えた。

 聞いたことがある気がした。クラスメイトだろうか――そんなことを思いながら、僕は完全に思考停止に陥っていた。

『あの?』

 訝し気な声が電話の向こうから聞こえてくる。きちんと作った声。教室でバカ騒ぎしているような声じゃない、楚々としたもの。その声に、腰砕けになりそうだった。

 目の前、会長がバシバシと僕の手の中にある紙を指でつつく。「は・や・く・い・え」口がそう動く。

 必死で紙面を文字で滑らせる。最初は――

「あの、生徒会です!頑張ってください!あなたならきっとできます!」

 それが限界だった。震える手から紙が落ちる。通話を切ろうと、画面に指を伸ばして。

『ありがとう、ございますっ』

 万感の思いのこもった声に、今度こそ僕は動けなくなった。

 本心からの声だった。励まされたと、頑張れそうだと、心からそう告げていた。それが、電話越しでも伝わってきた。

 たった二言三言。それだけだった。それだけで、僕は電話の向こうの彼女の心を動かした。僕が、彼女に力を与えた。彼女の力になれた。

 体の中で、言葉にならない感情が暴れていた。

 電話は、向こうから切れた。呆然と、暗くなった画面を眺めていた。

「どうだ、やる気になるだろ?」

 その言葉に返事を返せず、僕はよろよろと床に落ちたテンプレートを拾って。

 そこに並ぶ無数の恥ずかしい言葉に、我に返った。

「あ、あの、やっぱり無理です!」

「はぁ!?あ、おい、ちょっと待てや!」

 待てと言われて待つはずがない。会長に紙を押し付け、スマホを握ったまま全力で扉へと走った。けり破るように外に出れば、ちょうど前を通りがかった先生と目が合った。

「すみません!」

 自分でも驚くほどの声量が出た。先生の目が点になる。おかげで、生徒会室から飛び出してきたこととか、手にスマホを持っていたということは先生の頭の中から吹き飛んだみたいだった。

 横を通って、土間へと走る。そのまま外に出て、鞄を置いてある教室へと走る。

 もう下校時刻もまじか。このまま逃げ切るんだ――僕はただそれだけを考えて少し色あせた五月頭の空の下を走った。


 朝の教室。

 登校してきた小学校以来の友人と機能のテレビの話をしながら、僕は時々クラスのあちこちに視線を向けた。

 電話の相手を探していた。昨日、僕が励ました相手、彼女がどうなったのか、僕が成した結果を、見たかった。

 電話越しに聞こえてきた心からのお礼の言葉、その余韻が、まだ僕の中に残っていた。

 斎藤さん――違う。中村さんは、違う。樋口さんは、たぶん違う。綾瀬さん……違うと思う。星崎さん、も違うんじゃないかと思う。梶野さんはどうやったって昨日のような声を出せるとは思えない。

 ちらちらと女子に視線を向け、話し声に耳をそばだてながら昨日の声と照合する。

 客観的に見て、僕はひどく気持ち悪いやつだった。女子の話を盗み見するどころか、その相手の秘密を探ろうとしているということに、強い罪悪感と、どうしようもない興奮を覚えていた。

 ……自分で考えていて、ないなと思った。

「今日は落ち着きがないな?トイレか?」

「うぇ?……違うって。ただなんか落ち着かなくて」

「落ち着かないねぇ……オレたちもこの場を飛び出したくなる年齢だからな」

「盗んだバイクで走りだしたくなるってもんだな……原付の免許もまだ取れないけどな」

「尾崎豊だっけ?」

「そうそう。母ちゃんが好きなんだよなぁ。おかげで時々頭の中でぐるぐる尾崎が歌いだすんだ。たまに発狂したくなるぞ」

「発狂……怖いね」

「もはや洗脳みたいなもんだろ」

 そんな話をしているうちに先生がやってきて朝の会が始まった。

 ずっと、昨日の電話の相手を探していた。あるいは、休み時間なんかに話をするときに、昨日の体験を友人たちに語ってしまいたかった。

 それでも、ギリギリのところで耐えられた。もしあの裏業務をみんなに知られてしまったら、昨日の女の子のように励ましを求めている相手に声が届かなくなってしまう。

 それはだめだと思った。それだけは防がないといけない。

 話したい気持ちをぐっとこらえながら、僕は友人と机をくっつけあって弁当を食べる。今日は母さんの機嫌が悪かったのが、弁当がひどく簡素だった。

 白米とソーセージと冷凍のブロッコリー。これなら僕でも作れる。

 弁当袋をひっくり返してもふりかけの一つも入っていなかった。

 もそもそしたブロッコリーを咥えたその時、ふと教室の外で黄色い歓声が上がった。

 嫌な予感がした。けれど、逃げ出すのは少しだけ遅かった。

「おーう、この教室に紺野蛍はいるか?」

 がらりと前方の扉を開いて、今一番見たくなかった相手が顔をのぞかせた。生徒会長。イケメン須藤先輩の出現に、クラスの女子たちが色めき立つ。あの中に、昨日の電話の相手がいるんだろか。昨日の僕の言葉を、会長からの電話だと思ったからあれだけ喜んでくれたんだろうか。

 ……それは、なんだか嫌だな。

 ぐるりと教室の中を見回した会長を目が合う。ニヤァ、とその唇が弧を描いた。

「なぁ蛍、お前何やったらあの会長に目を付けられるんだよ?」

「……さぁ?」

「さぁ、じゃないよなぁ?ちょっと一緒に来てもらうぜ?」

 有無を言わさずに首根っこをつかんで来る。そのまま、勢いよくつかみあげられる。

 首がしまって声が出せない。助けを求めるように手を伸ばそうにも、左右の手にはちょうど弁当箱と箸を持っていた。

 薄情な友人たちは憐憫の目で僕を見て、それからそそくさと体を小さくして昼食に戻った。

 苦しいと訴えれば、会長は首の後ろの代わりに僕の腕をつかんで再び引きずり始めた。ギリギリお尻がつかないくらい。

「……あの、自分で歩けますから引きずらないでください」

「いや、また逃げ出すかもしれないだろ。今日は逃がすかよ」

 それよりもまず、弁当とかを置かせてほしい。

 弁当と箸を持ったまま会長に引きずられる僕はさぞ滑稽に見えただろう。会長が廊下を曲がる。その先には階段がある。さすがにそこでは離してくれるんじゃないか――少しの期待を胸に角を曲がって。

 その先にいた女子生徒と目が合った。一瞬誰かわからなくて、けれどすぐに思い出した。

 もえちゃんだ。保育園が同じだった女の子。小学校は別だったから久しく会ったこともなかったしすごく驚いた。昔はよく一緒におままごとをして遊んだ。無理やりおままごとをさせらえたんだ。まあ、室内で一人で絵ばっかり描いていたから誘いやすかったんだと思う。心なし、保育園の先生も僕がもえちゃんと一緒に遊ぶことに満足しているような空気があった。

 そんなもえちゃんは、わずかに昔の面影がわかるくらいに別人になっていた。大和なでしこみたいだと思った。イメージは日本人形。前髪はまっすぐそろえらえていて、おかっぱ頭。ただ、それが似合うくらいには目鼻立ちがよくて、肌はすごく白く見えた。

 目が合った。彼女は、僕が保育園時代の友人だと気づいただろうか――

「……バッカじゃないの」

 吐き捨てるように告げたもえちゃんが――ううん、紫藤が角の先へと歩いていく。

 僕はただ、衝撃で呆然としていた。おかげで、会長から逃げることも忘れていた。

 せっかくのチャンスだったのに。


 再び、会長と一緒に生徒会室に入った。

 昨日の逃亡のせいか信用されていないみたいで、会長は扉を背もたれにしてもたれかかった。

 足を組み、どっしりと腕を組んだその姿はすごく様になっていた。やっぱり足が長いからだろうか。僕は普通だからうらやましい。

「さて、とりあえずは昨日逃げた言い訳を聞かせてもらおうか」

「その、恥ずかしすぎます」

「あぁ?俺が恥ずかしい奴だって言いたいのか?」

「ち、違います!その、あのセリフが、すごく恥ずかしくて……」

「んなもん慣れだ」

 慣れる気がしない。一体会長はどれだけあんなセリフを口にしてきたのだろう。おかげで、さらっとあの紙にある言葉を口にできるんだろうな。イケメン先輩なんて呼ばれているのは、そういうところが関係しているのかもしれない。

 もし仮に僕がこの裏業務を手伝ったとしたら、僕も会長のように歯が浮くようなセリフを平然と口にできてしまうようになるんだろうか。

 ……それはすごく嫌だ。会長だから似合っているのであって、僕がやっても何にもならない。せいぜい気持ち悪がられるだけだと思う。

「あの、やっぱり僕には無理です」

 眉間に深いしわを刻んだ会長がガシガシと髪を掻く。じっと僕の目をのぞき込んで、やがてがっくりと肩を落として大きなため息を吐いた。

「ったく、仕方ない、か。無理にやらせたっていいことはないからな。まあいいか」

「あの、じゃあもう戻ってもいいですか?」

「いや、まだだ。要件は今ので半分だな」

 がらりと空気を変えた会長が、真剣な顔で僕を見てくる。いつも、行事なんかで見てきた会長らしい会長がそこにいた。そのすべてが僕に向いていた。

 今すぐに逃げ出したくて、けれどその真剣なまなざしが、僕に指一本動かすことを許してくれなかった。

「いいか、電話の相手を詮索するようなことはするなよ。向こうは自分の事情を話したくないし、自分がそういうことを抱えていることだって知られたくないんだ。だから相談できない。それでも心が押しつぶされてしまいそうで、だから励ましの言葉を求めているんだ。絶対に、相手を見つけ出そうとかするんじゃねぇぞ」

「…………はい、わかりました」

「本当にわかってるんだな?」

 念押ししてくる会長に、強くうなずいて返す。会長の言葉には、確かに納得できた。

 弱いところを見せるなんて、僕たち中学生には受け入れがたいものだ。特に親しければ親しいほど、抱えるものを秘密にしておきたい。知られたくない。知られてしまって、憐憫でもされようものなら耐えられる気がしなかった。あとは、家族にそういうことを知られるのも嫌だ。

 思春期な僕たちは傷つきやすくて。けれどそんな僕たちを、この生徒会の電話は救ってくれる。

 ああ、この電話はとても大事が。とても価値がある。もし秘密を暴かれるなんていううわさが立って裏業務がなくなってしまったら残念だと思う。

 僕は、もう探さない。もう、見つけようとしない。

 そういう思いを込めて会長にうなずけば、ようやく理解したと受け取ってもらえた。


 喧騒から遠い廊下を歩きながら、僕は心の中で会長に謝る。

 ごめんなさい。僕はもう、電話の相手を探しませんし、見つけようとしません。

 だって、もう、見つけてしまったから。

 バッカじゃないの――あの声が、頭の中でぐるぐると回っていた。

 全然印象が違う。けれどその声に、僕は昨日の電話の声を重ねていた。

 彼女だと、直観した。なんの根拠もなかった。他人の声の違いを感じながら話しを聞いたことなんてないし、ただの確信。

 でも、彼女だと思った。

 僕の電話の相手は、紫藤萌(もえ)だ。


「……またこんなところにいるのか」

 既視感があった。僕にも、声の主にも。

 聞こえてきた声に、顔を上げる。その先に、あきれを顔ににじませる会長の姿があった。

「なぁ、お前はボッチなのか?それとも根暗か?」

「どっちも違いますし、嫌ですよ。ただ、時々こうして、ぼうっと眺めていたい時があるんです。自然を眺めるのもいいですけど、どちらかというと人の躍動なんかが感じられるほうがいいんです」

「躍動、ねぇ?」

 言いながら、会長が僕の隣に腰を下ろす。長い足を無造作に組んで、膝に肘をついて頬杖を突く。

 ぼんやりとグラウンドで部活動をする生徒を眺める。

 たくさんの掛け声が聞こえていた。ふぁいお、ふぁいお。ファイトー。ナイス!

 張り上げる声を聴いていると、心に彼らの熱が入ってくるような気がする。別に、自分が空っぽの人間だと言いたいんじゃない。ただ、人間関係っていうのはどうしようもなく疲れるものだから、時々こうして気持ちを入れ替えたいんだ。

 そうじゃないと、友情に亀裂を走らせるようなことを言ってしまいそうだった。

 こうして、僕は気力を充電するんだ。ここ最近は会長の一件からよくわからない視線が突き刺さって、力尽きるのが早かった。

「……会長は、今日も人手探しですか?」

「あー、まあそれもある。もう半分は勧誘だ」

「勧誘って、同じじゃないですか」

「逆だ。電話を受けないか、っていう誘いをしてるんだよ。例えばお前みたいに、抱えこんでいるようなやつを見つけてな」

 まあお前ほどわかりやすい奴なんてそうはいないけどな――そう言って会長は笑う。僕はそんなにわかりやすいだろうか。確かに、少し目立っているような気がしなくもない。特に会長が隣に座ってから、ちらちらとグラウンドから視線を感じる。ううん、ちらちらなんてレベルじゃない。視線が痛くてかなわない。

「……早くどっか行ってくれって顔をしてるじゃねぇよ。勧誘だって言っただろ」

「それはつまり、僕に副会長から電話をもらえと?そんなに疲れているように見えますか?」

「疲れているというか、普通にエネルギー切れだろ」

「そう、ですかね?」

「ああ、そうだなら」

 目を合わせもしない。ただ並んでグラウンドを眺めるだけ。けれど、隣に会長がいるということが、事情も聴かずにただそばに人がいるというそのことが、心強かった。自分は一人じゃないなんて、そんなことを思った。

 右前方にある樹木の枝が、風で大きく揺れる。入学の頃にはわずかな花を残していた桜も、今は青々とした葉を茂らせている。

 その葉を透かして、西日が僕たちのところに降り注いでいた。

 目元に差す日差しを手で遮りながら、会長はじっとグラウンドの一点を見つめている。……陸上部のところで、副会長が走っていた。長い髪を揺らしながら、まっすぐに、力強く地面を踏みしめていく。軽やかで、自分を縛るものなんて何一つないとでも言うような、そんな軽快な走りだった。

 ほぅ、と会長が小さく吐息を漏らす。心なし、目がキラキラしている気がした。いや、ギラギラ、だろうか。

「会長、変態みたいですよ」

「俺が変態ならこんなところで一人でじっと女子を見ているお前のほうがよっぽど変態だろ」

「僕は変態じゃありません。それに、見るなら男子のほうがいいです」

「あー、なるほど?」

「なるほどじゃありません。躍動感が好きだって言いましたよね?男子のほうが、こう、生きているって感じがするじゃないですか。力強くて、走っているところとか格好よくて、見ていて楽しいですよ」

「……普通女子を見るよな?目が引き寄せられるだろ」

「普通、これだけ人数がいて、しかもあんな遠くの副会長になんて気づけませんよ」

 ちらと視線を向けてきた会長が、あきれたように首を振る。

「お前だって見てるだろ」

「会長の視線を追って見つけたんですよ。というか、副会長って陸上部に入っていたんですね」

「うちの生徒会は部活動と兼ねても大丈夫だからな。週の半分は俺しか業後の生徒会室にいないからな」

「ああ、つまり会長はぼっちだってことですね。だから校内を練り歩いていると。……暇人ですね。受験は大丈夫なんですか?」

「俺はぼっちじゃねぇ。行く先々で女子から熱い声援をもらう男なんだよ。それに受験は何の問題もない。普段の積み重ねがモノを言うんだよ」

「なんだから先生みたいなことを言うんですね?」

「優等生なんて教師の分身みたいなもんだろ。生徒会長の俺はさしずめ教師のドッペルゲンガーってところだろうよ」

 ドッペルゲンガーうんぬんはともかく、平気でスマホを使っていた会長は優等生ではない気がする。でもたぶん「教師の分身なんだから『スマホ触りてぇ』ってなるのが普通なんだよ」とかどうでもいい返事が買ってくる気がした。

「ドッペルゲンガーって、それじゃあ先生が死んじゃいませんか?」

「死ぬかもな。優等生ばかりに目を向けて、自分の言うことを聞かない生徒にいただって体罰――なんてなったら教師としての死だろ。つまり俺たち優等生は教師を慣れ(死)にいざなう存在だってわけだ」

 上手いこと言った、みたいなどや顔をした会長が立ち上がり、お尻についた枯れ葉をはたく。

「で、どうする?」

「……ああ、電話のことですか」

「いやお前、忘れてたのかよ」

 意外と大丈夫そうだな――そんなことを言いながら、会長は学ランのポケットに手を入れてのっそりとグラウンドの脇を歩いて行った。

 その姿はすぐに部室棟の向こうに消えて、僕はひんやりとするその壁に体を預けてグラウンドを見つめる。

 活力に満ちた生徒ばかり。練習なんて、楽しいばかりじゃない。体をいじめているだけのようなものだし、部活動の人間関係だって何のストレスにもならないなんてことはない。それでも、楽しそうで、真剣で、いいな、なんてことを思う。

 それでも部活動に入る気にはなれないけれど。第一、すでに部活が始まって二週間経っているこんな時期から途中入部なんて嫌だ。

「……はぁ」

 同じ場所で地団太を踏んでいるような自分の思考が嫌になる。活動的じゃなくて、それでいて挑戦している人を羨ましく見てしまう。

 楽をする道に逃げるばかりで、それでもエネルギーが足りなくてこうして一人でいる。

 こんな僕でも、変われるだろうか。もし、変われるのなら。

 それはたぶん、あの電話――

 まるで僕の思考を呼んだように、ポケットの中でスマホがバイブを始めた。

 慌てて立ち上がり、周囲を見回して人気がないことを確認する。会長がいなくなったから、僕に向いている視線もないと思う。

 少しだけ悩んでから、桜の木の陰に入り、グラウンドから見えないようにする。

 それから携帯を取り出して、画面を見て思考が止まった。

 登録されていない電話番号から掛かってきていた。けれど、見覚えがある電話番号だった。

 何しろ、昨日見た番号なんだから。

 出るか、迷って――いたはずだった。

 気づけば僕は通話ボタンを押していた。耳に手を当てれば、昨日のように楚々とした声が聞こえた。

 けれど、電話越しに話す相手の像は昨日とは違う。僕の頭の中には、しっかりと焦点を結んだ紫藤の姿があった。

 少しだけ高い声を意識する。もし彼女が僕の声を聴いても、電話の相手だとわからないように。

「どうしたの?」

『……もう一度、声が聴きたいと思って』

 たったそれだけのことに、心が弾んだ。彼女が、紫藤が、僕を求めてくれている。会長じゃなくて、今ここにいる僕を、求めてくれている。

 そのことに心が熱くなった。彼女の役に立ちたい――そんな気持ちが、心の中でむくむくと膨れ上がる。

「うん……大丈夫だよ。あなたならできる。陰ながら応援しているよ」

 言葉はそんなりと口を出た。あれだけ恥ずかしいと思っていたはずなのに、恥ずかしさなんて感じなかった。

 この僕の一言が、彼女の力になる。そう思えば、恥ずかしがっている場合じゃなかった。

 僕の声が、彼女の力になる。僕が、彼女の力になっている。彼女に活力を与えている。こんな、空っぽの僕が。

 そう思うと、自然と体に熱が満ちていった。お腹の底から、熱があふれる。熱い血潮が全身に流れ出す。

 梢が鳴る。応援の掛け声が響く。それらが電話の向こうに聞こえてしまわないように片手でスマホを覆いながら、極限の集中をもって彼女の言葉を持つ。

『うん、ありがとう、ございます。少しだけ元気が出ました』

 今日は、昨日よりは強い感情はこもっていなかった。けれどそれでも、かみしめるようなその言葉が僕の心を優しく包み込んだ。

 胸が温かかった。あれだけ空っぽだと思っていた心には、すでにエネルギーが満ち満ちていた。

「ありがとう」

『……はい』

 少しだけ、涙交じりの声な気がした。小さくうなずいた彼女が電話を切る。

 しばらく、スマホを耳から離せなかった。

 桜の木に背中を預けて、頭上を仰ぐ。青々とした葉の向こう、どこまでも広がる青空に、今なら飛んでいけそうな気がした。


 それから、彼女は何度か僕に電話をかけてきた。

 そのたびに、僕は彼女を励ました。

 彼女――紫藤さんが抱えているものを、どうしてこの電話を望んだのか、僕は知らない。けれど、それでいいと思った。そんなものがなくても、僕は彼女を元気づけることができる。そして、彼女の言葉もまた、僕を元気続けていた。

 彼女の電話の頻度はまちまちだ。翌日ということもあれば、一週間、長い時には二週間ほど間が空くこともあった。それでも、彼女は僕に電話をかけてきた。彼女が抱えるものがまだ小さくなっていないということなのだと思う。

 それとも、味をしめたとでもいうのだろうか?

 電話越しだから、彼女の顔を見ることはできない。どんな顔をしているのか、声で想像することしかできない。けれど、十回も電話をすれば、何となく彼女の顔が、感情が想像できるようになった。

 紫藤と僕は、保育園児の頃に仲が良かった。成長してすっかり変わってしまったと思っていたけれど、紫藤はあまり変わっていなかった。

 正直者で、周りの人を巻き込んでいろいろとやるタイプで、時々友人関係で摩擦を起こす。

 悲しい時には涙を流し、うれしい時にはつぼみがほころぶように笑う。感情がはっきり出るタイプだった。あと、少しだけ意地っ張りだった。

 そんな彼女だからこそ、なんだかんだと僕は一緒になって遊んでいたのだと思う。自分の思っていることをはっきり伝えてくれるのが、うれしかったのだ。もじもじして本音を言えないような僕にとって、彼女がまぶしくて、理想で、そして尊敬すべき友人だった。

「……今日も、言い出せなかった」

 ベッドに体を投げ出しながら、暗くなった画面を見つめる。うっすらと僕の顔が映るそれは、ついさっきまで紫藤とつながっていた。紫藤は、電話をしてくる時間も様々だった。

 僕は、大事なことを言い出せずにいた。

 僕が、相手が紫藤であることを知っていること。

 僕は生徒会の裏業務ではなく、個人的に紫藤とやり取りをしているだけだということ。

 僕がこうして紫藤と電話をしていることを、会長は知らないこと。

 いつかは話さないといけないのだと思う。けれど、話せなかった。

 もしそれらのことを話せば、この関係が変わってしまうんじゃないかなんて、そう思ったら怖くて仕方なかった。

 紫藤との電話のおかげで、僕は変わった。

 ただうらやむばかりだった部活に入ってみた。陸上部。それはたぶん、あの日会長と一緒に見た副会長の走る姿が記憶に焼き付いていたから。それにチームスポーツじゃないから部活動の人間関係にあまり苦悩せずに済むんじゃないかなんて考えがあった。陸上部の部長さんにはこんなことは言えないなぁ。

 紫藤との電話は、僕に力をくれた。僕の足りなかったものを、エネルギーを与えてくれた。たぶん、電話の相手は会長でも副会長でもダメだった。

 紫藤だからこそ、僕はその言葉をまっすぐに受け止めることができた。混じりけのない本心だったから、強く僕の心に響いた。

 そうして、僕は今日も秘密を抱えたまま電話を続ける。いつかすべてがばれてしまって、この関係が終わってしまうその時まで。

 もう少し、もう少しだけと祈りながら――


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