毒
異世界、狂気、死
その日は体調が悪かった。
喉が焼けるように痛んだ。
先日『彼』と婚姻を結んだ披露目を行う晴れの日だと言うのに。
出席しなければ。
その思いだけでベッドから這い出そうと力を込めるも、殆ど感触のない指先がピクリと僅かに揺れただけだった。
嗚呼、全く情けない。
熱に視界が滲み、眦から米神へと雫が線を描くのをそのままに、私は天蓋を睨み付けていた。
やがてやって来た侍女が私の異常に気付くと、扉の向こうが騒がしくなった。
やがて医師が来て、当たり障りの無い診断を告げると帰って行った。
代わる代わる侍女がやって来ては、甲斐甲斐しく世話を焼いては仕事を手に去って行く。
そうして沢山の人が訪れる中、
終ぞ『彼』はやって来なかった。
***
あの日から私の体調は良くなる事を知らない。
ベッドの上の住人と化した私は痩せ細り、筋肉すらも衰えて、最早立ち上がる事にすら誰かの補助がいる。
『彼』は月に一度だけ現れると愛を囁いて帰って行く。
その言葉だけを支えに、私は夢に微睡む。
微睡みの中には、痛みも、熱も、孤独も無かったから。
夢の中の私はしゃんと背筋を伸ばし、『彼』の隣に立って幸せそうに微笑んでいる。
「今日は彼と庭を歩いたわ」
「明日は彼と街へ出かけるわ」
「昨夜は彼と食卓を共にしたわ」
そんな、夢の中の出来事を掠れる声で侍女に語っていると、侍女は表情を変えないまま、哀れなものを見るような色をその厳格な瞳に浮かべていた。
それでも彼女は、私が虚実を話すのを止める事は無かった。
いっその事、この理不尽な現実を突き付けてくれれば良かったのに。
そう思う私は、本当はこの幸せなだけの夢から目覚めたかったのかもしれない。
込み上げるものに口元を震える手で覆い、ごほ、とひとつ咳をした。
べちゃりと濡れる感覚に手のひらを見遣ると、そこには赤い液体が付着していた。
本当はもう分かっていた。
彼の心に私が存在しない事も。
私の命がもう長くはない事も。
彼が、私に、毒を盛っているだろう事すらも。
***
血を吐いてから、彼女は微睡みの世界から帰らなくなった。
点滴に繋がれ、緩やかに死んでいくその姿に、『彼』は美しく、尊いものを見るように目を細める。
動かない彼女の髪を一房掬い上げると、『彼』は恍惚の表情で口付けた。
「嗚呼。やはり君は美しい」
その瞳には、暗い熱が揺れていた。