花火はもう少し続くから
「ねぇ、来週の土曜日に新富川で花火大会あるんだけど、一緒に行かない?」
肩を出した白いブラウスのようなトップスに、濃紺のスカートを合わせた早苗からそう声をかけられた私は笑顔で頷くよりも先に、疑いの眼差しを向けた。だけど彼女は私のそんな視線を受けても全く動じず、にこにこと笑っている。私はこの文化棟の周囲の壁を見回してみたが、そんなポスターはどこにもないのを確認した。
「ほんとにあるの、その花火大会」
「ほんとだってば。大好きな翼と一緒に行こうと思って、一生懸命調べたんだよ」
「ちょっと待ってね、私も調べてみるから」
スマホを取り出し、私はさっそく新富川花火大会を検索してみた。彼女、白木早苗は私のかなり仲の良い友達で、結構頻繁に遊んだりもしている。親友、と言っても差し支えないだろう。同じ二十歳なのに私よりもずっと大人びているというか、色っぽいというか、艶っぽい早苗はその見た目通り、よく私をからかったりしてくる。まぁ、何でも単純に信じてしまう私が悪いというのもあるかもしれないが、でも人をだますのは良くない。だから私は最近、ちょっとだけ早苗の言われた事に対して調べる癖がついてきていた。
「……ほんとだ、あるね」
「だから言ったでしょう。ほら、そこって結構評判良いみたいなんだよね。中盤から後半にかけての連発が特にすごいらしく、空が花火で埋め尽くされるくらいなんだってさ」
「へぇ、確かにすごそうだね。あぁ、見に行きたいな。でもこれ、結構遠いね。行ったらその日には帰れないんじゃないかなぁ」
「だから小旅行的な気分で、ね」
日程的には大丈夫だ。土曜日だから授業も無いし、幸いバイトも来週の土日にはシフトが入っていない。お金もまぁ、一泊どこかのビジネスホテルに泊まるとしても大丈夫だ。こういう時のために稼いでいるのだから。
「わかった、いいよ」
「よかった。断らないと思っていたけど、もしそうなったらどうしようって思ったんだよね。ねぇ、折角だから浴衣着て行かない? 持ってる?」
「浴衣は一応、持ってるよ。でも高校生の時に買ったやつだから、ちょっと幼く見えるかもしれないんだよねぇ」
「なんだ、楢崎と白木で浴衣着て花火見に行くのか」
突然声をかけてきたのは一年上の井岡先輩だ。アゴヒゲにピアスと見た目チャラいけれど、中身もチャラい。その容姿に何も知らない人は避けるけれど、実際ケンカなんかしているの見たことないし、そんな話も聞かない。ただ、ちょっとおバカさんなだけで憎めない先輩である。
「えぇ、来週の土曜日にでも」
「まじかー。俺も行きたいな。それに白木は浴衣すげぇ色っぽいかもしれないけど、楢崎はどうかなー。可愛いかもしれないけど、可愛いどまりだよなー」
「先輩酷い、私だって浴衣着たら色気アップですよ。やばいですよ」
早苗と比べられたらそりゃあ色気なんて出ないかもしれないけど、それでも私だって年相応くらいにはある……はずだ。
「ないわー。楢崎それはないわー。だってお前、永遠の妹キャラだもん。俺はそういうの残念ながら、だな」
「私だって先輩なんか対象外ですよーだ」
井岡先輩はそんな私の頭を雑になでると、早苗の方に向き直った。
「なぁ白木、俺と一緒に行かない? すっげぇ夜にしようぜ」
井岡先輩は早苗の肩に手をかけようとしたが、早苗が絶妙な位置でかわした。
「ごめんなさいね井岡先輩、私は翼と二人きりでと約束したんで」
「でもさぁ……じゃあ、みんなで楽しんだ方が」
「……先輩、しつこい人は嫌われますよ」
「お、おう、そうだな」
とびきりの笑顔を見せると、井岡先輩は笑顔をひきつらせて去って行った。それと言うのも実は井岡先輩と私達は同じサークルで、新歓コンパの時に酔った先輩が強引に早苗を連れ出そうとした事がある。早苗は最初笑顔でかわしていたのだが、あまりにしつこかったため先輩の手首をつかみ、ぐるりと一回転させて地面に叩きつけた。後で訊けば高校までずっと合気道をやっていたらしかったが、実戦で使ったのは初めてだったらしい。そして本人曰くお酒も入っていて苛立ちがすごかったけど、サークルの人達に悪い印象は無いとのことだった。けれどそれ以来サークルの人達は早苗に一目置いているし、井岡先輩も深入りしなくなった。
「ごめんね翼」
井岡先輩がいなくなったのを確認すると、早苗は私に向き直って申し訳なさそうに手を合わせた。
「早苗が謝る事じゃないよ。まぁ、井岡先輩があんななのはみんな知っているし、むしろ嫌な思いをしたのは早苗の方じゃない」
「私は大丈夫」
にこっと早苗が笑うと、私も思わず口元が緩んだ。
「でも何かあったら私に言ってよ。解決できないかもしれないけど、聞くくらいならできるからさ」
「ありがと。ほんと、翼のそういうとこ、好き」
すっと早苗の視線が私の少し上に向けられると、彼女は再び申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「ごめん、次講義あるんだよね。また話そう。あれだったら、授業中にラインでもするから」
「授業はちゃんと聞いた方がいいよ」
早苗はまた笑顔を見せると、さっと踵を返して中央ホールの方へと歩き出した。私は後ろを振り返り、時計を確認する。次の講義まで二時間くらい暇になるから、部室にでも行って時間潰そう。そう思い、ゆっくり歩きだした。
早苗とはサークルの歓迎会で知り合って、かれこれ二年の付き合いになる。初めて会った時からすごい美人の子がいると思って、ほんのちょっとだけ卑屈になっていたのだが、早苗の方から声をかけてきてくれた。美人はお高く留まっている、なんて先入観が働いたのだが、見た目に反して早苗は気さくで優しく私を気遣いながら話してくれた。そんな彼女の態度に私もすぐ誤解が消え、今に至る。
けれど、優しいばかりではない。いや、基本的には優しいのだが、どうも私をからかうのが好きらしく、どうでもいい嘘や作り話をしてくるのだ。例えば自転車が倒れているのを見つけたら、あれはあぁいうオブジェで有名な作家さんの作品なんだよと平然と言う。あまりに真顔で言うものだし、私も馬鹿正直になんでも信じる方なので驚いていると、堪え切れなくなった早苗が噴き出す。いっつもその繰り返しだ。
じゃあ早苗の話を全部嘘だと決めつければいいかというと、そうでもない。三割くらいは本当の話をしてくる。だから私は最近、早苗の話は調べることにした。真偽を確かめてから、その話に入ろうと決めた。だけど早苗も真実をアレンジして私に伝えてくるようになってきたので、いたちごっこだ。
そんな早苗が面倒臭いかと言われれば、そんなことは無い。むしろ女の私でもドキッとするくらいに魅力的な容姿や佇まいに、変な話だけどドキドキしてしまう。それが恋なのか憧れなのかはわからない。だけどもし好意を水に、私の心を器に例えるならばそれはもう満水に近い。さっきも井岡先輩に一歩も引かずに追い払ったのだって、尊敬すらしてしまう。私だったら幾ら知っているとはいえ、あんな風にされたら軽口こそ最初は言えるけど多分怖くなって何もできなくなり、ただ俯いて時間が過ぎるのを待つだけだ。早苗は井岡先輩を投げられる技術があるとはいえ、それを実行に移す心の強さに憧れる。
とりあえず花火大会の場所をもう一度確認しようとスマホに手が触れたのとほぼ同時に、部室のドアの前に立っていた。
その日はお互い忙しく、顔を合わせて話し合うことは出来なかった。だからお互い落ち着いた夜の九時以降にラインで話し合い、花火大会に行く事を決定事項とした。詳細な日程や時刻を決めている最中、単なる文字だけれども何度か早苗の一緒に行くのが楽しみなどという期待のこもった言葉にドキドキし、胸を締め付けられた。ただそれも恋かどうかなんてわからず、またそうだと認めるのが怖かったから、単にあまりない非日常のドアを開けかけている事にドキドキしているんだと思うことにした。そういえば早苗と旅行なんて初めてかもしれないから。
一緒に電車で行くため、地元の駅構内で待ち合わせる事になった私はやはりちょっとだけ落ち着かないでいた。それは浴衣を着慣れていない上、高校生の時のものだということで若干引け目みたいなものがあったし、それに地元の花火大会や夏祭りとは日程が重なっていないため、浴衣姿なのはざっと見ても私くらいだ。何だか顔を上げて早苗を探すのも恥ずかしくなり、私はおもむろにスマホでニュースを見始める。
「おまたせ、待った?」
幾らもしないうちに、トントンと肩を叩かれた。顔を上げれば白地に青のハイビスカスがあしらわれた浴衣をピシッと着こなした早苗が立っており、その艶っぽさ目を奪われてしまい、とっさに返事ができない。普段は背中までの髪の毛を下しているだけなのだが、綺麗にアップにしているため、うなじも美しく見える。それに普段よりも切れ長の眼が映えるようにメイクしているみたいだった。
「あれ、怒ってる?」
見詰めたまま声を出さない私が怒っているのと勘違いしたのか、早苗は心配そうに覗き込んできた。ふわりと良い香りが私の鼻腔をくすぐったところで我に返り、大きく左右に首を振る。
「ごめん、違うの。早苗、すっごい似合うね。あんまり綺麗なものだから、ちょっと見とれてた」
「翼だって似合っているよ。その浴衣もピンク地に黄色い朝顔なんて、翼らしくて好きだな」
「そうかなぁ、幼い気もするけど」
すっと視線を落として自分の浴衣を見る。ほつれなどの傷みは無いし、生地も決して古ぼけてはいないのだが、どうしても高校生の時のものというのが今更ながらにひっかかってくる。こんなにモヤモヤするなら新しく買いなおせば良かったとも今更ながらに思うのだが、でもきっと同じような柄を選んでしまうかもしれない。
「ほら、早く行こう」
すっと手を引っ張られ、私は驚いて早苗の顔をもう一度見た。黙っていれば雑誌のモデルにも引けを取らないと個人的には思うのだが、無邪気に笑うこの顔の方が私は好きだ。こんなになるほど、花火を楽しみにしているんだなぁと思うと私も嬉しくなり、つられて笑ってしまった。
開催場所の駅に着くなり、会場で買うとお祭り価格で高いからと喫茶店に入って小腹を満たす。同じことを考えている人は結構いるみたいで、何気なく入った個人経営の店だったのだが、盛況だった。コーヒーとサンドイッチを平らげると長居せずに店を出て、ゆっくりと花火会場までの道のりを歩く。ここまで来れば浴衣姿の人も増えて自分の格好はほとんど気にならなくなってきた。むしろ提灯や花火大会の案内看板、そしてどこからか流れる祭囃子に心浮き立ち、浴衣姿で来てよかったとハッキリと思えた。
夕闇が辺りをおおい、少し離れた人の顔もはっきりわからなくなってきた頃、祭り会場に到着した。出店が何軒も立ち並んでおり、入り口付近から混雑もすごい。フランクフルト、チョコバナナ、わたあめ、かき氷など魅惑ののぼりが幾つも立っており、美味しそうな匂いも漂ってきた。さっきここで買うとお金がかかりすぎると思っていたのに、やはり抗えない魅力がある。
「花火会場は向こうなんだけど、どうしようか」
入口付近で立ち止まると、私は早苗の顔を見た。早苗は時刻を確認すると、優しく笑う。
「もう少し時間あるから、少し見て行こうか。翼、すごく食べたそうな顔してるし」
「えっ、嘘」
「嘘だってば。あ、でもその慌て具合じゃ、あながち本当だったのかな」
「またすぐ、そうやってからかうんだから」
そんな私の言葉を受けても、早苗は笑顔を崩さずにいる。その余裕ある視線に押し負けて、バツの悪い顔になりながら屋台の方へ目を移す。
「でも、ちょっとだけ見ていきたいかも」
「見るだけでいいの? 食べようよ。ほら、はぐれないようにしないと」
ぎゅっと私の左手を掴むと、早苗は私を引っ張るように屋台の方へ歩き出す。その手の柔らかさに掴まれた手と同じくらい、いやそれ以上の力で胸が締め付けられ、そこを中心に体中が甘く痺れる。早苗と手を繋ぐのは今日も駅であったし、別に初めてではないのだが、薄暮に映えた彼女の無邪気な笑顔にあいまって心を奪われかけた。すぐに歩き出さない私を不思議そうな顔で見る早苗に私は急いで笑顔を作ると、その力に任せて歩き出す。
私の隣を早苗が歩く。それはいつもの事なのだが、今日この時に限っては更に別の意味合いを増してくる。大人っぽい容姿であり佇まいの早苗に対し、自他共に童顔と認める私。化粧までして浴衣も艶っぽい早苗に対し、ピンク地で化粧っ気もほとんど無い私。仲の良い友人たちにも姉妹だと言われるのに、今日この格好だとなおさらそう見られるだろう。一体どれだけの人にそう見られているのか分からないけど、通り過ぎる人達のほとんどがそう思っているに違いない。
ただ、それはもうどうでもよかった。今私は早苗と並んで歩き、お互いに楽しんでいる。
この繋がれた手のぬくもりと無防備に寄り添う顔と体に私の羞恥心は一切なく、お祭り気分も作用してひたすらに高揚していた。たこ焼きを買って冷まし合ったり、一人では長いチュロスを半分食べてもらったり、そうしてお互いの飲み物を少し分け合ったりなどしているうちに花火の時間が迫る。同時に私の心にもある思いが芽生え始めていた。
「ほら翼、そろそろ時間だから花火よく見える場所に行こう」
「そうだね」
笑ったつもりだったのだが、早苗から不思議そうな目を向けられてしまった。
「……どうしたの、なんか元気無いけど。食べ過ぎた?」
「違うよ。もぉ、そんなんじゃないってば。ただ、花火あがったら、こんなに凄い楽しい時間も終わっちゃうんだなぁって思ったの」
「大丈夫じゃない」
事も無げに言う早苗は私の手を引き、前へと歩き出す。
「それよりほら、行こうよ。終わる前に寂しがってどうするのさ、まずは楽しもうよ」
「そうだね」
花火会場はもう満席だった。用意されていた椅子席は埋まり、その周辺の立見席も暑苦しいくらい人が居る。私達は少し離れた場所へ移動し、落ち着いて見れる場所を探す。そうして多少木に邪魔されているが人もまばらなところを見つけると、並んで打ち上る方向を見た。もう間もなく、時間だ。
「そろそろだね」
「うん。ここのすごいんだから、ちゃんと見てよね」
「わかった……あっ、始まったよ」
夜の闇を切り裂く、ちょっと間抜けな音が響いたかと思うと、大きな破裂音と共に大輪の花が咲いた。大きな緑色の花火が広がり、消えていく。続いて赤、白、また緑と続いては散る。月明りだけの夜空が花火で照らされ、明るくなるのを子供の頃から何度か見ているのだが、いつでも心は浮き立つ。童心にすっかり帰った目の中に、私は花火を映す。
挨拶代わりの大きな花火を打ち上げたかと思うと、低い位置での仕掛け花火が咲き乱れ、そこに慣れた頃にまた高く打ち上る。高低差を使った仕掛けにひたすら目を奪われ、私の世界は花火一色になっていく。
やがて大きな花火が間を置いて三発上がり、夜空を染める。何かを期待させるような余韻を感じさせたかと思うと、すごい勢いで花火が次々と打ち上って行った。それは今まで見たどれよりも凄くて、まるで昼夜逆転したんじゃないかと思えるくらいに空が明るい。所狭し、闇の隙間を全て埋めようとでもするかのように色とりどり、大小の花火が轟音を伴って煌めく。
「──ぇ、ねぇ」
耳元で早苗の声が聞こえたような気がした。けれど空をも震わせる色と音のシャワーに目が離せず、私はずっと見上げている。
「──ぇ、ねぇ、翼」
今度はハッキリと私の名前を呼ぶのが聞こえた。目を離すのが一瞬でも惜しいけれど、こんな時に呼んでくるって事は何か切羽詰まっているのかもしれない。私は渋々ながら早苗の方へ顔を向ける。
途端、キスされた。
ぐっと顔を引き寄せられ、何事かと思う間もなくのキス。触れた唇の柔らかさと、目を閉じた早苗の艶っぽさに何故こうなったのかわけもわからず、私は間抜けに大きく目を開きながら意味を探す。けれどそんなものはどこにも無くて、僅かに這う早苗の唇に私の心は鷲掴みされたようになる。
一瞬ではなかった、けれどそんなに長い時間でもなかったと思う。
やがて早苗が静かに唇を離すとゆっくりと目を開け、そして自分の唇をぺろりと舐めた。煌めき続ける花火の明かりに照らされ、小さく笑う早苗が見たことも無いくらいに綺麗で……ううん、妖艶と言った方が正しいのかもしれない。そんな早苗に私は先程の行為の意味を問いただす事も忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。
するとまた早苗が唇を重ねてきた。ただ重ねるのではなく、私の上唇を挟むような意思のあるキスに戸惑っていると、背に手を回される。包み込むのではなく、まるでどこかしがみつくかのような早苗の腕に体の芯から熱くなり、思考も何もわからなくなって、私もキスを返した。そうする事が当然であるかのように。
早苗の下唇を甘噛みするように求め、彼女の背に手を回す。頭上では依然花火が光り、鳴り続けている。けれどそんな中でも彼女の鼻から漏れる甘い声は聞こえた。甘えたような可愛らしさと、官能的ないやらしさが合わさったような声。私は背筋が震えるような悦びを感じ、次第に体がより熱くなるのを感じたけれど、理性が一発の花火の音で呼び戻され、唇を離した。胸の鼓動が早鐘を打っているみたいで苦しく、うっすら涙でも出てしまっているのか視界がぼんやりとし、頭の中もぐちゃぐちゃだったけれど、それでも僅かに掴むことのできた言葉を耳元で語りかける。
「ねぇ、どうしたの早苗。突然こんな」
「好きだから、の他に意味なんて無いよ」
早苗も私の耳元に語り掛けてきた。その吐息が耳をくすぐると、より一層身体の熱がたかぶってくる。
「でも、だからって突然こんな事して。他の人に見られたら、変に思われるよ。恥ずかしいから、もうやめよ」
「大丈夫。みんな花火を見ていて、私達なんか見ていないよ。私がずっと翼を好きで、もっともっとキスしていたいなんてこの言葉だって、誰にも聞こえないよ」
「でも」
「翼はイヤ?」
「……っ、それは」
嫌ならとっくに逃げ出している。幾ら親友だろうとも、気持ち悪さが先行すればすぐに口元を拭い、逃げていたに違いない。けれどそれをしなかったのも、否定の言葉も出なかったのも、きっと早苗に抱いていた好意が溢れ、こぼれたからだろう。そして気付いた、好意の器の下に更に大きな器があった事を。溢れこぼれた好意というのは恋に変わるのだと。
「花火はもう少し続くから」
沈黙は肯定ととらえられ、早苗はまた私にキスしてきた。私はもう驚きもせず素直にそれを受け入れ、抱き締める。止むことのない光と音の陰の中、私達は繋がった唇の間でゆっくりと舌を突き出して探っていく。そうして触れた途端、まるで離れ離れになっていた恋人の抱擁のように絡まり合った。濡れた早苗の舌が私のと絡まり、早苗の味がする。私達は次第に大胆になっていき、唇をつついたり吸ったり、舌を這わせたり中の全てを確認するように求めていく。漏れているのは私の声か、早苗の声か。もうどちらかわからない。ただこの体の中を駆け巡り、放出しようもない熱も吐息も淫らさも全部、花火が隠してくれるような気がした。早苗が気付かせてくれた気持ちも、二人でしたらこんなに心地良い痺れも、彼女の本当の顔も全部、花火が浮かび上がらせてくれたような気がした。
そして大きなしだれ柳が空から垂れると、人々は夢から覚めて行った。
花火大会が終わり、人の流れに乗って私達も駅へと歩いている。もう地元まで帰る電車は無いけれど、どこかビジネスホテルでも何でもいいから宿を取らないとならない。周りを見渡せばみんなにこにこと笑って、満足気に花火の凄さを話し合っている。私もそんな雰囲気の中で会話の糸口を見出そうと早苗の顔を見た途端、つまづいた。
「っと、大丈夫?」
とっさのところで早苗が腕を掴んでくれたおかげで、転ばずに済んだ。私達は人ごみの中で立ち止まるが、周囲は私達の事なんておかまいなしに駅へと歩いていく。
「ありがと、早苗」
ほっとした私は早苗の顔を見ると、彼女はいたずらっぽく笑っていた。
「立ちっぱなしで疲れたの? フラついてるよ」
「いや、それは早苗が」
「ん、私がどうかした?」
あんなに熱いキスしたからと言いかけ、止めた。彼女は知っている、そしてそれを私がここで言えばどんなに恥ずかしくなるかも知っている。私はぐっと奥歯を噛んで堪えると、大きく息を一つ吐いてから体勢を立て直した。
「もぉ、いっつもそうやってからかって。ともかく、あんなとこではもうしないでよね」
「ふぅん、あんなとこじゃなければいいの?」
すっと差し出されたスマホには近くのラブホテルの位置情報が数件載っていた。顔を上げればにやりと笑う早苗に、私はもう耳まで真っ赤にして頷くしかなかった。