束縛と拘束
すこし短めです。
セッチのおかげで、豹紋族のかんがえはわかった。
ぐずぐずしている時間はあまりない。いまもって動きがないのは、まだ合議がなっていないためか、かれらなりの情けで、逃げ出すときを与えてくれているからなのか。
いくらはすっこいとはいえ、このかなり重要な局面でセッチが邑を抜け出せているのも、あんがい承知の上でのことかもしれない。
だがもう一方はどうだろう。
シルキフルの街の人々──もっと言ってしまえば、その首脳部と、結託しているリヴィエラたち。
そもそも、自身の危機とこの地の伝説について知っているのだろうか。
あのリヴィエラのことだから、そこまでふかく調べてはいるかもしれないし、そもそも最初から知っていても不思議はない。
もし知っていて、そのうえでわざわざ出張ってきたのだとしたら、何らかの思惑があってのことで間違いない。いったいどういう行動に出るだろうか。
おそらくはそう、すべてをまるく納めようとするだろう。双方にキズのつかぬようやってのけるはずだ。
そのために、問題の核心にもっとも最善な一手を──たとえそれがどんな非情な決断だろうと──くわえるはずだ。
ここでの最善の一手とは······?
いうまでもなく、故実に倣って、ていのいい「生贄」をだして解決することだ。
「それができる魔女······誰?」
ハネモグラと心を通わせて······心を通わせる魔法······それってつまり···
「まさか音信術?」
いま、この沼地にそれがつかえる魔法の使い手──この突発的におこった、命を懸ける必要のある任務の条件にあう魔法使いといえば···
「──まさか! そんな!」
だがいくら否定しようとしても、その恐ろしい考えは拭いきれるものではなかった。どのみち犠牲なくしてはおさまらない話なのだ。リヴィエラのような、叡智と決断にすぐれた人物であれば尚更、そういった発想をしかねない。
「──カナレアが危ない······!」
翌日。ジュリアは疑念と格闘しながら街まで足を進めた。
とくに手だてが決まっていたわけではない。ただ、出てきてしまっただけだ。頭の中にこびりついてしまったものを振りほどくことができなかっただけだ。
ともかくカナレアにだけは自分がつかんだ事実を打ち明けねばならない。はたして聞く耳を持ってくれるだろうか。
最悪、リヴィエラとの直接交渉もじさないつもりだが、もし彼女や組織の連中のまえに姿をあらわしたら、豹紋族のまえに姿をさらした場合と同じ結末が待っていてもおかしくはない。それはほんとうに最後の手段にしておきたいところだった。
ならいっそ彼女の頭越しに、街のお偉いさんと話をつけてしまうのはどうだろう。
上手くやれば、すくなくとも街と豹紋の邑の仲はこれいじょう悪化することはないし、双方を救うことにもなるはずだ。
もっともそれも厳しい道だ。
こちらは自体の重大さをほんとうにわかっているかも怪しいうえ、豹紋族以上に自分へ悪感情をもっている。百歩ほど譲ってくれたとしても、暗部をさぐられればいい顔はしないだろう。
悩んだ末、当初の考えのとおり、ジュリアはカナレアに会うことにした。とにかくも、自身の危機を彼女に報せておくべきだと思ったからだ。もし彼女に危険が迫っているのなら、セッチがそうしてくれたように、自分だって放ってはおけない。
とはいえ、はたしてまともに会ってくれるだろうか。素直にこっちの言葉に耳をかたむけてくれるだろうか。
「帰ってくれ」
カナレアの部屋を訪ねたジュリアを迎えたのは、婚約者のライナスだった。彼はドアを開けたとたん、苦い表情でそのまま部屋の前に仁王立ちしてジュリアに相対した。
「キミが今、我々にどう思われているか、わからないわけしゃないだろう。事務総長代理からはキミどの接触を絶つよう言われている。カナレアが妙な誤解をうけるのは困るんだ」
もっともな言い分だけど、でも······
「きいて。私のことをよく思わないのはわかってる。私だってカナレアに迷惑なんてかけたくはないの。
でも、これだけは、このことだけは伝えないわけにはいかない。あのコの安否に関わることなの」
「──────」
さすがにライナスの言葉が詰まった。
「······わかった、いいだろう。いくら苦し紛れでも、キミはそういうことは言わない。聴くだけならきこう。
ただし今ここで、僕だけが聴く。そのうえで必要だと判断したらと彼女にも伝えよう」
「いいわ」
ジュリアは語り始めた。これまでに見聞きしたこと、叔母が遺してくれた情報、セッチがもたらしてくれた伝説など、例の手記もまじてめ語り尽くした。
ライナスはその間、沈黙したままじっと聴き入っていたが、その表情から、わずかに頑なな心が揺さぶられている様がみてとれた。
「···なるほど」
話をききおわったライナスはひと呼吸おいて、たったそれだけつぶやいた。組んでいた腕をほどき、まじまじとジュリアのほうを見つめる。
「いちおうは、理解できないこともない」
「ならそれをカナレアに」
「だが」
ライナスは一段つよい口調で彼女の言葉をさえぎった。
「キミのもつ、事務総長代理への印象にはちょっと違和感があるよ。
キミはあんなことがあったから、彼女への評価が偏るのも無理はかないが、僕には彼女がカナレアを犠牲にするつもりなんて信じられないね」
恋人の命がかかっているというのに頑固な石頭をあらためようとしないライナスの態度に怒るよりもさきに、どっと疲労感と虚無感がジュリアをおそった。
無理もない、あまりにもリヴィエラの存在感は大きすぎる。ここまでともについてきた調査隊の面々はもとより、組織の人間ならば大半が、たとえそれが冷酷な決断だったとしても、リヴィエラがやむなく出したものならば従ってもいい。そう考えているのだから。
「······伝えるかどうかは貴方が決めることよ。
ただこれだけは覚えておいて。恋人の生命は貴方が握っているのよ」
いまだ仏頂面をかぶりつづけるライナスにそれだけは言うと、ジュリアは靴音たかくその場をあとにした。
ホテルのロビーへとつづく丸みのついた階段を降りていると、ふと、その麓にひとり男が立っているのに気づいた。
ロビーにはほかにも客が行き来して、それなりの活況をていしているが、その男は流れに従うでもなく、さりとて昇ってくることもなく、腹のまえで腕を揃えたままじっと立ち尽くしていた。
さてはと気づいて後方をみやると、いつの間にか背後にも、どこかで見たような男がひとり、通行人の邪魔とばかりに階段の中央をゆっくりと下ってくる。
······なるほど。すでにお見通しってわけか。
どうやら事務総長代理は自分をこのまま放置する気はないらしい。それでもジュリアはおちつき澄まして階段をゆっくりと降りていった。
「ジュリア、ボスが話があるそうだ。一緒に来てくれ」
「ご足労でしたね。ま、どうぞ」
おおきく間取りのとられた居心地の良い大部屋で、リヴィエラはジュリアにソファをすすめた。
ふだんからお偉いさんの事務仕事御用達にでもなっているのか、明るくつらなった白い縁取りのある窓のそばに、重々しい立派な机がでんと据えてあり、そのうえには彼女のものか、書類が山積みになっている。
リヴィエラは腕を組んだまま、その机に腰を預けるようにして、彼女にしてはすこしだらしないというかくだけた様子で、給仕がティーセットをあつかってジュリアに茶をふるまう様をじっと見ていた。
その無言が怖い。ジュリアはこれからかわされる会話が、さすかにのっぴきならないものになるのだということを実感させられた。
カチャカチャと、けっして耳障りではないはずの茶器の音がいやに響くなか、カップにあたたかな湯気がひろがる。
給仕はリヴィエラのぶんもおなじテーブルにおくと、すっと頭を下げ、カートをおして退出した。
やっとリヴィエラが口をひらいた。
「貴女、どこまで知っているの?」
おや、とも思った。やはり、いつもより少し、ほんの少しだけ親しみのもてるような対応だ。彼女にとって、自分はいってみれば敵といってもよい立場にあるにも関わらずに、だ。
「不思議かしら」
リヴィエラは苦笑した。
「でも···そうね。仲間といるよりは、そういった人間に対しているほうが、ある意味心安いかもしれないわね。身内には見せられないものもあるもの······」
よくわからないが、他者の上に立つということは、こちらにはない余計な悩みなんかもあるのだろう。敵を前にしたほうが気が休まるというのも、あながち強がりではないのかもしれない。
「それで? どうなのかしら」
黙秘。そんなものでやり過ごせそうもない。
かといって、都合のいい嘘など、彼女をまえにとっさに出せる器用さも持ちあわせがない。
「ハネモグラと、この地方にまつわる風習については。あと、儀式のこととか」
「·········ハーッ」
まるでなにかを我慢するようにしばらく息を詰めていたリヴィエラは、ややあって堪えられなくなったか、それでも静かに息をはいた。ジュリアが知っていると答えた内容は、彼女の興味事とほぼ合致したようだ。
「それはイレーネの遺言かなにかで?」
「──みたいなものです」
リヴィエラは悲しげな表情で首を横に振った。
「彼女もこの地方の伝承に迫っていたわ。あくまでも趣味だといっていたけれど、そのことで重大な事実が発覚したと報告してきたことがあります。ただ···」
ただ? ただ何だというのだろう。
「当時はとても信じられる内容ではなかった。この街からうける恩恵を考えれば、組織として当然の反応だったといえるでしょうね」
──まさか。叔母の死に。明けの空が。かかわっているとでも。そう言いたいのだろうか。
「誤解しないでください。貴女の叔母様が亡くなられた件にかんしては、組織はまったく関与してはいないのですよ。あくまでも天の思し召しですから」
こんどはジュリアがホッとちいさく息をついた。
それはそうだろう。偶然が重なっただけなのだ。最近はこんなことばかりに頭を悩ませているせいか、すっかり陰謀論にかぶれてしまっている気がする。
「とにかく、十年あまりが経ってようやく、組織は彼女の報告に目をとめ、動き出した···」
リヴィエラは窓からよく晴れた空のもとに対照的にひろがる、硬くてごみごみと密集した、無機質な街を見下ろした。
「いびつな街。そう思わない?」
「·········」
「······こんな街をまもるために」
ポツリとこぼしたその呟きが、いやにはっきりと耳に残った。
「わるいけれど、貴女を帰すわけにはいきません。このまま私達の監視の下におかせてもらいます。
よろしい?」
ありがとうございました。