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Deathless Ones  作者: 天川降雪
後編
8/11

アイシャとネリ、

 アイシャとネリ、そしてメイラーの手によって一度は斃したものの、上級吸血鬼のファムケは蝙蝠に姿を変えて彼らから逃げ果せた。誰もがそれで吸血鬼とは縁が切れたと思った。がしかし、メイラーはファムケによって血を吸われていたのだった。真祖と呼ばれる吸血鬼の牙にかかった者は、いずれ本人も吸血鬼となる。それが伝承や子供騙しでないことを、まもなくメイラーは身を以て知った。あのあとメイラーは、自分の五感が異常に鋭くなり、日光を浴びると皮膚がただれるようになってしまった。まぎれもない吸血鬼化の特徴である。吸血の欲求が出てくるのも時間の問題だ。その吸血鬼の軛から逃れるには、血を吸ったファムケを完全に滅ぼさねばならない。

 おそらくいまファムケは生まれ故郷の地で、失われた肉体の回復を図っているはずだ。もともと吸血鬼は自分の棺、または自身が生まれた土地に縛られ遠く離れることができないのだ。なんとしてもファムケを見つけ出さねばならなかった。それには手がかりがいる。彼女の故郷を特定するための、なんらかの手がかりが──

 ラクスフェルドの裏山には小さな洞窟があり、そこが地下空洞と繋がっていた。ファムケの残した棺を調べ終わったメイラーとアイシャは、その洞窟から外に出た。アーミテイジが住んでいた部屋の地下室にあった穴は、ふたたび塞がれてもう出入ができなくなっている。

 洞窟の暗がりから外に出るとき、メイラーは厚手の外套のフードを目深にかぶった。こうしないと陽の光に皮膚を灼かれてしまうのだ。

 裏山を下り、ラクスフェルド市街にもどったふたりは、西側にある職人街へと赴いた。そのあたりは手工芸の小さな店が密集する場所だ。石工、金細工、木工など、さまざまな職人が工房を構えてもいた。

 手近な商店で棺桶がどこで手に入るかを訊ねると、専門の工房が街区の外れにあると教えられた。ふたりは込み入った路地で迷いながらも、なんとかその場所を見つけた。扉が開け放たれた戸口をくぐり、工房へ入ると、手狭なそこには作りかけの石棺や木棺が並べてある。鑿と木槌で石を削っているひとりの職人が作業中だ。彼はメイラーとアイシャに気づいて手を止めた。額の汗を手の甲で拭い、声をかけてくる。

「いらっしゃい。お悔やみ申しあげます。どなたがお亡くなりで?」

「すまんが客じゃない。少し訊ねたいことがあってきた」

 とメイラー。

「へい、なんでしょう」

「実は人捜しをしている。棺を作る職人だ。名はコーエン」

「コーエン? うちにいる職人じゃないね」

「だろうな。どこか余所の土地で棺を作っているはずなんだ」

「じゃあ、おれにはわからないよ。わるいことは言わないから、うちの棺桶にしときな」

 棺職人は言うと陽気に笑った。

 はやくも行き詰まってしまった。メイラーは工房を見渡しながら少し考えたあと、

「木の棺桶をレリーフで飾ったりするのか? あんたはそういうのもやるのかい?」

「まあ、注文されりゃ作るがね」

 男はそう言ったあと、アイシャが工房に置いてある木棺のひとつへ手を触れようとしているのを見咎めた。

「おっと、それに触れないでくれよ。まだニスが乾いてないんだ」

 アイシャはすぐに手を引っ込めて、木棺の表面をよく見てみた。たしかにほんのりと湿っており、油くさいつんとする匂いが鼻をついた。アイシャは職人の男へ訊いた。

「ニスにはどんな種類があるんだ? われわれが捜しているコーエンの棺は、もっと赤みがかかった色をしていたが」

「赤いニスねえ……ならたぶん、レッドシェラックかな」

「レッドシェラック?」

 アイシャがおうむ返しをすると職人の男は肯いた。

「家具とかバイオリンに塗るやつだよ。棺にはまず使わないね。重ね塗りの手間がかかるし、値も張る」

「そのレッドシェラックというのは、なにか特別なのか?」

「ふつう、シェラックニスはカイガラムシの分泌物から採る。木に寄生する硬くて小さな昆虫だ。レッドシェラックはブラプールの一部にしかいないカイガラムシが原料なんだ。でも生産量が少ないから、現地でないと手に入れるのはむずかしいだろうね」

「ブラプールか。ラクスフェルドの北西だな」

 メイラーは頭の中で地図を思い浮かべた。ブラプールはオーリア王国の最北、峻峰が連なる山脈のやや南にある地域だ。ラクスフェルドからは七〇レウカほどの距離で、馬を使っても三日はかかる。

 メイラーとアイシャは棺職人に礼を言って、いくばくのカネを握らせた。

 工房を出たころ、ちょうどロザリーフ大聖堂の夕刻の鐘が聞こえた。長くのびた影を踏み、職人街の路地をメイラーとアイシャはあてどもなく歩いた。

「ブラプールといっても広いぞ。少々たよりない手がかりだな」

 暮れなずむ空を見あげながらアイシャが言った。

「それでもないよりはましだ」

「いつ出発する?」

「おれには時間がない。明日、すぐに。馬を調達する必要があるな」

「二頭だ。わたしもゆく」

「ばかを言うな」

「ばかとはなんだ!」

 急に声を荒げたアイシャにメイラーは驚いた。立ち止まり、彼女のほうへ首を回す。するとアイシャは目を吊りあげ、怒りの表情でメイラーを睨んでいた。

「じゃあ、おまえはなんだ。ひとりで上級吸血鬼に挑むつもりなのか? そのほうがばかだ!」

 アイシャの声は震えていた。彼女はメイラーから顔を背けると、こっそり涙を拭った。それからよろめくような足取りでメイラーの腕にしがみつき、彼の肩に頭を押しつけた。

「すまん──」

 ぽつりと、メイラーが言った。どうやら自分のことにかまけて、周りが見えていなかったようだ。いろんなことが短いあいだで起こりすぎた。しかし、それはアイシャもおなじだったろう。そんな状況でも彼女は自分のことを見捨てず気にかけてくれた。心労がたたり、さっきのはたまった鬱憤が爆発したのだ。アイシャの心を汲んでやれなかったことを、メイラーは悔いた。

 メイラーがじっと動かないアイシャの髪に手を触れた。

「入り用な品を揃えよう。ちょっとした旅になるぞ」

 ささやくように言うと、アイシャはこくりと肯いた。

 その日のうちにふたりは身辺の整理にかかった。処分できるものは売り払い、すべて路銀とした。二度と生きてラクスフェルドへもどることはできないかもしれない。そんな悲壮な覚悟のうえでの旅立ちだった。

 あくる日の早朝、ロザリーフ大聖堂の敷地にある居住棟から、荷物を抱えたアイシャは人目を忍んで出立した。裏門を出るとき、その旅装束の彼女へ誰かが声をかけた。ネリだった。腕を組んで門柱にもたれる彼は、お得意の隠れ身でどこかに潜んでいたようだ。

「朝っぱらからどちらへ?」

「おまえには関係ない。ついてくるな」

「いくわけねえだろ。おれはまだ命が惜しい」

 ネリは鼻でせせら笑いながらそう言った。そしてアイシャへ向けてなにかを放った。アイシャが空中で受け止めたそれは、魔術スクロールだった。

「持ってけ。転移のスクロールだ。ごく短距離なら一瞬で移動できる。いざとなったらケツをまくれ、死ぬなよ」

 ネリはアイシャの感謝の言葉も待たずに、背を向けてその場を去っていった。


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