ジョージの憂鬱(執事視点)
カークス様は昔から聡明なお子様だった。
特に印象的な出来事があったのを覚えている。
これは伯爵様が時折懐かしみながら語られるので、私もその場にいたかのように聞いていたものだ。
☆ ☆ ☆
あれは確か、五歳の時だっただろうか。
伯爵家にメイド経験の無い女がやって来たのだ。
その女は領地の隅にある川近くのボロ家に住んでいた。
親はろくな稼ぎも貰えない。そのおかげで貧乏な生活を送るしかない。
いや、好きで貧乏でいるわけではなかったのだが。
父親が病気で身体を壊して以来、簡単で安い仕事しかこなせない。
夫の分も家族を背負わなければならない母親は疲れて夕飯の支度もままならない。
そんな親の代わりに女は小さい弟妹の世話をしつつ、家族全員分の食事と洗濯を毎日必死に頑張っていた。
そのせいで髪はボサボサで艶もなく、肌も手も荒れて十代なのに少女らしさの面影もない。
元気な自分がもっと稼いで家族を楽にさせられたらいいのに、と嘆く事も度々あったようだ。
生活基盤が中流ばかりではなく、こんな貧乏暮らしは我が伯爵様の領地に限らず多くいるものだ。
そして伯爵様の家は当然ながら上流だ。
そんな女と伯爵家の人間が出会う事は、まず無くて当たり前。
本来なら存在を知る事もなかっただろう。
それでも出会ったのだ。
これは女にとって奇跡のような、夢のような出会いだっただろう。
女はラッキーだったと言える。
何故なら、伯爵家のメイドになれたのだから。
☆ ☆ ☆
伯爵家で雇うようになったのは、旦那様とカークス様が共に領地の視察に訪れたのがキッカケだ。
その時、女は村にある洗い場まで洗濯物を洗いに行く道中で、家族全員分だから量は半端ない物だ。
ところが、まともに食べ物にありつけていなかった女は体力不足と過労で、道端に洗濯物をぶちまけてしまった。
そこへ伯爵家の馬車が通り掛かり、洗濯物で道を塞がれた馬車は立ち往生。
馬車の中にいたカークス様と伯爵様は、当然ながら何事が起きたのか知る由もない。
ただ待つだけだ。
なのに、いつまでたっても馬車は動かない。
どうしたのか、と伯爵様が馬車の中から外に顔を見せると、カークス様が馬車を降りてしまった。
するとそこにあったのは洗濯物を拾いながら立ち上がれず、よろける女の姿。
お優しいカークス様は女に近寄って、洗濯物を集めながら声を掛けたのだ。
『謝る必要はありませんよ』
洗濯物は洗う前だ、汚れ物ばかりだ。
そんな物をカークス様は当たり前のように触るのだ。
伯爵様はカークス様の様子を不安気に感じながら見ていたと言う。
その時に何を考え、何を決心なさったのか私にはわからない。
ただ、カークス様はご自分の役割と領地の貧富の差に幼いながらも気付いたのかもしれない。
その後、領地の視察を終えた伯爵様とカークス様は邸に戻った。
それからのカークス様は私や伯爵様を質問攻めにする事が多くなっていった。
それは村の人々の生活や今後の領地の行く末、貴族の役割等について。
中でも気にされていたのが、村の幼い子供達の環境だ。
働く場所も方法もわからない大人は子供達に食事を与える事すらろくに出来ない。
領地の外からやって来る不埒な輩に騙されて、慰み者にされる女もいるという。
カークス様は伯爵様に言った。
『村の全ての人々を助ける事は出来なくても、せめてあの者を助けてやれませんか?』
ところが、伯爵様は良い顔はしなかった。
『カークス、同情で一人の女を助けたら村の者はどう思うかわかるか? あの者は女を武器にして伯爵家を誑かす悪女だ、と。 そう言われたら家族は居場所も仕事をも失うだろう』
そうだ、馬車の前にわざと洗濯物をぶちまけて同情心を煽ったのだ、と捉えられるだろう。
だから伯爵様は一切の手出しをしなかったのだ。
『ですが、見て見ぬ振りは出来ません』
『ならば、考えなさい。 どうすべきか』
伯爵様は五歳のカークス様相手でも容赦しない。
この家の子供は男子一人。
つまり、カークス様が次期伯爵なのだ。
ご本人もそれを自覚している。
『この領地だけではない。 お前はこの国全体を見る目を養い、将来は国王を助けて行かねばならないのだぞ』
『はい、わかりました』
カークス様はそれから数日間、自室に籠った。
何をどう成すべきか。
一人で考え、そして行動したのだ。
出した答えは五歳ならではとでも言おうか。
カークス様は伯爵様の許可を得て、人々に御触れを出した。
【近々、伯爵邸の庭にて茶会を行います。
その際はカークス・ウォーカーと共に遊び学ぶ子供達を大勢呼びたい。
ご家族にはケーキとお茶を振る舞います。
どなたでも気軽に伯爵邸の庭までお越し下さい。
又、下働きが出来そうな女は手伝いを申し出る事】
そして招待については身分や地位は一切問わない旨の注意書きも忘れなかった。
私は幼いカークス様の提案に出来る限りの協力を行い、それはとても有意義で楽しい時間と言えただろう。
そして茶会は成功。
その後、下働きをしてくれた者達がそのまま伯爵邸で働く事になったのにはカークス様も喜んでいた。
それだけではない。
村の者が作った新鮮な野菜や創作小物を伯爵邸で買い取ったり、月に一度の茶会をその後も開いたり。
茶会で行った子供達との時間はその後、学ぶ会として続けられた。その子供達の中にはあの女の弟妹もいた。
その際の先生はなんと私だ。
だが一番の収穫はあの女をメイドで雇うようになった事だろう。
ただ、簡単に村の生活が良くなるわけでもなく、貧乏は変わらずだ。
それでもカークス様は諦める事なく、さらに広い視野と学びを求めて寄宿学校に進んだのが十三歳の時。
既にメリル様が婚約者として伯爵邸で暮らしていたので、置いて行くのを申し訳なく感じていたようだ。
そんな時のメリル様は言うのだ。
『カークス様、私も共に学びたいです。 いつか妻として理解出来るようになりたいから』
『メリル、待っているよ。 僕の妻になるのは君なのだからね』
☆ ☆ ☆
あれから五年。
一年前に寄宿学校を卒業して、子爵邸を構えた。
伯爵様はまだまだお元気だ。
カークス様が伯爵位を継ぐ事になるのはずいぶん先の話になるだろう。
それでも伯爵様の手助けをし、次期国王となられる現王太子様の良き側近となるように励んでおられる。
そしてメリル様も、やはりカークス様の後を追うように子爵邸に戻り、良き妻となるべく励んでいる。
短い期間ではあったものの、寄宿学校での経験は掛け替えの無い宝物になった事だろう。
私はそんな若いお二人の側で見守るのが、先の短くなった唯一の楽しみだ。
☆ ☆ ☆
なのに……。
ヘンダーソン伯爵の御見舞いと、ジョルジュ卿の助けの為に向かったのが十日前。
そろそろお戻りになるだろうかと文を待っているのに一向に届かない。
メリル様も一度も届かない文とお帰りにならないカークス様を想って浮かない顔をしている。
メリル様がどれだけカークス様に尽くしているか、何故気付かないのだ。
あれほどの方は他にいないというのに。
私はジョルジュ卿のあの婚約者が嫌いだ。
カークス様は何故あのような者に惹かれるのだろうか。
王族の血を引く人間が一代限りのあんな男爵令嬢に。
いったいどうしたというのだ。
何故、お戻りにならないのだ。
カークス様……。
メリル様の美しいお顔を涙で濡らすのはお止め下さい。
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