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メリルの願い(メリル視点)

評価、感想、ポイント、ブクマ、よろしくお願いします。

 誰かの声がした。

 誰かが月明かりのバルコニーへと続く扉を叩いた気がした。


 こんな真夜中に、そんなはずないのに。

 カークス様はもうずいぶん前に、ご自分の部屋へと戻られて休まれているのに。


 なのに、誰かが私を呼ぶ。


 起きて確かめたいのに、身体が動かない。

 心臓の音は聞こえるのに目が開けられない。

 先ほどまでカークス様に愛された身体が怠くて。


 あぁ、でも心地良い怠さだ。


 きっと熱すぎたせいだ。

 このままこの怠さを味わっていたいのに、誰かの声が邪魔をする。


 そうはさせない、と私の名を呼ぶ。


『メリル様』


 誰……?


『メリル様』


 私を呼ぶのは誰……?


 誰かの声が心臓に伝わって来る。

 意識が朧気なのに、鼓動は早くなる。

 私の身体が拒否したがっている。


 聞いた事のあるようだ。


 それでも誰かのその声には逆らえない。


 誰……?


 カークス様?


『メリル様、ごめんなさい』


 静かで穏やかで、まるで頬を優しく触れていく風のような、そんな声。

 確かに申し訳ありませんと謝っているようなのに、か細くも罪悪も感じない。


 それでいて、泣きそうなのだ。


『どうしても欲しいのです』


 何故、そんなに悲しそうなの……?


『手に入らないのです』


 何故、そんなに辛そうに私に話し掛けるの?


 その声の主はベッドに横たわる私を見下ろしているようだ。

 誰なのか、姿を見たいのに遠い意識がそうさせてはくれない。

 まるで夢の中で話し掛けられている感覚。


『貴方が手にしているから』


 不思議な気持ちだった。


 この心地良い怠さと相反しての夢の中の声。


 私が手にしているという、その何か。

 手に入らないという、悲しそうな声。


 心地良い表情をした私をそんな辛そうに見下ろして見ないで、そう思った。


『ごめんなさい』


 その声が徐々に消えていく。


『あの方が欲しいのです……』


 夢に埋もれながら、意識は耳をも塞いでいく。


 もう、何も聞こえはしなかった。



 ☆ ☆ ☆



 何か、とても大事な何かを奪われたような。

 そんな気がした。


 悲しかった。

 それは悲しそうな、あの声に同調してしまったからだろうか。



 ☆ ☆ ☆



「ダビデからの御礼状だったわ」


 メイドが用意してくれたお茶はジョージの言う通り、最高級品の深い味わいがした。

 ケーキはいつものシェフの手作りではあるものの、このお茶なら数倍の美味しさに変化する。


 この子爵邸の主はカークス様だ。

 なのに執事のジョージは、私の知る限り一度も出した事がない。

 味音痴なカークス様ではないのだから、味も美味しさもわかるはずなのに。


 とっておきと言うくらいだから、もしかしたら私の為にとっておいてくれたのかもしれない。


 応接間のソファーに座る私の斜め前で、ジョージの姿勢は真っ直ぐ。

 ドア近くなので、いつでも立ち上がって対処できるように座り方も浅い。


 本来なら邸の人間と使用人がこのような図式はない。

 それが例え、昔から仕える執事であったとしても。


 ジョージは弁えた人間だ。

 神妙な顔で、側で控えております、と辞退しようとした。

 それを私があえて無理矢理に座らせたのだ。

 お茶に付き合え、と言ったのだ。


「ジョージに丁寧に礼を伝えてくれるようにと書いてあったわ」


「頑張っているようですね」


 カークス様の馬車を送り出した後、ジョージの提案通りに応接間でお茶の最中だ。


 今朝届いたジョルジュ卿からの文とは別に、ダビデからも文が届いていた。


 それによると、ある貴族邸で御者として重宝されているという。


 実はダビデは騎士ではなく、御者になったのだ。


「ジョージのおかげよ。 貴方の口添えがなかったらダビデは職を失って暮らしに困るところだった」


「ダビデさんは真面目な方のようですから」


 その貴族邸にはジョージと昔から顔馴染みの執事がいる。


 寄宿学校を卒業後、彼は騎士を諦めた。

 というより、目指すべき未来が変わったのだ。

 かねてより恋していた、あの女性を伴侶に。


 その貴族邸の敷地の隅に住まいを借りて間もなくの頃、二人の間に小さな命が宿ったという。


 彼女の親も幸いにして体調を戻し、今ではその貴族邸で共に下働きをするほどだ。


 ダビデは平民ながらも従卒で、本気で騎士になろうとしていた。

 それでも簡単に違う未来を選べるほどの熱意と愛情が二人の間にはあったのだ。


「ダビデさんはもう騎士に未練はないのでしょうか」


「そのようね。 今は御者の仕事が楽しいらしいわ。 彼女のお腹も順調だって」


「御祝いの準備はどうなさいますか?」


「そうねぇ……。 結婚の御祝いはいらないと断られてしまったから今度こそはちゃんと送りたいわ」


「では、銀食器になさっては?」


「そうね。 やはり、それがいいでしょうね」


 幸せな二人の未来図は、おそらく私には得られないだろう。


 羨ましくないと言えば嘘になる。

 妬ましくないと言えば嘘になる。

 平民であっても、貴族であっても幸せは欲しい。

 なのに、私には手に入らない。


 それでも二人を祝いたい。


「私ね、ダビデが好きだったのよ」


 ジョージになら本音を打ち明けてもいいような気がした。


「メリル様、それは……?」


「でも、恋仲になりたいだなんて思ってなかったのよ?」


 ティーカップを手にしながら、思い出を語る。


「平民だからと言って好き勝手に結婚出来るわけではないわ。 貴族だってそうよ、恵まれた立場でもね。 それに、まだまだ好きな相手と結婚出来る時代ではないもの。 そんな中、ダビデは眩しい存在で信念と強さを感じたのよ」


 ジョージは頷きながらも黙って聞いてくれている。

 口を挟まずに私の話を受け止めようとしてくれているのが嬉しかった。


「私もダビデのような強い人間になりたいと思ったわ。 譲る未来と譲れない意志が彼にはあったから。 それが欲しくなった」


 それが何なのか、今はもうわかっているつもりだ。


「それがダビデへの恋だと思ったのよ。 でもね、ダビデの彼女への想いはそんなんじゃなかった。 心から彼女を愛してるのよ、何かを犠牲にしても構わないと思えるほどにね」


 そしてダビデに愛される彼女を妬ましい、羨ましいとは思わなかった。


「ダビデには幸せになってもらいたいの。 私が得る事のない幸せを掴んで離さないで欲しいの」


「メリル様……」


「でもね、カークス様はもっと立派な方よ。 生い立ちや境遇そんなものではなくて、なさっている仕事も領地の方々に対する態度も素晴らしいわ。 私もカークス様に似合う夫人になりたい、そう思ってるの」


「メリル様は立派な方です。 どれだけ努力なされてきたか、私達使用人はよく存じております」


「ありがとう。 私ね、カークス様に幸せになって頂きたいの。 その役目が私でありたいとも思ってる」


「私共も皆、メリル様にもカークス様にも共に幸せになって頂きたいと思っております」


 ティーカップの温かいお茶が喉をスーッと癒してくれる。

 少し、喋り過ぎたのかもしれない。


「私ね、カークス様のお側にいたいの。 愛されてなくてもいいから……」


「メリル様……」


「ジョージもわかっているのでしょう? カークス様がどなたを想っているのか」


「申し訳ありません」


「いいのよ。 きっと愛される事がないのは私が一番わかるもの」


 ジョージにはお茶の相手をして欲しいと言った。

 ところがジョージは、それはどうしても出来ないと言って譲らなかった。

 だからソファーに座る彼の前にはティーカップはない。


 本当に私の話を聞くだけの態度だ。

 それが逆に安心するのは何故だろうか。

 今まで誰にも話した事のない想いを打ち明けているからか、聞いてくれている態度が嬉しかった。


「でもね、愛されたいと思うのはいけないかしら。 彼の心が欲しいと思うのは」


「では何故、カークス様お一人で行かせてしまわれたのですか?」


「アイリス様にもお幸せでいて頂きたいの」


「ですが……」


「そうでなければ不幸だもの。 カークス様の心を曇らせたくないもの」


「メリル様はお優し過ぎます」


「カークス様は帰っていらっしゃるかしら」


「えぇ、もちろんです。 ですが……」


 その言葉の続きは聞こえて来ない。


 いや、私が聞きたくなかっただけかもしれない。


 ジョージが不意に立ち上がった。

 そして静かに私の目の前のティーカップを下げる。


「お茶が冷めてしまいましたね。温かいお茶のお代わりをお持ちして参りましょう」


 応接間に一人になった。

 シンと静まり返る。


 ジョージはとても出来た執事だ。


 彼の機転のおかげで、見られなくてすんだ。


 溢れて来る涙など、誰にも見せたくない。


 私の想いに気付く事のないカークス様にも。


 もう、私の元には戻って来ないかもしれないのだから。



「捨てられた犬と拾った男の話」(連載中)

「魔女の住む森」(短編)

「彼と彼女と二人の秘密」(全二話)

上記、投稿掲載しています。

よろしくお願いします。

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