メリルの想い(メリル視点)
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走り去る馬車を見送ると、途端に寂しさと不安が胸の中で渦巻いていく。
いてくれるはずの人がいない、いてほしいはずの人がいない。
こんなにも胸騒ぎがするなんて、どうしてしまったのだろうか。
出掛ける際のカークス様が、いつもと違っていた。
私の知る限り、仕事用、遊び用、普段着用、夜会用、登城用……と場面によって着る服のスタイルは変わる。
なのに、そのどれにも当てはまらなかった。
カークス様にはお気に入りの服が幾つかある。
生地の色合いや風合い、仕立て、デザインによっても好みがあるだろうし、気分もあるのかもしれない。
ただ、私は初めて見たのだ。
デザインはシンプルなのに地味でも派手でもない、かといって堅苦しくもない。
こんな服を持っていたなんて知らなかった。
まるで、お気に入りはいざという時しか着たくないというような意思を感じたのだ。
まるで、誰にも渡したくない秘密を抱えているような……。
私にも見せた事のない、顔付きをして。
馬車に乗り込む時も決戦にでも行くのかと思うほど。
そうなのだ。
私は気付いてしまったらしい。
彼の心が既に、ここにはなかったのだと。
それでも、いい。
それでもいいからどうか、無事に戻って来て。
いつもの愛の込もっていない目で、私を愛して。
☆ ☆ ☆
「メリル様」
背中越しに掛けられた声の方に振り返ると、執事のジョージが穏やかな顔立ちで立っていた。
カークス様を見送る時、彼の居場所は私から少し離れた後ろ。
決して余計な口出しをしない、黙ってカークス様からの言葉を待つだけだ。
そんなジョージを信頼するのはこの家の主として当然の事。
「応接間にお茶をお持ちしましょうか」
「もう、そんな時間なのね」
「とびきり美味しい茶葉が手に入ったので、ケーキと一緒にいかがですか?」
ジョージはわかっているのだ。
私が今、泣きそうな気持ちを隠している事に。
貴族令嬢として感情や表情を隠すのには慣れていても、ジョージの前では隠し切れていなかったらしい。
あぁ、もう……。
執事の立ち姿は流石で、どれだけそこに立ち続けていたとしても平気な顔をする。
そして私を慮って、静かに言うのだ。
「メリル様の一日が長く感じるか短く感じるか、ここは私達使用人の腕の見せ所です」
「でしたら、ジョージがお茶の相手をしてくださる?」
「私のような者が、お茶の相手などいけません」
「いいのよ。 貴方はカークス様が誰よりも信頼している人だもの」
「ですが、使用人とでは立場が違います。 同じテーブルに着くなど」
「一人ではつまらないもの。 それに話を聞いて欲しいのよ」
「メリル様……」
「カークス様のいない椅子に向かって話すのは悲しいわ」
☆ ☆ ☆
ここは伯爵家の嫡男カークス様の屋敷だ。
彼は次期伯爵で長男の立場から、今はまだ子爵の身である。
そこで実家の伯爵邸を出て、新たな子爵邸を構えたのが寄宿学校を出た後。
婚約者の私も以前は伯爵邸に住んでいた。
新たな邸を構えるとなると、当然の如く子爵邸として移り住む事になる。
そこで問題になったのが執事ジョージの存在。
ジョージはあくまでも、伯爵家の執事だ。
カークス様を小さい頃から世話して来たとはいえ、雇っているのは伯爵自身。
個人的理由でカークス様の専用執事に変わるというのは伯爵が認めない。
例え、ジョージ自身が望んだとしても。
苦肉の策で出された案が、カークス様の専用執事をジョージ自ら育てるというもの。
今はまだ執事見習いの使用人がいるものの、ジョージのような一人前の執事にはほど遠い。
子爵邸に移って来たジョージは厳しさと愛情を持って、次期伯爵の信頼に足る執事を育てる毎日だ。
☆ ☆ ☆
七歳でカークス様の婚約者となった私はその頃から伯爵邸で暮らしている。
カークス様の良き伴侶となる為、そして立派な伯爵夫人となる為に日々は修業で明け暮れた。
寄宿学校もその一貫。
本来なら家庭教師との勉学だけでも構わない。
花嫁修業なら花嫁学校があるのだから。
それでも私はカークス様を追って寄宿学校へ進む道を選んだ。
十三歳の時だ。
その方が多岐に渡って学べるし、何よりカークス様とわずかでも一緒の時間を過ごしたかったからだ。
カークス様は初めてお会いした時から優しくて、四方に配慮の出来る優れた方。
貴族と使用人という立場の違いはあっても、人格を認めて接する事が出来る。
決して貴族の立場だけで人を見たりしないのだ。
だからこそジョージも他の使用人達も主である彼を尊敬しているのだろう。
そして、私もその一人。
カークス様と同じ時間を過ごすのが楽しかった。
まだ子供の頃は婚約者という意識はなく、仲の良い友達か或いは兄妹のような関係で。
ところが少しずつ身体が変化していく内に感情も変化し、カークス様に見つめられると何故か心臓がドキドキした。
いつだったか昔、言った事がある。
『ねぇ、カークス様。 何故かしら、心臓が痛いの』
『どうした? どこか悪いなら医師に見てもらうが』
当時の私はそれがカークスへの想いなどとは全く気付いていなかったし、彼も私に対してそんな感情を持っていなかったのは知っていた。
『カークス様の瞳に吸い込まれそうで。 それを見つめているとドキドキしてしまうのです』
『では、あまりメリルの瞳を見ない方がいいか?』
『それは嫌です。 カークス様は私を見ていて下さい』
『メリルの、俺を捕らえる瞳が大好きだよ』
わずか十歳の少女が、それが恋人同士が紡ぐ愛の言葉などとは思いもかけずに。
彼も私をその相手とは考えていなかっただろう。
☆ ☆ ☆
カークス様を追い掛けて寄宿学校で学び始めた時、今まで知らなかった世界を知った。
そこは貴族も平民も同様に学ぶ事の出来る場。
意志を持つ者は平民であろうと学んで、未来を切り開いて行く。
中には騎士を目指している紳士も多くいた。
逆に仕方なく学ぶ者もいたし、婚約者のいない淑女は目当てがわかりやすい態度。
私は初めて知る世界に心が震えて沸き立った。
こんなにも世界には様々な事情や思いを持った人達がいるのか、と。
ところが、そんな志を持った紳士の中にも眉間に皺を寄せたくなるような者もいた。
平民を下僕のように扱うのだ。
上級生の侯爵子息が下級生の平民を使用人のように蔑むらしいという話を聞いていたので、そんな貴族には幻滅を覚えた。
カークス様ならそんな事を許しはしないのに。
下僕扱いを受けていたのは、ダビデだ。
彼は私と同じ年齢で、騎士希望だという。
いくら貴族と平民が一緒に学べるとはいえ、身分差はどうしても逆らえない。
悔しそうに下唇を噛みながら下僕扱いを甘んじて受けていた。
彼は学びに対して真面目で、一生懸命。
そして平民だからと屈折した感情を持つ事なく、騎士になる為ならこれも試練だと言って笑って耐えていたのだ。
そんなダビデの姿に感銘を受けた私は言った。
『凄いわね、ダビデは』
『メリル様だって、わざわざ学ぶ必要もないくらいの知識をたくさん持っていらっしゃるではないですか』
それ以来、意気投合して共に学び合う関係に発展。
次第に彼に恋心を意識するようになるのは、自然な事だった。
そんな時、ある事件が起きてしまう。
場所は貴族専用の書斎。
その部屋の中から声が聞こえて来たのだ。
それはあまりに叫びにも似て、助けを求める悲鳴のようにも聞こえた。
近くを通り掛かった私とダビデが急いでその場に駆け付けると、有り得ない有り様がそこで広がっていた。
ダビデを下僕扱いしていた上級生の侯爵子息が下級生女子を襲おうとしたのだ。
幸いにして未遂で済んだものの、彼女は平民。
なんと、その上級生は彼女が書斎にやって来て誘いを掛けてきたから乗ってやったのだと平然と言ったのだ。
貴族しか使えない書斎にまで足を運んで子を孕もうとする女だ、平民に欲を出すほど落ちぶれてはいないが誘いに乗らないのは男じゃない、と。
彼女の事は私やダビデの方がよく知っている。
そもそも、彼女がどこにもいない事に不安を覚えた私達が学校内を探している時に悲鳴が聞こえたのだ。
彼女は誰彼構わずに誘うような物知らずでも恥知らずでもない。
礼儀もマナーもわきまえられる、平民でありながら淑女ともいえる。
無神経に書斎を訪れるような真似はしない。
だから許せなかった。
その思いはダビデも同じだったのだろう。
怒りから侯爵子息に殴り掛かろうとした。
その時に私の恋は終わった。
ダビデは彼女に恋をしていたのだ。
ただ、殴り掛かろうとした相手は貴族だ。
殴り付ければ、例え悪いのが子息であっても平民のダビデに命はない。
それでも構わずに殴ろうとした時、止めたのはカークス様。
『何事だ?』
騒ぎを聞き付けて、やって来たのだ。
彼の側にはジョルジュ卿、そしてアイリス様を伴って。
『カークス様……』
私が理由を話そうとするまでもなく、目の前に広がっている状況を見て察したらしい。
ダビデが何をしようとしたのかも。
『ダビデ、どんな理由があろうとそれはいけないよ』
ダビデはカークス様の静かな声に一旦は動きを止めた。
ところが、そう簡単に怒りが消えるわけもない。
『ですが、カークス様! あいつは……!』
『ダビデ。 君が今すべき事は彼女を守る事であって、拳を振り下ろす事ではないはずだよ』
『それは、そうですが……』
『この場は俺に任せてくれる?』
カークス様は私とダビデ、そして彼女にも視線を動かして言った。
『大丈夫だから』
隣で心配そうに事態を見守るアイリス様がチラとカークス様を見上げて微笑んだ。
アイリス様とジョルジュ卿も、私達同様に子供の頃に婚約している。
なのにカークス様とアイリス様の様子を見ていると、どちらが本当の婚約者なのかわからなくなる。
どこに本音が隠れているのかすら。
その後、侯爵子息はカークス様の何かしらの助言もあり、寄宿学校を去った。
どんな話し合いが行われたのか私にはわからないし、ダビデ達にも知らされなかった。
その後、侯爵家でどんな話になったのかも何もわからない。
ただ、あの彼女も寄宿学校を去る事になったのには驚きを隠せない。
その理由が侯爵子息とは違うと知ったのは、彼女の親が病気で倒れたらしいとカークス様からの報告で知らされたからだ。
彼女は親の看護の為に学校をやめるしかなくなった。
その時のダビデの様子は言葉にするのも辛い。
ダビデは彼女への想いを心に秘めたまま、その後も学び続けた。
そして何度も文の交換を続けながら、想いを打ち明けたのだ。
ダビデは騎士になって彼女を守ると私に誓った。
その強い意志の眼差しを見て、私はカークス様への想いにも気付いたのだ。
同時にカークス様とアイリス様の想いにも。
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