SIDE B
ディルクは、自国の第二王子という地位で王位に就く事が無くて自由に暮らしていたのだが、王太子である兄の補佐の為にと、隣国と友好関係を結ぶ為に学園へ留学させられた時は初めて王族である事を呪った。
王弟としての将来が決められているディルクには、野望も目標も無い。
さらには学園生活に興味も期待も無く、編入した一年間、平和に過ごせるならば何でもいいと思っていた。
「ディルク様、ユータリアと申します。どうぞ宜しくお願い致しますわ」
同じく学園に通うこの国の第一王子と面通しした際、隣に立つ女性に目を奪われた。
艶やかなプラチナの髪が、優雅なカーテシーでサラリと流れる。黄金色の吊り目は、きつい印象のようで、しかしその瞳からは意思の強さが窺えた彼女の魅力でもあった。
婚約者として紹介されたが、数日過ごせば二人の関係性が良くない事は直ぐに知れた。
美しく聡明な婚約者を蔑ろにし、浅慮な男爵令嬢と仲を深める不誠実で馬鹿な男。
淑女の鑑と称されるユータリアは、一人で殿下や男爵令嬢の態度を諫め、不満を漏らす周りの生徒を鎮めていつも公平公正で誰にでも平等に対応していた。
一人で真っ直ぐに立つその姿にだんだんと惹かれ、少々の下心もあり手助けを申し出ても、「自分の務め」だとディルクの手を取る事も無かった。
それはつまり、彼女はまだ王子殿下との婚約を望んでおり、ディルクがユータリアにとって頼りないその他大勢であるんだと思い知らされた。
報われぬ想いとは知りつつ、彼女の近くにいるだけでも幸せだった。
そして事件は、学園の卒業パーティにおきる。
一方的な婚約破棄に冤罪を被せられたユータリアが、会場の真ん中で断罪されていた。
望みが無い恋を諦めなければと、留学最終日に彼女から距離を置いていたのが仇になった。すぐに駆けつける事も出来ず、兵士に連行される彼女を助け出す事も出来ず。
次の日、ユータリアは処刑された。
後悔と絶望に押し潰され、頭の中がぐちゃぐちゃになってると、気がつけば、応接室でユータリアの目の前に立っていた。
「ディルク様、ユータリアと申します。どうぞ宜しくお願い致しますわ」
目を白黒させるディルクに、怪訝な顔をしつつも体調を気遣ってくれるユータリアの対応に涙し、膝から崩れ落ちた。
彼女を助けたいと思っていたのに、求められないからと手を引いた自分の不甲斐なさに吐き気がする。彼女だけは、ユータリアだけは助けてみせると誓い、ディルクはユータリアが死なない未来の為に動いた。
しかしどうやっても、何度やってもユータリアは死んでしまう。そしてまた出会った日へと時が戻される。
ユータリアの逃亡を手助けしては失敗し、殿下と男爵令嬢の仲を引き裂き、殿下とユータリアとの仲を修復しようとしては失敗した。何の強制力なのか、どうしても助けられない。
何回、何千回、何万回と繰り返しても、何処かで綻びが生じてユータリアの命は手から零れ落ちてしまう。
既に心は壊れ始め、もはやこの連鎖をどう断ち切っていいかも分からない。
ならばもう、一度くらい自分の望みを叶えてもいいのではないか?と、悪魔が囁き、そしてまた、この時を迎える。
「ユータリア嬢、大丈夫ですか?」
卒業パーティ会場である扉の前で、エスコートしていた彼女の体がゆらりと傾く。いつからか必ずこの扉の前で倒れそうになるのでその前に手を伸ばし支え、腕の中にいる彼女の顔を覗き込む。
顔色が悪いユータリアの様子に胸がズキリと痛む。
この長い長い時の繰り返しのせいなのかは分からないが、ユータリアが苦しげに顔を歪ませる事が増えた。
彼女が死んでしまう事を受け入れられない自分の身勝手な思いがこの繰り返す事象を発生させているとしたら、もし受け入れたらこの繰り返しは終わってしまうのだろうか?
すまない、ユータリア。
これから自分がやろうとしている事は、彼女の意思を顧みない行いだ。折れてしまいそうな心の中だけで謝罪を述べる。
「大丈夫ですわ、支えてくださってありがとうございます」
「いえ…」
そう言ってユータリアは、いつもの様に毅然とした態度で会場へと足を踏み入れた。
その後ろ姿を見つめ、ディルクは拳をきつく握りしめてから彼女の後を追う。
ホールに入ると、真ん中では王子殿下と男爵令嬢が待ち構えている。優雅に歩くユータリアの後ろに控えて一緒に向かう。
王子殿下がユータリアの断罪を告げた後、今回の目的を果たす為に口を開こうとした瞬間、ユータリアの言動がいつもと違うと気が付いた。
「聞いているのかユータリア!」
「はいはい、聞いてます、むしろ聞き飽きました」
聞き飽きた?
時間を巻き戻す事で、その前の出来事は無かった事になる。記憶を保持してるのは繰り返しをさせられているディルク一人だ。
ユータリアはいつ殿下に婚約破棄を仄めかされたんだ?頭の中に多くの疑問符が湧くが、答えは見つからない。
淑女の鑑と言われ、いつも淑やかなユータリアが殿下を荒々しい声で罵倒していく。
え?え? 何これどういう事?
ヒートアップするやり取りに、ディルクも周りも動揺している。殿下に至っては顔面蒼白で固まっているし、男爵令嬢は何故か殿下から少し距離が離れていた。
言いたい放題だったユータリアが、満足気に頷いたのを見て、恐る恐る声を掛けると目が合う。
意思の強さを象徴していた黄金色の瞳は、不安気に揺れている。その揺らぎに心臓がドクンと跳ねる。
「貴方の瞳って、とても素敵ね。もしまだ繰り返すのであれば…出来ればこの先ずっと、貴方の瞳を見ていられたらいいのに」
初めて、彼女に存在を認識された気がした。それまで見ていた芯の強いユータリアの印象が薄れ、今にも消えてしまいそうな儚さで寂しそうに笑みを浮かべた。
何故、貴女が繰り返しの事を知っているのか、と問う前に殿下の声で我に帰る。
「元婚約者だからと言わせておけばっ!その暴言許せるか!今この場で罪を償わせてやる!」
先ほどとは打って変わって、怒りに顔を真っ赤に染めた王子殿下は、腰に下げた鞘から剣を引き抜き、目の前まで踏み込んで来ようとしていた。
咄嗟に彼女を背中に押しやり、腕で自分を庇う。予想される痛みに身構えていたが、キンっと弾かれる音と共に、殿下の手から剣が吹き飛ぶ。
「やぁやぁ。楽しい余興だったが、こんな茶番に真剣を使うとは感心しないなぁ」
パチパチと拍手しながら近づいて来た人物は、ディルクの横で殿下の剣を弾いた護衛の肩を叩き、構えを解かせる。
見覚えのある護衛の男がすっと後ろに下がり、ディルクは目の前にいる人物に目を見開く。
「…兄上?」
「やぁやぁ。久しぶりだねぇ我が弟よ。いい面構えになってまぁ。まずは卒業おめでとうかな?」
「どうしてここに…」
呆然とするディルクを面白そうに眺めながら、にんまりと笑った兄に手招かれ、豪奢なマントを羽織った壮年の男が進み出た。
「弟の卒業を見ておきたかったし、この機会に訪れてもいいかなと、これからも友好国とは仲良くしたいからねぇ、そうですよね陛下?」
「ああ。貴殿の言う通りだ」
陛下と呼ばれた男に、王子殿下が「父上!?」と声を上げる。その声に、陛下は床に尻餅をついている息子をぎろりと睨みつける。
「他国の王子に剣を向けるなど、貴様は一体何をしているのだ」
怒りを滲ませる声色に、王子殿下はびくつきながらも弁明を始める。
「不可抗力です!私は、自分の婚約者の罪を裁こうと!」
「誰の、婚約者だと?」
「わ、私です!しかし、婚約は破棄しましたので元婚約者ですが」
深いため息を吐く陛下は頭を振る。
「この卒業パーティの前に、既にお前とユータリアの婚約は解消されておる」
「なっ?!」
「そうなんだよ殿下。貴方は婚約者でも無い女性に何の根拠もない罪を着せようとした。しかもその女性は、私の大事な弟の婚約者なんだ。我が国に喧嘩売ったって分かってる?」
二人の言葉で、今回の行動が全て間に合っていたのだと理解した。
混乱する王子殿下は、見下ろす陛下と兄上の鋭い目に睨まれ動けずに口をパクパクと開いては閉じてを繰り返している。
「どういう、事ですの?」
背中から発せられた動揺して震える声に、ディルクは向き合う。その場で跪き、彼女の手を取る。
「ユータリア嬢、貴女がいなければ私は生きていけない。もう二度と、貴女を失いたくはない。陛下と兄の力添えもあり、私が貴女の新たな婚約者となりました。勝手な事をした僕をお許しください」
「新たな、婚約者?」
呆然とするユータリアの手に口付けを贈る。
彼女が王子殿下を慕っていたとしても、彼女を失うくらいならば我が物にして引き離してしまえばいいと、欲望のままに動いた自分を、許してはくれないかもしれない。
兄に現状と婚約したい女性がいると手紙で伝えて、無理矢理にでも奪い去るつもりだった。隣国に喧嘩を売る様な真似だ、縁を切られても仕方がないと思っていた。
どうしてもユータリアが死ぬ事だけが耐えられなかった。嫌われようと罵られようと、最期まで尽くしてみせる。
今まで何事にも大した興味が湧かなかった自分が、初めて大事にしたいと思った存在なのだから。