ライ麦の地平線の見える場所まで
五月。それはライ麦の育つ季節だ。
「今日も絶好の作詞日和」
宇緑美鳥はまだ青い、ライ麦畑の土手に座っている。すると、音楽が聞こえて来た。
――この音色は……。
美鳥は音楽のする方を見た。すると、そこにはバイオリンを弾いている人物がいた。
――すごい、プロかな?
美鳥は少しの間、その音色を聴いていた。
その男性はバイオリンを弾き終わる。すると、彼は美鳥の存在に気付いた。
彼はなぜか顔を赤くし、顔をそむけた。
――まさか、プロではない!?
美鳥はそう思った。一方、男性は後ろを向いたまま、対処に困っていた。バイオリンを見ず知らずの人に聞かれるとは思ってもみなかった。案外、ぬけている。
「バイオリニストですか?」
美鳥が尋ねる。すると。
「あ、いいえ。違います」
彼、金崎一は否定した。
「それでは?」
美鳥は尋ねる。
「実は作曲をしています」
「作曲家さんという事ですね?」
「はい、そうなります。一応」
「一応?」
美鳥はきょとんと聞き返す。
「あ、いいえ。あなたは何を?」
「詩を書いています」
「詩人の方でしたか」
「はい」
美鳥は少し微笑んだ。
「……あの」
金崎は少しためらって言う。
「なんでしょう?」
「一緒にミュージック・コンテストに応募してくれませんか?」
「ミュージック・コンテスト?」
「名前の通りです」
「あ、そうですよね。というより、そのミュージック・コンテストとは、作詞も必要なのですか?」
「はい。もちろん、作曲だけの部門もありますが……」
「出来れば、歌詞を必要とする部門へも挑戦したいのです」
「それで、作詞の仕方を教えていただきたいのです」
――まさか、私にこんな機会が来るとは!
美鳥は表情を明るくした。
「はい、分かりました。協力したいです」
「本当ですか!?」
「はい」
「そう言えば、私たち、まだ自己紹介がまだでしたね。私の名前は金崎一といいます」
「私は宇緑美鳥と申します」
「ところで、作曲家さんがなぜ、こんな田舎へ?」
「実は私の祖父がライ麦畑を作っている兼業農家でして、それの刈り入れを手伝いに」
「そうだったんですか」
「はい、しかしライ麦の刈り入れが終わったら、すぐに街の市内へ戻る予定です」
「コンテストのテーマは〈大空〉です」
金崎がコンテストの説明をする。
「〈大空〉ですか。そうですね……」
美鳥は頭上の青空を見て、考え込む。
「……というより、大切なのは、明日が締め切りです」
金崎は申し訳なさそうに言う。
「……え!?」
美鳥は驚く。
「なぜ、そんなぎりぎりに!?」
「すみません。説明不足で」
「あの。必着ではないですよね?」
「一応、インターネット応募のみです」
「あぁ、普通そうですよね」
美鳥は納得した。
「それじゃ、一回、弾いてみます」
金崎はバイオリンで曲を弾き始めた。美鳥はその曲に耳を傾ける。
――おぉ。
曲が終わると、美鳥は拍手をしようとする。しかし、金崎が話しかけた。
「曲の気持ちは浮かぶのに、歌詞の気持ちは全く想像できないのです」
「気持ち?」
美鳥が聞き返す。
「えぇ、イメージというより、気持ちという感覚です。私にとっては」
金崎は遠くを見る。
「〈気持ち〉と言う感覚。私は、〈景色〉という感覚です」
美鳥は自分の感覚を説明する。
「そうなんですか?」
「はい」
「すみません。私には見えなくて」
金崎はさみしそうだった。
二人は、大空を見ていた。
「作詞って、作曲した方と同じ人物ではないといけないのですか?」
美鳥が尋ねる。
「え?」
金崎は彼女の方を見た。すると。
「思いついたの、だから……」
「いいのですか? 作詞と作曲は、別の方々でも構わないようですが」
「えぇ、曲調に乗った〈景色〉が見たい。そう思って」
「ありがとう」
金崎は微笑んだ。
三日後。
美鳥はいつものライ麦の土手にいる。
――コンテストの結果発表って、いつだった? 肝心なことを聞いていなかった。
一週間後の朝。
美鳥はパソコンのメールボックスを見ていた。すると、ミュージック・コンテストの一次審査の結果のメールを見つけた。彼女はすぐにいつものライ麦畑へ急ぐ。すると。
彼女はライ麦畑を見て驚いた。
「ライ麦が刈り入れされてる」
《ライ麦の刈り入れが終わったら、すぐに街の市内へ戻る予定です》
「もう、街へ戻っちゃったんだ」
美鳥は風に吹かれて、立ち尽くした。
「どうしたのですか?」
――え?
背後から声が聞こえた。それは、街へ帰ったはずの金崎のものだった。
「それはこっちのセリフです! だって、ライ麦の刈り入れが終わっていたので、てっきり街に戻ったのだとばかり」
「ライ麦の次は米の田植えを手伝えと、祖父から言われまして」
彼は苦笑した。
九月。
今度は、稲穂が輝く。