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その町、異形につき注意  作者: りーぱーさん
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三、希望を貪るモノ

 甲高く無機質な音が、静かな空間に響き渡る。驚きで一瞬、身動きが取れなくなったが、すぐに我に返り音のする方に目を向けた。


 伶奈が慌てて電話を切ろうとしていたが、慌てるあまりそのまま携帯電話を落としてしまう。


「落とし……」


 伶奈が声を上げた瞬間。影が私たちを覆った。アレがこちらに、グッと顔のようなものを近づけて、覗き込む仕草をする。まずい、そう思った時だった。


「きゃああああああああ!!」


 闇夜を(つんざ)く悲鳴と共に、伶奈は走り出す。出ては行けないと言われていた陣を越え、道路へと飛び出してしまう。それに反応し、ヤツは伶奈を追いかけて行った。


 私が追いかけようと立ち上がったとき、腕をがっちりと掴まれた。オカルト部の女の子が私を抑えつけ、首を横に振る。


「でも!」


 言って咄嗟に手で口を塞ぐ。反してオカルト部の女の子が口を開いた。


「今なら大きな声を出さなきゃ大丈夫よ。それより。」


 鋭い眼光が私を射抜く。彼女の冷静な眼差しは、私の動転した心を落ち着かせた。


「行かなきゃ、伶奈が殺されちゃう!」


 しかし彼女は掴んだ腕を離そうとしない。


「いい? 私から提案できる選択肢は二つよ。」


 彼女も立ち上がる。私は言葉も出せずに立ち竦んでいた。


「一つ、このまま時間までここに残る。私と貴女は確実に助かるわ。でも、あの人は……」


 言いたいことはわかった。しかし私だけ助かっても一生後悔する。それだけは確信できた。


「そんなことするくらいなら私一人で……」


 すぐに言葉を遮られる。


「いい? 私が協力しなきゃ救出は絶望的なの。落ち着いて話を聞いて。」


 彼女は伶奈を見捨てようとしているのではない。話し方は不器用だが、その思いはしっかりと伝わってくる。


「二つ、私と貴女でバケモノのいる場所に行く。全員助かるかもしれない。でも誰も助からないかもしれない。それに、簡単にはいかないわよ? それでもやる?」


 決まってる。私の決意は固い。


「やる。やるよ。親友だもん。」


 私の覚悟を確認すると、彼女は大きく一回、深呼吸をした。


「よろしい。じゃあまず何をするのか教えるわ。」


 そう言うと、交差点の先、私たちが来た道から見ると左に曲がる道を指差す。


「あの先に空き地があるの。わかる?」


 たしかにこの先には広い空き地がある。


「全員助かるにはあのバケモノをなんとかするしかない。方法はあるわ。でもそれを実行するには一度アレの動きを封じなきゃいけないのよ。」


 アレがどうにかなるのか疑問は残るところだが、今は信じる他にないか。


「そのためにここにあるような陣が必要なの。もっと巨大なやつがね。でもこの辺じゃ、あの空き地以外で書けそうなスペースはないわ。もちろん規模が規模だから時間もかかる。」


 なんとなく彼女が言いたいことを理解してきた。


「貴女にはその間、アレの気を引き、近づかないようにして欲しいの。」


 走りには自信がある。だが、あんなバケモノ相手にどこまで持ちこたえられるだろうか。


「生半可な体力じゃ持たないわ。心身への負担は尋常ではないわよ。」


 陸上の全国大会なんて生易しいものに感じられるほどのプレッシャー。これは三人の命をかけた戦いになる。


「やろう……私ならできる。」


 半分は彼女に、もう半分は自分に言い聞かせるように呟いた。描かれた魔法陣が目に入る。


「後戻りはできないわ。やめるならこれが最後のチャンスよ。」


 彼女を一瞥(いちべつ)する。それから一気に足を踏み出した。


  ……!


 なんとも言えない感覚を覚える。まるで何かに飲み込まれたような。


「やっぱり、道具一式持ってきて良かった……」


  最後の一人になった彼女は、伶奈のケータイを拾い上げ、自分の鞄を持つと、平然と魔法陣を出てきた。


「たてわきありす。よろしく。」


 彼女の名前であろう。


「あえっと、緒方咲です。」


  私が名乗ると、アリスは私の手を強く握ってきた。


「頼んだわよ、緒方さん。貴女が作戦の主軸なの。くれぐれも死なないように。」


 そう言うと、アリスは空き地の方へと走り出す。しかしすぐ立ち止まり、振り返った。


「そうそう、ここは私達の知ってる世界と少し違うの。常識に囚われないで。どんな状況になっても冷静に、ね?」


 私の返事を聞く間もなく走って行ってしまった。


 とにかく、まずは伶奈を見つけなくてはいけない。私は伶奈が走って行った方へと体を向けた次の瞬間。


 背中に強い衝撃が走る。それと同時に、悲鳴が聞こえてきた。


「ヒィィ!」


 伶奈が私にぶつかって倒れたところだった。怯えきった表情で私を見つめる。


「さ、咲!ヤ、ヤバイ痛たたた!」


 私は伶奈の頬をつねってやった。突然の出来事に伶奈は驚いた表情をしていたが、少し冷静さを取り戻したようにもみえる。


「落ち着いて。あとは私がなんとかするから!伶奈はこの先の空き地に行ってて。」


 否応無しに彼女を引っ張って、空き地のある道に押し出す。


「ちょっと! 咲?!」


 悠長に話をしている場合ではなかった。伶奈が走ってきた道の先、黒い影が視界に映る。


「説明はあと! とにかく行って!」


 そう言うと私はもう一度伶奈の背を押した。そしてアレが近寄ってくるのを待つ。


「ごめん、咲。気をつけて。」


 動揺しつつ伶奈が奥へ走って行く。その姿を横目にアレが迫ってくるのを見ていた。


 ただ逃げるのでは意味がない。付かず離れずを保ちながら、空き地に近付けないようにしなければならないのだ。


「父さん、母さん。今までありがとう。」


 私は心のどこかで、死を覚悟していた。この場所、なによりアレの異様な雰囲気がそうさせたのだろう。


 ソイツが一番近くの街灯に差し掛かる。正面から対峙してわかったのだが、かなり大きい。自分との身長差を考えると、二メートル半から三メートルほどありそうだ。


 ゆっくりと後ずさりし、バケモノと距離を保つ。

 途端、地獄の底から沸き上がるような、低く(おぞ)ましい音が響いた。


 ソイツは急に叫んだかと思うと、移動する速度を大幅に上げ向かってくる。私は反射的に向きを変え走り出した。振り返ると、思っていたよりも素早く追いかけてきている。恐怖が押し寄せてくると同時に、誘導が成功したことを確信する。


「やって、やってやる……私ならやれる……」


 言葉とは裏腹に、その声は震えていた。


 後ろを振り返りながらソイツとの距離を保つ。直線は不利だ、どこかで道を曲がりたい。交差点に差し掛かると、右に飛び込む。


 背後で生々しい嫌な音が響く。


 背後を確認すると、ソイツは曲がり切れなかったのか盛大に転んで、壁に突っ込んでいた。次の瞬間、布? の合間から無数の細い腕が現れ、壁を這いずりながら追ってきた。


 重力を無視した動きに驚愕し、硬直する。だが、一種の生存本能のようなものが、立ち竦むことを許してはくれない。幸いなことに、ソイツの移動速度は先ほどよりも遅いようだ。


 ほとんど余裕はない。後ろを確認するたびに神経がすり減らされる。


 再び交差点に差し掛かった。


「ゔッ!」


 身体中に衝撃が駆け巡る。十字路だと思っていた道は、T字路であったのだ。後ろを気にするあまりに気が付かず、勢いよく石の壁に衝突してしまった。一瞬意識が飛びそうになる。


「はッ、はあ、はあ。」


 数秒呼吸ができなくなり、よろめきながらも左に伸びる道へと駆け出す。不思議と痛みは感じず、さらにヤツとはある程度距離があったため、少しだけ余裕が出きた。


 周りを見渡してみる。月の無い空に煌めく星々。立ち並ぶ家々は、まるで空き家に感じられるほど人気を感じない。いや、実際この場所に人など存在しないのだろう。


 聞き覚えのある鈍い音が反響する。私のようにアレがT字路に突っ込んだのだろう。かなりの騒音であったにもかかわらず、誰一人反応する気配がない。


 後ろを振り返ると、追われ始めたときの体勢に戻っているではないか。緩みかけた心が引き締まる。


「はぁ、はぁ、まったくしんどいな。」


 言葉は虚空に吸い込まれるように消えていった。

 しばらくすると見覚えのある場所へとたどり着く。


「ここ、最初にいた場所だ……」


 いつのまにか、事件の発端となった場所に来ていた。しかも逃げた方とは真逆の方向から辿(たど)りついたのだ。生垣を覗くと、例の魔法陣が描かれている。


「ちょっと、これどうなってるの?!」


 別に方向音痴などではない。間違えたとしても、進んだ道と真逆の方向から出てくるなどあり得るだろうか?


 いや……伶奈は逃げた方とは逆から現れた。なにより、最初に見たヤツの行動。道を渡りきったと思うと、また道の始めから現れる。


 私の憶測だが、この世界は一種の隔離空間で、端まで行くと、反対側の端に出るのではないか。確信はできないが、可能生は十分にある。焦ってめちゃくちゃに逃げれば、誤って空き地の方へ出てしまうかもしれない。


「ぬううええつねかせせえ!!」


 そうしている間にもヤツが追いついてきた。悠長に考えている時間などない。足に力を込め、これからどうするかを考える。空き地の対面になる方向に出てしまうリスクがあるが、動かなければ私の身が危うい。これは同じ道を走れば、問題はないだろう。しかししばらく走ったところで、硬直するほどの問題に直面した。


「えッ?」


 疑問以外にはなにも浮かんでこない。ソイツは少し先の交差点を曲がってきた。理解できずに唖然としていたが、ハッと我に返り(きびす)を返す。


 道をしばらく引き返したところで、左側の道に飛び込んだ。


 いた。


 ソイツは道の少し先から歩いてきていた。


「は?! どうして?!」


 問いに答えるようなモノでもあるまい。わかってはいるが、声に出さずにはいられなかった。


 ヤツに背中を向ける。状況が悪くなっているのをひしひしと感じた。ちらっと後ろを確認する。ソイツはまだ追いかけてきていた。


 しかし次の道を曲がると、ソイツは前から現れる。私は混乱と動揺で正常な思考ができなくなってきていた。


「こ、こっちに……」


 ふと目に止まった路地に入る。道は車がギリギリ通れる程度で、全体的に薄暗い。加え、道は曲がりくねっており、先を見通すことはできない。こんな道に入ったのは小学生以来だろう。どうやら、通り抜けできるかも怪しい道に入ったようだ。


 しまったと思った頃にはもう遅い。後ろから差し込んでいた街灯の明かりが陰る。今はとにかく前に進むしかない。何度か道が分岐していたが、真っ直ぐ走って行った。


 一軒家に突き当たり、失礼だとわかりながらも玄関を叩く。しかし誰も反応する気配はない。扉には鍵がかかっていたが、車庫は開いている。裏に回れないか探してみたものの、扉などはなかった。


 来た道を眺める。声は聞こえるものの、道が曲がりくねっているために姿は確認できない。


「隠れなきゃ……」


 やつの歩く音が大きくなる。


 近い。すぐさま車庫に駐まった車の裏に回り、腰を屈めて声を押し殺す。車の下から覗くと、ソイツの足元が見えた。


 一つ一つの動作をゆっくりと、物音立てないよう慎重に移動する。


「ぎぎぎ……ぎぎぃ……」


 辺りを見回しているようだ。独特な歯ぎしりのような音が恐怖を煽る。私はそっと車の横に移動し、駆け抜けて逃げるチャンスを探っていた。


 刹那、何かが弾ける大きな音。


 ソイツは家鳴りに気を取られ、後ろを向いている。

 今! 私は全力で駆ける。後ろを振り返るが、ソイツとの距離は十分だ。狭い路地の終点を目指し、長い道を引き返す。そしてついにその時が。


「見えた!」


 いつもの道路が見える。そこで私の希望は無残にも(むさぼ)り喰われた。


 ソイツがこの狭い路地に入ってくる。肥大化した恐怖心は私の思考を停止させる。


 自分の愚かさと、置かれている状況を理解した頃にはもう遅い。


「そっか、先回りか……ど、どうすれば……」


 引き返す。しかしアレはもう私を逃がすつもりなどないようだ。曲がりくねった道はどうしても死角となる場所ができる。そこまで行くと、奥の方にソイツは見える。それは、野球のランダウンプレイを彷彿させる状況であった。


 ついに私は、道路にヘタリ込んでしまう。


「もう……ダメだ……はぁ、はぁ、ダメか。」


 ソイツは通りの方からゆっくりと近づいてきた。まるで私の苦痛を嘲笑うかのように。


「こっちだ! この気持ちわりぃゴミ虫野郎が!!」


 一瞬ソイツが喋ったのかと錯覚するが、しかしその声は、ヤツの背後から発せられたようだ。


 バケモノが振り向く瞬間に、声の主が視界に入った。


「伶奈?!」


 紛れもない。伶奈がソイツに石を投げて、挑発している。


「頭ん中蛆虫だらけの化け物め!!」


 ありったけの罵詈雑言をソイツに吐きかけている。どうやら熱い罵倒が通じたようで、ソイツは伶奈を追いかけて行ってしまった。


「……ま、また助けられちゃった。」


 自分に任せろと言っておいてこのザマである。その場しのぎだが何とか助かった。あとは伶奈をサポートしなければ。それにしても伶奈は、どうやって私の居場所を突き止めたのだろう。


「よし、まだ走れる。」


 自分に言い聞かせた。今までこんなに全力で走ったことなどあったろうか。いや、緊張で必要以上に体力を消耗したのかもしれない。それでも不思議と力が湧いてくる。すぐに元の通りに戻ると、伶奈がこちらに走ってきていた。


「ヒィ、ヒィ、来るよぉ! 逃げろぉー。」


 伶奈の後ろを見やり、すぐについて行く。しかし、アレの姿が見えなくなると、すぐに正面に回られる。


「アイツ! マジなんなの?! どうにかしないと!」


 伶奈は、息が切れて話すのも大変そうにしている。昔は私よりも運動ができたことを思い出し、切ない想いになった。


「ちょっとー? さきー?!」


 感傷に浸っている場合ではない。何か策を考えなくては。


 ……そうだ。アレは私たちの視界から外れたあとに現れる。片方がアレを視界に入れ続けていれば、瞬間移動ができないのではないか。


「伶奈、考えがあるの。伶奈は正面見てて。」


 彼女はこちらを向き一瞬首を傾げるが、再び正面を見据(みす)える。


「で? 次は?」


 私は後ろ向きに走り始める。


「真っ直ぐ走って! 私はアイツ見張ってるから!」


 上手くいけば時間を稼げる。傍から見れば、シュールな光景だろう。あとは、早くアリスが作業を終わらせてくれることを祈るしかなかった。


 しばらく走ったところで、これならいけると確信する。私が視界に入れている限り、ソイツは正面には回ってこない。私達の速度を上回る動きも見せる様子はなく、あとは根性勝負となりそ……?


「ちょっと?! 大丈夫?」


 突如、意識が飛びかける。体が思うように動ない。……あの時だ、あの時壁に衝突したダメージが、今になって顕著に表れてきた。


「咲?! 無理しないで! 私が気を引くから隠れてなよ!」


 立場が逆転している。いつもこうだ……しかし彼女も体力が限界に近いだろう。このまま伶奈に託しても、万が一の可能性がある。


「まだいける、ありがとね!」


 見栄を張るが、実状はもう意識を保つので精一杯である。足はなんとか動かせるが、後ろ向きで走っているためいつ転んでもおかしくない。


 しかし私が正面を向いてしまえば、エンドレスシャトルランとなり、二人の体力も持たないだろう。


「私が後ろ見るよ! 咲はふつ……」


 伶奈の声が途切れる。否、私の意識が飛んだのか? 勢いのまま仰向けに倒れこみ、ボーっと空を見つめ、ああ、もう終わりなんだなと、どこか諦めていた。


 ぐわっと景色が反転し、周りの風景が動き始める。……よく見ると、伶奈が私を背負い、死に物狂いで走っているのだ。自身の非力さ、不注意さに情けなくなる。伶奈はおろか、自分の身さえ守れないのだ。


「ごめ……はしらなきゃ……」


 想いとは裏腹に、か細く弱々しい声を絞り出すことしかできない。


「よかった。今のうちに。休憩しときな。」


 伶奈も絞り出すように声を出す。お互い余裕など微塵もありはしない。後ろからゆっくりとソイツは間を詰めてくる。このまま任せきりでは、共倒れは免れない。


 数分間も私を背負い、根性だけで走り続ける姿は、まさしく私が憧れた入江伶奈そのものであった。


 伶奈が急に立ち止まる。


「ははは……ダーメだ。足、上がんない。」


 限界だ。これ以上はもう……私は伶奈の背を降りる。二人して冷たいコンクリートにヘタリ込んだ。


「ごめ……あたしが、あたしがあの時……びびって飛び出さなきゃ……」


 お互い様だ。私だって今、伶奈の足を引っ張っている。


「ねぇ、伶奈……あの世でも友達でいてくれる?」


 伶奈はニッと笑う。


「当然じゃん。」


 死を前にしても、不思議と恐怖感はなかった。二人で空を見上げる。ただし、後ろを見ることはできなかった。


 視界をなにかが(かす)める。


「ぎぃいいいぃぃいい!!」


 背筋も凍る(おぞ)ましい音が響く。後ろを振り向くとソイツがうずくまって悶えていた。


「いつまで座ってんの! 走るわよ!」


 正面にはアリスが立っていた。その手にはパチンコ、いわゆるスリングショットと言われる物が握られている。ポケットから何かを取り出し、スリングショットにセットする。私たちもなんとか立ち上がる。


「はは……こりゃ明日、筋肉痛ヤバそう。」


 伶奈がそう言いながら歩きだす。ギリギリでアリスが間に合ったのだ。私たちはフラフラと歩きながら、アリスの元まで辿り着く。と同時に、ソイツは叫びながら突っ込んできた。


 鈍い音がしたかと思うと、ソイツは再び悶え、うずくまる。


「行って! 全力で走りなさい!」


 最後の力を振り絞り、疾走する。何度も意識が飛びそうになったが、そのたび伶奈が支えになってくれた。そうしてフラフラと走っていると、空き地に入る交差点が見えてきた。


 その交差点をアレが曲がってやってきた。再び絶望感が押し寄せる。遅れて後ろからアリスが走ってきた。


「まさかあんなことができるなんてねぇ。」


 スリングショットを構えると、アレも警戒体勢に入る。


「次のは最高に効くから。」


 ゴムが風を切り裂き、激しい音を立てる。しかしソイツは身をくねらせ(かわ)し、すかさず間合いを詰めてくる。


「ああああああああああああああ!!」


 再び空を切る音が聞こえると同時に、アレは倒れのたうち回りながら、耳を(つんざ)くほどの大声を上げた。私達は何が起きたのかわからず、立ち尽くすだけ。


「フェイントって知ってるかしら?」


 アリスはそう吐き捨て、平然と横を通って空き地に続く道に入る。私達もヨタヨタと後に続くき、何事もなく通り抜け、そのまま空き地に向かって歩みを進める。


 空き地に着くと、見事な魔方陣が描かれていた。とてつもないサイズで敷地いっぱいに描かれた円は、芸術作品の如く、見るものを圧倒させるだろう。


「ほら、踏んじゃだめよ。」


 私たちが台無しにしないよう、アリスは釘を刺す。二人で隣家の塀をつたい、空き地の一番奥に到着すると、地べたに崩れ落ちた。


「後は任せてなさい。寝てれば終わってるわ。」


 鋭い眼差しに今は心強さしか感じない。私達の荒い息遣いと、アレの叫び声が不協和音を奏でる。魔方陣を観察すると、中心以外にもいくつか円が描かれている。その一つ一つに何かが山状に盛られており、それにアリスは火をつけ始めた。


「何が起こるか、ちょっと楽しみかも。」


 不謹慎なのはわかっているが、湧き上がる好奇心を抑えきれない。伶奈が呆れ顔でこちらを見ていた。


 火をつけ終えたアリスは、私たちに背を向ける形で円の一つ座り込む。真ん中の円とアリスの座る円には何もない。


 改めて見るとその光景はどこか神秘的な雰囲気で、私は見惚(みと)れてしまっていた。


 突如、無音の威圧を察知する。伶奈は壁にもたれて(くつろ)いだ格好をしているが、その目は道路の方をしっかりと見据えていた。


「来たわね。」


 私は何故か正座をし、来るべき時をじっと待つ。伶奈の方を見ると、ダラっとした姿勢とは裏腹に顔を強張らせていた。それが私の緊張感を一層煽る。


 視界の端で動き察知。道路に視線を移すとソイツはいた。


「ギィィィいあ……」


 唸るような声に混じった、怒りや殺意をひしひしと感じる。


 アリスが立ち上がるとソイツは臨戦態勢となり、今にも飛び掛かってきそうだ。


「終わりにしましょう。本当に、もう。」


 アリスはうつむくと手を前で組む仕草をする。次の瞬間、ソイツは勢いよく走り出した。陣の中心目掛けて一気に詰め寄る。


「異なる者、理りに準ぜよ。」


 アリスの言った言葉の意味はわからない。しかしソイツは、魔方陣の中心で固まり微動だにしなくなっていた。アリスがバケモノに近寄ると、瓶を取り出す。栓を抜く間の抜けた音が、この果てしない時間の終わりを告げたような、そんな気がした。


 肝心のバケモノはというと、瓶を近づけた途端瞬く間に吸い込まれ、姿を消してしまう。


「はいお終い。ほら、あんた達さっさと帰ったほうがいいんじゃない?」


 アリスはそう言いながら魔方陣を足で消している。土埃を避けるように私達は道路側に移動した。


 しかし、あまりに呆気ない終わり方に、どこか釈然としない。一体何が起きたのだろう。そんな私の気持ちを悟ったのか、アリスがボソッとこんなことを言った。


「こんなことに巻き込まれるなんて、一生に一度あるかないかよ。知らないほうがいいこともある。今日の出来事はその一つだと割り切って忘れなさい。」


 私の好奇心が真相を欲しているが、今は体を休めたい。それに彼女は私達と同じ学校に通っているのだから、いつでも会いに行けるのだ。この件は日を改めて、今日はもう帰ろう。


「伶奈、家まで歩ける?」


 彼女は、


「大丈夫」


 と呟き背伸びを一回。その後アリスに声をかける。


「ありがと、ホント助かった。……あとさ、色々言って悪かった……ごめんなさい。」


 二人が合流したあとに何かあったのだろうか。事情を聞きたかったのだが、今はそんな雰囲気ではない。


「いいわ、気にしてないから。あ、そうそう。これ持ってきなさい。」


 そう言って何かを投げてよこした。掴んだ手を開くと、なんの変哲もない銀色の指輪が二つ。


「御守りよ。ポケットにでも入れて帰るといいんじゃない? あ、指にハメちゃだめよ。」


 伶奈に一つ渡すと、ポケットに入れる。


「ねぇ、なんで指にはダメなの?」


 指輪を眺めながら、伶奈が質問する。アリスはまだ魔方陣を消している。私も気になっていたため、黙って返事を待つ。


「護りが強いのよ。指にはめると守護霊に影響が出るわ。」


 気怠そうに腰を叩きながら、私達に帰るよう促す。彼女なりに私達を気遣っているのかもしれない。私も酷く疲れていたため、大人しく家へと歩き出した。


 足取りは重く、静寂の街に響くスニーカーの擦れる音が、気まずさを助長する。


「ごめん、咲。迷惑かけたね。」


 伶奈の顔は暗く、自身の失態に落ち込んでいるようだ。あんなことが起きた以上、私だって正気ではいらないだろう。仕方のないことだ。それよりも気になることがある。


「伶奈、あの時の着信、誰だったの?」


 さっと顔色が変わり、表情が強張る。間を置いて彼女は一言こう言った。


「電話なんてきてなかった。」


 背筋に悪寒が走る。どういうことだろう。着信音は確かに聞いている。さらに言うならば、軽快な音を響かせているところを私は見たわけだ。


「帯刀にも聞いてみたけどさ、よくわからないって。たださっきのアレとは関係ないだろう、とは言ってた。」


 何かの不具合だろうか。しかし、今はそれを知る術もない。


 それからしばらくは、二人とも黙って歩いていた。


 フッと、不思議な感覚に包まれる。あの時と同じ、魔方陣から飛び出たあのなんとも言えない感覚。


「終わったのかな。」


 そう呟くと伶奈は、


「多分」


 と小さく返した。しかし、どれほどあの場所にいたのだろう。


「とりあえず安心だね。」


 私が軽く頷くと、伶奈は背後を見やる。釣られて見てみるが、なにも変わったところなどない。


「今、十二時半だ。……ってことは三十分ぐらいだったのか。もっと長く感じたかも。」


 伶奈は携帯電話を確認して驚いている。確かに体感はもっと長い、永久にさえ感じられたほどだ。しかしまあ睡眠時間が伸びたと考えれば悪いことではない。早く帰って、ふかふかのベッドに寝転がろう。だが疲労した体では、歩き慣れた家までの道のりでさえ長く、非常にもどかしい気分になった。

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