二、歪な夜
「咲ー、飲み物買ってこない?」
午後十一時四十分、私達は買ったばかりのゲーム機で盛り上がっているところだった。
「本気で言ってる?」
夜遅くに外出しない真面目な咲だが、最近は私の影響で、暗くなってからもついてくることが多くなった。しかし、さすがにこの時間になると抵抗があるらしい。
「だいじょーぶだいじょーぶ! この辺は夜に出歩く人いないから。」
自分で言いながら不自然さに気付く。夜には本当に誰にも会わないのだ。会社帰りの人や酔っ払い、果ては見回りの警察官さえ見たことがない。だからこそ出歩けるわけではあるが。この街で物騒な事件などほとんど聞かないが、行方不明者がしばしば出る。引っかかるものを感じながらも、私は外出の準備を始めた。
「もー、仕方ないなあ。」
観念したのか、咲も外に出る準備を始める。パジャマを脱ぎ適当なジャージを着て、階段を下り玄関へと向かう。
ドアを開けると、自然光一つない新月の夜が出迎えてくれる。街灯の明かりだけが、張り巡らされたコンクリートの森を照らし出していた。まだ冷たい風が静かに吹き抜けて行く。
「やあー、風が心地いいね! ヒヒヒヒッ。」
はしゃぐ私を眺めながら苦笑する咲。
「もう伶奈ってば、転んでもしらないよー。」
うちからコンビニまでは距離があるため、自動販売機へと向かう。販売機には屋根が付いており、雨宿りにも使える場所だ。さらに珍しく食べ物の販売機もあり、私は決まってその場所へと出向くのであった。
「何食べよっか? たい焼きとかいいかもね!」
食い意地全開の発言に、咲は冷めた目で見つめてくる。
「こんな時間に食べたら太るよ? ただでさえ最近ウエストラインが目立ってきてるのに。」
的確な指摘に何も言えなくなり半笑いになった。
「じゃ、運動がてら自販機までダッシュだよ!」
洗礼された美しいフォームで足踏みしている。街灯で照らされた咲は子供の時のようなはしゃいだ顔をしていた。
「もぉー、勘弁してくれぇー。」
私は先行く彼女を懸命に追いかけた。
荒い呼吸音が木霊する。私は自動販売機の隣で、冷たいコンクリートにへたり込んでいた。
「ふぅー、いい汗かいたね。うーん、何飲もうかなぁ。」
心地よい風が体を撫でる。年月を重ね、こんなにも鈍足になった自分に呆れながら、咲が飲み物を選ぶのを眺めていた。
「はぁー、食欲完全に失せたわ、マジ。」
私の独り言など気にもとめず、彼女は取り出し口からスポーツドリンクを取り、私の横に座った。自動販売機の冷却音だとか、屋根に設置された蛍光灯のジーっという音が、やけに大きく聞こえる。私は立ち上がり、へばりつく小さな虫を横目にジュースを物色していた。
十分ほど経っただろうか。少し落ち着き、飲み物も空になる。帰ってから飲むつもりだったが、疲労困憊でそれどころではなかった。
「おーい……おーい……」
ここ"慶隆町"は、山に隣接した街である。そして、学校側とは反対に聳え立つ"狩馬山"は、誰かを誘うような不気味な"音"を出すのだ。夜中に怖がる私を、パパは、
『洞窟を風が通る音だよ。』
と優しく教えてくれたのを覚えている。今日はその音がはっきりと聞こえるため、少し気味が悪くなった。
「もう帰るか、明日寝坊しそう。」
それを聞いた咲も、
「確かに。」
と呟き立ち上がる。私は空き缶をゴミ箱に入れると、来た道を振り返えった。
……交差点の暗がりを、何かが通った気がした。
「ねぇ、こっちから帰ろうよ。面白そうじゃん?」
私は少しだけ遠回りの道を指差した。とは言っても、別に知らない道ではない。ただ今見たものの方には行きたくなかった。
「気分転換にはいいかもね。」
咲はそう言って笑う。彼女の笑顔が私を安心させてくれた。
明日の学校のことなんかを話しながら、あまり通らない、住宅地特有の広くない道を歩いて行く。光の届かない場所にさっき見た何かがいるような気がして、私の中の不安が膨らんでゆく。
「どうしたの? 急に。なんかあった?」
咲は不思議そうに私を見つめている。
「いや! 何でもない。……ただ少し暗がりが怖いなぁってさ。」
私の返しに咲はふっと笑い、とんでもないことを言い出した。
「伶奈もそういうの怖いんだね、もっとタフだと思ってた。」
なんてことだ。私は花も恥じらう乙女……いや、別にナルシシズムではないが……しかし、私は昔から対人で臆さない女だ。それにホラーが苦手なわけでは無い、がやはり怖いものは怖い。
咲は、ムスっとした顔でいじける私を見て、ケラケラ笑っている。気分も落ち着いてきて、気を紛らせるために、他愛のない話をしながらしばらく歩いていた。
その時だった。
「あ。」
目が合った。
交差点の少し先。正確には、目が合ったように見えた、だろう。右側にある家の生垣に、ぼやっと人の頭が見える。咲も気づいたようで、硬直しそちらを睨んでいた。すると、ささやき声で話しかけてきた。
「貴女達! 家は近いの?!」
女だろうか。口振りから察するに、その人間は少々焦っているようだ。私たちが黙っていると、再び声をかけてくる。
「とにかく、こっちに来なさい!」
異様な雰囲気に呑まれ、私たちは言われるがまま生垣を乗り越えて、その人物の元に近づく。
あの女だった。帯刀婭里寿。動きやすい、いわゆるスポーツウェアで、髪を後ろで束ねた姿は、普段の地味な印象はもちろん、夕闇に染まった狂気的な印象は皆無である。しかし、今もっとも会いたくない人物であることには変わりない。唖然としていると、帯刀は下を指差し話し出した。
「いい? ここでじっとしててほしいの。何があっても、決してこの陣から出てはダメよ。声を出してもダメ。」
地面を見ると、怪しげな円形の魔法陣が書いてある。何を言っているのだこいつはと、訝しげな顔で帯刀を見つめる。咲も同じような顔をしていたのだろう。
「悪いけど、貴女達のためでもあるの。もちろん、どうなってもいいならどうぞ。何処へでも行けばいいわ。」
少しカチンときて、言い返そうとしたが、咲がそれを制止する。
「な、なにかあるの? 説明してよ。」
帯刀は先ほどの動揺もなくなったようで、真剣な眼差しをこちらに向けている。
「説明しても仕方のないことよ。どうせ信じないわ。とにかく静かに見届けて欲しいの。この中ならヤツは私達を認識することはできない。」
どうやら私も観念したほうが良さそうだ。この手の人物はあまり刺激しないのが吉だろう。下手に騒げば私の身が危険だ。
相変わらず、気味の悪いほど辺りは静まり返っている。
今は十二時くらいだろうか。私たち三人はしゃがみ、何かが起こるのを待っていた。帯刀はチラチラと腕時計を気にし、辺りをキョロキョロしていた。
不意に空気が変わる。咲を見るが、特に何も感じてはいないようだった。しかし、帯刀の発言が私の感覚は正しいと確信させた。
「来る……」
咲はその言葉を聞き、キョロキョロと見回していたが、私の変化に気づき、一変、緊張した面持ちになる。
それから一分かニ分ほどたった頃。何もないのではと思い始め、体勢を変えようとした時。
「〜〜〜〜〜。」
歌? のような、しかしハッキリとは聞こえない。ただとにかく、音がするのだ。
「〜〜〜〜〜。」
耳を澄ます。
「ぁ〜〜〜ぃ〜。」
その音は、だんだんと近づいているようだった。そしてこの状況に、私は漠然とした嫌悪感を抱いていた。
咲と帯刀を交互に見る。咲は音のする方角を眺めていおり、その顔は暗がりでもわかるほどに青ざめていた。どうやら咲にも、音が聞こえているらしい。
一方帯刀の表情は、私の前にいたためによくわからなかったが、なんとなく楽しそうに見えた。
「おーーや〜せ〜〜のおーお〜おー。」
どんどんと音は近づいてくる。言葉はめちゃくちゃだが、一定のリズムがあるのは理解できた。そしてそれは、私たちが歩いてきた道の奥に現れた。
戦慄する。
認識するまで時間がかかったのは、それが全身を覆う黒い衣服のような物を纏っていたからだろう。ハッキリとはわからないが、身長はニメートル以上ありそうだ。
「ッン!!」
すんでのところで叫びそうになるのを抑える。咲の方を向くと、口元を押さえる手が震えており、アレの姿は三人とも見えているようだ。
ついにそれが目の前の街灯の下を通り、それの全容が明らかになる。
ー 歪なる者 ー
顔に見える場所は赤紫色に染まっている。その真ん中には見惚れるほど美しいエメラルドグリーンの小さな球体が埋まっていた。
「あーーあ〜〜、ま〜のーに〜〜いーい〜。」
嫌悪を覚える歌に、ゆったりとしたその動きは、この時間を永遠のように感じさせた。
目の前を通り過ぎる。私たちには目もくれず、ただ歌っている。そうしてジワリ、ジワリと見切れていった。
よかった、終わった。そう思い、口にしようとした時だ。
「〜〜〜〜〜。」
腰を抜かしそうになった。再び声が聞こえてくる。それも、消えた側ではなく、現れた方から音がする。
何故? もう終わったんじゃないの? 私は道の奥から目が離せなくなっていた。
「ぁ〜〜〜ぃ〜。」
来た……私を見てるんじゃないか?
「し〜〜のーーお〜〜おーー。」
嫌だ……怖い、怖い……
「おーーや〜せ〜〜のおーお〜おー。」
助けて……助けて!
「れ〜けーーさ〜〜あーーあ〜ひーい〜〜いーー。」
肩を掴まれ我に帰る。声が出そうになり、口を誰かに抑えられた。そのままゆっくりと手が離れ、振り返ると、そこには咲が。
お、ち、つ、い、て。口パクでゆっくりと伝えてきた。正面を見ると、ヤツが交差点を歩いているところだった。
そうだ、あいつには私達は見えてない。なにを怯える必要があるのか。
あ、り、が、と、う。私も口パクで返事をすると、咲はニッと笑う。彼女の存在はとても心強かった。
何度か現れては消えを繰り返しているのを眺めていたが、帯刀がチラッと腕時計を見る動作をしているのを見て、もうすぐ終わるのかな、と思った。
ヤツが再び前を通る。
途端、甲高い機械音が唸りを上げる。
え? 何?! 電話?! いや、これは……私だ! 早く早く早く!
しまった! 手が!
「落とし……」
あ。ああ。あああ……
「きゃああああああ!!!」




