お尻にスライムが突き刺さりました【短編版】
その時、勇者タイシは急いでいた。
なぜなら仲間を待たせていたからである。
この日、『西の塔』の攻略に向かった勇者一行。
塔の扉を開ける鍵を前日に手に入れ、それを預かっていたのはタイシだった。
だがこの男はあろうことか、その大事な鍵を街の宿に忘れてきてしまったのだ。
そこで彼は罰として、一人で街まで戻らされるはめとなった訳だ。
「ああ、ちくしょう! こんなことなら深夜までバカ騒ぎするんじゃなかった」
朝方まで飲んだくれて、寝ぼけたまま宿を発ってしまったのが原因だったようだ。
激しい後悔を口にした彼だったが、直後には口元が緩んでいた。
「ああ、でも昨日のバニーちゃんのおっぱいは、ぷるぷるで気持ち良かったなぁ。うへへ」
この男、まったく反省していないようである。
ちなみに『西の塔』から街までは、大きな平原を隔ててすぐの距離だ。
彼は罰を受けているにも関わらず、鼻の下を伸ばしながら平原を駆け抜けていたのであった。
……と、その時だった。
タイシの視界に、4体のピンク色したまんまるのモンスターたちが飛び込んできた。
モンスターたちもタイシの存在に気付いたのか、互いに身を寄せ合いながら警戒している。
その様子を見て、タイシは舌うちをした。
「ちっ! メスのスライムどもか。ろくな経験値にもならねえお前らを、俺が相手してくれるとでも思っているのか!? あはは!」
この時、タイシのレベルは20。
対するメスのスライムたちは2だ。
確かに彼女たちを一掃したところで、タイシのレベルアップにはつながらない。
彼は嘲笑を浴びせながら、その場を素通りしていく。
するとスライムたちは、そんな彼を横目に見ながらひそひそ話を始めたのだった。
「ねえねえ、あの人間。感じ悪くない?」
「ほんとよねー。さっきまでいやらしい顔しながら走ってたくせに」
「えっ!? それマジ? ちょーきもいんですけど」
「しっ! 聞こえるわよ! 『たった一人で冒険している人間に、ろくな者はいないから近寄るな』って、おばあちゃんが言ってたわ! だから見ないふりしましょ!」
スライムたちの横を通り過ぎたところで、ピタリと足を止めたタイシ。
怒りで引きつらせた顔を半分だけスライムたちに向けた。
「ばっちり聞こえてるぜ、くそビ○チども。てめえらなんか、勇者様である俺がその気になれば一撃であの世いきだって、分かってんだろうなあ? ああ?」
タイシは眉を八の字にしてすごむ。
だがスライムたちは、そんな彼に冷たい視線を浴びせながら、ささやき合っていた。
「ねえねえ、あの人間、『勇者』ですって!」
「勇者って仲間に慕われて、周囲にいっぱい人がいるんじゃないの? たぶん嘘ついてるんだわ」
「えっ!? それマジ? ちょーきもいんですけど」
「しっ! 聞こえるわよ! 『すぐに大声出す男に、ろくな者はいないから近寄るな』って、おばあちゃんが言ってたわ! だから見ないふりしましょ!」
タイシは勇者だが、人間としては未熟だ。
彼は女子たちの挑発的なささやきだけで、完全に我を失ってしまった。
「てめえら……。俺を本気で怒らせたな……」
そうつぶやいた彼は、すらりと剣を抜き、ゆらりゆらりと体を揺らしながらスライムたちに近付いていった。
ピンク色のスライムたちは、彼のただならぬ雰囲気にぶるぶると震えながら怯えている。
そしてついに剣の届くところまで近づくと、彼は大きく振りかぶったのだった。
「その身を持って知るがいい。相手をバカにしたら痛い目にあう、ということを」
ちなみに最初に相手をバカにしたのはお前である。
だが今の彼に愚かな自分をかえりみる余裕など微塵も残されていない。
彼は高らかと叫んだ。
「くらえ! ユウシャ・バスター!」
なお『ユウシャ・バスター』なる技などこの世に存在しない。
単なる振り下ろしを、中二病の彼がそう名付けただけだ。
彼はぐっと腹に力を込め、スライムの一体に向けて剣を振りおろそうとした。
その時だった――
「待ちなさい!!」
と、空気を切り裂くような鋭い声が響き渡ったのだ。
ピタリとタイシは動きを止め、声の持ち主の方へ顔を向けた。
「ああ? 誰だ。俺の邪魔をする奴は?」
いかにも悪役が口にしそうなセリフを、何の違和感もなく吐きだした勇者タイシ。
彼の視線に映ったのは……。
一体のピンク色のスライムだった――
「そこまでよ! 人間!! それ以上は、この『鬼スライム』の異名を持つ、アカネが許さないんだから!」
「鬼スライムだとぉ?」
人の頭ほどの大きさの、丸いスライムであるアカネ。
手足のない彼女は、ぴょんぴょんと跳ねながら、タイシの元へと近寄っていく。
そして震えている4体のスライムたちをかばうように前に出てくると、つぶらな瞳をタイシへ向けた。
「おいおい。何の冗談だ? たかだかスライムのくせして仲間をかばおうってのか!?」
眉をひそめる彼に、アカネの背後にいるスライムたちが口を尖らせる。
「アカネを単なるスライムだと思わないことね!」
「アカネを知らないとか、ちょーキモいんですけど」
「アカネを知らない人間に、ろくな者はいない、っておばあちゃんが言ってたわ!」
ワンパターンの挑発にタイシはまんまと引っ掛かると、剣を振り上げて吠えた。
「てめえら! いい加減にしないとぶっ殺すぞ!」
「やめなさい! これ以上、脅してくるなら、私も本気出すわよ!」
「本気だとぉ? ははは! 出せるもんなら出して見やがれ! 本気とやらを! ははは!」
何のためらいもなく高笑いしているタイシだが、その姿はもはや正義のヒーローには程遠く、悪の化身そのものだ。
対してアカネは瞳に力を込めると、何やら呪文を唱え始めた。
「スライムの神様。私に力を貸してください!」
「ぷぷーっ! スライムの神様ってなんだよ! あははは!」
腹を抱えて大笑いするタイシ。
この男、自分が鍵を取りに街へ急いでいることを完全に忘れているに違いない。
……と、次の瞬間だった。
――ズボンッ!
という大きな音がこだました。
タイシは笑いを止めると、アカネを見つめる瞳を大きく見開いた。
「な、なに……!?」
なんとピンク色のスライムの頭に、見た目からして固そうな角が生えてきたのだ。
それはまさしく『鬼』と称するに相応しい、立派な角であった。
「ふふふ。驚いたようね。この角は突き刺さった瞬間に形状が変わるから、そう簡単には抜けないわよ。なんなら試してみる? その体で」
「くっ……」
さすがの勇者と言えども、あり得ない変貌に動揺を隠せない。
タイシとアカネは互いに視線をぶつけ合うと、相手の出方をうかがった。
ただし、彼らは知る由もなかったのだ。
彼らがこうして向き合うことは、これから先ずっとない。
だが、彼らはこれから運命を共にしていく、ということに……。
そうしてしばらく睨み合いが続いた後。
「はっ! そう言えば!!」
タイシが急に我に返った。
そう、彼は自分が何をせねばならないのか、ようやく思い出したのだ。
彼は剣をおさめると、スライムたちに吐き捨てるように告げた。
「今日のところは見逃してやる。俺はお前たちを相手しているほど、暇ではないのだ」
このセリフだけ聞けば、明らかにアカネの角を見てビビったとしか思えない。
事実、背を向けた彼に対してスライムたちは勝ち誇った視線を浴びせている。
もちろんその視線を痛いほど感じていたタイシだったが、もしここでこれ以上時間を食ってしまったら、それこそ鬼のように怖い仲間のリリアに殺されてしまう。
彼は心にモヤモヤしたものを抱えたまま、その場を離れ始めた。
しかし彼はどこまでも幼稚であった。
三歩だけ足を進めたところで、鬱憤を晴らすようにアカネに向けて暴言を吐いたのだった。
「バーカ! バーカ! そんな角、いつだってへし折ってやるからな! 覚えとけよ! この『鬼ババ』め!」
言いたい放題言ったところで、今度こそ彼はスライムたちに背を向けてその場を走り去っていく。
その顔はイライラを全て吐き出した爽快感で輝いていた。
しかし……。
彼は知らなかったのだ。
キレたアカネのとてつもないジャンプ力を――
「……許さない……」
低い声を漏らした直後には、彼女はその場から姿を消していた。
すさまじい跳躍で、一気にタイシとの距離をつめる。
しかし上機嫌の彼は、近付く脅威に気付くことなく、軽い足取りで前進を続けていたのだ。
そして、ついにアカネはすぐ背後まで迫ると、全身を真っ赤に染めて叫んだ。
「私はまだ16歳! 『鬼ババ』なんかじゃないもん!!」
「へっ?」
突然聞こえてきた大声に、思わず振り返ろうとするタイシ。
顔までは背後に向けられたものの、腰の回転は遅れる。
ただ、それが致命的であった。
――ズンッ!
と鈍い音がしたかと思うと、お尻の割れ目に激痛が走ったのだ。
「あーーーーっ!!」
甲高い声が草原の空に響き渡る。
見事に勇者のお尻に角を突き立てたアカネは、言葉にならないくらいの勝利の余韻にひたっていた。
なぜなら普通の人間であれば、体に角が突き刺されば、失血により命を落としてしまうのを知っていたからだ。
だが、それはタイシにとっては不幸中の幸い……。いや、不幸中の不幸であった。
なんとわずかに血がズボンに滲んできたものの、アカネの想像したような大量の出血には至らなかったのだ。
「えっ!? どうして!?」
アカネが驚きの声をあげる一方で、タイシはお尻に走った激痛にばたばたと手足を動かしながら、暴れまくる。
「どけ! はやくそこからどいてくれ! あーーーっ!!」
「ちょっと! うるさいわね! なんで角が突き刺さったのに、あんたは死なないのよ!」
「てめえ! 勇者がスライムごときの一撃で死ぬか! ぼけっ!」
「そういう問題じゃないでしょ! 体に角が刺さったのよ! 血がぶわーって出て死ぬに決まってるでしょ!」
「むむっ!? そう言われれば、そんな気もする……。どうしてだ? なぜか俺の尻にお前の角がフィットしているように思えるのだが……」
それもそのはずである。
なぜなら、アカネの角がピタリとはまっているのは、タイシのお尻の『穴』なのだから。
しかも、お尻の穴にはまった瞬間に角の形状が変わり、もはや何をやっても抜けなくなってしまっていることに、彼らはまったく気付いていなかった。
ようやく痛みの引いてきたタイシは、アカネに向かって唾を飛ばした。
「おいっ! いつまで俺の尻にくっついてるんだよ! すぐに離れろ!」
「うるさいわね! 私だってあんたの薄汚い尻にいつまでもくっついてなんかいたくないわよ!」
「だったらすぐに角を抜け! 俺の尻をもとに戻せ!」
残念だったな、勇者タイシよ。もはやあなたのお尻は元通りにはならない。
相手のことをバカにすると痛い目に合うと自分で言ったではないか。
まさに自業自得である。
いえーい。
タイシは、強引にアカネを抜き取ろうと、彼女の柔らかな体を両手に持って、ぐいっと下へ引っ張る。
「ちょっと! 気安く触らないでよ! きゃっ! そこはダメ……!」
どうやら勇者はスライムの敏感なところを掴んでしまったようだ。
「うっせえ! ちょっと黙ってろ! スライムのあえぎ声なんて聞きたくねえんだよ! ぐおおおお!」
「やめてぇ! 変に……なりそう……」
――ムクッ……!
「あーーーーーっ! ちょっ! お前! 興奮すると角が大きくなるのか!? この変態スライム!」
「う、うるさいっ! あんたが悪いんだからね! 私は何にも悪くないもん!」
「くっそー……! 掴んで引っ張れば、引っ張るほど俺のお尻がぶっ壊れていくとは……。かくなる上は……」
そう言って、腰から短剣を抜きだす。そして冷たい表情でつぶやいた。
「……てめえを殺す」
さっとアカネの顔が青ざめる。
だが次の瞬間には「ふふふ」と不気味な笑い声をあげだした。
「おい! 何がおかしい?」
「やれるもんならやってみなさいよ」
「ああ? てめえ、俺を脅してるつもりか? 俺は何体も魔物を倒してきたからな。今さらスライム一匹を殺すのにためらいなんかないぞ」
「だから、やれるものなら早くやりなさいよ。その勇気があるならね」
「なにぃ!? どういうことだ!?」
「あなたも知ってるでしょう? 私たちスライムは、絶命した瞬間に爆発するの」
タイシの顔が青ざめた。
「ふふふ、もちろん私の角も例外じゃないわ。もしこのまま角がお尻に突き刺さったまま爆発したら……」
「俺のお尻が完全に壊れる……」
「さあ! やれるもんなら、やりなさいよ!!」
「いやああああああ!!」
勇者タイシの悲痛な叫び声と、スライムアカネの「ほほほ!」という高笑いが同時に響き渡った。
「ぐすっ……。こうなったら最後の手段しかねえ」
タイシは、半べそになってとある決意を固める。
「何よ? 最後の手段って」
「オケツ・ボム」
「オケツ・ボム? 何それ? 魔法?」
「ううん。単なる『おなら』」
驚愕の事実をさらりと答えたタイシ。このあたりは只者ではない。
「うん、うん。おならのことね……って。ええええ!! ちょっと! ちょっと! 絶対にダメ!」
今度はアカネが悲痛な叫び声をあげる番だった。
だが彼女の願いなど、自分のお尻ことしか頭にないタイシに通じるはずもない。
彼は顔を真っ赤にしながらお腹にありったけの力を込め始めた。
「ガスの神よ……。俺に力を……」
「バカ! ガスの神なんて聞いたことないわよ! ちょっと! やめなさいって! あんたのオケツ・ボムの直撃で、私が死んだらどうしてくれんのよ!」
「その時はその時だ! 俺は後悔だけはしたくないんだ!」
「ちょっと! 良い事言ったつもりでドヤ顔してる訳じゃないわよね!?」
まさにその通り。この男、おならをふんばっているだけなのに、ものすごいドヤ顔である。
アカネは最後の抵抗とばかりに、ぐるんぐるんと体をひねる。
「あーーーっ! やめろ! 俺の尻がおかしくなる!」
「おかしいのはあんたの頭よ! レディに向けておならをぶっ放そうとするなんて、正気の沙汰じゃないわ!」
「うるせえ! 尻に突き刺さったままでいるのと、オケツ・ボムで吹き飛ばされるの、どっちがいいか、ちょっと考えれば分かるだろ!」
「そんなことされたら、私、お嫁にいけなくなっちゃう!」
「このまま俺の尻にいたら、そもそも彼氏すら作れねえだろ!」
おならを巡って、不毛な言い合いをしている勇者とスライム。
しかしそれは、もうすぐそこまできていたのだ……。
ついにタイシは、ぱっと表情を明るくしたかと思うと、嬉々として大声を上げた。
「おっ! きたきたきたああ! ガスがきたあああ!!」
「いやあああああ!!」
そして両足を大きく広げて、最後のひと踏ん張りをしようとした。
その時だった――
「おおおおい! タイシーーー!!」
と、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえてきたのは……。
それは彼の仲間たちだった。
なかなか戻ってこない彼にしびれを切らして、向こうからやってきたのだろう。
「げっ! まずい! おい! 隠れろ!」
「隠れろ、って言われても、これ以上、どこに隠れればいいのよ! まさかお尻の中に入れ、とか言うんじゃないでしょうね!?」
「そんなこと言うか!!」
再び言い合いを始めるタイシとアカネの二人。
これから先、彼らには多くの困難と数奇な運命が待ち受けているのだが……。
そんなことを彼らが知るはずもないのである――
連載版を始めました。是非、応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
【連載版】お尻にスライムが突き刺さったまま、魔王討伐へ向かうことになった件
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