<第四章> ”三本腕の怪物 ”
<第四章> ” 三本腕の怪物”
砂が弾かれ、土を踏み仕切る音が聞こえる。男が歩くたびにその音は実に単調に、機械的に響いた。
樹海の真っ只中だとい言うのに、何の迷いも恐怖も感じさせないその歩行は、まるで男の存在そのものを示しているかのようだ。
綺麗で緩やかな長い癖毛。鷹のように鋭い双眼。警察の特殊部隊服とカジュアルなジャケットを足して二で割ったような服。それがこの男の姿だった。深夜の空のように真っ黒なこの色は、その中身を覗かれることを拒否しているようにも見える。無理に言えば私服で通るかもしれないが、この樹海内では誰もそんなことは信じないだろう。今この場所でこんな格好をしていれば、どう考えても一般人には見えない。
男の足が水に触れ水滴が飛び散った。どうやら川に出たらしい。
急に現れた男に驚いたのか、川の反対側にいた人間は唖然とした目つきでこっちを見た。
男はその人間を確認すると、足が水浸しになるのも構わずに川を渡った。
対岸で待っていた人間、高橋志郎は男が川から上がったのを確認すると、すぐに声をかけた。
「黒服……まさか君たちまで来ていたとはね」
黒服の男は博士の言葉に笑顔で答える。
「イグマが発生したところに僕たちが現れるのは、当たり前ではないですか博士」
「……そうだな。で、今回はどちらの仕事で来てるんだい? イミュニティー? それとも他の方かな?」
「どちらだと思いますか?」
男の顔は相変わらず笑顔だが、見た者に冷たい印象を与える雰囲気を持っていた。
「あのディエス・イレが新たに出来たばかりのブラック・ドメインをこんなに早く確認できるとは思えない。イミュニティーだね」
「さすが博士。聡明だ、正解ですよ。僕はイミュニティーの依頼でここに来ています」
「僕に何の用だ?」
志郎は警戒した様子で男に質問した。
「イミュニティーから博士をどうしろとは特に何も言われていません。僕の仕事は別にありますし。ただ、僕が個人的に博士にしてもらいたいことがあるんです」
「君が僕に? 何をしろって言うんだ?」
「イミュニティーはこの樹海ブラックドメインを独り占めする気なんですが、そうすると僕ら黒服はここのイグマや派生生物を手に入れにくくなってしまうんです」
志郎は黙って聞いている。
「もちろん仕事の報酬としていくらかのサンプルは貰えますが、あくまで一部に過ぎません。黒服の仕事上ディエス・イレにもそのデータが渡る可能性もありますしね」
志郎は男が何を言いたいのか理解した。
「僕にイミュニティーからデーターや研究体を盗めと?」
「そうです。イミュニティーの依頼で来ている僕には信頼関係上できないことでも、博士なら可能です。イミュニティーも博士にして欲しいことがあるようですし」
「……して欲しいこと?」
「まあ、それについては彼らから直接聞いてください。僕の話はこれで終わりです」
「君たち黒服に協力したとして、そっちは僕に何をしてくれるんだ?」
志郎の問いに待ってましたとばかりに男は唇を歪ませた。初めてこれを見た人間ならほくそえんでいるように見えるかも知れないが、男を良く知っている人間ならそうは思わないだろう。何故ならば男には表情が無いからだ。普段この男の顔に張り付いている笑顔や感情を表す動きはすべて作り物だ。男は自分を偽るうちに表情をも偽れるようになった。今笑みを浮かばせているのも聞きたい言葉を聞いたからなどではなく、ここはこの表情が適当だろうと考えてのことだ。
本心では馬鹿にしているのかもしれないし、哀れんでいるのかもしれない。その本当の内容は誰にもわからない。男の心情を第三者が知ることは不可能に近かった。男はクスクスと笑うと返事をした。
「手伝いですよ。あなたの復讐のね。妹さんの敵を討ちたいんでしょ?」
「なっ……!」
何故それを知っていると、志郎は怒鳴った。
「返事は後でも構いません。まだ時間はありますし。ゆっくり考えておいて下さい」
そういうと、黒服の男は樹海の中へと歩を進めた。
男の後ろ姿を見つめながら志郎はさっきの言葉を何度も反芻した。
『妹さんの敵を討ちたいんでしょ?』
頭には悪魔に食い殺された妹の無残な姿が浮かんだ。必死に自分に助けを求めながら息絶えた姿が。
――絶対に敵を取ると誓ったんだ。協力してくれるって言うのなら何だって……
「あ、そうだ。忘れていました。そこで寝ている男は誰ですか?」
男は思い出したように振り向くと、志郎の背後で荒い息をつきながら岩に寄りかかっている五郎を指した。
「……この樹海の監視官だよ。銃で撃たれて怪我をしている」
「そうですか」
ビュウッ!
男が言葉を発すると同時に五郎の胸に何かが突き刺さった。
「はっ!?」
志郎が急いで振り向くと、五郎の心臓にはナイフが刺さっていた。
「な、何をするんだ!?」
驚愕の目で黒服の男を睨む志郎。だが男は変わらない笑顔で答えた。
「この男性が居たら、博士は銀野町に着くまでに一体何日かかると思うんです? 時間はあまり無いんですよ。博士の性格だと見殺しにも出来なさそうだったので、僕が処理して差し上げました」
「処理だって?」
「では、また後でお会いしましょう博士」
男はクスクスと笑いながらその場から消える。黒い服が森に同化し完全に姿が見えなくなるまで、志郎はその場を動かなかった。
「……本当の悪魔め」
思わず言葉が漏れる。
志郎は痙攣を繰り返している五郎にゆっくり目を向けた。まだ生きてはいるのだが、助ける方法が無い。そっと右手をナイフにかけると、それを引き抜いた。同時に激しく血が噴出す。
――これで楽になるはずだ。分かってはいたが、こんなにあっさり人を殺せるなんて……僕は本当に協力していいのか? 鬼を殺すために悪魔に心を売るのは正しいことなのか? 誰か僕に教えてくれ。僕を導いてくれ……。
志郎は天に向かって問いかけた。
だが、誰もそれに答えない。再び妹の顔が頭に浮かぶ。
「アヤメ――……僕はどうすればいいんだ」
「誰か倒れてる!」
突如悟が叫んだ。目を向けると、数十メートル先に若者と思わしき人間が土に伏しているのがわかった。距離が近づくにつれ、その人間の顔がはっきり見えてくる。金髪で色黒の肌、鼻にはピアスといったいかにもヤンキーですと言わんばかりの姿をした青年だ。気のせいか粘り気のある液体が服のあちらこちらに付着している。
「大丈夫か?」
友がいくら声をかけてもゆすっても青年は目を覚まさなかった。もしかして死んでるのかとも思われたが、脈はあったため気絶しているのだろう。
「俺に任せろ」
そう言うと、庄平はいきなり青年の頬を引っぱったいた。
バシン、バシンと心地よいほどいい響きがする。さすがに刺激が強かったのか、青年はすぐに目を覚ました。
「う……ん?」
「こんなところで寝てると風邪引くぜ」
「誰だ! テメー……?」
「お前と同じ学生だよ。キャンプに来てた人間だろ?」
倒れていた青年は何も答えない。急に何かを思い出したのか、震え始めたからだ。
「どうした。何があった?」
恐らく八割方この青年が五郎から銃を奪った一味の仲間だろうが、警戒させるわけにはいかない。友は親しげに質問した。
「あいつは、あの怪物は来てないか――?」
「怪物?」
「ここには居ないのか!? どうなんだ!」
「居ないよ。近くには何の生き物もいない」
悟が答えたが、青年はまだ安心できないのか、視線を定めず震え続けていた。
「怪物って何のことなんだ?」
再び友は聞いた。
「でっかい化けもんのことだ。俺が悪魔に襲われていたら、急に現れて悪魔どもを大声でおい払いやがった」
――大声? あのときの泣き声か?
友は前に聞いた鳴き声を思い出した。
「最初は声だけで見えなかったんだけどよ、段々こっちに近づいてきたと思ったらはっきり姿が見えたんだ」
「で、え〜と……ヤンキー君。それで何で無事だったんだ? 襲われなかったのか?」
庄平の「ヤンキー」発言に青年は気分を悪くしたのか、眉間にしわを寄せながら答えた。
「大森だ。今度俺をヤンキーって言いやがったらぶっ殺すぞ!」
「びびって気絶してた奴に言われてもな」
「何だと、テメー!?」
青年改め大森が庄平に掴みかかろうとしたので、友と悟は止めるのに必死になった。
「落ち着け、今はケンカしてる場合じゃないだろ。それで化け物はどうなったんだ?」
悟が話の続きを促す。
「――帰ったよ。俺の連れの死体をお持ち帰りしてな」
「帰ったってどっちにだ?」
友は大森の言い回しを不思議に思いそう聞いた。
「知りてぇならテメーで見て来い。あの化けモンはそこのすぐ先にある洞窟にいる」
大森は友と庄平の間を指で指した。
「何だ? 気絶してたんじゃ無いのか。何でそいつの住処を知っている?」
後ろをチラッと見てから友は彼に聞いた。
「気絶したのはここに戻ってきてからだ。俺は連れが生きてるのか気になって付いていったんだ」
「なるほど、そして仲間が食われる光景を見て逃げ出してきたってわけか」
それっきり大森は黙ってしまった。よほどショッキングな光景だったのだろう。大量の冷たい汗をかき、何かを思い出さないように両手で自分の体を抱きながら俯いている。
その状態を観察するように見ながら、友は考えを巡らせた。
――話から察すると、こいつの仲間は全滅したのか。ということは銃は今どこにあるんだ? イミュニティーには不要なものでも俺達には強力な武器になる。できれば手に入れたかったんだが。
友は最初から五郎に銃を返す気は無かった。五郎に渡してもあの傷では有効に活用できるとは思えない。今後のことも踏まえて自分で使用するつもりだった。
――この付近を見ても銃らしき物は落ちていない。ということは、話に出てきた怪物が死体ごと運んでいったのか。もしそうなら手に入れるのは難しいな。巨狼のような怪物に再び会ったときに備えて所持しておきたかったのに、手に入れるには同じような怪物のところへ行かなくてはならない。仕方が無い。銃は諦めるか……。
「どうする悟、銀野町に行くには別に関係無い方向だがけどよ」
大森と友が黙り込んで急に静かになった場が嫌だったのか、庄平が悟に話を振った。
「どうするって、無視して行くに決まってんだろ。博士はできるだけ倒せって言ってたけど、悪魔が逃げ出すほどの化け物なら俺たちでどうにかできるわけが無い」
「やっぱり? だったらこんなとこさっさと離れようぜ。その化け物がいつまたやってくるとも分からないんだ」
彼の言い分はもっともだ。話を聞いていた友は、二人に同調するように頷いた。
「ああ、そうだな。俺もここには長く居たくない」
それから四人は銀野町に向かって歩き出した。朝から歩き続けたおかげで町まで大分近くに来ている。このまま行けば、もう1時間もしない中に到着できるだろう。
だが、運命の女神はそれ程甘くなかった。
「んっ!? 伏せろ!」
何かを感じ、悟は叫んだ。同時に木の影から悪魔が飛び出し、四人の頭上を通過する。
庄平と友はすぐに悟の声に身を屈めたが、大森は反応し切れなかった。悪魔の体当たりをもろに受け、倒れる。
「ぐぁああ!?」
そのまま悪魔は大森ののど仏に食いつこうとしたものの、庄平の石斧に邪魔され一端飛びのいた。
悟はすぐに木の槍を背中から引っ張り出し身構えた。
――こんなに接近されるまで悪魔に気がつかなかったなんて! やっぱりあいつが気になってたからか?
先ほど大森に近くには何の生物もいないと言ったが、実は悟はずっと悪魔とは違う何かの気配を感じていた。大森を落ち着かせるために嘘をついたのだ。
「また学生の悪魔か。まいったな――女だ」
友が気分が悪そうに言った。
「いくら女の子でも、この場合は手を上げても平気だよな?」
庄平が友に合わせる。
「仕方ないだろ。もう死んでるのと変わらないんだし。こっちも命がかかってるんだ。不可抗力さ」
軽口を叩いてはいたものの、内心悟は焦っていた。
悪魔との戦いでは罠にかけるというのが重要になる。そしてそのためにはこちらが見つかっていないことが最低条件だ。事実、真正面から戦った所為で佐々木と加納という二人の犠牲を出している。その記憶が悟を一層不安にさせた。
しばらく対峙を続けていると、再び感覚が何かに反応した。思わず後ずさってしまう。
「お、おい。ちょっとやばいかも」
先ほど悪魔が飛び込んできた位置、そこからさらに二体の悪魔が現れた。どちらも男子学生のようだ。
あまりのことに思わず悟たちは言葉を失った。
三体の悪魔は怯える四人を見ると、勝ち誇ったように雄たけびを上げた。
「ギュウアアアアアア!」
「――っ、走れええええええ!」
悪魔の鳴き声を合図に庄平が走り出す。他の三人も全力でそれに続いた。迫り来るように視界を通りすぎる木や草を無視し、四人は元来た道を逆走していた。
猪悪魔や鹿悪魔は牙や角といった武器を持っているため、それに頼った単調な攻撃をしてくる。だから一発勝負になるものの、こちらも対応の仕様があった。しかし、人間の悪魔には秀でた凶器が無い。悪魔化する前と同じように、歯や拳や足で戦うしかないのだ。そのため他の動物の悪魔よりも攻撃が複雑になり、獲物と揉み合う確率も高くなる。これはつまり、元が人間の方が厄介だということだ。揉み合う分他の悪魔よりも十秒感染を起こしやすく、複雑な動きはこちらの対処法を狂わせる。そんな相手を同時に三体も相手にして無事ですむわけが無かった。
背後から迫る死の使いに怯えながら走り続ける四人。意図せずして目の前に洞窟が見えてくる。
「あれって……」
悟が異常な気配を大量に放出している洞窟に気づいた。間違いなく中に入るのはまずい。これほど無く危険な雰囲気をかもし出している。
「このままじゃ追いつかれる! 一か八かだ!」
「おい、庄平!」
庄平は躊躇わずに暗い地獄の底に飛び込んだ。
「くそ、どうなっても知らないぞ」
悟と友も唇を噛み締めながら穴に入っていく。
陸上選手は別として、悪魔は普通の人間よりも早い。こまま逃げてもすぐに捕まるのは目に見えていた。
洞窟に隠れれば悪魔をやり過ごせるかもしれないのだが、問題はその中に何かがいることだった。
振り返ると大森が躊躇したように足を止めていた。だが、後ろから甲高い泣き声が聞こえてきたため、諦めたように目に涙を浮かべて中に入った。
「ちくしょおー!!」
夏だと言うのに洞窟の中はひたすら寒かった。実際に気温が低いということもあるが、周囲一体に覆いかぶさるように広がる何かの気配がそう感じさせるのだ。
「ここに居たくない」悟は先ほどから何度もそう思っていた。しかし友と庄平はどんどん先に進んでいく。いくら悪魔が追ってくるからとはいえ、怖くは無いのだろうか。悟は二人の背を見てそう思わざる負えなかった。
大森もそんな二人を驚愕の目で見ている。
「……仕方が無い。行こう」
「……ああ」
苦笑いしながら悟と大森は二人の後を急ぎ足で付いていく。前に進むほど視界が暗くなっていった。
洞窟の壁にはところどころに何かの生物の血が媚リ付いており、まだ新しそうなものもある。きっと大森の仲間のものだろう。
「ギュウオオオオオオ!」
その時、いきなり後ろの方で悪魔の雄たけびが聞こえた。
「まさか、洞窟に入って来たのか!?」
友が珍しく素っ頓狂な声をだした。
「どうすんだよ友、もし他に出入り口が無かったら俺達お終いじゃん!」
「とにかく逃げるしかない。走れ!」
庄平の頼るような言葉に冷たく答えると、友は再び全力疾走を開始した。
「くそぉ、ここに着てから走ってばっかじゃねえか!」
庄平が息も絶え絶えに文句を言った。
「見ろ、光だ!」
友の声に前を向くと、黄色の光が一瞬庄平の視界を奪った。前方からライトのようなものがこちらを照らしている。
二人はその先に何があるかも確認せずに光の下に身を投げ出した。
「何だ、ここは?」
目の前にある光景を見て思わず友の口から言葉が漏れる。
先ほどまでの暗く細長い道とは違い、開けた場所に二人はいた。遅れて到着した悟と大森もその光景を見る。大森は一度この場所を見ていたためそれ程驚かなかったが、悟は大いに驚いた。
「こんなに一杯……何でこんなところに?」
目の前にはこの広い空間を埋め尽くさんばかりの大量のゴミが無造作に置かれていた。シャベルにテレビ、車のタイヤまである。
「不法投棄か。恐らくどこぞの悪どい企業が無断で捨てていたんだろう」
落ち着いタ声で友が分析する。
悟がよくよく目を凝らせば、ゴミの中には骨のようなものや、何かの肉片が複数転がっていた。猛獣の巣にでもなっているのかもしれない。
「そんなことよりどうすんだよ! 俺達挟み撃ちに会ってるんだぜ!?」
大森が泣きそうな声で訴えた。
「落ち着けよヤンキー。挟み撃ちって、今のところさっきの話に出てきた怪物はどこにもいねーじゃんか」
庄平は大森を落ち着かせようとそういったのだが、逆効果だったようだ。すぐに大森の反撃を受けた。
「誰がヤンキーだ! それ以上ふざけたこと言いやがったらマジでぶっ殺すぞ!?」
恐怖でテンパっている大森は完全に冷静さを失っていた。これ以上何かをいったら本気で人殺しを行いそうだ。
大森が庄平に殴りかかる前に悟はこの場を収めようとしたが、急に異常な悪寒が全身を襲った。
「みんな黙れ、下に何かいるぞ!?」
悟の声で目が覚めたのか、ゴミの山の下にいたモノは体を起こした。砂が流れ落ちる音とともに、ゴミが盛り上がっていく。
「うあっ!? な、なんだあ?」
丁度そいつの真上に居た庄平が転がり落ちた。綺麗な回転を描きながら悟の横を通りすぎる。
大地震が起きたかのような揺れの後、ゴミがあった位置には見たことも無い全長六メートルほどの生物か立っていた。
「何だ……こいつ?」
そのあまりの奇妙な姿に、悟は目を瞠った。
円形に並んだ鮫の様な歯を中心に木の根っこにも見える無数の触手と、同じ形だが触手よりも数倍大きい太い三本の腕が生えている。
そのうちの二本は足のように大地を支えており、残りの一本は蠍の尻尾のごとく頭上に掲げられていた。
そして体の後ろ半分はワニのような大型の口がその大部分を占領している。
目が付いていないところから推測すれば、全身の触手と腕から生えている大量の根のような毛がアンテナのような役割を担っているようだ。
「キモい姿しやがって!」
庄平は石斧をすばやく構えた。悟は両手に包丁を、友は石槍を同時に構える。こんな状況じゃ武器の温存などとは言っていられない。これはそれぞれがそれぞれのもっとも使いやすい武器を手にしただけだ。
「ひっいいいいい!」
いきなり聞こえた悲鳴に悟が後ろを向くと、一人で逃げようとしていたらしい大森の前に、自分たちを追っかけていた三体の悪魔がいた。
――……っ勘弁してくれ。この状況でさらに三対の悪魔を相手にしろっていうのか? 神様はよほど俺たちに試練をあげたいらしいな。
この絶望的な状況に悟は自分たちの命がこれまでだと感じていたが、心とは裏腹にその口は冷静に指示を出していた。
「大森、こっちに来い。悪魔たちはこの三本腕が苦手なはずだ。こっちにいれば近寄れない」
悪魔を警戒しながら、引きずるような形で大森をこちらに連れてくる悟。
「どうすんだよ悟! このままだと全員死んじまうぜ!?」
庄平が何かいい案は無いのかといった雰囲気で聞いてきた。
が、悟は何も答えることが出来ない。
――どうすればいい!?
来た道しか外に出る方法は無いし、そのためには悪魔を殺す必要がある。だが三体の悪魔を正面から倒すなんて不可能に近いし、何より背を向ければこの三本腕が何をするかも分からない。
――本当に、一体どうすればいいんだ?
「悟」
苦悩する悟を友が呼んだ。
「覚悟を決めるぞ。悪魔への対抗策がこいつに効くかどうかは分からないが、やってみるしかない」
「でもどうやって戦う? 隠れられる所もないんだぞ!?」
「隠れられる所ならあるさ」
友は見ろと言わんばかりに顎で前を指した。だが前には三本腕がこちらを見て攻撃態勢を整ええいるだけだ。
「良く見ろ」
友が一点を指す。
その場所、三本腕の足元に目がいくと、悟はあることに気がついた。
「あれ、隠れられる?」
ついさっき三本腕が出て来た勢いで、このゴミ置き場のあちらこちらに三本腕の上に乗っかっていたゴミが散乱していた。振動で崩れたせいもあるのだろう。ちょっと前までは見えなかった冷蔵庫や何かの大型機械、壊れた車などが姿を見せていた。これならばちょくちょく隠れながら攻撃を繰り出せるかもしれない。
「友、これなら……いけるかもしれないな」
「だろ?」
二人が生き残れる可能性を見つけ喜んでいると、三本腕は甲高い雄たけびを上げて巨大な足、もとい拳を繰り出してきた。
「グゥギアアアァアアア!」
「うぇああああっ!?」
その拳は見事に二人が居た場所を粉砕した。中高くはじき飛ぶゴミの数々。破壊力は悪魔の比ではない。直撃すれば即死するのは考えなくてもわかる。
「あ、あぶねぇえ!」
ぎりぎりで察知した悟のおかげで、二人は何とかその攻撃を避けることができた。三本腕を挟んで悟は庄平と一緒に左に、友は右にそれぞれ隠れる。トラックの残骸らしき物の後ろから顔だけを出し、友が悟へアイコンタクトを送った。
――いや、何だ?
友が何を言いたいのか理解できなかった悟は疑問符を浮かべたが、友はそのまま行動に入ってしまった。三本腕に見つからないようにゴミの影に隠れながらその背後へと回ろうとしたのだ。
しかし三本腕は目で獲物を確認しているわけでは無い。全身の触覚から空気の動きや臭い、音などを読み取って獲物を見つけるのだ。
未知の怪物は友の動きに気づくと、すぐに頭上に掲げた第三の腕を振り下ろし、潰そうとした。
攻撃が来ることに全く気がつかなった友は、丁度隠れていた大型の機械が盾になったおかげで生きながらえた。
機械と触手塗れの拳が激突した影響で、盛大な音が鳴り響く。金属の塊を殴ったのにも関わらず、三本腕の拳には何の損傷もないようだ。代わりに大型の機械は激しく凹み、友の横を数メートル飛んでいった。
「な、何て力だよ!?」
三本腕が休む間も無く再び拳を振り上げたため、友は走り続けるしかなくなった。隠れる暇もなく何度も強襲してくる巨大な拳。まるでモグラ叩きのようだ。
――くそっ、予定外だ! 隠れられない。いや、でも囮としては成功しているのか?
友が悟と庄平の方を向くと、なぜか彼らも走り回っていた。その様子を見て友が三本腕の全体を思い出す。
――そういえば、この怪物は背中に巨大な口があったな。
案の定、見ていると三本腕の背面口が執拗に二人を食い殺そうとしていた。お尻で悟と庄平を追いながら、頭上の長い腕では友を襲うという器用な動きだ。
「ごめん! 庄平、ミスった。この口のことを考えてなかった!」
背後から聞こえる歯が噛み合う”ガチンッ”という音を無視し、悟が謝る。
「はぁ、はぁ、歯ぁ……ああ?」
庄平はそれどころじゃ無いらしく、まったく話を聞いていない。野球部のエースだった男が体力で帰宅部に敗北するという、不思議な現象が起きていた。
今の状態を考えて悟は焦る。
――これじゃ、すぐに疲れて怪物に殺される。どこかに安全な所はないのか?
洞窟中に鋭く目を走らせていると、再び三本腕の足元に視線が止まった。
――あそこだ! あそこなら頭上の腕も、背中の口も手を出せない。あそこに隠れよう!
庄平の方に顔を向け、その旨を伝える。
次の背面口の攻撃が背中を掠め終わったと同時に、二人は三本腕の真下に滑り込む。攻撃直後だったため、すんなりと入れた。
「はぁ、はぁ、やっぱりここは安全地帯みたいだな」
「ぜえ、ぜえ――ふう……やっとまともに呼吸ができるぜ」
友を追っているため微妙に動き続ける三本腕の下からはみ出ないように、こそこそと歩きながら二人は話した。
「友は大丈夫か?」
悟が探しているといつの間にか友の姿は無かった。洞窟のどこにも見えない。
――まさか、食われたのか!? 友にかぎってそんな――……
「庄平、友が消えた! 探してくれ」
三本腕に攻撃もせずに悟はそう言った。
しかし、なぜか庄平の返事は無い。悟が横を向くと、三本腕の腹から生えた無数の根っこのような触手が庄平の首を絞めていた。
「うおっ!?」
慌てて包丁で根っこを斬るが、それは次から次へと庄平に絡み付いていく。
「くそ、離せ!」
悟がいくら斬りつけても触手は増えていくばかりだ。そればかりか今度は悟の腕にまでまとわり付いてきた。
触手を斬っていてもきりがないので、悟は全力で三本腕の腹に包丁を突き立ててみる。しかし傷が出来たものの、大したダメージは与えられていないらしい。三本腕は少しも身じろぎせずに、触手をいっそう二人に巻きつけてきた。
――やばい、俺も動けなくなる! 何とかしないと……
悟は暴れながら何度も包丁を腹に刺し続ける。だがやはりダメージは無いようだ。次第に庄平の動きが鈍くなってきた。
「庄平――くそっ……!」
その時、悟の背負っている非常用リュックから何かが落ちた。
「ライター……――?」
――確か、悪魔は火が苦手だったはず、こいつも同じだろうか?
悟はゴミの上に寝ているライターに手を伸ばすが、触手に絡みつかれているため届かない。距離にして三十センチといったところだ。
「んぐぐ……っくそ」
――あれが手に入れば助かるかも知れないのに、後少しだけの距離なのに……――誰か、誰かいないのか。友……!
「グオオオ!」
急に悪魔の声が聞こえた。
悟はライターに手を伸ばし続けながら、三本腕の腹と地面の隙間からわずかに周囲の様子を見た。
「あれは、大森?」
一人これまで壁際のどこかに隠れていたらしい大森が、苦しそうにゴミの上を転げ回っている。そしてその姿をみて入り口にいた三体の悪魔が退いでいた。
――何で悪魔が大森にびびっているんだ?
一瞬ライターを取ることも忘れ見ていると、大森はいきなり絶叫を上げながら入り口に駆け出した。
「お、おい。大森!?」
突然友の驚く声が聞こえた。気のせいか真上の方から発せられた気がする。
――真上? 三本腕に乗っかっているのか? まさかな……。
大森が接近すると、悪魔達は中に三本腕がいるのにも関わらず、入り口から離れた。誰もいなくなった洞窟の入り口を大声を出しながら気が狂ったようにかけていく大森。
「おい、どこに行く! おい!」
再び上方から友の声が聞こえる。その声に安心し、悟は再びライターに手を伸ばした。気にはなっているが、今は大森に構っている場合じゃない。隣で庄平が死に掛けているのだ。
「友、何とかしてこいつをしゃがませてくれ! 庄平が死にそうなんだ!!」
「何!? 分かった!」
友が慌てたように答えた。
悟と庄平が三本腕の真下に潜り込んだど同時刻、友も三本腕の上に飛び乗っていた。第三の腕が振り下ろされた直後にそれに捕まり、三本腕の頭上に移動したのだ。
友は十秒感染予防のために、ハンカチを巻いた手で三本腕を掴みながら、左手に持った長い石槍を怪物の頭に突き刺した。
しかし石槍はそれほど深くまで刺さらなかった。腹のときもそうだが、この怪物は非常に頑丈らしい。
「友、急げ!」
下からは悟のせっぱ詰まった声が聞こえる。三本腕は友を振り落とそうと大きく頭を揺らしだした。
友はハンカチ越しに掴んだ触手と、左手に持った刺したままの槍のおかげで何とか振り落とされずにしがみついている。だがこれでは庄平を助けることなど無理だ。
「もう一刻の猶予も無いっていうのに――」
もはや庄平を助けることは出来ないと思われたその時、危機回生のチャンスがやってきた。大きく揺らされた三本腕の頭が、自身の腕兼足に近づいたのだ。
友はそのたった一度の機会を逃さなかった。
「当たれえぇええええー!」
右手を離し、庄平から貰った包丁を持つと、三本腕の足が近づいた瞬間左手の力を抜き、自ら振り落とされた。その勢いのまま、友は包丁を三本腕の足に抉り入れる。包丁は見事に深く、その茶色い足を貫いた。
「うぐっ!」
三本腕がいきなり体制を崩ししゃがんだため、悟は伸ばしていた手を思いっきり地面に打ち付けた。激痛が襲ったものの、今は痛がっている暇も無い。歯を噛み締めながらその手でライターをつかみ取る。
庄平はもはや意識を失っており、顔も赤くなっている。もし、このライターが効かなかったら全てが終わってしまうだろう。
カチ、カチッ。
悟はライターを直接三本腕の腹に押し付けると、火を出した。