<第三章>悪魔の正体
<第三章> ” 悪魔の正体 ”
佐々木と加納の死体は川横の土に埋められた。
そのまま放っておけば悪魔どもに汚されてしまう。佐々木をそんな目に合わせたくないと、庄平が提案したことだった。
墓を作る作業は終始無言で行われた。誰一人として口を開かない。短い間だったがいっしょに行動した人間が二人も死んだのだ。悟たち三人は改めてこの樹海の恐ろしさを思い知った。自分たちは生きてこの地獄から帰れるのだろうか。その思いが蜘蛛の糸のようにくっ付いて頭から離れない。
墓を作りながら悟は庄平を見た。庄平がこのショックから立ち直れるかどうか不安になったからだ。例え付き合っていた訳じゃなくても、好きな人の死は辛すぎる。小宮があの後どうなったかといった心配もあったが、悟にとっては今は庄平の精神の方が不安だった。
墓の製作が終わった後、悟たちは最後に礼をし、そのまま振り返らずにその場を後にした。
先ほど自分たちを襲った奴のように、樹海中に悪魔が拡散しているみたいだ。同じところに留まるのは危険でしかない。庄平は辛いだろうが、ここはすぐに離れるべきだった。
急造の墓場から歩き続け、時刻は七時になろうとしていた。夏とはいえ、日もだいぶ落ちている。悟は自分の視界が暗くなってきているのを感じた。
「今日はこれ以上進むのは無理だな。完全に暗くなる前に寝床を見つけないと」
「おい、あそこいい場所じゃないか?」
友が何かを指している。悟が目をそちらへ動かすと、少し先、川の右手に崖があった。アーチー状の形のおかげで雨風を凌げそうだ。真横には川と立地条件も良い。一日だけ泊まるには最適な場所に見えた。
「いい場所ですね。今夜はあそこで寝ましょう」
「おい悟、敬語に戻ってるぞ」
「あ、すいま……ごめん。何かやっぱりまだなれないな」
「嫌でも慣れてくれ。今はまだ実感がないと思うが、いずれ敬語を使わなくてよかったと感じるはずだ」
――そんなときが来るとは思えないが。
と思ったものの、悟は口には出さなかった。
崖が近づいてくると、明かりが目についた。どうやら誰かが焚き火をしているらしい。紅い光がゆらゆらと揺れている。
「人が居るみたいだぜ」
庄平が用心した小さな声でそう言った。
「悪魔どもに焚き火なんて複雑な作業ができるとは考えられない。他にも逃げれた人間が居たってことか」
相変わらず理論的な話し方をする友。
三人が近づいていくと、崖の下でも焚き火を作った主がこちらに気づいたようだ。その人物はすくっと立ち上がると、心配そうにこちらを見た。悪魔かどうか疑っているのかもしれない。三人が人間だとわかったのだろう。男は笑顔を見せた。
悟は初めは小宮かと思ったが、どうやら別人のようだ。少しだけがっかりした。別に小宮が好きだとかいうわけではなく、ひとり樹海の奥深くへと消えた彼女が心配だっただけだ。そんな悟とは反対に、友と庄平は男を見ると急に興奮しだした。
馬鹿でかい声が周囲に響く。
「ああっ、高橋博士!」
その男は、行方不明になっていたはずの、高橋志郎だった。
「お茶の味はどうかな?」
「はい、旨いっす!」
元気一杯の声で庄平が答えた。
「付近の薬草や川の水を利用して作った簡易的なものだけど、どうやら飲める程度のものにはなったみたいだね。よかった」
暖かい顔で志郎は笑った。そのまま会話を続ける。
「君たち、よく生き延びれたね。大変だったろ」
「ええ、色々ありましたよ。俺なんか初恋の人が目の前で殺されましたからね。博士は知ってるんすか、あの悪魔達が急に現れた原因を……」
庄平の問いに志郎はちょっと考える素振りをしたが、三人がかなり聞きたそうな顔をしていたため諦めたように説明をしてくれた。
「――……君たちは連門大学の学生だろ。僕が昨日行くはずだった」
「はい。そうです」
悟は真面目な顔で答えた。
「君たちにとっては意外だろうけど、僕は最初から浮世荘には行くつもりが無かったんだ」
「どういうことですか?」
「僕は自分で言うのも何だが有名な科学者だ。何の理由も無く樹海に来れば、政府の人間や他の科学者に怪しまれる。高橋が樹海で何かを研究するらしいってね」
志郎はここで一呼吸置いた。
「だから連門大学のキャンプを隠れ蓑にさせてもらった。講義をしにいくとなれば堂々とこの樹海に入れる」
「その話と悪魔に何の関係があるんすっか?」
庄平は予想がついているはずなのにあえてそんな質問をする。
「僕がそうまでして樹海に入りたかったのは、君たちのいう『悪魔』の存在を調べるためだった。国家の生物関係の研究所にいる知人から情報を得てね。この樹海の下にブラックドメインがあるらしいって」
――ブラックドメイン? 聞いたこと無い言葉だな。ブラックは黒だろ、ドメインって何だ?
悟は言葉の意味が分からなかっった。
「ブラックドメイン、つまりは黒い領域……人間が踏み入れてはいけない死の領域のことだよ」
「一体何を言っているんですか?」
悟と同様、その言葉の意味がわからなかったのか、友が聞き返した。
「樹海の地下六千五百メートルの位置にとある空洞がある。そこは現在の地上の生態系とは完全に独立した存在であり、まったく別の新しい生物を生み出しているんだ。空洞の大きさは一立方キロメートルにも満たないから、その生物達も空気や水をほとんど必要とせず、わずかな微生物を食料に生きていた」
そう、そのときまではと、志郎は付け加えた。
「ある日、君たちの記憶にも新しい、三ヶ月前の富山大震災のときに、その空間つまりブラックドメインに地上へと通じるほんの僅かな亀裂が生じたんだ。その所為で中に居たと新種の微生物たちが上へ上へと上がり、この樹海へとやってきてしまった」
「そいつが悪魔ってことですか?」
分析するような目で友が志郎を見る。
「いや、違う。こいつらは悪魔じゃない。この生物――正式名称、同化式原生有機体、通称”『イグマ』は、生物の体に接触すると、ほんの小さな隙間でしかないが、周囲の細胞壁を特殊な酵素によって融解させ内部に侵入する。そしてその主の細胞核に自分自身のDNA情報を打ち込み、肉体にイグマの遺伝子こそが細胞本来の持つ遺伝子だと誤認させるんだ。寄生された細胞は細胞増殖を行う命令をDNAから受け、そのイグマ細胞を大量生産し、次々と隣の細胞へイグマDNAを送り込んでいく。そして、その量が肉体の一定割合を凌駕すると、細胞構造が変化し、新たに安定した細胞、新たな養分を求めて他の生物を襲うようになる。それが同化式原生有機媒体、つまりあの悪魔だ」
悟、友、庄平はこれまで体験した事件の核心を聞き驚いた。
「そんな生き物が自分達の足の下に存在していたのか」
感心するように友が呟く。
「そう。きわめて危険で悪趣味な生き物だ。彼らは僅か十秒で体内に侵入し、ものの数十秒で肉体を完全に支配する。それが所謂十秒感染というやつだ」
「十秒感染? もしかして、十秒以上悪魔に触れるとイグマがこっちに移ってくるってことですか?」
悟は加納に触れた時の嫌な感覚を思い出してそう言った。
「察しが良いね。そう、悪魔に十秒以上触れるとその接点から、その細胞に寄生しているイグマがこちら側の細胞にまで組み込んで来る。それが感染だ。まあ、血液程度なら触れていても大丈夫なんだけどね。イグマ細胞は細胞に触れない間は余計なエネルギーを浪費しないように、休眠状態へ移行する。その判断基準が塩分濃度や酸素密度なんだ。だから、塩気の多い海水や血液、空気中ではやつらの感染力は大幅に低下する。……君たちの大学でも多くの学生がこの十秒感染で悪魔になってしまったんじゃないかな?」
「はい! そうです。一匹が建物の中に入ったと思ったら急に三体になっていて驚きましたよぉ!」
庄平が大げさに答えた。
「そうか、本当によくそこから逃げてこれたね。君達は運がよかった。僕の時なんて……」
志郎は何かを思い出しているらしく、下を向くと黙り込んだ。しばらく間を置いて友が質問する。
「博士は……前にもこういう目にあったことがあるんですか?」
「んっ? あっ――ああ、そうだよ。十二年前に北海道の沖田山荘というところでね」
「十二年前? イグマが地上に出たのは三ヶ月前なんでは無いんですか。それに北海道って……」
「そっか、まだ言ってなかったね。実はブラックドメインはこの樹海の地下を入れて、全国に三箇所あるんだよ。僕が沖田山荘事件で遭遇したイグマは樹海産じゃなくて静岡県の海中産だ。政府の対非確認生物対策機関 『イミュニティー(免疫)』の研究員が持ち込んだものが、アウトブレイク(感染爆発)して悪魔を生み出したらしい」
「イミュニティー……」
「何だ、あと二つもこんな場所があったんだ。じゃあ、政府の人間は前から悪魔の存在を知ってったてことなのか」
悟は佐々木と加納の最後を思い出し嫌な気分になった。だったらこんなに犠牲者が出る前に、対策でも打ってくれれば良かったのにと憤る。
「僕がここに来たのも実はイミュニティーに関係しているんだ。十二年前に僕はイミュニティーの所為で大切な妹を失った。あいつらは絶対に許せない。デットゾーン化したこの樹海になら奴らの調査員が着ているはずだから、僕はそいつらに接触してイミュニティーの本部に行こうと考えている」
「本部に行って何をする気なんです?」
友が静かに聞いた。
「……まあ、色々と聞きたいんだよ。何故こんな細胞が存在するのか、何を目的に活動しているのか、本当に十二年前の事件は防げなかったのかとかね」
志郎は意味深に言葉を濁し、友の問いから逃げた。
真意はわからなかったが、どこか強い覚悟のようなものは感じられる。悟は何となく彼の目的を理解した。
「さあ、今日はもう遅い。明日に備えて夕飯にしようか」
話はこれまでと、志郎は全員に食事の用意をするように急かした。
食事は悟と庄平が持ってきていたカンパンに、志郎が作ったスープ、川で取った魚の丸焼きという昼よりも豪華なものだった。
食後はすぐに寝ることになったが、睡眠中に火を絶やさないように交代で見張りを立てることにした。悪魔はやはり火が苦手らしい。焚き火をし続けていれば近づいてこないようだ。悟は悪魔たちの夜襲が心配だったものの、疲れが溜まっていたのか意外とあっさり寝てしまった。
目が覚めると気持ちの良い朝日が顔を照らしていた。どうやら樹海に来て丸二日目の朝を迎えられたようだ。悟は深夜に一度見張りをしたからまだ寝たりないかと思ったが、意外と気分がスッキリしているのを感じた。
悟が起きた事に気づいたのか、見張りをしていた庄平が振り向いた。
「おーっす、おはよう」
まるで昨日の朝のように軽く挨拶する庄平。だが、その違和感を悟は見逃さなかった。庄平の目元には涙の痕がくっきりっと見える。やはり佐々木のことを引きずっているのだろう。見張りのとき以外も起きていたことを知らせるように、大きな隈が出来ている。
悟は庄平の様子に気がつかない振りをしてそのまま返事をした。
「おはよう。何かこうして挨拶してると、合宿の続きをしているみたいだな」
「あはははっ、確かにな。でもお前がこんな早く起きてるってことは、これが合宿じゃないってことだ。合宿ならおまえがこの時間で起きる訳がねーよ」
「はぁ、何だよそれ?」
「あははははっ!」
庄平は悟の怒った顔を見て笑った。
「なぁ、ところで国鳥せんぱ……友と博士は?」
周囲のどこを見渡しても二人の姿が見えない。緑の木々だけが視界を埋める。
「ああ、あの二人ならさっき出かけたぜ。何か博士が集めたい物があるんだとよ」
「集めるって何を?」
「何かよくわかんねぇけど、俺達に悪魔との戦い方を教えるのに必要なものらしい」
興味なさそうに庄平は言った。
「戦い方? そうか、あの人一度ここと同じようなとこで生き延びたんだもんな。弱点とか色々と知ってるのかも」
「案外、服を脱いだらめちゃくちゃマッチョだったりして」
「あの細身で? ないだろ〜」
「いやぁ、分かんないぜ。人は見かけによらないからな」
どうやら庄平は本気で博士が筋骨隆々だと疑っているらしい。まじめそうな顔つきでそう言った。
「マッチョかぁ〜……なって見たいけどねぇ。僕には無理だな、体力無いし」
不意に声が聞こえ振り返ると、いつの間にか志郎と友が背後に立っていた。
「あ、博士。もう用事は済んだんですか。早かったですね」
「まあ、大したもん集めてた訳じゃないからね。詳しい話は後だ。まずは朝飯を食おう」
志郎は手に持っていた大量の何かをどさりと地面に置いた。
宮元歳三、松本敦、大森陽一、福田幸助の四人は、連門大学の中でも有名な不良だった。
朝っぱらから酒を飲んでの受講は日常茶飯事で、特定のサークルやアルバイトにも属さず、いつも深夜までクラブで踊っては、ナンパや恐喝を繰り返していた。
学生同士の間では薬類の使用も噂され、実際大学内でも呂律が回らない姿を度々目撃されている。そんな人間たちが単位を十分に取れる訳もなく、彼ら四人は退学の危機に立たされていた。
この樹海キャンプは彼らにとってはいわば最終チャンスだった。このキャンプで成果をださなければ退学はもはや免れようが無い。
しかし誰かの指示を素直に聞けない彼らは、最後の機会だというのに講義も受けず、四人で樹海の探索をしていた。その頭には迷うとか、電波が通じないとか、方位磁石が効果を持たないとか一切の考えも無い。楽しいからそうしている。只それだけだった。普段の樹海ならば命にかかわる大馬鹿な行動なのだが、その日に限って、その愚かさは彼らの命を救う結果になった。そう、何故ならば彼らが樹海をさ迷っている間に、浮世荘は血の海になっていたのだから。
四人が悪魔の存在を知ったのは、それからしばらくたってからのことだった。運がいいのか、悪いのか。今、この場所に来るまでに彼らは三度も悪魔に遭遇したが、そのどれに対しても奇跡的に逃げ切ることができていた。それには、彼らのいた位置が大きく関係していた。そこは樹海の中でも起伏が激しく、二メートル近い岩や土の塊があちらこちらに盛り上がっているという、まさに隠れるのには最適な場所だったのだ。
「はぁ、はぁ。くそっ! くそっ! くそっ! 何だよあいつら!? ラリり過ぎだろ!」
真っ赤なだぶだぶの赤いトレーナと、赤いニット帽をかぶった男。宮元は隠れているはずなのに大声で文句を垂れる。その所為でボールペンで書いたような細い眉毛が八の字に歪んだ。
「やべーよな、何の薬やったらああなるんだよ」
「超日焼け薬じゃねぇ、なんかあいつら黒ぽっかったし」
恐怖で震える大森に対し、松本は場違いにも冗談を言った。大森は短い金髪にピアス、松本はチリチリのロン毛を後ろで結んでいる男だ。
「うぜーよ松本! マジおまえ馬鹿だから!」
大森が緊張感の無い松本に怒鳴りつけた。
「はぁ、お前の方が馬鹿だから!」
「はぁ、ざけんな!」
小学生のように言い合うふたりの声が辺りに大きく響く。もはや隠れているとはとても言えない。相乗効果で怒りを高め、さらに言い合いを続けようとする二人を福田が制した。
福田は長い髪をワックス漬けにして立たせているため、一昔前の箒のような髪型をしている。眉毛は剃りすぎて産毛ほどしか見えなかった。
「お前らちょっと黙れよ、超うるせえんだけど」
彼はこの集団のリーダーのようなものだ。大森も、松本も福田には逆らえない。二人が静かになったのを見ると、福田は一点を指した。
「あそこ見ろよ。誰かいるみたいだぜ」
大森、松本、宮元がそこを見ると、メタボリックシンドロームのお腹が目立つ中年と思わしき作業服姿の男がこちらの様子を見ていた。声を聞きつけてやって来たのだろうか。
「なんだ? あのオヤジ? キモ!」
「おい、あいつ背中に銃背負ってないか?」
「え、マジ? 本物?」
四人と目が合った男、五郎はゆっくりと彼らに近づいてきた。
「良かった。お前らも生き残りか。あれだろ、連門大学の学生さんだよな」
嬉しそうに話しかける五郎。
だが、四人は視線を銃に固定して離さない。福田は厭らしい笑みを浮かべると、五郎に気づかれないようにそっと背後へと回った。
「チームワーク?」
庄平は志郎の発した言葉の意味が分からず、聞き返した。
「そう、チームワークだ」
志郎は再び繰り返す。
今、四人は朝食を終え、崖前の小さな草むらで悪魔への対抗策を話し合っていた。
「一対一で正面から悪魔と戦えば、超能力でも無い限りほとんどの確立で殺される。悪魔の身体能力は僕らの数倍はあるからね」
「だから大勢でかかれってことですか? それなら自然にそうしてますよ」
悟は志郎の言いたいことが違うことだとわかっていながらも、確認の意味でそう聞いた。
「大勢でかかることには変わらないけど、それだけじゃ駄目なんだ。昨日、実際に悪魔一匹相手に何人も殺されただろ?」
悟も庄平も友も黙っている。そんなに軽く言えるような内容ではない。
返事が無かったが、大して気にしていないように志郎は淡々と話を続けた。
「悪魔との戦いでもっとも大切なことは、『気づかれないこと』、つまり、いかに旨く隠れることができるかってことだね」
「――って、え? 隠れてどうするんすっか?」
庄平は不満げに聞く。悟も黙ってはいたが、庄平と同じ疑問を感じていた。
「庄平君、話は最後まできてくれ。僕が、正確には十二年前のブラックドメイン事件の当事者達が生き残るために考え付いた方法なんだ。信頼して損はないよ」
「では具体的に言ってください。つまりどういうことですか?」
友が無駄話は聞きたくないといった雰囲気で質問した。
「分かった。いきなり隠れるっていうのは分かりずらかったかな。じゃ、実際に悪魔に会ったつもりで説明するよ」
「お願いします」
「こっちが悪魔を先に見つけたとしよう。そうしたら、まず仲間の一人が囮になって悪魔を引き付けて貰う。そのとき他のメンバーは囮が走りぬける場所の左右に隠れておく。木の裏や草の中なんかがセオリーだね」
悟は志郎の言わんとすることが分かってきた。
「そうして囮が二人の間を駆け抜け、悪魔が目の前にきたら――後はもうわかるだろ」
「不意打ちで仕留めるんですか」
悟はあまりに単純な戦い方に落胆した。悪魔との戦いっていうからもっと裏技的なものを想像してたのだが、これでは拍子抜けだ。別にわざわざ教えてもらう事では無いと思った。
「それだけ?」
庄平はあからさまに期待はずれだという表情をしている。
「単純な戦法に聞こえるかもしれないけど、すごく大事なことだ。この戦い方を意識しているのとしていないのでは、生存率がまるっきり違う。僕は身をもって経験したんだぞ」
二人が微妙な反応をしたことで、若干不機嫌そうに志郎は説明を続けた。
「慣れてくれば、応用として枝や蔓や石で作った罠にはめるといった方法もあるし、全員が悪魔の周囲を囲むようにして、居場所を隠しながら石やら包丁やらを投げて攻撃することもできる。基本的にあいつ等知能は猿並みだから、それだけで十分な効果が得られるんだ」
言いたいことは理解しやすく、確かに今までよりも生存率は上がる可能性がある。しかしやはり悟は何か物足りなさを感じていた。勝手に楽勝法を教えてもらえると思い込んでた自分達が悪いといえばそこまでだが。
悟と庄平は相変わらず微妙な表情を続けたが、友だけは二人と違う反応を見せた。
「博士、お話ありがとうございます。確かにこの戦法を知っていると知っていないとではまるっきり違いますね。おかげでいい情報を得れました」
「おお、分かってくれるかい? 友くん! さすが頭の良い子は違うねぇ」
自分の意見に賛同してくれる人間がいたことがよほど嬉しいのか、志郎は満面の笑みを浮かべた。
「あ、一つ大切なことを言い忘れた。分かっていると思うけど、これらの戦法は最低三人はいないと出来ないからね。間違っても一人で悪魔と戦わないこと。もし、仕方が無く一人になってしまったときはすぐに隠れるように。最初に隠れることが重要って言ったのには、そういう意味もふくまれているんだ」
「分かりました」
「友、ちょっと大げさじゃねぇ?」
庄平は完全に同学年の友人と話すような口ぶりで聞いた。もはや先輩だとはまったく認識していないらしい。
「お前ら……本当にこの話の重要性がわかっていないのか?」
ため息をつくように、友はこちらを見返した。
「だから大げさだって」
庄平は先ほどと変わらない調子で答える。
「まあいい。後でよく考えるんだな」
友は面倒くさそうに、庄平から視線をずらした。
それを見て、悟は疑問に感じた。友がそこまで言うからには、何かあるとしか思えない。自分が気づいていないことでもあるのかと思った。だが、いくら考えても答えはでない。諦めたように顔をあげ、話題を変えた。
「――そういえば、さっき何を持ってきてたんですか?」
確か悟が起きたとき友と志郎は何かを集めていたはずだ。一体何だったのだろうか。その問いには志郎ではなく友が答えた。
「ただの枝や鋭い石とかだ。それで武器を作るらしい」
悟が疑問を感じているのを察したらしく、志郎は説明を始めた。
「有名な話だから知っていると思うが、日本刀は三人以上斬ることができない。刃に脂肪がついて斬れなくなるからだ。」
「俺知らなっかたけど?」
庄平が小声で言ったが、志郎はそれを聞こえない振りでやり過ごす。
「包丁も同じだ。使い続ければすぐに切れ味を失う」
「でも、洗えば大丈夫じゃないですか? 俺の包丁は昨日洗浄したから切れ味抜群ですよ」
「いつでも洗えるとは限らないだろ。洗浄には大量の水がいるし、そう都合よく川があるわけでもない。攻撃力が高い物はできるだけ温存しておくべきだよ。それに鈍器のほうが与えられるダメージは大きい」
――なるほど、そのために枝や石の武器を作るのか。
悟はやっと納得した。
「分かったかい? じゃあ、さっそく作ってみようか」
頑強な木の枝は先を削るか鋭い石を付けて槍にしたり、太い石を付けてハンマーにした。思ったよりも丈夫で心強い出来だ。蔓からはロープや太い石と組み合わせた投げハンマーを作った。砲丸投げのように使うのか、それとも鎖鎌みたいに使うのか、何にしても庄平に適していそうな武器だ。
庄平は高校時代野球部のピッチャーだった。
甲子園に行った有名校というわけでは無いが、それなりに強豪な高校には在籍していた。だから今この場にいるメンバーの仲では一番体力もあるし、力も強い。刃物よりはこうした打撃系の凶器が合っているといえた。
ある程度時間が経ったころだろうか。三人が武器を作ったり、志郎から罠の仕掛け方を聞いていると、突然銃声が川を挟んだ森の向こう側に響いた。
「銃声!?」
いち早く友が反応する。
「向こうに俺たちの他に誰かいるのか?」
「恐らく五郎さんだな、樹海の観察公務員だよ。熊に襲われた時などのために猟銃を所持しているんだ」
「知り合いなんですか?」
志郎が五郎を知っているように言ったため、不思議に思った悟は聞いてみた。
「昨日の早朝、鹿の悪魔に追われているところを僕が助けたんだ。その後すぐに別れたんだけど、良かった。まだ無事に生き延びてたみたいだね」
「昨日博士が言ってたイミュニティーの人間ってことは無いですか?」
友が森の反対側を見ながら言った。
「イミュニティーじゃない。あいつらは銃を持たないからね。銃刀法新改正案が採決されてから、銃器は今の日本国内でそう簡単に持ち歩けるもんじゃなくなった。所持できたとしても使うだけで人目を引く。暗躍好きな彼らはそんな危険は侵さないさ」
「樹海内という限定された場所でも銃を使わないんですか?」
「そうだよ。そもそも、新改正案によって銃の流通は全て国連が管理している。少しでも輸入したり所持許可を願い出れば、目的や用途をこと細かく聞かれてしまう。それはイミュニティーにとって非常に都合の悪いことだからね。それに、銃は確かに強いけど色々と不便な面も多い。弾がなくなればもう役にたたないし、銃があればそれに頼ってしまう。何匹も悪魔がいるような場所ではすぐに弾を使い切るから、かえって邪魔なもんなんだよ。その代わり、銃無しで戦える用に彼らは対悪魔訓練を受けている。あらゆる格闘技を網羅し、ナイフ術やサバイバル技術に長けた者たちだ。例え丸腰でも、何らかの武器を作り出し戦うことができる。――だから、銃声がしたとなれば、その犯人はイミュニティーじゃない」
長々と志郎は説明をしてくれた。
「……なるほど。では、どうするんすか? 銃声がしたってことは悪魔に襲われているってことっすよね。助けにいく?」
行くか行かないかを聞いているというより、庄平は助けに行きたそうに見えた。佐々木のことで一匹でも多くの悪魔を殺したいのかもしれない。
「五郎さんは銃を持っているんだろ、ならば別に行かなくてもいいんじゃないか。弾切れになるとはいえ、威力的には文句ないものだし」
友は川から離れることに反対らしく、あまり乗り気ではなさそうだった。
「いや、行こう。悪魔は出来るだけ今のうちに倒せるなら倒した方がいい」
「これ以上増やさないようにする為ですか?」
志郎の言葉に、悟が聞き返す。だが志郎は、予想外の返答をした。
「そうか、これは言ってなかったな。実はね、悪魔は進化するんだよ」
「進化?」
「そう。やつらはイグマを他人の細胞に組み込むことで増殖し、身体を乗っ取るって昨日教えたよね。でもそれで終わりじゃなくて、体内のイグマ細胞の比率が元々の寄生媒体の細胞数を超えると、さらに構造変化を起こして、より強力な化け物になるんだ。これは寄生されてから時間が経てば経つほど起こり易くなる。いくつか段階を得て、最終的にはこちらがいかに多数でも刃が立たないほどになる。そうなる前に倒しておくのがいいんだ」
――あれ以上やばくなる……?
悟は息をのんだ。
初期段階の悪魔一体にあれほどてごずったのに、最終状態の悪魔はいったいどんな怪物になってしまうというのだろうか。
「さあ、時間が無い。悟くん、友君、庄平くん。悪魔が進化する前にさっさと倒そう。心配ないよ。さっき教えた戦法を使えばうまくいく」
志郎の妙に自身ありげな態度を見ても、悟は元気が出なかった。
それからあまり時間も経たない間に、悟、友、庄平、志郎の四人は自作の武器を構え、銃声がした所へとやってきた。
そこは高低が激しく他の場所よりも一段と周囲の木が密集した、まさに隠れるのに適した場所だった。大きな岩や土の壁が歩行を邪魔するため、まるで蛇のように左右に動きながら進まざる負えず、四人の進行を遅らせる。
この場所に入って十分ほど歩いたころだろうか。庄平が前方に何かを見つけた。初めは動物か悪魔の死体かと思ったが、近づいていくとそれが自分達が探していた五郎であることが分かった。
「五郎さん!?」
志郎は五郎の意外な姿に驚いたようだった。
「これは――……」
悟がしゃがんで様子を見ると、五郎の右肩には撃たれたような銃創があった。肩を取り囲むように血が広がっている。
「あの銃声は五郎さんが撃たれた音だったのか。でも一体誰に?」
「まだ脈はある」
いつの間にか横にかがんでいた友が言った。
「悟、お前のリュックの中に包帯が入ってたよな。出してくれ」
自分のリュックから消毒液を出しながら、庄平が指示を出す。
「ん? あ、ああ」
悟は慌てて包帯を引っ張りだした。庄平に渡そうとしたが、後ろから誰かに奪い取られる。志郎だ。
「僕が手当てしよう。この中では多分一番生物の身体に詳しいからね」
そういうと、志郎はすぐに五郎の手当てを始めた。
五郎は治療の間も意識が戻らず四人をヒヤヒヤさせたが、二十分くらい経った頃に突然目を覚ました。
「……うぅう……?」
「五郎さん。良かった気がついた見たいですね」
「あんたは……昨日の……何とか博士?」
「高橋志郎です。ところで一体どうしたんです? 銃で撃たれていたみたいですが」
五郎はまだ視線が定まらず寝ぼけ眼だったが、銃という単語を聞いて意識をはっきりさせた。
「くそ!やられた! あのガキども俺の銃を持って行きやがった」
「ガキども?」
庄平がすかさず聞き返す。
「ん――誰だお前ら?」
ついさきほど若者に襲われたばかりの五郎は庄平、悟、友に思わず冷たい目を向けた。
「僕達は連門大学の学生です。樹海キャンプに来ていたんですが、化け物に追われて逃げているうちに博士と一緒に行動するようになりました」
「連門大学……お前ら、さっきのガキどもの仲間か?」
「だからガキって何のことっすか?」
庄平が同じ言葉を繰り返す。
「俺を撃って、銃を持ち逃げした奴らのことだ!」
庄平に憎しみを込めて当たり付ける五郎を冷ややかに見つめながら、悟は考えた。
――ということは、肩の銃創は連門大学の学生にやられたらしいな。俺たち以外にもまだ生きている人間がいたのか。
「ちょっ――五郎さん、落ち着いてください。彼らは昨夜からずっと僕と一緒にいました。そんな人間知るわけがありませんよ」
志郎は五郎の気を落ち着かせようと必死に説得する。しかし、なおも睨みつけてくる視線に悟ら三人は少したじろいだ。
その様子を見て、さすがに五郎も冷静になってきたのだろう。ぷいっと、急に目を逸らすと謝罪をした。
「……悪い、少し過敏になっていた。気を悪くしたら謝る」
「いえ、お気持ちは分かります。逆の立場だったら僕も似たような態度を取りますよ」
友は当たり外れの無い受け答えをしつつ、これ以上揉めたくなかったので上手く話題を逸らしにかかった。
「ところで、あなたを襲った人間達がどっちの方向に逃げたか分かりますか?」
「撃たれてすぐに気を失ったから、確かだとはいえないが……向こうのほうに向かったと思う」
五郎の指は一キロメートルほど後方にある川と、平行な向きで銀野町の方角を指していた。
「まずいな。そいつらも銀野町の方に進んでいる。鉢合わせして面倒なことになるのはご免だぞ」
友は頭を抱えるように呟いた。
「悟、どうする? 川に戻って進む? それともこのままそいつらと同じ道を進むか?」
「庄平はどっちがいいと思う?」
立ち上がり、悟は聞いた。
「俺は川に戻るほうだな。森の中じゃ真っ直ぐに進めなくて迷い易いし、時間もかかる。川から行けばクソ学生らよりも早く町に着けるんじゃね?」
「……やっぱりそうか」
悟は押し黙った。腕を組んでボーっと突っ立つ。
「何だよ。なんかあまり乗る気じゃなさそうだな」
「いやさ、実はさっきから川の方向に悪魔がいるような気がするんだ。何となくだけど……」
「もしかして、また例の勘か?」
「うん。そんなとこ」
「何だ、その勘って?」
悟の感覚を知らない友が訝しげに聞いてきた。
「信じてくれないかもしれないけど、俺昔から危険が近づくのが分かるんだ。第六感とでも言うのかな」
庄平が悟の言葉を補足する。
「悟の言っていることは本当だぜ。そのおかげで俺たち悪魔だらけの浮世壮から脱出できたんだからな」
「で、その感覚が今川に悪魔がいると感じているのか? 悪いが冗談にしか聞こえないぞ」
友は細い目をさらに狭めた。どう見ても信じていない。
「川から行くべきだよ。エスパー君には悪いがな」
皮肉っぽく、友は言った。
「そんな言い方は無いだろ」
悟は友の態度に少しイラっときた。一瞬その場の雰囲気が悪くなる。だが、第三者の言葉がその雰囲気を壊した。
「へぇー、驚いたな! 悟くん、君は超感覚者だったのか」
志郎の突然の聞きなれない言葉に誰もが耳を向けた。
「超感覚者? 何のことですか」
いきなり知らない言葉で自分を表現された悟は戸惑う。
「通常の人の数十倍の感覚器官を持っている人間のことだよ。ほら、聞いたこと無いかな、時計を見なくても寸分の狂いもなく時間がわかる人とか、音を比べなくても理解できる絶対音感を持つ人とか……」
「俺もその仲間ってことですか?」
「そうだろうね。君の場合はさしずめ絶対危機回避感とでもいうのかな。確か、蜘蛛の一部にも同じような能力をもっている種がいるよ」
「博士、悟の妄想を信じるんですか!?」
友が信じられないといった顔で志郎に食ってかかる。
「妄想なんかじゃないよ。不思議に思っていたんだ。どうやって悪魔からここまで生き延びれたのかね。超感覚者なら納得がいく」
志郎があまりにはっきりと悟の能力を認めたので、友は何も言い返せなくなった。
五郎は冷めた目で志郎らを見ている。
「そんなに信じられないなら、友君が一人で川の方向まで行って見るといい。嘘かどうか分かるはずだ」
「……――もういいですよ、分かりました。まだ半信半疑ですけど、川から行くのはやめましょう」
何か諦めたように友は言った。
「おい、俺はどうなるんだ?」
ぶしつけに五郎が聞いてきた。
「どうって、一緒に行かないんっすか?」
庄平は先ほどの五郎の態度を根に持っているのか、やや面倒くさそうに聞いた。
「血を流しすぎたみたいだ。足に力が入らなくて立てやしねぇ」
「めんどいオッサンだな」
ぼつりと庄平が舌打ちした。
「おぶって行ける距離でもないしな。博士どうします?」
悟の問いに志郎は手を口に当てて考え込んだ。
「……仕様がないね。五郎さんは体力が回復するまで僕か付いているよ。君たちは先に行ってくれ」
「ええ〜!? 博士がいねーと心細いっすよ!」
思わず庄平が叫ぶ。
「このまま一人にすることは出来ないだろ。僕も心配だけど、二手に分かれるしかない」
「俺達も一緒に行動しますよ」
「いや悟くん、駄目だ。君たちは出来るだけ早くこの樹海から出るんだ。ここに留まればいずれ悪魔がやって来る」
「でも博士だって――」
「僕はこういうことには慣れているから平気だよ。それに本音をいえばあまり大人数で歩きたくないんだ。多ければ多いほど悪魔に見つかりやすくなる」
ここで庄平が珍しく泣き言を言った。
「でも俺たちだけって、怖いな」
「そうだろうね。本来ならばそんな危険な真似はさせたくないが……こんな事態だ。僕だっていつどこで死んでもおかしくない以上、君たちは僕を頼ってはいけない。自分の力で生き延びるんだ」
――例えまだ学生でも同じ大人の男として自力で生きろってことか。
確かに五郎の状態を見るとまともに歩けそうじゃない。ほうっておけばすぐに悪魔に殺されてしまうだろう。悪魔に詳しい志郎と別れるのは三人にとっては痛い損失だったが、五郎を見殺しにもできないため、悟は仕方が無くその案に乗った。
どこから悪魔が飛び出すかも分からない樹海内において、軽快に歩き続ける男たちがいた。
福田、松本、宮元、大森の三人だ。
彼らは五郎から奪った銃を所持していることで、怖いもの無しになった気でいた。
「さっきの女の子惜しかったな。結構可愛いかったのに。何か前に名前聞いた気がすんな――……小宮ちゃんだっけ?」
「大森のヘマだよ。あの女……大学でおまえにナンパされたことがあったのか、顔を見た瞬間逃げ出しやがった」
福田が心底残念そうに言う。
「それにしても、あいつよくここまで一人で生きてたよな。俺達だけかと思ってたのに。案外もっと生き残ってる奴らいるんじゃね?」
「よーし、じゃ先に女見つけたら見つけた奴の物な」
宮元と松本が下品な会話を楽しむ。
「あ、さっきの女だけは駄目だぜ、あれ俺のお気に入りだから」
「うわー大森キメ〜!」
四人は声が響くのにも構わず、さっきからずっとこの調子で歩いている。獲物を求める怪物が彼らに気がつかない訳が無かった。
今、彼らの後方数十メートル後ろから数匹の生物が静かに近づいているのだが、馬鹿笑いを続ける四人にはその気配が分からない。かなり距離を縮められたころになって、やっと宮元が後ろに枝を踏むパッキッという音を聞いた。
「!?」
急いで振り返ると、目の前には三匹の猪が姿を現していた。森の中なのだ。猪がいるのは別におかしくない。だが、その猪は普通の猪ではなかった。
「なあ、こいつら何か変じゃねぇか?」
血走りギョロリと飛び出した紅い目。血管が全身に浮き出た灰色の皮膚。その外見を見て大森が異常に気づく。
雑食の猪が食料目的で人間を襲うことなど殆どないのだが、この三匹はどう見ても自分たちを獲物と見ているようだ。
「おい、やベーよ! この豚ども、もしかして……」
福田の言葉を待つことなく、猪悪魔たちは四人に突撃した。
比較的猪悪魔に近い距離に居た大森、松本、宮元は、ほぼ一対一で追われる羽目になるも、福田だけはうまく猪悪魔のターゲットから外れ、一人違う方向に逃げた。それを見た松本が叫ぶ。
「ふっくぅだぁあー、テメエー一人で逃げる気か!」
さっきまで余裕たっぷりで歩いていたのが嘘であるかの様に、顔を青くして三人は必死に走った。肝心の銃は福田が持って逃げたため、誰一人猪悪魔に対抗できない。
「うわあぁぁぁぁ、来るなぁあ! 来るんじゃねえ!!」
いくら叫んでも悪魔には無意味だ。舌なめずりするように口を動かしながら三人を追いかける。
「っ勘弁しろよっ!」
宮元が正面を見ると、さらに間の悪いことに鹿の悪魔が二匹、声を聞きつけたのだろうか真っ直ぐこちらに向かっていた。自然と悪魔に囲まれる形になり、三人の足も止まる。もはや絶体絶命だった。
一本の細い木を背に、小さな子供のように震えくっ付く宮元、大森、松本。
悪魔達はどんどん間を詰めてくる。
ジリッ、ジリッ、ジリッ……ジリッ……
「ひいいいぃぃぃぃいいいい!!」
宮元が叫ぶと同時に、猪悪魔の牙が彼の胸目掛けて突き出された。宮元は顔を隠すように腕を前に交差させたが、殆ど何の意味も無くその心臓を貫かれた。途端に口からは夥しい量の命の水が吐き出され、見る見る中に猪悪魔と宮元の全身は赤く染まっていく。
猪悪魔の頭に体を乗っけたまま後ろへ運ばれていく悪友を横目に、松本は鹿悪魔二匹の間を何とか抜けようと駆ける。
しかし、灰色の角が松本の両腕を左右から挟みこんだ。
「くそぉ、離せ! ざけんじゃねえー!!」
松本がいくら暴れても角は離れない。何故ならばその角は松本の腕に刺さっていたからだ。もがけばもがくほど腕に深く食い込んでいく。
興奮している所為か松本は痛みを感じていないようだ。なおも激しく体を振るわせた。
一方、大森は宮元が襲われた際に空いた隙間から見事に包囲を抜けたのだが、そう上手くはいかず、二匹の猪悪魔に背後から突き飛ばされた。
「ぐあっつ、いってぇ!」
正面の大木に頭を強く打ちつけ倒れる大森。その額からは血が流れ出していた。三万円はしただろう高そうな服は泥だらけで見るも無残な状態になっている。
獲物が動きを止めたのを確認すると、ゆっくりと猪悪魔達は接近し始めた。
「……うぅ……う……」
意識が朦朧とし、僅かに動くだけの大森を一匹の猪悪魔が牙で突っつく。まるで獲物が弱っているのを確認しているようだ。
霞む視界の中で大森は松本のものと思わしき悲鳴をきいた。
バキバキ、ブチブチッと何かか引き裂かれる音と共に視界の隅が赤一色で多い尽くされる。
「……ああ、俺ももうすぐああなるのか。何だよ、これまで好き勝手やってきたけど、どうせ勉強してもこんな最後なら遊び呆けて正解だったじゃん」
大森は涙を流しながら不気味に笑った。
横たわる大森に向かって猪悪魔は牙をむき出しにし、突撃の用意をする。右の前足を何度も地面に擦り付け、今にも飛び掛ってきそうだ。
「グゥウギイィイイイアア!」
その時、突然それほど遠くない所からこの世の物とは思えない鳴き声が聞こえた。
地獄の底から響いて来るかのようなその恐ろしい声に周囲一体が支配される。
大森は死を覚悟していたにも関わらず、全身の血が引くのを感じた。
「何だよっ、この声!? 体が寒くなる。ヤバすぎんだろ!」
その声を聞いた瞬間、周囲の悪魔たちは一斉にその場から逃げ出した。もちろん大森を襲っていや猪もだ。
瞬く間に大森の周りからあらゆる生き物が姿を消す。一瞬にして辺りは別世界のように静かになった。
悟らも離れた場所でその声を聞いていた。
「何だ、この声……!」
「怖えー……」
「悪魔じゃないみたいだ」
悟と庄平が怯えるのに対し、冷静に分析する友。だが、さすがにその表情は暗い。
「友、もしかしてお前が見た大きな狼じゃないのか?」
悟は昨日の友らの発言を思い出した。
「そうあっては欲しくないな。俺達があの狼を避けるために銀野町へ向かっている意味が無くなる」
「そうだよな。それに巨狼が俺達の先にいるなら、一度俺たちを抜いたって事になる。それ程大きな化け物なら例え離れたところを通っても振動で気づかない訳は無いし、そんな気配は無かった。また別の怪物がいるのかな?」
「可能性は高いが、あまり考えたくない」
二人はそこで会話を止め、黙って歩く。今はとにかく前に進むしか行き先が無いからだ。
大して歩かない中に悟は前方から悪魔の気配を感じ取った。
「っ悪魔か!? 一……二、三、四……五匹もっ!? 庄平、友、隠れろ! 悪魔が来る」
「五匹だって!? くそ、ふざけんなよ!」
「信用していいんだよな……!」
庄平と友はそれぞれ反応し、すぐに近くの木の上に上った。悟もそれに続く。大量の緑の葉が上手く姿を隠してくれた。
「博士は出来るだけ殺せって言ってたけど、さすがに五匹相手はきついだろ」
「でも庄平。ここで殺さないとあいつら博士と五郎さんの所に行っちゃうぞ。博士一人で五郎さんを守りながら五匹の悪魔と戦う何て無理だろ。俺達で倒さないと……」
「悟は戦う気なのか」
友が確認するかのように問う。
「ここでやり過ごせても、背後から襲われるかもしれない。倒せるのなら、倒したほうがいい」
「……分かった。怖いが俺も協力するよ」
諦めたように友は頷いた。
「おい、俺だけ仲間外れにするな。俺も戦うよ。佐々木の敵を討って討って討ちまくってやる」
「言いたくないが、大丈夫か?」
これまで庄平はいいとこがほとんど無い。心配になったらしい友が思わず聞いた。
「今度はもう二人の足を引っ張らない。約束する」
「……頼んだぞ」
「ああ」
庄平は力強い声で答えた。
「っし、来たぞ!」
結束を固める庄平と友を他所に、悟が一匹の猪悪魔を見つけて言った。
その猪悪魔はまるで何かから逃げて来たかのように、酷く息切れしていた。
「ぶとぅあ? 豚も悪魔になるのか?」
庄平は意外そうに、まじまじと遠くの悪魔を見ている。
「猪だ。で、どうする? 博士の戦法だと誰かが劣りになる必要があるが」
「俺が行くよ。俺は超感覚がある。この中では一番、囮をしても生き残れる可能性が高いはずだ」
友のセリフにすぐに悟が応じた。
「気をつけろよ」
「ああ」
言い終わる前に、悟は木の上から地面に降り立った。ドスンという音が土に鳴る。
しかし猪悪魔はまだこちらに気づいていない。悟は体勢を整えると、朝に作った石と枝製の槍を背中に括り付けてある蔓の入れ物から取り出した。上を見ると、庄平と友が同じようにそれぞれ自作の武器を構えている。
「あまり時間をかければすぐに他の四匹もここに集まってくる。一瞬でけりをつけないと駄目だな」
悟は覚悟を決め、大きく息を吸い込んだ。
「おーい! こっちだ!!」
木々の間をすり抜けるように悟の声が広く拡散する。
「グビュッ?」
猪悪魔は悟に気がつくと、右足を何度も地面に擦りつけ始めた。
ドクン、ドクンと大きく波打つ心臓の音を感じながら、悟は包丁を構えた。
猪悪魔は勢い良く地面を蹴ると、悟めがけて突撃してきた。
「あと五、四、三、二メートル……――今だ!」
悟はタイミングを見計らって横に避けた。
猪悪魔は急に獲物の姿を見失い、その場に止まる。だが直ぐに横に転がった悟を見つけ、再び突撃しようとした。その瞬間、上から二本の槍に頭を貫かれる――筈だった。
「速い!」
誤算だったのは猪悪魔のその速度だ。猪悪魔は悟が避けた後、木の下で止まることなくそのまま十メートルほど先まで進んだ。どうやら勢いを止め切れなかったらしい。
庄平と友は槍を突き出す暇も無く、何も出来なかった。
「まずい、予定外だ。悟がやられる!」
苦汗をかくように友が言った。
今からどこかに隠れることは不可能に近く、肝心の作戦にも失敗した以上逃げるしかない。どう考えても大ピンチだ。だがこれほどの危機にも関わらず、悟は冷静だった。
――まだチャンスはある……!
悟は起き上がると、ちょうど二人が隠れている木の正面に猪悪魔と向かい合う形で立った。
「何する気だよ!」
庄平が小声で聞く。
「気づかれる、黙って見てろ!」
悟は普段あまり人が聞くことの無い鋭い声で怒鳴った。
前を向くと、既に猪悪魔は二度目の突撃に入っていた。悟は構えた槍をまっすぐに投げつける。槍は相手のこめかみを貫いたが、猪悪魔は変わらず突っ込んでくる。槍の一撃に怒ったのか、さっきよりも勢いは強い。
「グゥボオオオ!」
牙が自分の身体に進入しようとした瞬間、悟は飛び上がった。猪悪魔の額を踏みつけ、その背後に抜ける。猪悪魔はものの見事に自ら大木へ頭を打ちつけた。
激しい音が鳴る。まるで大地震の際中であるかのように大きく揺れる大木。庄平と友は木から落ちないように必死にしがみついた。そのせいで二人とも持っていた槍を下に落としてしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ――……」
だがその槍は地面に突き刺さる前に悟に掴み取られると、一目散に猪悪魔の背に食い込まれた。
「グギャアアアア!?」
「うああああ!」
力の限り悪魔の体内に槍を押し込む悟。槍はゆっくりだが確実に奥へ入っていく。
悟はさらに体重をかけようとしたが、急に猪悪魔が振り返ったためなぎ倒されてしまった。
「うわっ!?」
掴んでいた槍に引っ張られ尻もちをつく。手に持っていた槍も深く猪悪魔の肉に食い込んでいたため、抜けずに猪ごと離れていった。
悟が土の上に手を付きながら前を向くと、黒い影が見えた。猪悪魔が憎悪溢れる目つきでこちらを睨んでいたのだ。
「くそ……!」
猪悪魔は身を屈めると、牙を悟の下に潜り込ませて上に投げ上げた。六十二キロ、百七十六センチの体が空高く持ち上がる。
身動きできないその獲物の中心目掛けて、二本の鋭い牙が追撃させられた。
悟は視界の隅にその映像を捕らえると、空中で体を反転させながら足で牙を押し、攻撃をギリギリでかわした。
猪悪魔の牙が空を斬る。
蹴った勢いで滑るように悪魔から離れると、悟は包丁を一本引き抜き猪悪魔と対峙した。出来れば包丁は使いたく無かったが、仕方が無い。
すぐに荒い息使いと共に迫ってくる灰色の塊。
「待て、豚野郎!」
猪悪魔が完全に自分に背を向けた瞬間、庄平は石とロープで作った例の遠距離様ハンマーを、あらん限りの力でその後頭部に叩き付けた。「グシャッ」っという耳障りな音が悟の耳に侵入する。
「グビャアアアアア!?」
叫び声をあげ、猪悪魔は一瞬動きを止めた。
悟はそれを見逃さなかった。右手を真っ直ぐに悪魔の眉間目掛け突き出す。昨夜研いだばかりの包丁は綺麗にその体内に吸い込まれていった。
もう一体の猪悪魔はそれ程苦労せずにすんだ。勝負はすぐに終わったからだ。
先ほどと同様に悟が囮となり、悪魔を引き付け木に体当たりさせる。その隙に木の左右の長草に潜んでいた友と庄平が止めを刺した。
猪悪魔の最後を看取ると、友は一息つくかのように息を吐き出す。
「ふう、今度は楽に終わったな」
「ああ、攻略法が分かると結構楽だな。まあ、悟だけは変わらず大変だろうけど」
庄平は軽く笑ったが、悟はそれには構わず気になっていたことを思い出した。
「友、あんたが朝に言ってたことって、このことだったんだな」
「何のことだ?」
「博士が戦い方を教えてくれたとき、言ってただろ。重要な情報だって」
「そうだな」
「あの時は気づかなかったけど、あれって本当に重要な情報だったよ」
友は黙って悟を見ている。
「戦い方を知っているだけで『逃げる気』が無くなる。どうすれば倒せるか分かっているんだからな。もし戦い方を知らなかったら、何もできずにただ逃げるだけだった」
真剣そうに悟は言った。
「この情報、戦法を知っているか知らないかで、こっちの心構えがまるっきり違う。ホント、博士に会ってよかったよ」
「後で博士に何か恩返ししないとな」
この樹海に入ってから珍しく友は笑った。
お互いの結束を強くした三人だったが、百メートルも進まない中に二匹の鹿悪魔に遭遇した。
すぐに木の影に隠れて様子を見る。
「どうする? 猪悪魔と同じ方法で倒せっかな」
庄平が気楽そうに言った。
それに友が答える。
「猪よりは勢いも力も弱いと思うが……あの角は厄介そうだな。牙と違って正面を向いているから、命中率はかなり高そうだ」
「木にぶつけさせても動きを止められそうにないしな」
悟が先ほどの戦いを思い出して呟く。
「そうだ、転ばすっていうのはどうだ? 木と木の間に蔓かロープを引いて罠を作るんだ」
「だけど友、そんなのに引っかかるのか?」
友の案に悟は多少の不安を感じた。
「昔の中国の戦争では、実際に相手の軍馬をそうして転ばしたことがあるんだ。上手くいくさ」
「前例があれば上手くいくもんでも無いと思うけど」
だが、そんな悟の不安とは反対に、その作戦は見事に成功した。
ロープを張った所に悟が鹿悪魔をおびき寄せると、あっさり二匹同時に頭から転倒した。角を立てて攻撃されれば確かに脅威だが、転んでしまえばただの鹿と変わらない。猪悪魔ほどの頑丈さもない二体の悪魔は、あっという間に庄平と友に止めを刺され、その生命を失った。
「どうだ。もう近くに悪魔はいないか?」
庄平は注意深く森を見渡しながら悟に聞いた。
「ああ、居ないみたいだ」
「よし、やっとこれで一息つけるぜ。飯でも食うか?」
食い意地が張っている庄平を呆れた調子で見る友。
「おい、まだ十時くらいだろ。早すぎる」
「硬いことゆうなよ〜友。誰か見てる訳でも無いし」
「そういう問題じゃないだろ。少ない食料をお前のわがままで無駄にする気か?」
今食料を食べると、昼ごろには再び食欲が復活している可能性が高い。それを計算して友はこう言った。
「わかったよ。まったく友は真面目だぜ」
庄平はまだ不満だったものの、一応友に従った。




