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<第十八章>玄色の船へ(後編)

<第十八章> ” 玄色の船へ (後編)”




 もう、見えるのは緑色の海だけだ。電波塔の姿など針の大きさにすら見えない。

 やっと抜け出すことができたのに。

 帰ることができるのに。

 ヘリの中は暗い雰囲気で溢れていた。

 亜紀は自分の手を取らなかった悟の姿を何度も反芻する。

 あの時、もっと自分が手をのばしていれば、もっと早くロープを下ろしていれば――

 いくら考えても今更何かが変わることはないのに、亜紀はその思いだけを繰り返し頭の中に描く。

 きっともうあの瞬間を忘れることは出来ないだろう。

 恐らく一生記憶の一部として刻まれるはずだ。

 永遠に消えないトラウマとして。

 深い悲しみに包まれ、亜紀は顔を伏せた。

 一方、その向かいに寝そべるように身を伏せていた友は、亜紀の嗚咽を聞きながらずっとヘリの天井を見つめていた。

 庄平と悟の死。

 あれほど沢山いた浮世荘の中で友はたった一人だけの生存者となってしまった。

 本当に後少しだけだった。

 あと少し早ければ、あと少し体力があれば、あと少しお互いの気持ちを考えていれば。

 あの二人が死ぬことはなかった。

 あそこで自分に一体何が出来たのかと言えば――友には何も答えることは出来ない。

 ただ、自分だけが生き残ってしまったこと、自分の考えの浅さで庄平を殺してしまったこと、体を突き破りたくなるほどの後悔が友の中で暴れるように無尽蔵に溢れていた。

 下田も有村もそんな2人の雰囲気が伝染したのか、全く言葉を発することは無く、ただ黙々とヘリの操縦桿を握り続ける。

 死を受け入れることに慣れているイミュニティーの二人でもまだ新米だった頃はある。下田らは自分が始めて仲間の死に目に合ったときのことを思い出し、気を使ってくれていた。

「下田さん」

 その無言の空気をいきなり友が破った。

「何だ?」

 下田は普段と変わらない落ち着いた声で聞く。

「悪魔はこのまま放っておけばどんどん広まっていってしまう。どうやって防ぐ気なんだ?」

 てっきり二人のことについて聞かれると思っていた下田は、友のあまりに冷静な質問に驚いた。

「あ、ああ。心配は無い。一週間前、まだイグマ細胞が広まって間もない頃広野さんの命令で抗イグマ細胞を感染範囲を囲むようにばら撒いたんだ。イグマはあの細胞に接触すると食われて感染能力を失うから、これ以上悪魔が広まることはない」

「その細胞を囲む様にではなく全面に巻いて欲しかったな……まあ、そちらとしては貴重な細胞を全て殺してしまう訳にはいかないか……」

「すまない。俺も気は乗らないが上の命令には逆らえないんだ。本当に申し訳ないと思う」

 下田は本心から謝った。

「下田さんは悪くない。俺もこれからイミュニティーに入るんだ。俺が同じ立場にいても自分の命を守る為にそうする」

 友は感情を感じさせないような話し方で言葉を返す。

 「冷静さに取り付かれている」友の様子を見た下田はそう思った。

 大事な友人の死、異常な状況、恐らく友はもう二度と同じことを繰り返さない為に、自ら無意識のうちに「冷静になろう」、「冷静になろう」と自分を追い込み、その言葉に取り付かれてしまったようだ。

 自分がもっと冷静になってさえいればあの二人が死ぬことは無かったという思い、ある種のトラウマが友をそんな状態にしてしまったらしい。

 これからずっとこの若者はこの言葉に支配されて生きていくことになるのだろうなと、下田は哀れみの目つきで友を見た。

「――少し寝た方がいい、まだまだ到着までは時間がかかるぞ」

「……そうだな――……じゃあ、ちょっと寝ます」

 友は死んだような目で瞼を閉じた。心の中でイミュニティーを潰す決意を秘めながら。

 ヘリはようやく僅かに登りだした朝日の中に、暗闇の中から、地獄から逃れるように飛び込んでいった。

 次に地獄が尋ねて来るその時まで、友は僅かな休息についたのだった。


































































 朝日に照らされた屋上のドアがゆっくりと開いた。

 カジュアルなジャケットと、警察特殊部隊の服を足して二で割ったような黒い服を着た男がドアの向こうから姿を見せる。

 男はまぶしそうに朝日を片手でさえぎると、軽い足取りでヘリポートの中心まで歩いて行く。

 その中心には無数の悪魔がピラミッドのような形を作り密集していた。

 最終段階の悪魔のこれほどの大群は、幾らこの黒い服の男でも逃げ出したくなるような状況だ。だが、男はクスクスと笑いながら、何故か石化したようにピクリとも動かないその悪魔たちを蹴飛ばしどかすと、その下に埋もれていた若者を見る。

「クスクス、上手くやったな。あれなら確実にイミュニティーはお前を死亡扱いするだろう。鬼気迫る演技だったぞ」

 黒服の男、キツネは心底楽しんでいるといった笑顔でそう言った。

「……演技じゃない。俺は本気で死ぬと思ったから……」

悟は怒りの篭った目でキツネを睨み付けた。

「仕方が無いだろ? 黒服に入るには社会的に一度死ぬ必要がある。お前がヘリに乗りそうになったのを望遠鏡で見た時はどうするのか焦ったが、まさかあんな方法を取るとはな」

「お前にあれを聞いてなかったら危なかったよ。実際、亜紀の手も掴みそうになったし――」

 悟はキツネとの会話を思い浮かべる。






「いや、それはあまりにも勿体無いからな、提案があるんだ。ちょっとコッチに来てくれ。亜紀ちゃんには聞いて欲しくない」

 キツネはニコニコとした笑顔でそういった。

 ――……何だ――?

 今更殺されることも無いだろうと、悟は素直に従いキツネの元へ行った。

「悟、お前は結構才能があるからな。このままイミュニティーのメンバーに加わることになると都合が悪いんだ。だけどさ今殺すのも勿体無いし、お前には出来るだけ悪魔や怪物を倒してもらってから亜紀ちゃん達が無事に脱出できそうな頃合を見て――死んでくれ」

「な、何言ってんだ――!?」

「社会的な意味でだよ。お前の実力は黒服に欲しいと思ってな。黒服のメンバーになるには社会的に生きていると色々と不便なんだ。僕の言うことを聞かないのならお前の両親も友人も知人も、大切な順に消していくぞ。ま、どっち道イミュニティーの連中にも同じことを言われるから、つまるところ黒服とイミュニティーどっちがお前の好みかって違いだけだな」

「……そうするしかないのか?」

 悟が困った顔でキツネに聞いているのが亜紀に見えた。その問いにキツネはクスクスと笑いながら頷く。

「……分かったよ」

 悟が暗い顔で答えた。

「あ、あと一つ。これからは悪魔の第三形態に会う機会が増えると思うが、出くわしたら戦わないでとにかく隠れろ。あれは三本腕の幼体並みの強さがあるからな。まともに戦っても今のお前じゃ相打ち覚悟でもない限り勝てない。まあ心配するな。あいつら第三形態になってから一時間前後しか生きれないから」

「一時間? どういうことなんだ?」

「悪魔の第三形態は言わば元々の人間の全安定細胞を侵食しつくした姿なんだ。悪魔は媒体となった人間の細胞を侵食していくたびに体の悪魔の割合が増えるから第二形態、第三形態と強くなっていく。だが、全ての安定細胞を侵食しきれば、これ以上どこからも安定した細胞を得ることが出来なくなる。つまり、体に無理が生じて自然崩壊するんだよ。そのあとは十秒感染の危険も無い」

「第三形態の寿命は約一時間ってことか」

「そうだ」








 このことがあったから悟はヘリには乗らず、鈴野を自分の手で楽にしてあげるという意思もあり、悪魔の集団に突っ込んで言った。

 キツネから聞いた悪魔第三形態の発生時刻を元に、計算してあいつらが間もなく全部死ぬと分かっていたから。

「何にしてもともかくだ。ようこそ、僕たち黒服、『ナグルファル』へ」

「ナグルファル……?」

 聞きなれない言葉に聞き返す悟。

「黒服の正式な名前さ。知らないか? 北欧神話に登場する伝説の船の名だよ。世界終末の際に死者の軍勢を乗せて人間の世界に襲撃をかけるんだ。この船は死者の爪で作られたと言われていてさ。そのせいで僕たち黒服メンバーを死者の爪と呼ぶ人間もいる。社会的に死んでいる連中ばかりだし、まさにぴったりの呼び名だろ?」

 キツネはクスクス笑いながら言った。

「死者の爪ね……格好つけてるけど、つまり社会的なゾンビってことだろ?」

「クスクス、そう捉えたければ好きにしろ。どっち道僕にはどうでもいいことだ」

悟の皮肉にキツネは感心なさそうに答えた。

「さ、行くぞ。僕が用意した車が待ってる。まだ第三形態に進化してない悪魔も多数この樹海に残ってるんだ。さっさと行こう」

「――待て、その前に一つだけ聞きたい事がある」

 悟は黒柄ナイフを抜くとキツネに向けた。

「何だ? 物騒だな」

「何で三本腕の拘束を解いた? お前があれを開放しなかったら――……庄平が死ぬことは無かった」

 震える手で黒柄ナイフを握り締め、悟は殺意の篭った目でキツネを刺す様に見続ける。

「イミュニティーに生きた三本腕のサンプルを渡さないためさ。あそこであれを解き放てば殺すしかなくなるだろ? 拘束したままだと本体が来た時に簡単にデーターを取られるからな」

「――だったら……解き放つんじゃなく、お前がその時に三本腕を倒していればよかったんだ! 何で……何で態々(わざわざ)俺たちに戦わせた……!」

「クスクス、その方が面白いだろ?」

「この野郎――!」

 悟はナイフをキツネに向かって切りつけた。だが、キツネは素早く反応すると懐から自分の黒柄ナイフを取り出しその斬撃を軽くいなす。

 刃の打ち合う鋭く高い音が何度も何度も薄い朝日に照らされた屋上に響く。

 悟は一心不乱に腕を振り続けた。

 庄平の敵を討つ為に。

 自分の気持ちを納得させる為に。

 キツネにナイフを振ることで庄平に対する罪滅ぼしだと言うように。

「あっ!?」

 カキーンという音が鳴ったと同時に悟のナイフは後ろの方に弾かれてしまった。

「もうやめろ。何の近接戦闘訓練も積んでいないお前が僕に勝てるはずが無いだろ。それに忘れたのか? お前が僕に従わないと亜紀ちゃんや家族が死ぬことになるんだぞ」

「――……っ!」

 悔しくて悔しくて堪らない。

 悟は右肩を鈴野に貫かれていたにも関わらず、痛みを忘れたように何度も地面に拳を打ちつけた。

 その様子を冷めた目で見ながらキツネは言葉を続ける。

「そういえば、お前が倒した巨狼――あれってブラックドックっていう黒服の生物兵器の一つなんだ。まあ、普通はあんな大きさじゃなく一般的な犬と変わらない大きさなんだけどな」

「な!?」

「タイプ、フェンリル。僕がこの任務を完全に成功させる為に持ち込んだ大型のブラックドックだ。どこにディエス・イレのスパイがいるか分からないから、生存者をこの樹海から出さないようにする為に使っていたんだよ。イミュニティーにはバレなかったけど、あのスパイには分かっていたらしいな。ずっと巨狼じゃなくてブラックドックて呼んでたし」

「あの巨狼が一体何人の人間を殺したと思っている! お前の、お前のくだらない任務成功の為だけに――!」

 悟はまだ濡れている屋上の地面の上に置いた拳を握り締める。

「他人の命なんてどうでもいいさ。どうせみんないつかは死ぬんだし。それに、僕は人だけど”人間”じゃないんだよ。……精神的な意味でな。人間がどうなろうと知ったこっちゃ無い」

「……なに?」

「大井田庄平の敵を討ちたいのなら僕を恨め、これからもずっと……僕を殺せる位の実力を付けるまでな」

「何を考えてんだ……!?」

 悟はキツネの真意を読み取れず混乱した。

「クスクス、僕はお前に期待してるんだよ。色々な意味で」

 キツネは意味深に言葉を吐くと、これ以上の会話は無用だと言わんばかりに屋上の扉へ向かい階段を下りていった。

 ――いつか……必ず……庄平の敵を取ってやる。

 一人屋上に残った悟は憎しみの篭った目でその扉を見つめ続けた。




 悟が暗い顔で電波塔の入り口を抜けると、外ではキツネの他にもう一人、知った顔が待っていた。

「よう!」

 安形は無理やり声を振り絞ったように声をかける。

「あ、安形さん! 生きてたんですか!?」

 悟は完全に死んだと思っていた安形が目の前に現れたことが信じられなかった。

「まぁ、ぎりぎりだけどな。勝手に殺すなよ」

「どういうことなんですか?」

「下田さんもよっぽど疲れてたんだな、あの庄平君の言葉を真に受けるなんて。俺はただ気を失っていただけだよ。正平君が早とちりして勝手に俺を死んだことにしたんだ」

「庄平は――……オッチョコチョイですからね」

 庄平が生きてここにいれば、きっと目を見開いて間抜けそうな顔を作り真剣に謝ることだろう。もう二度と見ることは無いであろうあの優しそうな顔で。

 その様子が簡単に想像でき悟は悲しくなった。

 話を変えるように安形は言葉を続ける。

「それで、これからなんだけどさ。どうやら俺も黒服に入ることになりそうだ。お前のオマケらしいけど」

「安形さんも?」

「ああ、一人よりは気が楽だろ? 一緒にゾンビになろうぜ」

「ははっ……そうですね」

 先ほどのキツネとの会話を聞いていたのか、安形は冗談を言うように悟に言った。その言葉に救われるように悟の気持ちも少し明るくなる。

 悟が元気を取り戻したのを見ると、安形はキツネに聞こえないように声を落として話しだした。

「……いつか、必ず機会は来る。その時に俺達二人でこのイカれた黒服やイミュニティーを潰すしてやろう。それまで堪えるんだ」

 安形はこの組織と戦う気らしい。

 悟はまだ諦めずに生きる希望を持ちつつける安形の言葉に共感と強い決意の気持ちを抱いた。

「分かってます。社会的にゾンビになろうと、俺達はまだ生きている。生きていればチャンスはある。行動することが出来る。……安形さん、ありがとう。おかげで……少しだけ楽になった気がします。一緒に……頑張りましょう」

「ああ、よろしくな。同僚さん」

 安形は微笑んだ。

「いつまで話してる? 行くぞ」

 いつの間にか離れたところを歩いているキツネが二人を呼ぶ。

 悟はその姿を見てより決意を固めた。

 必ず、キツネを倒し庄平の敵を取る。

 イミュニティーを倒し。

 黒服を滅ぼす。

 ――そのためには――何が何でも生きなくては……

 これから先、どんな未来が待っているかは分からない。

 また多くの人の死を見る事になるかもしれない。

 悲しい思いをするかもしれない。

 でも少しでも誰かを救えるように。

 庄平のような人間を作らない為に。

 悟は悪魔の色を持つ服を纏うことを決めた。

 全ては地獄を終わらせる為に。


 玄色の船、ナグルファルへと悟は乗り込んだのだった。










この章で実質的な尋獄(BULUCK DOMAIN)は完結です。これまで見ていただいた皆様ありがとうございました。

思えばこの小説を書き始めてから約三ヶ月。

かなりのハイスピードで執筆してきましたが、なんとかイメージに近い終わり方を迎えられたと思います。

次のエピローグの後書きに次回作の予告を入れておくのでそちらも見てみてください。


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