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<第十五章>雨の中の決闘

<第十五章> ” 雨の中の決闘 ”




 暗い沼のふち、松明と懐中電灯の光のみが辺りを照らし、彼らの目を助けている。

 今その光の中を一人の男が飛んでいた。怪女王の蛇腕に吹き飛ばされたのだ。男は湿った土の上に落ちると、トラックにかれたかのように激しく転がった。

「くそ、あの太さで何て筋力だ……!」

 男の口からは血と唾液が入り交ざった粘着質の液体が垂れている。

「下田さん、無茶しないでください! 一人で突っ込むなんて自殺行為ですよ」

 男、下田の部下の一人、神崎が彼に駆け寄った。

「どうやらあの怪女王は遠距離も近距離も得意らしいな。何かいい案はないか神崎?」

 自分が大きなダメージを受けたばかりだというのにも関わらず、下田は少しも痛む素振りもなく言葉を発する。

「あれほど大きいと普通の戦法では効果がありません。ちびちび攻撃すればいつかは倒せると思いますが、それまで俺たちが生きていられるとは思えないし、何か一撃で大きなダメージを与えられるものがあればいいんですが……」

「一撃か……――へ、ショットガンでもあればいいんだがな」

 口についた血を片手で拭いながら下田は苦笑した。

 その言葉に神崎はっとしたように顔を上げる。

「銃――そうだ、銃ならありますよ! 銀野町で高橋博士といっしょに捕まえたあのチンピラが、あいつが持っていたやつがありました。確か、惣一が背中に背負ってます」

「何だと、何でもっと早くいわない!? 惣一、銃を使えっ、そいつであのデカ女を撃つんだ!」

 この樹海の中なら銃声が一般市民に聞こえることも無い。イミュニティーのルールには反するが、今は仕方がないと自分に言い聞かせ、下田は惣一の方に声を張り上げた。

 それを聞いた惣一は慌てて背中の長細いトランクを土の上に下ろすと、ロックを外した。このトランクは銀野町の街中にあったもので、元々は町長の長ったらしい良く分からないトロフィーをしまっておくものだった。トランクの中からは五郎から福田へ、そして福田から惣一へと渡った猟銃「レミントン1100」と呼ばれるショットガンの一種が出て来た。

 イミュニティーの特性上、銃に不慣れな惣一は安全装置やマガジンの確認などの基本的な動作を一切せず、それを怪女王に向ける。いくら銃の知識は無いとはいえ、少し考えていじれば分かりそうなものなのだが、目の前に怪女王が居ることと、極度の緊張から惣一はパニックを起こしていた。

「あれっ、うっ、撃てませんっ!? 壊れているみたいです!」

 かなりうろたえた様子で惣一は叫んだ。

 見かねた安形が惣一から銃をもぎ取る。

 ――本当ならばイミュニティーの人間から逃れる為に使うはずだったんだが、この際しかたがない。弾を使いきりさえしなければまだチャンスはある……。

 安形は素早く一通りの確認を終えると、銃口を怪女王へ向けた。

「食らえ!」

 高い銃声が暗闇の中に轟き、無数の散弾が怪女王の体に命中する。肉が裂け赤いしぶきが飛ぶ。だが、それは安形が予想していた量の数分の一しかなかった。

 怪女王に命中したのは頑丈な太い四本足の部分のみで、それも遠くからだったため殆どダメージを与えられていない。

 ショットガンというものは相手との距離が離れれば離れるほど威力が低くなる。近いところでは密集していた散弾がバラバラになってしまうからだ。

「駄目か、もっとあいつに近づかないと……」

 安形は銃を肩の高さに構えたまま怪女王に近づいたが、目の前の大地を猛烈な力で蛇腕に砕かれた。恐らく安形を狙った攻撃だったのだが、足を撃たれていたため痛みで体重移動が一時的におかしくなったのだろう。間一髪その攻撃は安形に命中することはなかった。

「あ、あぶねぇ――」

 安形はうねうねと左右に動く蛇腕を不気味に思いつつそこから離れると、同時に視界の中に何かを捕らえた。それは蛇腕の下から大量に流れ出ている血液だった。

「なっ……!?」

 怪女王の攻撃は安形には当たらなかったものの、その横に居た惣一には見事に命中してしまったらしい。先ほどの下田はただ吹き飛ばされたからまだ良かったものの、今度の場合は地面と蛇腕に挟まれてしまったため攻撃の衝撃をどこにも発散することが出来ず、惣一は体を押しつぶされて内臓がぐちゃぐちゃになってしまった。

「惣一っー!」

神崎が目を見開き、大声でもはや動かぬ肉隗となった元同僚に呼びかける。

「……嘘だろ……」

 安形はつい今まで真横にいた男が、突然肉の塊になったことに驚きを隠せなかった。だが、感傷する間もなく怪女王の蛇腕はグワンッと持ち上がり、再び安形目掛けて叩きつけられた。

 安形はそれを目と鼻の先で辛うじて避ける。

 ――駄目だ、近づけない。リスクが高すぎる!

 怪女王を確実に葬り去るには、接近してレミントンを発砲するしかない。だがあの二本の巨大な鞭の中怪女王に近づくことは自殺行為に近かった。ゲームでいえば攻略法が分からず、コントローラーを投げ出したくなる状態だ。

「……――俺があの蛇腕を引き付けます! 安形さんはその隙に猟銃で止めを刺してください!」

 この状況を何とかして打破しようと庄平は走りだした。

 怪女王の蛇腕は二本ではない。当然惣一を殺した他にももう一本の腕があるのだが、庄平は片方にのみ意識を集中していたため、頭上に振り下ろされた蛇腕に気づけなかった。

「ぐぇっ!?」

 間一髪のところで友が服の裾を引いたため、庄平は鼻の頭をかすっただけで攻撃から逃れた。

「お前はもっと頭を使うんだな、ただ一人で突っ込んだら下田さんの二の舞だろ!」

「――っうるさい、離せよ! お前は人が死んでもなんとも思わないんだろ、俺なんか放っておけ!」

「何言ってるんだ?」

「ビュウオォォォウウ!」

 怪女王は二人の険悪な雰囲気など構いもせず続けて攻撃してくる。庄平と友はお互いを突き飛ばすようにそれを避けると、蛇腕の射程から逃れる為森の方へ急いで走った。

 怪女王の腕は友の背中の後ろ数センチメートルまで迫ったが、後もう一歩というところでとどくことは無かった。

「ギリギリセーフか」

 長草の中で友は溜息を吐く。どうやら怪女王の射程は六メートルくらいが限界らしい。

 一方、二人が怪女王を引き付けている間に接近を試みた安形だったが、相手の腕の戻る速度は予想よりもはるかに早く、近づくより早前に怪女王の胴体に戻ってきてしまっていた。これではとても射撃に集中できない。

 怪女王は右の蛇腕を曲げて肩と同じ位置に構えると、それを勢い良く撃ち出した。中途半端に近づいていた安形は避けることも逃げきることも出来ず、完璧なタイミングでその攻撃を受ける。

「ぐああああ!?」

 人間の数倍はある剛力を叩きつけられ、そのまま先ほどの下田のように弧を描いて吹っ飛んでしまった。

 安形はゴロゴロと地面を転がると木の幹でようやく止まった。衝撃と痛みと猛烈な回転のせいで酷い吐き気がする。横になった体制のまま口からは吐血交じりの反吐が飛び出した。肋骨の一部か何本かに骨折かヒビが入っているかもしれない。

 その様子を見た下田が呟く。

「まるで大砲の発射台だな。あんなのどうやって近づけばいい?」

「下田さん、一端引いて作戦を立てましょう。このままだと惣一のように全員無駄死にするだけです」

 拳を握り閉めながら、力んだ目つきで神崎が言った。

「仕方がない……な……」

 この現状ではとても怪女王を倒せるとは思えない。かなりの悔しさが伴ったが、下田は逃げる決意を固めた。

 だが、怪女王はまだ僅かに知能が残っているのか、下田らの考えを読むと重点的に彼らを襲うようになった。

 ギリギリで避けるのにも限度がある。怪女王が放った中の一発が下田に二度目の直撃をしようとしていた。これが当たれば今度こそ下田は死ぬことになるだろう。眼前いっぱいに僅かに紫色を帯びた灰色の蛇腕が迫る。

 ――くそ、俺もここまでか!

 下田は歯を食いしばり目を閉じた。

「下田さん!」

「!?」

 下田の体が急に横に押し出された。そして彼の居た位置にはいつの間にか神埼が立っている。

 刹那の間に二人の目が合う。

 神崎は自分でも驚いたといった顔をした瞬間、頭蓋を地面と蛇腕に挟まれ頭を潰された。

「か、神崎ぃいいー!?」

 下田の声が暗闇のなか大きく木霊した。









 遠くの方、先ほどまで自分たちも居たあの闇の中の沼の方角から、幾度と無く悲鳴や叫び声が聞こえる。どうやら既にこの短い間に何人かがこの世を去ったらしい。その声を聞く度に志郎の心は痛んだ。

 だが、今の志郎にはどうすることも出来なかった。少し指先をひねるだけで自分の首を吹き飛ばすことの出来るほどのナイフを、広野が手首に押し当てているのだ。手首を切り下ろされてしまえば間違いなく出血多量で死んでしまうだろう。自分を六角行成に会わせようとしている広野がそんな真似を本気でするとは考えられないが、手錠でつながっているこの状態で揉み合えば手元が狂ってしまう可能性もある。志郎は己の迂闊さを呪った。

「しかし代表は一体お前に何の用事があるのか。態々(わざわざ)直に会うとは……俺を通して質問すればいいものを」

 部下が今危険な目に合っている真っ最中だというのに、広野は声など聞こえんといった様子で一人話し続ける。

 聞くに堪えない一人よがりな言葉に我慢の限界が来たのか、志郎は排泄物の塊を見るような目つきで皮肉を言った。

「無能な君が情報をディエス・イレや他のテログループに漏らす可能性があるからだろ。僕が行成でも直接会うように取りはばかるよ」

 それを聞いた広野は博士と繋がれている手錠を思いっきり引っ張った。

「痛っ!?」

「俺を怒らせるなとさっきも言っただろ! ふん、本当にこの手首を切り落としてやるぞ」

 極度の興奮状態にあるのか、広野の目には狂気の色が伺える。

 ――この男なら感情に任せて本気でやりそうだね。

 志郎はそれ以上何も言わず黙り込んだ。

「そうだ、それでいい。俺に逆らいさえしなければ無事にイミュニティーの本部まで連れて行ってやる。まあ、着いてからここで死んでいればよかったと思うかもしれんが、今は気にするな。ふふふ」

 志郎は元々イミュニティーに復讐する気で着ていたのだ。本部に行くのは逆に願ったりかなったりなのだが、ブラックドメインと直結しているあの沼に庄平らを残してきたことだけはずっと気がかりだった。

「広野さん、僕は別にもう逆らう気はないよ。その代わりあそこに残してきた彼らを助けるように本部の部隊の到着をもっと早められないかい? 一体いつに着く予定なんだよ」

「予定だと? ふふふ、予定か。いいだろう教えてやる。本隊が来るのは明日の朝七、つまり今から約五〜六時間後だな。残念だがあの連中はもう助からないだろう。まあいい、どうせ雑兵だ。すぐにまた補充出来る」

「何だって!?」

 志郎は我が耳を疑った。これではとてもあそこに残してきた友らは助からない。

 ――それに……

「それまで待つって言うのか? そんなに待てば怪女王だけじゃなく三本腕の麻酔まで解けるじゃないか!」

「まあ、多大な犠牲は払うかもしれんが、本部の人間ならあの二体を倒すことは出来るだろう。決着が着いた後に意気揚々と外にでればいい」

 ――な、なんて卑怯で器の小さい男なんだ……

 志郎は目の前を歩く広野に心底嫌気が差した。

「……あんたが出世できない理由が分かったよ」

「ん、何か言ったか?」

「何でもないさ、気にしないでくれ」

「……ふん」

 広野は志郎を一睨みすると、早歩きで歩を進めた。

 ――……すまない。庄平くん、友くん、悟くん。

 志郎は自分の無力さに拳を強く握った。


『お兄ちゃん――助けて――!』


「んっ……!?」

 過去の映像がフラッシュバックする。志郎の頭に、自分の目の前で悪魔に食い殺され、この世を去った愛する妹の最後の姿が浮かんだ。

 ――僕は……またあの時のように見殺しにする気なのか? また助けられないのか? また同じ過ちを踏もうとしているのか……?

「どうした?」

 急に立ち止まった志郎を不審に思ったのか、広野はナイフを志郎の手首に突きつけたまま怪訝そうに聞いてきた。

 自分の人生を賭けた復讐を犠牲にしてでも、あそこに残された人間を助けに行くべきか。それとも全てはイミュニティーを倒す為と割り切るのか。今、志郎の目の前は大きな二つの道に分かれていた。

「仕方ないんだ……アヤメ……このチャンスを逃せばもう復讐の機会は無い――」

 無理に言葉を発して自分を納得させようとしても、両の足は少しも進まない。アヤメの霊がそうさせているのか、それともそれが志郎の本心なのか。


『極端な利に走れば人間を止めることになる』


 ある男の言葉が頭に響く。

「……僕は……僕は…………」

「な、何なんだいきなり? 一体どうした!?」

 急に一人でぶつぶつと独り言を言い出した志郎を不気味そうな表情で広野が見る。

「気が狂ったのか!?」

 ――そうだ……そうだったね。ここで自分の利益を優先させれば、僕はこいつらと何も変わらない……分かったよ、アヤメ。

 ――彼の、キツネのようになってしまっては駄目だ。僕は「人間」なんだから……!

 志郎は覚悟を決めた。さほど怪女王と対峙したときよりも何倍も強い視線を広野に向ける。

「正気にもどったか?」

 広野は右目を細めて不審者に質問するように聞いてきた。

「……ああ、君のおかげだよ。僕は何をするべきか分かった。何のために戦っているのか、何のためにここまで来たのか。悪いけどさっきの沼まで戻らせてもらうよ。手首を切り落とすっていうのなら好きにすればいい。僕は片腕でも彼らのところに戻る」

「――どうやら完全に正気を失ってしまったようだな。俺は本気でお前の腕を切り落とすぞ? 傷口をすぐ炎で焼けば出血多量で死ぬことは無い。それでもまだ俺に歯向かうのなら次は左腕を、その次は耳を……死なない程度に極限まで痛みつけてやる」

 その広野の言葉と同時に、志郎はあるものに気がついた。視界の隅に灰色の塊が写る。いつの間にここまで接近したのか――自分と向き合っている広野の背後に四足悪魔が立っていたのだ。

「なっ!?」

 完全に不意をついた第三者の登場に志郎も広野もどきもを抜かす。

「ギュアアァァァアア!」

 四足悪魔は勢い良く飛ぶと、その奇妙な体で二人に圧し掛かった。

 いくら凄腕の志郎やイミュニティーの人間とはいえ、四足悪魔を相手にするのはそれなりの覚悟がいる。しかも今は手錠の所為で思うように動くことが出来ないのだ。二人はお互いがお互いの足を引っ張り、中々四足悪魔を引き離すことが出来ないでいた。

「くそ、こんなところで……! 後少しで俺は夢をかなえられたのだぞ!? 離せ、離せこの化け物がぁあ!」

 普段部下に戦わせてばかりの広野は、恐怖から自分が受けてきた訓練の内容を忘れ、素人のように無様に暴れ回った。その所為で志郎も悪魔の下から抜け出すことが出来ず、必死にもがくしかなくなる。

「このままだと二人とも十秒感染でこいつの仲間になるぞ。広野さん、手錠の鍵をくれ! お願いだ」

「駄目だっ、その手に乗るか! これに乗じて逃げる気だろ――お前は俺の物だ……俺の物なんだ!」

 もはやこの男には何を言っても無駄のようだ。欲望に目がくらみ冷静さを無くしている。

「……っそうだ! WASPKNIFEワスプナイフを使え、それなら悪魔を殺せる!」

「こいつは単発マガジン式なんだ、一度使えば次の弾を装填するまで使えなくなる。そうなればお前を引き止める術が無くなってしまう!」

「あんたは馬鹿かっ、この状態でどうやって逃げれるっていうんだ! 早くしてくれもう十秒立ってしまう!」

「――っくそおおお!」

 流石の広野も漸くまずいと思ったのか、大声を上げながらやっとナイフを悪魔の首に当てた。

 柄が振動し、刃の先から白いガスが勢い良く飛び出す。同時に一瞬にして四足悪魔の首は氷つき胴体と頭を寸断した。

「やった!」

 志郎は急いで悪魔の体を蹴り飛ばすと、自分の体を確かめた。上手く服の上からしか接触していなかったおかげでどうやら感染は免れたようだ。志郎は安堵のため息を漏らした。

「ば、馬鹿な――こんなことが!?」

 だが、真横から何が起きたか考える必要もないような不吉な言葉が聞こえた。

 広野は素手で悪魔の掴みかかる腕を押し返していたため、感染してしまったのだ。

「勘弁してくれ……」

 志郎は絶望した。









 水の流れる音が聞こえる。

 雨だ。

 雨が降ってきた。

 ポツリ、ポツリと最初は数的ずつ……だがすぐにその数は増えていき土砂降りになった。

 暗闇、雨、松明の鎮火……これまでで一番厄介な化け物……

 地面に転がった懐中電灯の僅かな光しかない、それも雨のおかげで非常に悪い視界の中、友は怪女王を見つめた。

 元々は銀野町の若い娘だったのか顔立ちは非常に美しいのだが、イグマ細胞の所為で紫色を帯びた灰色に染まり、不気味さを演出する切っ掛けにしかなっていない。

 六メートル近い左右の蛇の形を模した腕は、まるでそれ自体が生きているかのようにこの沼と森の間の小さな空間を蠢いている。

 友の視線を感じた怪女王は彼に目を向けると、美しくそれでいて悲しくはかない声で大きく鳴いた。


「ビュウウウオォォォォオ!」


 それが苦しみによる声なのか、怒りによるものなのか、痛みによるものなのか……言葉を無くした今となっては誰にも理解することは出来ない。ただ、こちらを複雑な感情にさせるような意味深な声だった。

 背中を木の面に預けながら下田が諦めたように言う。

「――終わりだ……プロの二人が死に、残ったのはまともに動けない怪我人と素人の餓鬼が二人ずつ。おまけにこっちの大将は真っ先に逃げやがった。どう考えても本体の到着まで生き残ることなんて不可能だ。もう、どうしようもねえな」

 雨で顔が濡れる。それを近くで聞いていた庄平は何も言えず、ただ怪女王を力の無い目で見ることしか出来なかった。

 ――へ、どうやらもうすぐ俺も佐々木さんの所へ行きそうだな。悟らが無事かどうかは気がかりだけど……案外先に向こうで待ってたりして……。

 有村を助けることも、怪女王を倒すことも出来ず、全ての希望を根こそぎもぎ取られてしまった今、庄平にある生きる意思は限りなく限界に近づいていた。いや、庄平だけではない。それは友も安形も下田も同様だった。

 数日間しか経っていない筈なのにこの樹海に来たことがはるか昔のように感じられる。

 加納、佐々木、小宮、鈴野、五郎、大森、福田、神崎、惣一……浮世荘の学生や教員、そして銀野町の住民――

 短い間に、普通の一般人が一生で見るよりも多くの死を見てきた。

 目の前で死んだ人間。

 救えなかった憧れの人。

 心から気の合う親友。

 死、死、死、死…………今となっては彼らを想像する度にそのイメージが付きまとい、頭から離れることは無い。

 ついこの前まで普通の学生だった庄平にはもはや耐え切ることなど無理だった。

 悪魔が現れた瞬間、殺した瞬間、誰かが殺された瞬間……いつ何処でどんな時でも次は自分がこうなるのではないかという恐怖が付きまとう。

 正直、庄平は疲れていた。

 もうこれ以上死の恐怖に怯えることに。

 自分の知り合いが死ぬことに。

 悪魔との戦いに。

「俺……良くここまで生き残れたよな……」

 これまで出来るだけ堪えるようにしていた涙がゆっくりと頬を滑り落ちる。

「ビュウォォオォォォオウウ!」

 怪女王の雄たけびが間近で聞こえても、庄平の付近には懐中電灯は転がっていない。何処から攻撃が来るのか全く知る術は無かった。

 他の人間も誰かが襲われているのかどうかさっぱり分からない。

 もう逃げる気などとっくに無くしていた庄平は目を閉じると静かに呟いた。

「――あばよ、悟」














「庄平っ、右に飛べぇえー!」



 悟の声が聞こえたような気がした。

 庄平は死を覚悟していたにも拘らず、気がついたときには反射的に右に飛んでいた。すると何かが足の先をかすり、轟音を響かせて自分がしゃがんでいた大地を粉砕する。怪女王の腕だ。今横に飛んでいなければ間違いなく即死していただろう。

 だが、そんなことなどどうでもいいといった様子で、庄平は向かいの雑木林を見つめた。

 ――空耳だろうか……いや、確かに聞こえた。あれは絶対に悟の声だ……!

 必死に目を凝らすが森の方には何者の姿も見えない。庄平はやはり気のせいだったのかだとがっかりした。

「……死にそこなちまった」

 ――お別れの言葉まで言っておいて避けるなんてな、笑えるよ。

 自分の滑稽さに苦笑いする。

庄平が再び闇の中に心を引き込まれかけたとき、いきなり向かいの方に赤い光が輝いた。

「庄平っ!」

「なっ、悟か!?」

 そこには幻でもなんでもない、確かに本物の悟が立っていた。







「馬鹿な――馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なぁー!」

 広野は急激に染まっていく自らの両腕を、食い入るように見つめながら叫んだ。

「こんなところで……ここまで来て……やっと現場から離れられると思ったのに、そんな……まさか、こんな終わり方は酷すぎるぞ……!」

 手錠でつながれた状態で、その相方が悪魔化するという危機極まる状態となってしまった以上、志郎がやることは一つしかない。

「何ということだ……――んっ、なっ、何をする気だ!?」

 広野は自分が落としたWASPKNIFEワスプナイフを握り閉めた志郎を、恐怖の目で見る。

「残念だけど広野さん、あなたはもう助からない。悪魔化する前に僕が人間としての最後を送らせてやる」

 志郎は力いっぱいナイフを振り下ろした。

「うがあああああ!?」

 広野はそれをギリギリ灰色の腕で食い止める。

「っく!?」

 広野の腕に触れていては感染してしまうため、志郎はそれ以上力を込めずにサッとナイフを引いた。その隙に広野は志郎を押し倒し地面に当てがう。

「くそ、くそ、くそぉっ! 俺だけこんな死に方をしてたまるかぁー! お前もいっしょに来い博士!」

 頬を灰色く染ながら、広野は両手で志郎の首を絞めようとした。

「……ぐっ……この……最後の最後まで腐りきった人間だね……!」

 お互いの顔と顔の間にナイフを押し合いながら、志郎は広野のあまりの腐りきった精神に心底嫌気が差した。

「お……オ……俺は、オレハ……クサッテナンカ――……」

「――っ!」

「ギュッ……ギュウウオオオオオオオ!」

 首を締めたまま広野は完全に悪魔化してしまった。途端にナイフを押す力がガックッと上昇する。

「離せぇえええええー!」

 志郎は全身の筋肉を使ってそれを押し返そうと踏ん張ったが、悪魔の力に勝てる訳が無い。とうとうナイフは志郎の横に腕ごと退かされた。

「ギュウアアアアア!」

 広野は真っ赤にそまった目玉をギョロリと動かすと、志郎に顔を近づけた。

 酷い悪臭が志郎の鼻を刺激する。

 鋭い黄色い歯が見える。

 こんな物を首に突き立てられては堪ったものじゃない。

 だがそれ以上に、押し倒されてから六秒近く立っていることの方が問題だった。後三秒でどうにかして広野を放さなくては、本当に自分も広野と一緒に行動することになってしまう。

「――っ押して駄目なら引いてだぁあ!」

 志郎は力を一瞬だけ抜き、広野の手がガクンと下がった瞬間に再び腕に力を入れた。強引に押され、大きく反り返る広野。

 その下顎を志郎の渾身の蹴りが突き上げた。

「ギュウアアア!?」

 離れたは離れたものの、手錠の所為で再びくっ付くようにもつれ合い転がる二人。一度離れたから感染はしていないが、こうも接近していてはすぐにまた十秒感染の危険は復活するだろう。

 黒く霞んだ雨が降る樹海の中、一人と一体は憎しみを込めて目を合わせる。

「はぁ、はぁ……どうやらそう簡単に一緒には行けないみたいだね、広野さん」

 五十三歳という年齢にも関わらず、若者顔負けの動きをする志郎。

「ギュウウウウウ……!」

 広野は悪魔となっても人間時と変わらない嫌味のある目つきで志郎をにらみ続けた。







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