<第十二章> 黒服
<第十二章> ” 黒服 ”
「……マジかよ。マジでこいつ一人でこの馬鹿犬を殺したのか……!?」
「信じられねえな……」
暗闇に燃え盛る家々。その明かりに囲まれた巨狼の死体と、瓦礫の上に倒れている悟の様子を見て、鈴木と川本は我が目を疑った。
「曲直くん、曲直くんっ! 大丈夫!? お願い起きて……!」
「しっかりしなさい! 目を覚ますんです!!」
亜紀と白井は傷だらけで横たわる悟に向かって必死に呼びかけている。
「左腕が折れている。その痛みで気を失ったんだな」
その様子を見て医学の知識があるのか、桜川が冷静に分析した。
「じゃあ、曲直君は死んでないのね?」
「ああ、気絶してるだけだよ。水でもかければ起きるんじゃないか?」
桜川は女のような笑い方で亜紀を安心させようとした。
「そうか、良かった。こんなすごい人材が死ぬのは勿体無いですからね」
意味深な言葉を白井が言う。
「それってどういう意味?」
亜紀が不思議がって白井に尋ねたが、答えが返ってくる前に悟が目を覚ました。
「ぅうっ……吉田さん……?」
「曲直くん! 良かった……目を覚ましたんだね!」
涙目で言う亜紀。
「良かった……吉田さんも無事で」
「私のことはいいよ。それよりゴメンね? 悟くんをこんな目に合わせちゃって……」
「吉田さんの所為じゃないだろ? 気にしなくていいよ」
悟はゆっくりと体を起こした。その様子を見ながら亜紀が考えげに言葉を発する。
「ねぇ、曲直君。吉田さんって言うの呼びにくいでしょ、みんな呼んでいるし、亜紀でいいよ。私も悟くんって呼ぶから」
「え? 吉田さ……亜紀が、いいならそう呼ぶけど……」
悟は亜紀の少し照れたような笑顔に見ほれながらそう言った。
「ところで悟くん、一体どうやって――」
ガシッ!
亜紀の腕を川本が突然引き寄せナイフを首に当てた。
「おいっ、何すんだ!」
全身の傷と折れた左腕の痛みに顔を歪めながら、悟が叫ぶ。
「あの犬っ子ろを殺してくれてありがとうな。おかげでここから逃げられる」
「約束を守れよ! 亜紀を放せ!!」
川上の言葉に怒りを露にする悟。
「へへへ、いや〜今の亜紀ちゃんの笑顔があまりにも可愛くてよ、俺も川本も殺人衝動を抑えられなくなっちまったんだよ」
鈴木が不気味な笑顔で答えた。
「ふざけんなっ! 亜紀に何かをしてみろ、俺がお前らを殺してやる!」
「その体でか? 笑わせんね〜」
馬鹿にしたような態度で悟を見る鈴木。
「悟くんは動けなくても、私たちがいますから」
白井がズイッと前に出た。
「さっきまでは三対二だったから下手な動きはできなかったけど、今は二体二なんだぜ。ナイフを持っている俺たちにテメーらが適うわきゃねえだろよ」
川本が余裕のある表情で言う。
悟は愕然とした。完全に想定外の事態になってしまったからだ。このままでは間違いなく亜紀は殺されてしまう。悟のこの恐怖心は悪魔を前にする時よりも強かった。
「お願いだ。何でもするから亜紀を放してくれ」
「〜ひゅー、いいねえ、色男の苦痛の顔っていうのもなかなか殺意をそそるぜ」
「……頼むよ」
鈴木の軽口を無視し、悟は訴えるようにお願いした。
「やだね。こっちは何人も殺す予定だったのに急に悪魔や何やらが出て来た所為で、まだ誰も殺せてねーんだ。いい加減限界なんだよ」
川上は亜紀の首筋に当てていたナイフに力を込めた。
「や、止めろー!」
亜紀の首本に大量の血が放出された。間違いなく頚動脈を切られたのだ。
「――な、……何でだよ――……」
悟は目の前で起きたことが信じられないといった表情でその様子を見る。
不本意な犠牲者となった人間は、赤い命を吐きつくすと、無様に地面に転がった。
「何で……――何で……あんたが……?」
大量の血を撒き散らしながら地面に倒れている川本の死体には構わず、悟は川本に向かってナイフを投げた桜川を、奇異の目で見つめた。
「さ、桜川さん?」
川本の血で首本を染めたまま、亜紀が目を見開いて呟く。
「ああ〜しまった、亜紀ちゃんが死んだら悟がまともに話を聞ける状態じゃなくなると思ってさ、つい手を出しちゃったよ」
「な、何なんだ――?」
悟が混乱した様子で聞く。
「ん、ちょっと待ってくれ。先に仕事を片付けるから」
桜川は回れ右すると白井に体の向きを合わせた。
「……なっ!」
「用件は分かっているだろ? 白井さん。いや、ディエス・イレのスパイっといったほうがいいか?」
「お、お前はイミュニティーの人間か!」
これまでの丁寧な敬語とは打って変って乱暴な言葉使いで話す白井。
「今はな。僕は『黒服』だよ。当然知っているだろ?」
「くそ、そういうことか!」
黒服という言葉を聞いた瞬間、白井はいきなりその場から逃げ出そうとしたが、背後から飛んできた小型ナイフによって背中から心臓を一突きにされた。
「がっ!? ――あ……!」
そのままもつれるように倒れこむと、白井は二度と動かなかった。
「白井さん!?」
亜紀が震えながら手を胸の前に合わせる。
「さて、これでイミュニティーから依頼されていた任務は終了だ」
「お前は一体?」
平然と人を殺した桜川に驚いた声で悟が聞いた。
「僕は黒服。つまり非確認生物関連組織専門、派遣戦闘員だ」
「く、黒服?」
「分かりやすく言えば、レンタル職員さ。主に今回みたいにイミュニティーや大手テログループ、ディエス・イレなんかの依頼を受けて仕事をこなすな」
「この町の人間じゃなかったのか?」
「ああ、イミュニティーからの依頼でここに居ただけだ。この富山樹海ブラックドメインの生物サンプルや情報を盗みに来たディエス・イレのスパイを見つけるために、態々(わざわざ)身分を偽ってたんだよ。僕の本当の名前は桜川じゃない。これからはキツネって呼んでくれ。通り名だから」
「キツネ?」
「イミュニティーの人間がそのまま潜入してもディエス・イレにはすぐにばれるからな。確実にバレずにディエス・イレの人間を樹海の生存者達の中から発見し、殺せる存在として僕が雇われたんだ」
キツネは退屈そうな顔でそう言った。
「私達も殺す気……?」
亜紀が心配そうな顔で聞く。
「別にどうもしない――って言いたかったが、そうもいかなくなった。悟、お前の活躍を見たからな」
「……何?」
「お前が巨狼を倒すなんて予想外だった。いくら超感覚者といえどもそこまで出来るとは思っていなかったから。まるで『こちら側の人間』のように素晴らしい動きだったよ」
キツネは心底感心したような顔で悟を見る。それに対し、悟は身構えながらキツネを睨んだ。
「だったら俺たちも殺すのか?」
「いや、それはあまりにも勿体無いからな。提案があるんだ。ちょっとコッチに来てくれ。亜紀ちゃんには聞いて欲しくない」
キツネはニコニコとした笑顔でそう言った。
それを見て、罠かと一瞬悩む悟。
先ほどの動きを見れば、あの男が自分を軽く瞬殺できる実力を持っていることは明らかだ。殺す気があっても、別に自分を近くに寄せる必要はない。白井のようにナイフを投げればそれで済むのだから。
悟はしばらくキツネと睨み合った後、素直にその言葉に従うことにした。
「―――――――――」
すぐにキツネが何かを悟に耳打ちする。しばらく時間が経った後に、悟がかなり困ったような顔をしているのが亜紀に見えた。
「……そうするしかないのか?」
悟のその問いにキツネはクスクスと笑いなら頷く。
「……分かったよ」
悟は暗い顔で答えた。
亜紀には二人が何を話しているのかさっぱり分からなかったが、悟にとってあまり喜ばしい提案では無いということだけは分かった。
いつの間にか鈴木の姿が消えていたが、誰一人それには構わず会話を続ける。
「ところで、超感覚者っていうのは俺の他にもいるのか? 今のあんたの話だとそう聞こえたど?」
「あまり時間がないから詳しくは教えられないが、超感覚者は数多くいる。自然の力で生じた物では無く、人為的な存在だからな」
「人為的?」
「お前は超感覚者をESPだとでも思っているのか? それは違う。超感覚とは『空気』を読む力のことだ。例えば雰囲気で性格が悪そうな人間といい人間とが分かる場合があるだろ。それは別に勘なんかじゃなく、無意識下で表情の動きや体の動きなどの細かい微小変異から判断しているだけだ。超感覚は言わばそれの延長で、人が気づき難い微小変異や周囲の動きを普通の人間よりも敏感に感知できる能力のことなんだよ」
「空気を読む……」
「音が振動として物質を伝わって行くように、周囲の微小変化も何らかの影響を伝導する。お前が『感覚』で背後や遠くの死の危険を感知できるのも、伝わってきた微小変化を感覚で認識しているからだ。簡単な言い方をすれば、めちゃくちゃ感受性の高い人間ってことだな」
「じゃあ、人為的ってことはいったいどういう意味なんだ? 誰かが俺に何かをしたのか?」
「それは……教えられないな」
キツネが初めて曇った表情を見せたので、悟は訝しがった。
「……話は終わりだ。もうお前らの友達とイミュニティーは電波等に向かっている。僕たちも急がないと駄目だ。どういうことかはさっきの話で分かるだろ?」
「ああ、分かってるよ」
「じゃ、向かおうか、電波塔に」
キツネは遠くに見える高い建物を見据えた。その灰色の塔は緑の海の中で一つだけ死を表すかのように悠然とただずんでいた。