<第十章> イミュニティーの計画
<第十章> ” イミュニティーの計画 ”
自分たちの巣に餌を放り込まれた蟻のように、悪魔は一斉に襲い掛かった。
銃という最強の武器を使い果たした今、友たちに押し寄せる魔物の集団を止める手段は無い。飛び掛り、押し倒し、噛み付き、その儚い命を食い殺す。悪魔はその一連の動作を躊躇無く行おうとする。
「ぅああぁぁぁぁあっ!?」
瞬く間に群がってくる悪魔たちに、友は頭が真っ白になるのを感じた。上下が反転し、緑色に彩られた地面が飛び込んでくる。安形が悪魔に圧し掛かられ、必死に抵抗している姿が視界の隅に映る。
そして、それを最後に友の意識は途切れた。
銀野町の全体から見て、左の先に牧場、右に入り口がある。中心には縦横二十五メートルほどの空間が存在し、それを中心にして家々が円を描くように並んでいる。金属製の大きな扉に加え、町の中でも一際広い敷地を持つこの家もその中の一つだった。
「……あんた、何処に居た?」
入り口前の廊下を左に曲がった所にある大きな和室。そこに身を置くと共に、悟は目の前の青年に疑問をぶつけた。この家を含む町の家屋は一応全て調べていたが、今前に座っているこの男の姿など何処にも見なかった。そのことが気になったのだ。
「何処に居たって、どういう意味だ?」
悟と同じような綺麗なカーブのかかった癖毛を片手で掻きながら、青年は不思議そうに聞き返した。耳から少しだけ飛び出すくらいの長さの、西洋の俳優的髪型に、何を考えているのか全く相手に感じさせない両端が鋭く尖った目。服装はダークグレーのズボンに白いYシャツと、いたって普通のいで立ちで可笑しな所はない。悟は浮世荘でも、樹海内でも、銀野町内でもこの青年の姿は見たことが無かった。
「俺たち少し前に一度この家に入ったけど、あんたには会わなかった」
一応命の恩人なのだが、突然現れたこの男に悟は警戒心を抱き、確認するように聞いた。
「会うわけ無いさ。僕がこの家に帰ってきたのはお前らが来る直前だったんだから」
自分はこの家の住民なんだと、補足を入れながら青年は答えた。
「直前? じゃあ、それまでは何処に居たの?」
亜紀がキョトンとした様子で聞いた。
「森の方から助けを求めてる二人組みの声を聞いててね。彼らを探してここまで誘導してた。ほら、この襖の向こうに居るよ」
そう言うと、青年は白井の前を横切り襖を開けた。
「おっす、桜川さんお帰り! 叫んで逃げてた人たち、ちゃんと助けられた?」
するとすぐに胡坐をかいて我が物顔に座っていた鈴木が明るく声をかけてきた。鈴木の横からは笑顔の川本がこっちを見ている。
「ああ、ギリギリだったけどね。何とか上手くいったよ」
「あ……!」
二人の顔を見て、亜紀は固まってしまった。
「ん……!?」
亜紀の存在を確認した鈴木らも動きを止める。一瞬、緊迫した空気が流れた。
「何だ、もしかしてお二人とも亜紀さんや悟さんが探していたお友達ですか?」
その間を再開の感動とでも勘違いしたのか、白井は嬉しそうにそう言った。
「吉田さん、知り合い?」
僅かだが亜紀が怯えたような素振りを見せたので、悟が怪しんだ目つきで二人を見た。
「え、えーと、実は……」
「そうですよ! 俺たちは大学の友人なんです。よかった、亜紀ちゃんも生きてたか!」
亜紀が二人について何か話す前に、鈴木が先に言葉を発した。
「な、何言って――――」
驚いて文句を言おうとする亜紀を川上の鋭い視線が封じ込める。「余計なことを言ったら殺す」そういう類の殺気を感じ、亜紀は吐き出しかけた言葉を飲み込んでしまった。
――な、何か……雰囲気が昨日と違う?
明らかに敵意が篭った視線に、亜紀はたじろいだ。
「いやあ、しかしマジでビックリしましたよ。森の中を歩いていたらいきなりでっけぇ狼に追いかけられたんですから」
「ええ!? ブラックドックがまだ外にいるんですか? おかしいな、だったら悪魔どもが町に入ってきたのは一体何なんですかね?」
鈴木の話に驚く白井。それを聞いていた桜川は説明を始めた。
「悪魔たちなら、どうやらあの巨大な狼が町に追い立てたみたいだ。俺たちを町から出したく無いらしい」
「それってどういうことです? え〜と、桜方さん」
川上を見ていた悟だったが、桜川のこの言葉に注意を引かれた。
「桜川春也だ。それと、さっきまでタメ口だったんだから、今更敬語にしなくていいよ。悟くん」
――あれ? 俺名前教えたっけ?
悟は自己紹介した覚えは無い。桜川が自分の名前を知っていることに違和感を感じた。
「僕はすでに何度もこの町から出ようとしたんだけど、町から離れるとどうしてもあの巨狼がやってきて、町の方に追い立てるんだ。入る分には自由だけど出るのは難しい状況ってことだな」
桜川は溜息をつくと、言葉を続ける。
「人が町に集まるのを待っていたのか何なのか分からないけど、さっき鈴木君と川上君をここに追い込んだ後、あいつはこれまで遠ざけていたはずの悪魔をこの町に押し込んできた。まったく何がしたいのかさっぱりだよ」
――巨狼が悪魔を引き入れた? 町から出さないようにしている? どういうことなんだ?
悟は知能の低い生物であるはずの巨狼の怪しい行動に疑問を持った。
「曲直くん、話があるんだけど」
その時、急に亜紀が声をかけてきた。
「ん、何?」
「ここじゃ、言えないから向こうに行こう」
亜紀は殆ど聞き取れないような小さな声で耳打ちした。
――この二人のことか?
先ほど川上が亜紀に放った鋭い視線を見ていた悟は素直に従うことにした。
「分かった。――桜川さん、俺たちちょっと家の外に居る悪魔の様子を見てくるよ」
「ん、そうだな。鉄の門だけど、何が起こるか分からないんだ。定期的に確認はした方がいい」
桜川は快く頷くと、鈴木らとの会話に戻った。
亜紀と悟は一応本当に玄関まで行き、悪魔が扉を破っていないか確認してから本題に入った。
「吉田さん。あの二人のこと?」
「うん、実はね……」
亜紀は自分がここに来た目的、小宮のこと、鈴木らの態度の変化について話出す。小宮が死んだということを知り、悟は一瞬だけ悲しそうな表情をしたものの、静かに話を聞き続けた。
「……そうか、じゃあやっぱり態度がおかしいんだな。さっきの視線は間違いなく脅しだよ。明らかに吉田さんだけに対したね」
「曲直君、どうすればいいのかな」
不安そうに悟を見る亜紀。
「とにかく、まずはあの二人のことを桜川さんと白井さんに知らせよう。いざという時にそなえてさ」
「うん……そうだね」
「吉田さんはここで待ってて。俺が桜川さんたちをうまく呼んでくるから」
「分かった」
悟は和室の前に戻ると、なるべく明るい雰囲気で桜川らを呼んだ。
「桜川さん。ちょっと来てくれない? 扉の前にバリケードを作りたいんだ。あ、一応人手は多い方がいいから白井さんもお願いします」
「バリケードか、まあ、備えは多い方がいいな。すぐ行くよ」
二人は大して文句も言わず付いて来る。
「お、だったら俺らも行こうか?」
鈴木が笑顔で言ってきたが、悟はそれを断った。
「いや、もう十分です。あまり人が多いと玄関では動きずらいし」
「あっそ、頑張ってね〜」
軽い感じで三人を送り出す鈴木。気の所為か、その撫で上げた髪の下の目が一瞬光ったように見えた。
玄関に戻ると、早速悟は二人に事情を説明した。
「――……そうだったのか。でも勘違いしていただけなんだろ? 僕には事情を説明すれば何の問題もないと思うが」
桜川はあまり二人に警戒心を感じていないようだ。
「私もそう思いますよ。少し心配しすぎではないですか?」
白井も同じ気持ちらしい。
「過敏になってしまっているのは自分でも分かっています。ただ、一応二人に知ってて欲しかったんです」
「そこまで言うのなら、分かった。取りあえず頭に入れておく」
悟の説得に桜川は渋々応じた。
「ありがとうございます」
亜紀は丁寧にお礼を言った。
「では、もう戻りましょう。本当にバリケードを作るつもりは無いんですよね。私たちが作る必要はないと判断したことにしましょうか」
白井のその言葉を最後に四人は和室に戻った。
「あれ、鈴木さんたちどこに行った?」
少し前まで居たはずの二人の姿が無いことに不信感を持つ桜川。
「きゃあ!?」
突然、一番後ろに居た亜紀が悲鳴を上げた。
「何すんだ!」
振り返った悟は鈴木と川上が亜紀の喉下に包丁を当てているのを目にし、叫んだ。
「何って、テメーらの方こそこそこそ何の相談をしてたんだよ。俺たちを出し抜く算段か、ああ?」
あからさまに別人のような態度を取る鈴木に悟は驚いた。
「何を考えてるんですか、包丁を下ろしなさい!」
白井が一歩下がりながら説得する。
「やだねオッサン、もうこなったら隠す必要が無いから教えてやるよ。俺達は連続殺人鬼だ。これまで何度もカモを樹海に引き込んではこうやって殺してきた」
「何だと――!?」
――危ない人間だとは思っていたけが、連続殺人鬼だったなんて!
悟は亜紀の身を案じ、冷や汗を流した。
「吉田さんを放してくれ、俺たちはお前らに何もしない。こんな状況だ。警察を呼ぶことも出来ないし……分かるだろ?」
「ふふふ、駄目だな。俺はこういうことを趣味にしているんだ。折角手に入れたこの極上の獲物を手放すなんて出来なねえよ!」
「この野郎……!」
悟は拳を握り締める。
「動くな彼氏気取りくん。亜紀ちゃんがどうなってもいいのか?」
川上は包丁を亜紀の喉下に強く押し付けた。
「……っ――!」
「まあ、どうしても離してやらないってことは無いぜ、お前が俺たちの言うことを聞いてくれたらな」
ニヤニヤしながら鈴木が言う。
「私たちに何をさせる気ですか!」
白井はビクつきながら聞いた。
「俺らはまだ死にたくないんだよ、テメーらと同じくな。でも町から出ようとするとあの馬鹿犬が襲い掛かってくる。邪魔なんだよ、あいつ」
「僕たちに囮になれって言いたいのか?」
桜川は鈴木を睨みつけた。
「はは、良く分かってんじゃん。そうだよ。お前らが上手く俺たちをここから逃がせたら、亜紀ちゃんを解放してやる。いい話だろ?」
「ふざけんな! それじゃ吉田さんが開放されたかどうか俺たちには確認できない。こんなのは取引でもなんでも無い!」
あまりに理不尽なものいいに、悟は本気で怒鳴りつけた。
「この提案を飲めないなら話は終わりだ。遠慮せずに俺は亜紀ちゃんを今この場で殺すぞ」
「――あぅっ……!?」
首に当てがわれたナイフの圧力が強くなり、亜紀は思わず声を漏らした。
――畜生……こいつら!
悟は沸き起こる憎しみを必死に堪えた。そうでなければすぐにでも鈴木に殴りかかってしまいそうだったからだ。
「……分かった。ただし条件を変えてくれ。囮になるのは俺一人でいい。桜川さんと白井さんはここに残してくれ」
「ふふ、亜紀ちゃんを守るために残していくっていうのか? カッコイイね〜」
川上は蔑んだような表情を浮かべた。
「まあ、お前がたった一人で馬鹿犬に食われるところを見るのも面白いな。いいぜ、それで手を打ってやる」
鈴木がこれからサーカスが始まるのを待っている子供のように、楽しみそうに言う。
「もう一つ、条件がある。俺は囮の準備をするから実際に逃げるのは明日の朝まで待って欲しい」
「明日の朝だと? ……まあいいぜ、どんな悪あがきをするのか興味あるしな。それまで待っててやる。まあ、精々頑張りな」
「曲直くん!」
一人で和室から出て行く悟を亜紀が呼び止めた。
「吉田さん。きっと助けるから待っててくれ」
「一人であの巨狼と戦う気? むちゃだよ!」
「何とかなるよ。俺が普通じゃないのは知ってるだろ?」
悟は優しく微笑んだ。
だが、それが逆に亜紀を興奮させた。彼女には一番見たくない表情だったからだ。亜紀の母、小宮、その微笑を見せた人はみんな死んでく。これ以上自分の所為で他人が死んでいくことに亜紀は耐えられなかった。
「普通じゃないって言っても精々悪魔一匹と渡り合える程度でしょ! 馬鹿な真似は止めて、お願い――!」
亜紀の辛そうな顔を見て悟は僅かに表情を曇らせたものの、足を止めることはなかった。
「……行って来る」
そう静かにまた微笑むと、亜紀の前から姿を消した。
銀野町の左の最端にある一般的な倉庫の地下、イミュニティーの作戦本部。
友、安形、庄平、優子の四人は今、そこに居た。
何故彼らがここにいるかという理由は一つしかない。助けられたからだ。
あの時、十匹近い悪魔の猛襲を受けた四人は、急に現れた紺色の軍服を着た男たちによって保護され、生き延びることが出来た。
悪魔どもは彼らが放った無数の火炎瓶に恐れをなし、あっと言う間に退散してしまったのだ。
「何なんだお前ら……! 俺たちをどうする気だ!?」
助けられたと喜んだのも束の間、すぐに拘束された安形はこれからの自分たちの身を案じ、眼前の怪しい集団に怒鳴りつけた。
しかし男たちはまるで調理用の豚を見るような目つきで安形を眺めると、ずっと黙っている。
「安形さん、こいつらに何を言っても無駄っすよ」
真っ先に喚き出すかと思われた庄平は、意外にも冷静に安形を落ち着かせた。
「ほう、君はもっと単細胞な人間だと思っていたよ」
いきなりこの地下室の奥の方から声が聞こえた。
庄平がそっちを向くと、ずらーと並んだモニターの前に一人の男が座っているのが目に入った。
「誰だ?」
安形が低い声で尋ねる。
「私は広野大地、国家非確認生物対策機関 『イミュニティー』の者だ。今回この樹海ブラックドメインの先遣隊の指揮を務めている」
「イミュニティー……!」
友と庄平が納得したように彼を見た。
「政府の人間なのか? だったら俺たちをすぐにこの樹海から逃がしてくれ!」
相手が国家機関だと知った安形はすぐに自分たちを救出してくれると思い込み、そう言った。
「それは出来ないな。一般市民を助ける気があったのならこの町を一週間も放って置く訳無いだろ」
「な、ちょっとそれどういうこと!?」
予想だにしなかった広野の言葉に優子が驚きの声をあげた。
「言葉のままの意味だ。我々に君たちを助けるつもりは無い」
「矛盾してるぞ、だったら何故俺たちを助けたんだ?」
友がすぐに疑問をぶつけた。
「ふっふっふ、別に矛盾はしていないさ、友くん。言っただろ、一般市民を助ける気はないとな」
「はぁ? わけわかんねーよ!」
怒りの表情を見せる庄平。
「やれやれ、少しは見直せる面もあったと思ったが、やはり単細胞な奴だ」
「何だと!」
「このままでは助けられないが、君らがイミュニティーのメンバーに入るというのなら、話は別だよ。ま、もっとも全員とは行かないが」
広野は庄平を蔑んだめで一瞥すると、話を続けた。
「最近イミュニティー内では人手不足でね。他の政府の部署から引き抜いてはいるんだが、どうしても数が追いつかない。次から次に死んでいってしまうからな。やはりいくら訓練を積んだ人間といえども、心がそれに追いつかなければ何の意味も無いようだ」
優子、庄平と安形は広野を睨みつけていたが、友は無表情で話を聞いている。
「そこで我々は今回のこの樹海ブラックドメインを利用することにした。銀野町を一週間も放置したり、浮世荘のキャンプを止めなかったの計画のうちだ。全てはこの地獄の中で感染者の恐怖に負けずに生き残れる優秀な人間を選抜するためだった」
「そんなどうでもいいことのために佐々木を……鈴野を、俺たちを巻き込んだっていうのかよ。ふざけんな!」
両腕を塞がれたまま庄平は広野に突進しようとしたが、近くに立っていたイミュニティーの男に殴られたため、それは叶わなかった。
「正直に言えば他にも理由があるんだが……それは君らには関係ないことだからな」
「……優秀な人間と言ったが、ただの一般市民から選抜するよりも、軍隊からした方が何倍もいい成果を得られるはずだ。何故そうしなかった?」
友は冷静な口調で聞いた。
「我々が言う『優秀』とは戦闘の技術のことでも、生き残るための知識のことでもない。それは後からいくらでも身につけさせることが出来る。必要なのは『生存力』。ただそれだけだ。 何の経験ない一般市民を使ってこそそれは見ることができる。例えどんな手を使おうとも最後まで生き残る力、それこそが我々が求めているものだったんだよ」
「生存力……」
「そうだ。例え臆病でも感染者から上手く逃れ隠れられる力があれば、それはすばらしい才能と言える。真っ向から奴らを倒せなくても、巧みな作戦と罠で殺せればそれでいい。いかに、どれほど長く生きれるか、重要なのはそこだ。友くん、君のような人間のことだよ」
友は何も答えずじっと彼を見返した。
「小宮くんもいい人材だったが、残念なことに殺されてしまったしな。――そうだ、安形くん。君も候補に入っているぞ。命を顧みず殺人鬼の懐に単身忍び込み、初めて見た感染者に怯むことなく挑み倒した勇猛さ、咄嗟の判断力、どれもしばらしい才能だ」
広野は『光栄だろ?』と言わんばかりの態度で安形を見た。
「くそったれめ! 誰がお前らの仲間になんかなるか!」
しかし安形は嫌悪感をあらわに広野に唾を吐いた。
「……よく考えた方がいいぞ。我々の仲間になるしかここから脱出は出来ないんだ。それに、この話を断るつもりなら君の家族や友人たちがどうなっても知らないぞ。我々は政府の組織だということを忘れるな」
「脅す気なのか!」
「そんなつもりは無い。これは取引だよ。お互いにとってもっとも利益のあるな。どうしてもと言うのなら、先ほどは全員は助けられないといったが、君しだいでは優子くんも助けてやらんことは無い」
「あ、安形さん――……」
優子はすがるような視線を安形に送った。
それを見た安形は反対することが出来なくなる。
「広野――……さん。じゃあ、俺がイミュニティーに入れば庄平を助けてくれるのか?」
安形に広野が言った話を聞き、友が¥確認を取った。
「ああ、もちろんだとも、助けて欲しいならな」
「――分かった。入らせてもらう」
「いい判断だ」
「ゆ、友……」
迷うことなくイミュニティー入りに了解した友を見て、庄平はすまなそうにうつむいた。
友は本心ではすぐに広野を殴り飛ばしたかったのだが、確かに彼らの協力を得ないとここから出ることは不可能だ。何より言うことを聞かなければ家族がどんな目に合うかも分からない。
今は何も出来ずに言うとおりなるしかなかった。
「出来ればもう二人助けて欲しい人間が居る」
「ふふふ、分かっているよ。悟くんと亜紀くんだな」
「樹海中に監視カメラでも付けていたのか? 知っているなら話は早い。どうなんだ」
「君が望むなら快く助けてやろう。そもそも悟くんも候補に入ってるしな」
「……そうか」
「話は終わりだ。下田、彼らを待機室に案内しろ」
「分かりました」
先ほど庄平を殴った下田という男は友らを見ると、顎で付いて来るように促す。四人が後を追うと、地下室の奥の右端に小さな扉が見えた。
下田は扉の前でじっと立っている。「入れ」ということらしい。
「はいはい、分かったよ」
庄平は下田を一瞥すると、さっさとそこに入っていった。
中には短い廊下があり、さらに三つほどの小部屋らしき扉があった。
「一番奥の部屋だ」
下田が後ろでぶすっと言う。
そ の部屋に行く途中に、友は二つ目の部屋から何かのうめき声を聞いた気がしたが、ワザと聞かなかったことにした。
ガチャっと、庄平がさっさと扉を開けて中に入る。
「あ!」
「おっ……――!」
中には高橋志郎と五郎から猟銃を持ち逃げした人間、福田が居た。
悪魔が前をうろついている以上、玄関から出ることは出来ない。
悟は玄関とは反対側の二階の窓から外に出ることにした。
この窓はスライド式の金属カバーが外側を覆っており、それで悪魔の侵入を防げていたようだ。
少しだけカバーを開け周囲に悪魔が居ないことを確かめると、悟はすぐに一階の地面に降り立った。
「俺がやるしかないんだ……俺が……」
自分を鼓舞するように、独り言を言う悟。
鈴木らの前では囮になると言ったが、悟にそんな気は無かった。
例え自分が囮として作戦を成功させても、巨狼の速度ならすぐに鈴木らに追いつくだろう。巨狼が悪魔を町から遠ざけたり、追い込んだりしていたことから考えると、当然の推論だ。
だがら残された道は一つしか無かった。
巨狼の死。
ただそれだけが唯一全員が助かる方法と言える。
悟が鈴木に明日の朝まで待つように頼んだのも、それが理由だ。
巨狼を倒すための罠を町中に仕かけ、そしてうろついている邪魔な悪魔を消すために。
「巨狼の相手は夜だな。まずは悪魔の駆除と罠の設置、庄平らの捜索……――ったっく、やることが山ほどあるよ」
悟は友が近くにいれば、絶対にこんな無謀な行動は取らせないだろうと思った。悪魔の駆除だけでも至難の業なのに、巨狼を一人で倒す気なのだ。間違いなく自殺行為でしかない。
「でも、やるしかないんだよな」
溜息混じりに呟くと、悟はさっそく亜紀らのいる家から数件先にある一つの家に入った。そこは定食屋で、包丁などの武器になりそうなものがたくさん手に入れられるからだ。
しかし、そう上手くことが運ぶ訳は無い。悟が中に入ると、一体の悪魔が奥の客室に居るのが見えた。
「……化物め!」
食い物をあさっているのか悪魔は背を向けており、まだ悟には気づいていないようだ。
悟は音をたてないようにゆくっりと調理場へと移動すると、容器に入っている油を取った。そしてそれのふたを開け、悪魔の背後に忍び寄る。
歩きながら右手に火を点けたマッチ、左手に容器を構え、気配に気づいた悪魔がこちらを振り向いた瞬間、油を思いっきりぶっかけた。
「ギイィィイイィイッ!?」
不意打ちの攻撃と油が目に入ったおかげで、悪魔は混乱しメチャクチャに暴れ出す。
「気づかれてさえいなきゃ、お前らなんか怖くない」
それを氷のような目で見ながら、悟はマッチを投げつけた。
一瞬で悪魔の体を駈けずり回る炎。悪魔はより一層動きを激しくさせ、体を客室のそこら中に打ち付けた。すぐに悟は背中に括り付けていた包丁槍を手に持ち、それを燃え盛る悪魔に突き刺す。
まるで磔にされた昆虫のごとく定食屋の壁に固定される火まみれの悪魔。背後の壁にある焼肉定食四百五十円という紙が、何故かその状態をうまく表現していた。
「まずは一匹――」
悟は数本の包丁と小道具ををリュックにしまうと、悪魔の最後を確認せずにそこを立ち去った。
「やあ、正平くん、友くん」
志郎は少し暗い表情をしていたものの、笑顔で二人に挨拶した。
「博士! 博士も捕まったんっすか?」
言った後で、庄平は志郎の言葉を思い出した。
「あ、もしかして自分から捕まったんすか?」
「ん〜……半分は自分でもう半分は強制的といったところかな」
「そうっすか」
「それより、悟君はどうしたんだい、まさか――」
「いや、離れ離れになってしまっただけです。博士の思っているようなことはありませんよ」
志郎の言葉に友が応じた。
「そうか、無事ならそれでいい。こちらは五郎さんが死んでしまったよ。残念だ」
「五郎さんが……」
庄平は次々に知り合った人が死んでいくことに悲しくなった。
「あの、高橋志郎さんですよね、いつもテレビで拝見しています。……これから、俺たちはどうなるんですか?」
安形に声をかけられて初めて志郎は彼と優子の存在に気がついた。
「町の人かい? まあ、今更どうでもいいか。今ここにいるイミュニティーのメンバーはただの先遣隊だ。あくまで樹海の状態確認と新人募集のためのね。恐らくこれからしばらくして本隊が来るだろう。この樹海を世間から完全隔離、もしくは保管するために」
「本隊ってどういうこと?」
優子が聞いた。
「悪魔の研究のために大勢でここを封鎖するってことだよ。広野らの仕事はもう終わったみたいだから、僕らも彼らといっしょに本隊が来る前に、イミュニティーの本部に連行されるんじゃないかな」
「連行……嫌な響きね」
優子は毒ついた。
「どうやって本部まで行くんです? 町にはヘリも車の見ませんでしたが」
「ここには無いさ。悪魔に壊される危険があるからね。この町を北西に二キロほど進んだ所に、電波塔があるんだ。そこの屋上にヘリが止まっているんだよ」
安形の疑問に、志郎はすでに一度聞いていたのか、簡潔に答えた。
「電波等――……そうか、そこがイミュニティーに制圧されていたから、浮世荘で電波が通じなかったのか。なるほど、最初から全ては奴らの計算通りということだな」
友は妙に関心したように言った。
「今の僕らに出来ることは何もないし、脱出させてくれるっていうんだ。とにかくそれが過ぎるまでは下手に動かないほうがいいよ」
「そうね。助かるのならもう何でもいいわ」
優子は安心のためか、深い息を吐いた。
「グギャアァァアア!」
何の前触れも無く、突然隣の部屋から耳障りな声が鳴り響いた。
ドン、ドン、ドンッと激しく扉を叩く音が聞こえる。
「こ、この声は――……友!」
「――ああ!」
庄平と友はすぐに隣の部屋の主の正体を理解した。
「三本腕!」