とりあえず追い出される
「なんかだと・・・。」
あっ、これまずいやつだ。
それが一瞬でわかってしまうほどにハロルドの表情が厳しいものへと一変する。神経質で不健康そうなその痩せた顔の眉間に皺が寄り、ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえている。怖え、こういう顔するとさらに怖いな、こいつ。
しかし今のはカヤノが悪い。自分が心の底から好きなものを「なんか」なんていう言葉で括られれば怒るのも当然だ。カヤノにそんな意図が無かったとしてもそれは関係無いしな。
俺の同級生にも瓶の金属の蓋を集めている奴がいる。オリンピック限定品とか色々な種類があるし、デザインも一風変わった物も多く俺は面白いと思ったんだが、ある日、奥さんから「そんなゴミ捨てなさい。」と言われたらしい。たまたま飲みに行ったときに普段温厚な奴だと思えないくらいかなり怒っていたからな。まあ奥さんの前で怒れないところに憐憫の情が湧いたというか力関係が見えてしまったんだが。
しかしまずいな。これは完全に逆鱗に触れちまったみたいだ。警戒態勢最上位に移行、最悪ここから強行的に脱出を図らないとな。罪は無いという言質は取ったんだ。勝手に城から出て行っても問題ねえだろ。
カヤノも自分の発言がまずかったことには気づいている。そして謝ろうとしているんだがハロルドの怒気に押されて何も言えなくなってしまっているのだ。プルプルと震える体がカヤノの心情を現しているかのようだ。
そんなカヤノへとハロルドが一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。ハロルドとしては必死に怒りを抑えているつもりかもしれんが、その沈黙が怖い。あと顔も怖い。
そしてハロルドが座るカヤノを真上から見下ろした。
「君には助けてもらった恩もある。しかし私の妻を侮辱したことは許しがたい。」
「あの、すみませ・・・」
「謝罪は不要だ。君にはこの街を出て行ってもらう。妻を侮辱するような領民など不要だ。猶予期間として3日を与える。また今回誤って拘束したこと、またその期間の協力についての報酬は別途用意する。街を出るには十分な金のはずだ。以上だ。退出したまえ。」
それはお願いではなく命令だった。
ハロルドはそれだけを告げると執務机に戻り、1枚の書類にさらさらと何かを書き始めた。そしてしばらくしてやって来た老執事にその書面を渡すと、そのまま仕事へと戻ってしまった。その間ハロルドがカヤノを見ることは一度も無かった。
カヤノは何もすることが出来ず、その老執事に促されるように部屋を出て行く。ミーゼが何かを言いたそうにしていたが結局カヤノが出て行くまで何も言うことは無かった。そして俺たちは老執事からお金が入った袋を持たされ城を出た。とぼとぼと明らかに落ち込んだカヤノをどうフォローするべきか、そして街を出る準備をしなくてはと俺の頭はそれでいっぱいになっていた。
はぁ、予想外だ。人生はままならんな。俺の場合は地面生だけどな。まあカヤノとなら別の街に行ってもなんとかなるだろ。
カヤノが出て行った執務室に残されたのはハロルドとミルネーゼだけだ。静かなその空間にハロルドが仕事をする音だけが響いている。ミルネーゼは沈黙したまま仕事を続けるハロルドを思案顔で見守っていた。
「なんだ?」
ミルネーゼの視線に気づいたのかハロルドが仕事の手を止め、顔を上げた。先ほどまでの怒りに染まった様子が嘘のようにその表情は穏やかだ。とは言ってもそれがわかるのはごく一部の人間だけなのだが。
「ハロルド様、もう少し言いようがあったのでは?」
「不要だ。妻を侮辱したことには変わりがない。そしてあの子をここに留まらせるのは危険だ。」
それだけ言って仕事に戻ろうとしたハロルドだったが、ミルネーゼの視線が自分から動いていないことに気づくとはぁ、とため息を吐きペンを置いた。そしてミルネーゼの方を見る。ハロルドを見るその視線は真っ直ぐで、そこに軽蔑するような感情などない。むしろハロルドの行動に何か理由があると信じている、ミルネーゼの茶の瞳がそう語っていた。
「あの子は危うい。幼く、素直で、治癒魔法が使え、さらに魔法力に優れる。そして忌み子だ。今までは忌み子だと言うことが周囲に洩れていなかったから問題が無かったのだろうが今回の騒動で街に噂が広がっている。今回の魔物の襲来も兵士に連れて行かれた忌み子がいたせいではないか、とな。馬鹿馬鹿しい。」
「つまり街にいるのは危険だから逃がすと言うことですか?」
「そうだ。街から出ればそう言った危険は減る。もちろん魔物に襲われると言う危険もあるがよほどの馬鹿でなければ与えた報酬で乗合馬車に乗るなどするだろう。」
淡々と続けられるハロルドの言葉にミルネーゼの表情が柔らかくなっていく。ハロルドはカヤノの事を十分に考えているとわかるからだ。そしてそれをうまく相手に伝えられないハロルドの性格に苦笑する。もちろん表情には出していないが。
「お前こそいいのか。お前の大事な友達なんだろう。私に直訴に来たくらいだからな。」
「ええ、カヤノちゃんは友達ですが、その前に私はバルダックの貴族ですから。」
少し寂しそうに言うミルネーゼをしばらくハロルドは見ていたが、それ以上ミルネーゼが何も言わないと考えたのか書類仕事へと戻っていく。ミルネーゼはハロルドが仕事する傍らで立ち続けていた。
通常はこの部屋の外に護衛の兵士が立っているのだが、今日はミルネーゼが居るためにその人員も今回の騒動の事後処理や捜索に駆り出されていた。魔物の襲来は落ち着きを見せたもののその原因などについてはわかっていない。警戒を続ける必要があった。
しばらく部屋の中で待機していたミルネーゼだったが、ハロルドが仕事に集中し始めたのを確認すると邪魔にならないように部屋の外へ出ようと静かに歩き出した。
「待て。」
扉へ向かっていたミルネーゼの足が止まり、そしてハロルドの方へと振り返る。ハロルドはペンを置き、そして1枚の紙を差し出していた。ミルネーゼが早足で近づきその書類を受け取る。
「新しい任務だ。」
ハロルドはそれだけを言うと顔を戻し、再び仕事へと戻っていく。ミルネーゼの目が書面を追っていく。そしてその内容を確認するとその紙を丁寧に折りたたみ自分の懐へとしまった。その顔はまぶしいような笑顔だった。
「ありがたく受けさせていただきます、ハロルド様!」
「ああ、精進しろ。」
ミルネーゼの言葉にハロルドは顔も上げない。どこまで行ってもハロルドはハロルドだった。誤解されやすくその外見から嫌われることも多いが、領主としては何処までも領民の事を考え、そして愛情に溢れていた。
「ありがとう、お父さん。」
ミルネーゼの言葉にハロルドのペンが止まる。しかしハロルドはミルネーゼの方を見なかった。見てしまえば自身が何を言ってしまうかわからなかったからだ。ミルネーゼが生まれ、養子に出した段階で縁は切った。そう考えてはいても、年々妻に似ていくミルネーゼを見るといやが応にも自分の子供だと実感してしまっていた。
「今回の任務は危険だ。そしてこの街を出て以降のフォローはないものと思え。」
だからあくまで領主としてハロルドは対応した。ハロルドとしてはあくまで領主として対応しているつもりだった。それでもミルネーゼは嬉しそうにハロルドの言葉を、ミルネーゼの事を心配する言葉を聞いていた。
ミルネーゼが向きを変え歩き出す。そしてソファに座ったチルノーゼの前でひざまずくとその手を持ち上げ自身の額へと着けた。
「行ってきます、お母さん。」
死んでいるチルノーゼがその言葉に反応することは当然ない。それでもミルネーゼは満足そうに微笑み立ち上がった。そして扉へと再び歩き出し、ドアノブへと手を触れた。
「同意書を書いておきます。もし私が死んだら探してくださいね。」
「ああ、しかしお前は若すぎる。妻にするにはまだまだだ。せいぜい長生きをしていい女になれ。そうすれば探してやる。」
ハロルドは書類から視線を上げず、ミルネーゼも振り返ることはせずにそのまま部屋から出て行った。しかし2人の顔には同じような笑みが浮かんでいた。
ざく、ざくと土を掘る音が森の中で響く。1人のアルラウネの女性がその蔦の腕に持ったシャベルで人一人が入るような大きな穴の中へと土をかけていた。無言のままその作業は続き、そして穴が埋まった。
「お休み、お姉ちゃん。」
アルラウネの女性がその土の上に一粒の種を植え、それに向かって黄色の液体を振り掛ける。すると地面から木の芽がニョキニョキと生え、そしてすぐに1メートルほどの若木の姿へと変わった。
「これでおわり~。」
いつもの口調に戻ったフラウニが持っていた首輪を遠くへと放り投げる。
アルラウネは森にすむ種族。森に生まれ、森で死に、そして森へと還っていく。それが摂理だ。両親と本人の意向があったとしてもフラウニにはその摂理から外れてしまった姉を取り戻したかった。村を救うために自ら死を選んだ姉が、大好きで優しかった姉がこんな目に遭っているのを、許しておけなかったのだ。
「もういいのかい?」
「うん。あなたたちもご苦労様~。」
そこに現れたのは緑色の鱗に鎧を身につけた赤髪の獣人族の女と、それに着き従うように控えている全身ローブで隠した人物だ。赤髪の女は数輪の花を持っていた。そしてその花をその木の前に並べる。
「仕事はこれで終わりだよ。支払いは既に受け取ったし問題は無い。それであんたはどうするんだい?」
「う~ん、どうしようかな~。バルダックからは指名手配されているだろうしね~。」
全く緊張感のない声で呟きながらフラウニが人差し指を唇に当てながら首を傾げて考え始める。フラウニは故郷に戻ることは出来ない。そしてバルダックと付き合いのある周囲の街に寄ることも厳しかった。アルラウネ自体があまり集落の外へ出るような種族ではないためどうしても目立つからだ。
そんなのんびりとしたフラウニの様子に赤髪の女が肩をすくめる。
「私たちと来るかい?ある程度融通は利かせられるはずだよ。あんたの調薬能力はこちらにとっても有益だしね。」
「う~ん。じゃあそうしようかな。雇用条件は私の欲しい素材を手に入れることって伝えておいて~。」
「・・・わかったわ。じゃあ行くよ。」
何とも言えない顔をしながら歩き始めた女の後を全身ローブの人物が無言でついて行き、そしてその後ろからフラウニがもぞもぞと動きながら歩いていく。しばらくして振り返ったフラウニは姉の墓、そしてその向こうにあるはずのバルダックへと思いを馳せた。初めて調薬を他人に教えたフラウニの初弟子とも言うべきカヤノへと。
(まあ何とかなるでしょ~。)
「何をちんたらしてんだい。早く行くよ。」
「はーい。」
赤髪の女に急かされながら、フラウニは急いで2人の後を追った。そして森には新たに芽を出した若木だけが残されたのだった。
ついに街を追い出されることになってしまったカヤノとリク。身辺整理を行う二人を訪れた予想外の人物とは!?
次回:着いていってあげなくもないんだからね!!
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




