とりあえず宿を借りる
(カヤノ君、ミーゼとの友人関係がうまくいっていることは喜ばしいことだが、1つ問題がある。君が気づいているかはわからないが。)
「急にどうしたんですか、先生?なんか口調が変ですけど。」
ただのボケだよ。そこはスルーかのってくるかどっちかだろ!カヤノにはまだ早かったか。カヤノが夕ご飯を食べる手を止め不思議そうにこちらを見つめている。やめてくれ、そんな純真無垢な目で見られたら恥ずかしくなるだろ。
好みの女性からのさげずむような視線はMの俺としてはぞくぞくするものがあるんだが、こういうのは恥ずかしいだけだ。全てが快感になるんだったら人生変わるだろうな。いや、そんな人生はある意味で終わってるか。とりあえずそこんとこは置いておいて本題にもどらねえと。誰だ、変な方向に脱線させた奴は!?
ミーゼと初めて一緒に屋台を巡ってからはや一か月。カヤノとミーゼの友人関係は順調に進展していると言って良い。あれからミーゼはほぼ毎日カヤノと一緒に薬草採取を行い、屋台で買い食いしてしばらく話してから別れている。本当に毎日来るからミーゼ用の弁当と水筒を用意したくらいだ。量が2人分になったとしても作る手間はそこまで増えねえし、なによりミーゼとカヤノが嬉しそうにしているからな。そんぐらいの手間なんて手間の内にも入りゃしねえよ。
まあそこまでは良い。問題は・・・
(今日、ミーゼの家について話したな。)
「はい、まさかこの街で3番目に大きいって言うバイカル商会が家なんてびっくりですよね。」
そう、今日はお互いの住んでいるところの話になったのだ。確か通りを歩いているときに見つけた可愛い雑貨から話が飛んだんだが、その時にミーゼがバイカル商会って言うこの街の大きな商会の娘だと言うことが判明した。
確かに言葉の端々から金持ちの子供っぽいところが見えていたが、さすがにそこまで大きな商会の娘だとは予想外だった。そんな商会の娘がほいほい毎日外を出歩いていられるなと思ったんだが、後を継ぐのは歳の離れた兄らしくミーゼはどっちかというといらない子扱いらしい。まあそんなことを笑顔で言われて俺とカヤノは困ったんだが。
ちなみにこの街の商店で一番大きいのはここバルダックだけでなく国中に店のあるアーレリウス商会で、二番目が領主直轄のバルダック商会なので地域密着の民間商会としては最大と言えるかもしれない。
まあそれも良い。ちょっと予想より金持ちだったが些細な問題だ。
(その時にカヤノが住んでいるところを聞かれておばちゃんの宿だと答えたよな。)
「えっ、はい。たぶん。あまり覚えてないですけど。」
まあそうだな。話の流れから少し出てきただけですぐに違う話題に移っちまったしな。カヤノも特に意識した風も無くナチュラルに「外街の門のすぐ近くのステラさんの宿です。」って答えてたしな。
(これは『フラグ』だ。)
「『フラグ』って何ですか?」
(まあそこは気にするな。それより重要なのはこれがミーゼがカヤノの宿に遊びに来ると言う前兆だということだ。)
「うわぁ、ミーゼさん遊びに来てくれるんですね。」
いや、そこで喜ぶんじゃない。手を胸の前で合わせて嬉しそうにほほを染めるカヤノは可愛いがそこじゃないんだよ、俺が問題にしてるのは。冷静になって考えるんだ。
ミーゼは自分の家を教えた時に「機会があったら遊びに来てね。」と言っていた。逆に言えばカヤノの家に機会があったら遊びに行きたいという隠れた意思表示だ。もちろん社交辞令と言う線も捨てきれないところだが、ここ最近のカヤノとミーゼの関係から言って家に遊びに行くってのは全く不自然じゃない。つまりかなりの確率でミーゼがカヤノの住む場所にやってくる時が来る。だって帰り道にいつも通ってるしな。
(落ち着けカヤノ。ミーゼが来てくれるのは良いが、ここでもてなすのか?)
「あっ・・・」
カヤノが周囲を見回す。まあ何が変わるわけでも無くカヤノの布団と物干し、そしてゴミ捨て場のあるいつもの路地裏だ。座る用の椅子なんかは俺が作ることも出来るが少なくとも人をもてなすような部屋じゃない。というか部屋ですらない。
「まずいです。ミーゼさんに嫌われちゃうかも!」
(いや、このくらいでミーゼが嫌うとは思えんが、問題なのはわかったな。)
俺の言葉にカヤノが真剣な表情でコクリとうなずく。よし、やっと共通理解が出来た。問題点がはっきりしたところで本題を切り出すか。前々から俺が計画していたことだしちょうどいい機会だろ。
(と言うわけで宿を借りる。)
「そうですね、宿を・・・宿を・・・ってええー!!」
カヤノが驚きのあまり大きな声をだし、慌てて自分の口を手で押さえる。いや、流れからいって普通だろ。どこに驚く要素があったんだよ。
カヤノを路上生活から脱却させる。俺の大きな目標の内の1つだ。そのために俺は密かに調査を進めていたし、そのためにお金を稼ぐ方法を探していたとも言える。カヤノ1人だと別にここでいいと言ってしまうが、言い方は悪いがミーゼと言う友人をだしにすればカヤノも断りきれまいと言う裏の事情もある。
(既に調査は済んでいる。今おばちゃんの宿は2部屋空きがある。1泊夕食付で基本500オル、10日間で4500オル、1か月ずっと借りると12000オルだ。さあ1か月借りた場合の1日の値段は?)
「1か月は30日なのでえっと・・・400オルです。」
(正解だ。カヤノの今の収入なら十分やりくりできる。基本的には俺の貯金を使うつもりだがな。)
今のカヤノの収入は1日800オル。その半分は俺の取り分とカヤノが言っているからちょうど宿代が払える金額だ。まだまだ俺の貯金はあるし道に落ちているお金も拾っているので当面お金の心配はない。必要なものはほとんど買っちまったしな。
宿の値段についてもおばちゃんの宿は普通くらいだ。一泊4千円から8千円で夕食付き、門近くで大通り沿い、交通の便が良いとなればむしろ安いくらいだ。しかも宿泊客は40オルで朝食まで食べられるのだ。良心的と言ってもいいだろう。
「えっと・・・」
突然の提案にカヤノの目がぐるぐると回っている。わかりやすいぐらい混乱しているな。まあ今まで路上生活していたんだ。急に宿をとるって言われればそうなるのか?でも路上生活の方が普通じゃないからな。収入が無いならいざ知らず、宿に泊まれるだけの収入が今のカヤノにはあるんだからな。
あとこれを急いだのにはちょっと理由もある。防壁の工事が着々と進むにしたがって今までは見たことも無い奴がうろつくようになっていた。さすがに深夜に出歩くような怪しい奴は酔っぱらいぐらいしかいないが兵士が見回るようになったのにも関わらず治安は悪化しているんだ。俺がこまめに見に帰っているし、今までは問題なかったがいつカヤノがそういうのに巻き込まれるかわからない。人攫いも起こっているらしいしな。
(よし、じゃあおばちゃんに話しに行くぞ。)
「えっ、はい。ってちょっと待ってください。」
あっ、流れに任せてこのまま行けないかと思ったがさすがに無理だったか。流されやすいカヤノなら何となくこのまま勢いで行けるかなっとちょっと思っていたんだが。これも成長か。なんかしみじみするな。
カヤノの目に意思の力が戻っている。混乱からは脱したようだ。地面をじっと見つめるその翠の瞳には何かを譲らないと言う意思が垣間見えた。うわっ、路上生活を続ける気か?これを説得するのはちょっと面倒そうだな。
「リク先生。」
(おう。)
思わず唾を飲む。いや、唾なんて出ないし、飲み込むような喉なんてないんだけどな。比喩的表現って奴だ。カヤノが一拍置く。俺はそれをじっと待っている。少しのはずのその時間はなぜか長く感じた。
「宿代は僕が出します。」
そっちかよ!
いや、確かに大事なことかもしれんがこっちは宿を借りないって言い出すんじゃないかってひやひやしていたんだぞ。めっちゃ紛らわしいわ!!
(いや、俺が出す。)
「でも泊まるのは僕ですから・・・」
昔カヤノとミーゼがしていた、どうぞどうぞのコントのような問答を繰り返し、結局200オルずつ出すと言うことで決着がついた。
部屋は普通に借りられた。「1部屋分減っちまって損だよ。」とおばちゃんに文句を言われたがそれだけだった。カヤノが鍵を受け取り1階の隅の部屋の方へ向かっているときに背後でおばちゃんがほっとした顔をしていたのを俺は見逃していない。このツンデレめ。
ついに部屋を借りたカヤノ。喜ぶリクをよそにカヤノは意外な行動に出る。それは、選ばれし者にのみ許された禁断の行為だった。
次回:今日宿をとってあるんだ
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




