とりあえず友達になる
「ごめんなさい。」
「気にしないでください。」
顔にぶっかけられた元気ジュースを洗い流すために小川で顔を洗って帰ってきたカヤノにミーゼが頭をぺこぺこ下げて謝っている。服にもかかっているから洗いたいところだが、ダブルであることを隠すためにこの真夏なのにフードさえ取っていないんだ。洗える訳が無い。唯一の救いはこの服が薬草採取用の使い古しの服とローブだってことだな。一応夏用の薄い生地のローブも買ってあるんだが、カヤノが持ち前の貧乏性で古い奴から使い倒そうとしていたのが功を奏した形だ。古いローブは冬用だからやめておけって言っているんだけどな。
またいつものやり取りが始まるかと思ったんだが、ミーゼは不思議そうな顔をしながらじっと水筒を見ている。まぁ確かに炭酸ジュースなんて珍しいだろうしな。バルダックの街でジュースと言えば果物を細かく切って絞った果汁に水を足した、なんちゃってジュースしか売っているのを見たことが無いからな。もしかしたら防壁の中では売っているのかもしれんが。
「あの、もう一口飲んでもいい?」
「いいですよ。」
カヤノの許可をもらったミーゼが恐る恐る水筒に口をつける。そして少しずつ水筒を傾けていきゆっくりと元気ジュースを流し込むとコクリとミーゼの喉が鳴った。
「ほんのり甘くて、シュワシュワして美味しい。冷やせばもっと美味しいかも。」
味わうように舌の上で転がしながら考え込むミーゼの言葉を聞いてカヤノが得意げな表情をする。確かにうまいものを知っていると自慢したくなるよな。
ミーゼはしばらくぶつぶつと独り言を言いながら水筒とその中身を眺めていた。そして意を決したようにカヤノの方へと向き合う。
「カヤノちゃん!!」
「は、はい。なんですか?」
「これ、売ってみる気ない?多分これなら売れる、って言うか絶対に売ってみせる。」
突然のミーゼの申し出にカヤノは目を白黒させながら驚いていて言葉が出ない。そりゃそうだろ。ただの美味しいジュースの話をするつもりだったのにいきなりそのジュースを売りたいと言われれば誰だって戸惑う。特にカヤノなんてまだ9歳なんだ。話についていけなくて当たり前だ。
そんなカヤノの様子にミーゼが少し声を落としてゆっくりとした口調で話し始めた。
「こんなシュワシュワした甘いジュースなんて今まで飲んだことが無いの。私が飲んだことが無いってことはこの街のほとんどの住人が同じはずよ。そして私の勘が確かならこのジュースは売れるわ。うまく貴族なんかに売り込めば、この水筒一本分だけで金貨、いえもしかしたら大金貨まで値段がつくかもしれない。」
大金貨って嘘だろ。100,000オルだぞ。日本円にしたら百万から二百万だ。カヤノの貯金額を一気に抜いちまう金額じゃねえか。しかも元手はほぼタダだ。白い薬草は勝手に増えるし、使うのは実質魔石コンロの魔石分だけじゃねえか?原価率は1パーセント以下だ。
ミーゼの落ち着いた口調にカヤノも少しずつ冷静になっていたんだが、大金貨と聞いた瞬間にまたフリーズした。そうだよな、カヤノからしたら考えたことも無いほどの大金だ。
「もしカヤノちゃんが許してくれるならこれを売らして欲しいの。ダメ、かな?」
ミーゼがこてん、と首を傾げてカヤノの顔を覗き込む。ミーゼの整った顔と合わさったその仕草は強烈なまでに可愛くて卑怯だ。わかっていてやってるんなら将来騙される男が後を絶たないだろうな。
ミーゼはカヤノの返事をじっと待っている。カヤノも少しずつフリーズから回復してそして考え込むように腕を組んでうなっている。ミーゼの言うことが本当ならカヤノにとって損は無い。販売の方はミーゼがしてくれるようだし、薬屋をやるか元気ジュースを作る仕事をするかの違いぐらいだ。そして利益は圧倒的に後者の方が大きい。リスクとしてはこのジュースの製法を知っているのが俺とカヤノしかいないから、もしかしたら狙われる可能性があるってことだ。それもお金さえあればある程度解決できる問題だ。
つまり大きな反対理由なんてないのだ。俺としては危険さえなければ大丈夫。後はカヤノがどう決断するかだ。俺じゃなくてカヤノの人生だしな。
そしてカヤノはうなるのをやめ、そして組んでいた腕を解いてミーゼを見た。
「僕はこの元気ジュースを売りたくありません。」
カヤノは自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと、しかしはっきりとそう言い切った。俺自身カヤノの決断に少し驚きながらミーゼの反応をうかがう。てっきり驚いたり、怒ったりするもんだと思っていたんだが、ミーゼは逆に不思議そうな顔をしてカヤノを見返しているだけだった。
「あの、どうしてか聞いてもいい?」
そう尋ねるミーゼに、カヤノは頭の中を整理するように目を閉じて何度かうなずいた後、ゆっくりとその翠の瞳を開いた。そこには先ほどまであったような迷いの色は無く、はっきりととした意識が感じられた。
「えっと、はっきり言って僕のわがままなんです。その元気ジュースって僕の先生が初めて僕のために料理してくれた食べ物なんです。そんな思い出の食べ物を売っちゃうのはちょっと嫌だなって。それにそのジュースの材料を育てているのは先生ですし、作ってくれたのも先生ですから先生に聞いてみないと。先生が売るって判断したならそれに従います。ちょっと寂しいけど。」
少し寂し気に顔を伏せ、俺の右手をカヤノが見る。馬鹿だなお前は。俺がカヤノの意思を差し置いてそんなことする訳がねえだろ。カヤノの腕の付け根を2回コンコンと叩いてやる。今でも十分に暮らしていける目途は立ってんだ。別に焦る必要なんてないし、カヤノはカヤノらしく生きるのがカヤノの人生ってもんだろ。
それにカヤノが言ったこともわからないでもない。俺がカヤノに初めてプレゼントしたのはあの白い薬草だし、料理と言うか調薬したのもそれを使った元気ジュースだ。ある意味で俺たちの関係に切っても切れないものがこの白い薬草なんだ。そう考えると今まで異常な繁殖力とかなぜか炭酸っぽい泡が出て不気味とかひどいことばっか言ってたが、ある意味で絆のような役割を果たしていたんだな、こいつは。今度からもう少し丁寧に扱ってやろう。
「わかりました。諦めます。」
カヤノのその顔の効果があったのかミーゼがあっさりと意見を翻した。てっきり俺のことを聞いてきたり、カヤノの説得を続けるかと思っていたんだが。ミーゼの言っていたことが本当ならカヤノと直接取引できるミーゼの利益はとんでもないものになっていたはずだ。俺たちは相場がわからないからミーゼの仕入れたい値段で俺たちから購入することが出来るだろうし、貴族にも伝手があるようなことを言っていたからそれをうまく利用して高く売りつけられれば売りつけただけ卸売りするミーゼの利益は跳ね上がる。なんせ材料を作っているのはおそらく俺だけだし、その製法を知っているのも俺とカヤノだけだろう。希少性と言う観点で見ればこれほどの物は無いのだ。ミーゼの舌が確かならおそらく高く売れるんだろう。そうすればミーゼのモットーの通り楽に生きられるのだ。
「お金を儲ける方法なんて他にもいろいろありますから。ほらっ、私多才ですし。それに・・・」
どの口が言ってんだこいつは?こんな冒険者の初心者も寄り付かないようなただの森でオオキノコにしびれ胞子を食らうようなドジのくせに。
ミーゼがカヤノを見る。そして少し照れくさそうに頬をポリポリと掻いた。
「友達が嫌がることをしてまでお金儲けしたくありません。」
「・・・」
今、なんて言ったんだ?
やばい、驚きのあまり俺までフリーズしちまった。というかカヤノは絶賛フリーズ中だ。ミーゼのことを見たまま瞬きすらしていない。
友達、おい友達だってよ。カヤノ良かったな。ちょっと年齢は離れているがミーゼが友達だって言ってくれたぞ。うりうり、良かったじゃねえか。ほらボーっとしてねえでしっかり返事をしてやれよ。友達だろ。
一向にフリーズが解除されないカヤノの腕の付け根を何度もコンコンコンコンとノックする。若干俺のテンションがおかしいことは自分でもわかっちゃあいるんだが、なんてったってカヤノに友達が出来たんだぞ。これが喜ばずにいられるかってんだ。
焦点の合っていなかったカヤノの目に光が戻ってくる。そんなカヤノの様子をミーゼがもじもじしながら期待した目で見ている。くそっ、こいつ、やっぱり可愛いな。上目づかいとか反則だろ!!
「ともだち、友達ってあれですよね。一緒に遊んだりする・・・」
「はい、仲のいい友人のことです。私と友達になってくれませんか?カヤノちゃん。」
ミーゼが手を差し出す。まだ夕日が出るような時間じゃないんだが、まるでそれに染められてしまったかのような赤いその顔はほほ笑んでいた。その姿はミーゼの容姿と相まってとても美しく、まるで作られた人形のように綺麗だった。これ以上余分なものがほぼ必要ない芸術作品にも見えるその姿に足りないものは一つだけ。
行けよ、カヤノ。お前が最後のピースだろ。
コンコンっと腕の付け根を叩いてカヤノの背中を押す。カヤノの手が少し震えながらそれでもゆっくり、しっかりとミーゼの手へと近づいていく。そして触れ合う直前、一度躊躇するような動きを見せたカヤノをもう一度俺が励まし、カヤノはしっかりとミーゼの手を握った。ピースは合わさり作品は完成された。
「僕、友達ってよくわからないんです。それでも良ければよろしくお願いします、ミーゼさん。」
「もちろん。」
赤い顔をした2人が手を握り合いながら笑う。俺に涙を流せる機能があったならもうダメだ。たぶんこの辺りが水浸しになるくらいに泣くかもしれん。結婚式で泣く新婦の父親とか情けねえなと思ったこともあったが今ならその気持ちがわかる。手をかけた子の成長を実感するってことはこんなにも嬉しくてそして寂しいものなんだな。そんなことを思っちまってすまんかった。号泣した上司よ。子泣きジジイなんてあだ名をつけちまったし。しかも結婚式の映像が課内で回って、あだ名が浸透しちまったし。そういえばあの人の名前って何だった?子泣きジジイの印象しかねえぞ。部署が変わってから会ってねえから記憶も薄れちまったし。まあ、それはいいか。
っていうかいつまで握手しているつもりだよ。早く座って休むなり、話すなりしろよ。休憩時間がもうすぐ終わるぞ。
結局2人は握手したまましばらく無言でお互いを見つめ合い、それは焦れた俺がカヤノをトントンと強めに叩くまで続いた。
友情を確かめあうカヤノとミーゼ。その時、がさがさと草むらが動いた。警戒する二人に、「オマエタチ トモダチ。オレモ トモダチ。」という謎の声が聞こえる。果たして謎の声の正体とは!?
次回:新たな友は原始人!?
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




